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仕事に効く教養としての「世界史」
出口治明 / 祥伝社
中国の歴史は遊牧民との戦いの歴史、そして日本にも影響が
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ライフネット生命の出口氏は読書家として有名だがそれにしても読んだ歴史書が5千冊以上とは。しかも訪れた外国の都市が1000を越えるらしい。その出口氏がヘロドトスの言葉を借りて歴史を学ぶ意義をこう述べてい…る「人間は性懲りもなく阿呆なことばかりやっている。いつも同じ失敗を繰り返している。だから、自分が世界中を回って見聞きしたことを、ここに書き留めておくから、これを読んだ君たちは、阿呆なことを繰り返さないように、ちゃんと勉強しなさいよ」この本は出口氏が半世紀の間に、人の話を聴き本を読み旅をして、自分で咀嚼して腹落ちしたことがすべてであり、この本を書くために新たに読んだ本はなくだから文献も示されていない。それで読んでると時々この出来事は実はこうだったと独自の考えが顔を出すのがおもしろい。
世界史から日本史だけを切り出せるかから始まり、終章でもう一度世界の視点から日本を眺め直す。中国、キリスト教など定番の切り口もあるが例えば交易の重要性や人工国家アメリカとその元になったフランス、そして遊牧民の生んだ帝国など面白い切り口がある。
中国を理解する四つの鍵、最初の鍵の中華思想が生まれたきっかけ。中国の歴史書は新しい王朝が前の王朝のことを書くので滅ぼされた方がだいたい悪者になる。これは孟子が発明した革命思想が元になっており「天命によって王朝があらた(革)まる、王族の性がかわる(易)」から易姓革命と呼ばれ要は新しい王が正当性を残すため歴史が書かれた。古代王朝周は紀元前1046年頃から始まり内乱で紀元前771年に生残った東周が洛陽に移り春秋時代が始まる。周は12代300年続いていてその間周辺国に贈った青銅器には周の文王や武王の立派な業績の話が書かれていたことがこのときやっと理解され、諸国の王が周はすごいんだと勝手に尊敬の念を抱いてしまう。東周は小さな国だがそこに権威を認め周の王室は特別な存在だと周りが勝手に持ち上げたのが中華の始まりだった。中国が「俺はジャイアン」といったわけではなくのび太やスネ夫がジャイアンを持ち上げたのが本来の中華思想の始まりだと。今ではちょっと違うかも。
二つ目の鍵は諸子百家、法治国家と官僚制が中国の主流でただそれだけでは大義の様なものがない。そこで建前として庶民に広められ支配者にも都合が良かったのが孔子の儒家だ。現実に中国の体制を支え続けたのは法家なのだが今の中国は法律はあっても実際のところ運用がどうなっているのか分かりにくい。
三つ目の鍵は遊牧民と農耕民の対立と吸収の歴史。統一と分裂の歴史という一般的な見方に加えるとわかりやすい。中原に入ってきた遊牧民が豊かな国土に慣れ、侵略した農耕民に吸収されていく。中国政府がウイグルの独立を認めず弾圧をするのもわからなくはない。中原の歴史的な最大の的は常に遊牧民だったからだ。2世紀から3世紀の寒冷期に天災や飢饉が続き後漢は滅びた。この時期遊牧民は南に攻め入るがこれが中国の匈奴であり西に行ったフン族がゲルマン民族の大移動を引き起こした。三国志の時代から晋に変わりその晋も遊牧民に追われて南に逃げる。華北はその後北魏を経て隋が統一し唐になるまで遊牧民王朝、択跋帝国が続いた。そして中国人ではない北魏が易姓革命の代わりに使った大義名分が仏教でこの時代に石仏が多く作られている。聖徳太子が書を贈った相手は遊牧民の王で国家仏教と奈良の大仏も遊牧民国家の影響だったんですね知りませんでした。漢民族の帝国は宋で女真族の金に南に終われまとめてモンゴル帝国に滅ぼされる。次いで漢民族の明、満州族の清と続く。出口氏は中国は歴史的に見るとあまり侵略的ではなかったという。ベトナムや朝鮮半島は元々自分たちの勢力範囲という認識なので遠慮なしだがこうしてみると漢民族は遊牧民に征服されるたびに飲み込み同化してきた様なのだ。
そして最後の鍵は始皇帝のグランドデザイン、文書行政を統一し、中央集権の群県制を全国に行き渡らせ皇帝が法に基づいて中央から地方に派遣した官僚に支配させる。中国共産党もこのスタイルを踏襲している。儒家がすすめた高度成長は共産主義の裏で生き続け相変わらず金儲け。なかなかシビアな見方だ。
モンゴル帝国のクビライの進めたグローバリゼイションに対し、漢民族の明は一時インド洋を制覇した鄭和の大船団をとりやめその費用を遊牧民からの攻撃を防ぐために使った。万里の長城だ。ぽっかり空いたインド洋に後にヨーロッパの船団が入り込む。大航海時代に海外植民地を増やしたヨーロッパ列強がついに東洋を追い抜かしアヘン戦争でついに東西のGDPが逆転し中国は長い暗黒の時代を迎える。毛沢東の共産党が統一した後も大躍進や文化大革命など国民窮乏化政策を20年以上続けた。そして日本は漁父の利を得た。 続きを読む投稿日:2014.11.07
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文明崩壊 上巻
ジャレド ダイアモンド / 草思社
どうやれば社会の崩壊を防げるのか
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文明崩壊と言う邦題はキャッチーで良いと思うがある社会あるいは共同体がどのように崩壊したか、あるいは生き延びていったかを比較している。上下1000ページ強となかなか文庫本とは言え重たい1冊。上巻はまず現…代アメリカでも最も自然が豊かなモンタナでさえ色々な問題があることを示している。それでもモンタナの社会が崩壊するとは思えないのだがそれをふまえつつイースター島を含むいくつかのポリネシアの島々、マヤと北アメリカの先住民社会、そしてグリーンランド入植者社会がどのように崩壊していったかを追いかけていく。そうするとモンタナにも共通点が見えて来てしまうという構図だ。
モンタナ州は西はグレイシャー国立公園からイエローストンにかけてのロッキー山脈、北はカナダに接し東半分はプレーリー地帯だ。映画「リバー・ランズ・スルー・イット」の舞台になったブラックフット川とクラークフォーク川の合流地点にミルタウンダムという小さなダムがある。このダムによる小さな問題はマスが海流で着なくなったことで大きな問題はクラークフォーク川上流のビュートの銅採掘所から重金属を含む沈殿物が流れ込みダムに滞留したことだ。1981年このダムから拡がる地下水に基準値の42倍のヒ素による汚染が見つかった。クラークフォーク川はアメリカ最大の浄化現場になっており83年に閉鎖したアナコンダ社の精錬所はアルコを経てBPに買われたがBPは資産と同時に川を浄化する責任を手に入れたことになる。東部のゾートマン=ランダスキー鉱山では金の採掘に堆積浸出という方法を取っている。わずか30グラムの金を取り出すのに50tの鉱石を必要とする低品位の鉱石を処理するのに開発された方法でシアン溶液(青酸カリと思ってもらえば良い)で金を溶かし集めて回収する方法で知らないとびっくりするかも知れないが標準的な方法だ。中国ではレアアースの採掘に露天掘りで酸を流し込み回収しているが似た様な発想だ。この鉱山では廃液の漏出や処理を誤っての青酸ガスの発生など考えられることが全て起こり廃棄された。
鉱山のために森林を伐採し製材所を作るためダムを造るとすべてつながってくるのだが、効率を上げるために選んだ皆伐式の伐採禁止を求める訴訟が持ち上がり製材所は停止に追い込まれている。禿げ山を見て止めたくなる気持ちはわかるのだが森林の適切な管理には金がかかりアメリカで2番目に広い私有林を持つプラム・クリーク社は林業ではなく土地を開発し美しい景色を売り物にする不動産業に鞍替えした。ビタールート・ヴァレーは州外の金持ちが別荘を造るなど人口が増えて来ている。過去に崩壊したいくつかの社会も原因の一つに森林の消失がある。孤立した小さな社会で森林がなくなると土壌が流出したり乾燥したりして作物の収量が落ちていく。ビタールート・ヴァレーの場合は過去の伐採によってそのまま残された間伐材がそのまま打ち捨てられ、乾燥した気候のために薪が置いてあるのと同じ状態になっている。自然の山林では雷による山火事が起こると耐火性のない若木や下草が燃えるが大木にはそれなりに耐火性があり結果として時々火事があることで大きな火事にならない様になっている。人為的に手を入れて間引きしているのが日本の里山と考えれば良いのだろう。また消防技術の改善で山火事を早く消し止められるようになったのも後に災いし、森林密度が高くなったため大規模火災のリスクを高めてしまった。
また農業や酪農も衰退して来ている。モンタナ州の平均収入は下から比べた方が早く大都市圏から遠いのもあり農産物が高く売れない。農業を続けるより不動産業者に売った方が儲かるのだ。一方で昔からの住民は新たな開発に反対し記憶にある景色を守りたがっているのだがそのために費用負担をできるわけではない。気候変動のためグレーシャーの氷河は後退し、降雨不足、灌漑による塩害などのマイナス要員が重なっていく。誰もがモンタナの自然を好みながらそれをどう利用するかとなるとまとまりがつかない。それでもモンタナはアメリカの他の地域よりもまだ持続可能性が高い土地でもあるのだが。
こう言った前提の元に読んでいく社会崩壊の歴史は今後それを繰り返さないとは言えないものになっている。イースター島は昔は森に覆われた島だったのが今では高い木が残っていない。モアイを建てるほどに統合された社会は人口増と食料不足から敵対し合いモアイは倒されていった。マヤのある中央アメリカは熱帯というイメージだが実際には乾期がありカルスト地層のため雨水が地上に残らない。人口増による森林の伐採や土壌の浸食を経て気候の変動が起こった際干ばつにより食料不足になり、また戦争続きでもあった様だ。
上巻の後半はグリーンランドのヴァイキングは姿を消したのに対して、なぜイヌイットが生き残ったか。 続きを読む投稿日:2014.11.07
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元素変換 現代版〈錬金術〉のフロンティア
吉田克己 / 角川EPUB選書
メカニズムの解明が待たれる核変換
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「セシウムがプラセオジウムに、ストロンチウムがモリブデンになるということなら、タングステンからプラチナがつくれるんじゃないですか?」「できてますよ。」
1989年ユタ大学で発表された常温核融合は世界…中にセンセーションを起こし、結局追試による検証が出来ず全面的に否定されるに至った。アメリカエネルギー省の調査委員会はDD核融合(ヘリウムを生む重水素同士の反応)を仮定し否定している。発表したフライシュマン等は電気化学の専門家ではあったがユタ大学の広報策にのって「とにかく常温で核融合が起きた!」と反応してしまった。日本では有馬朗人博士ー原子核物理学者で東大総長、そして後の文部大臣ーが否定的な見解を示したため学会は概ね否定的だったが一部の研究グループは1990年代から科研費を得て研究を続けていた。その中の一人が本書の主人公で三菱重工所属の岩村康弘氏だった。岩村らが2004年3月に凝集体核科学国際学会の第1回ジュリアーノ・プレパラータ・メダルの第1回の受賞を受けたことからもわかるように常温核融合の1種である元素変換の世界では日本が研究をリードしている。
一般的な核融合反応は高温高圧でプラズマ(原子が原子核と電子に別れて飛び回っている)状態にして反応を起こす。原子核同士の衝突確率を高める必要が有るからだ。しかし一般的なイメージとは違い手作り核融合実験のハードルは低く既に中学生が手作りで作ってしまっている話が「理系の子」のエピソードにもある。難しいのは大量にエネルギーを発生させる核融合炉の場合は大量の中性子線が発生し炉材の寿命が短いことだ。この本で紹介される元素変換は常温で電気分解を基本技術としておりそこは常温核融合と共通している。
1994年NEDOが事業母体となり「新水素エネルギー実証試験プロジェクト」が当初予算総額40億円で発足した。今なら水素社会と結びつけられそうなこのプロジェクトは実証できていない常温核融合で化学反応では説明できない過剰発熱があるなら使いたおそうと言うのが表の命題でさらに年間1億円が裏アジェンダである地道な基礎研究に振り分けられた。マスコミは常温核融合はなく、このプロジェクトは失敗したと報道したが研究者ははっきりした核変換現象や多くの反応による生成物を確認していた。STAP細胞とは違い理論的な解明は出来ていなくても現象は追試され確認されていたのだ。(2004年に日経産業新聞のトップ記事になっているらしいが情報感度が低かったのか成功報道は全く記憶にない)
岩村が利用したのは「重水素透過法」と言う方法で核変換の対象元素をスパッタ薄膜にし、そこに電気分解で発生した重水素を通過させ固体上で核変換を起こす。プラズマ状態の重水素同士をぶつけるより固体中を通過する原子の方が衝突確率が高いので温度を上げなくていいというのがアイデアだろう。加圧と真空やイオン透過を利用した電気化学的な方法で水素濃度を高めたことにより収率を高めることにも成功した。岩村はNaturen投稿するが拒否され、Japanese Journal of Applied Physics(JJAP)にようやく受理された。しかしこの時も日経サイエンスが半ページの記事にした程度で全く注目を受けていない。それほどまでに常温核融合へのアレルギーと有馬氏の否定発言の影響が強かった。
三菱重工が核変換に何を期待しているかと言うと原子炉メーカーらしく放射性廃棄物の無害化だ。とかく悪者になりがちな原子炉メーカーだが放射線廃棄物処理を独占できれば利益も大きいし会社のイメージと言う点でも申し分ない。残念ながら2002年以降重工も基礎研究経の資金を減らしてしまい、岩村も途中から研究から外されそれでも週一で異動先の高砂から横浜の研究所に通い続けた。安定元素のセシウムやストロンチウムはすでに核変換は実証されているがまだサイエンスレベルで廃棄物処理に使えるめどは全く立っていない。あわてて実用化を目指すより反応のメカニズムを解明することが優先される段階だ。それでも理論的には代表的な放射性廃棄物であるストロンチウム90を安定で有用なパラジウムに変換することは可能だ。重水素の抽出には水の電気分解による濃縮が有効でこれは放射性トリチウムー汚染水から分離できない最後の核種ーにも当てはまる。現状では希釈して海に流すしかないトリチウムも電気分解で濃縮しエネルギー的には不利だが発生した水素も利用できる。濃縮されるのはTHガス(H2の水素が一つトリチウムに変わったもの)で、もしこれが核変換に利用できれば効果は大きい。1兆円単位で増加する燃料費のことを思えばもう少し国家予算を付けてもいいんじゃない。100万年単位の放射線廃棄物処理を100年単位にできるかもしれないのだから。
続きを読む投稿日:2015.02.28
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中国汚染の真相
富坂聰 / 中経出版
政府と企業の癒着、そして普通の人たちは自分たちが汚染源だとは気がつかず
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中国の空気と水のひどさについては確かにこの本に書かれている通りなのだが、真相というにはつっこみ不足の気がする。日本でも有数の中国ウォッチャーなので微信とかのニュースはよく見てるのだろう。しかしサイエン…スベースの裏付けは中国以外の情報と照らし合わせた方がいいんじゃないか。
例えば「広東省の大気状況が良好になった?』という章がある。中国で起きる変化は、最初に広東省で見られる。という一つの見方とともに香港の100万ドルの夜景を奪ったのは改革開放政策で最初に進出した企業だと仮説を立て、2007年に現副総理の汪洋が広東省書記時代に労働集約型産業から高付加価値が他産業への変換を計った際に資本力のない企業が逃げ結果として汚染が北上したと展開している。むしろ単純に広東省は環境負荷が高い重化学工業が比較的少なかったから経済発展の割に汚染が増えず、東北三省や重慶などの重化学産業に基盤を置く地域の方がひどくなっただけでは。中国奥地でも鉄や石炭の産地で工業化した都市、例えば蘭州などは汚染がひどい。一般に中国では自動車、暖房、発電、重工業あたりが空気汚染の主役とされている。中国腫瘤登記センターの年報によると中国では肺がんが肝臓がんを押さえてがんによる死亡原因の第一位になっており、喫煙者は増えていないのに罹患率も死亡率も増えている。北京では肺がんが2001年からの10年間で56%の増加、中国全土でも平均27%の増加という結果が出た。(全国腫瘤防止弁公室による)
90年代から重慶ではすでに大気汚染が深刻だったという記事の紹介がある。wikiによると90年代初頭の北京や上海の大気汚染物質濃度は60年代ー70年代の東京と同程度だという。
自動車の影響も当然大きいと思われ、北京の渋滞を空気汚染の原因にあげている。中国の自動車保有台数は2013年末に1億3741万台といわれている。国交省がまとめた資料では2010年の自動車保有台数は中国78百万台(うち乗用車34百万)に対し日本75百万台(同58百万)4年で倍増とすごい増加だが面積あたりで見れば日本の方が遥かに高い。今ある車は2000年以降発売のものと見ていい。つまり乗用車については外資系がメジャーなので欧米並の排ガス規制も問題なくクリヤーできる。問題はガソリンの質の悪さとトラックなのだろう。北京の空気に文句を言う住民が同様にガソリンの値上げにも文句を言うし、汚職まみれの石油会社のトップをなんとかしないと値上げも精製設備の更新も先に進まない。
紹介されているように発電や暖房だけではなく調理にも使われている石炭の質の悪さも問題だ。空気汚染の健康被害については開発途上国では家庭内での空気汚染が深刻なのだ。この場合は煤塵以前に一酸化炭素中毒が多いのだが。高い煙突をつければ家庭内は解決できてもばらまくだけなので設備を更新して集中暖房にするしかないのだろうがその費用を払える人がどれだけいるかだ。
産業では鉄鋼、セメントなどが大量の石炭を消費している。毛沢東の大躍進政策で大失敗した土法炉はまともな農具をくず鉄に変え、文革では企業のエンジニアを追放した。鄧小平の改革開放の初期もまだ鉄道がまともに動かないため鉄鉱石と石炭はあってもまともに鉄は作れなかった。これを助けたのが宝山鉄鋼に技術を提供した新日鉄などだ。中国の鉄鋼工場が大気汚染源なのは確かに石炭の品質の悪さもあるがそれ以上に煤塵処理に金をかけない企業の方針やそれを許した政府との癒着などが原因だろう。
後半は水資源の話だがダムが原因で黄河が枯れたという様な書き方をしてあるのだがこれは全く理解できない。土砂が流入して河床が高くなるからといって流入する水が減るわけではない(どこかよそへ流れれば別だが)。上流の取水量が増えるから下流が断流するだけだろうに。水の蒸発が増えるから利用できる水資源は増えないというのであればまだわかる話だけど。三峡ダムが地震の原因になるというのもよく分からない話だ。貯水量39億tは中国最大の鄱陽湖の25億tを遥かに越える。この水量は膨大ながらダムのある三峡の地形は山がちなので同じ様な重量物はそこらにあるとも言える。(Googleマップの地形図がわかりやすい)
最後の方に書いてあるのだが「水資源が足りない」ことは多くの人が共有している認識でありながらエネルギー使用量だけでなく水使用量も非効率だという話に焦点を当てた方が良かったのでは。GDPあたりエネルギー使用量は日本の7倍、米国の6倍でインドと比べても2.8倍だという。排水量は同じくGDP当たりで先進国の4倍。中国の老百姓(庶民)はおそらく自分が汚染源だということには無頓着だ。 続きを読む投稿日:2014.11.10
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バッテリーウォーズ 次世代電池開発競争の最前線
スティーヴ・レヴィン, 田沢恭子 / 日経BP
電池のイノベーションには期待しているが
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アメリカの電池研究のハブとなったアルゴンヌ研究所とベンチャー起業エンビアそしてそこで働くバッテリーガイたちが目指すのは日本や韓国企業に差をつけられている電池のイノベーションを起こし電気自動車をきっかけ…に巨大な電池産業を生み出すことだ。この本では技術的な内容も語られるがむしろテーマはもっとドロドロした人間関係やバッテリーガイたちのエゴむき出しの姿だ。
1991年ソニーがリチウム電池を発表し現在に続くモバイル機器の誕生のきっかけが生まれた。この電池の開発にはMITのジョン・グッドイナフが大きな役割を果たしていた。グッドイナフはそのころアイデアが生まれたばかりのリチウム電池の性能をもっと上げられると考えた。ここで採用した酸化物の正極と炭素の負極という組み合わせはその後のリチウム電池の基礎を築いた。グッドイナフは最初のリチウムイオン電池で中心的な役割を果たしたにも関わらず、特許料を一切受け取っていない。所属したオックスフォードが正極材の特許取得を拒否したためだ。1980年代電池は儲からずその権利を買い取り改良を重ねた日本企業がリードしていく。
リチウムイオン電池の概念はそれほど難しいものではない。放電する際にリチウムが正極材から負極材に移動する。移動速度がパワーで移動する総量が電池の容量だ。問題は金属酸化物の正極にどれだけリチウムを詰め込めるのかとそれをどれだけ引き抜けるのか。正極材のほとんどがリチウムだと引き抜いた際に正極材がすかすかになり崩壊してしまう。つまり正極材は繰り返しの充放電で物理的な構造を保ち続けなければいくら初期性能が良くても使い物にならない。過放電でバッテリーが死ぬのは正極材の構造が変わりもはやリチウムを取り込めなくなるからだろう。
南アフリカ出身のサッカリーは独自のアイデアで酸化鉄の電極を開発した。グッドイナフの計算では構造中にリチウムが入る隙間はなかったが電圧をかけてリチウムを押し込むと構造が変わり有望な材料に生まれ変わった。サッカリーはさらに有望な材料系としてニッケル、マンガン、コバルト系のNMCを正極材として開発した。基本的にはこれが現在のリチウムイオン電池の基礎になっている。
グッドイナフの研究所に来た日本からの研究者が同僚の発見を持ち帰りNTTが特許を出願したとこの本では描かれている。日本は知財権ではやられっぱなしのイメージだが、この本では抜け目なく材料技術の改良に労力を惜しまない強力なライバル扱いだ。権利化はその後も泥沼の様相で、MIT教授の蒋がグッドイナフの材料に手を加え特許を取得しA123というベンチャーを設立した。ここから流れた技術が中国のBYDに流れたとの噂を著者は示唆している。
サッカリーと並ぶスターとなったのがモロッコ出身のハリール・アミーンだ。京都大のポスドクをへてアルゴンヌに加わったアミーンは研究に情熱を燃やすサッカリーとは異なり市場に製品を送り出すことに関心を持ち自分の権利を徹底的に主張する攻撃的な人物だった。アミーンは見過ごされていた電解液に目をつけ新たな分子を導入することで発火の危険が減ることを突き止めた。アミーンは後に日本式のやり方を取り入れた。どこかで手に入れたアイデアに手を加え部下の研究員をチームとしてまとめ片っ端から研究させる。アミーンチームは論文数、特許数で実績を積み10年間で120件の発明を生み出した。。このやり方は一部の研究者から批判を読んだが日本などではフェアであると認められ、結果を出せば賞賛される。「日本、中国、韓国は、他者のアイデアを平気で足場としながら経済的優位を保ち、いずれ収益性の高い産業が生まれると確信して何年間も金を注ぎ込み続けた。アミーンはただ日本式のやり方をまねしているだけだった。」やけに批判的だが産業スパイとは次元が違う普通の企業活動だと思う。
2012年ボルトの販売台数は7671台、中国でも1万台に届かず、日産リーフも同様だった。一方でトヨタのハイブリッド車は累計400万台、勝負はついている。アメリカには長期的な計画に予算を組む企業はなく電池関連の会議は静まりかえっていた。30年後EVがまだメジャーになれないもう一つの理由は車体価格の差だ。電気が安くても初期費用の差が埋まらない。
しかしテスラの登場から雰囲気ががらっと変わる。テスラは最先端の技術は選ばず枯れた技術を工学的に磨き上げる方法を選んだ。そしてわずか4ページの最終章は楽観的な見通しに終始する。「テスラは平均的な乗用車よりやや割高だがもはやニッチな存在ではない。EVを100万台走らせるといったオバマの目標はまもなく達成されるだろう。」「アメリカはきっと勝てる。」どろどろのバッテリーガイの描写はよく書けているが、電池の未来はまだまだ先にありそうだ。 続きを読む投稿日:2016.05.19
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年収は「住むところ」で決まる ─ 雇用とイノベーションの都市経済学
エンリコ・モレッティ, 安田洋祐, 池村千秋 / プレジデント社
日本にイノベーションハブハブできるのか
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題名で忌避しまっていたが原題は「THE NEW GEOGRAPHY OF JOBS」新たなイノベーションを生む産業クラスターが根付いた都市は、選ばれなかった都市と比べると単純労働の給与も上がるという。…現代社会の雇用に大多数はローカルなサービス業が占めている。シリコンバレーですらハイテク企業に勤務している人より、地元のお店で働いている人の方が多い。アメリカではすべての雇用の2/3が非貿易部門、つまりそのサービスを他の地域に輸出できない
しかし、貿易部門の産業で労働者の生産性が高まると、その産業だけでなく、ほかの産業でも労働者の賃金水準が高まる傾向がある。過去には製造業の賃金が上がると、ほかの産業でも賃金が上昇した。人材確保のためだ。最近ではハイテク産業の雇用が他の産業に波及するようになり乗数効果は5倍だと言う。
例えばアップルの直接雇用は1万2千人だが地元のサービス業にさらに6万人以上の雇用を生み出している。著者の分析によれば伝統的な製造業の場合1件の雇用増が地元に1.6件のサービス関連の雇用を生むが、非常に高給取りのハイテク産業には及ばない。シアトルの場合直接雇用はボーイングがマイクロソフトの2倍に及ぶが地域に生み出している雇用はマイクロソフトの方がずっと多い。
マイクロソフトの創業は1975年、ニューメキシコ州アルバカーキで79年にシアトルに移ったが当時のシアトルは絶望の街と呼ばれ今のデトロイトのような状況だった。犯罪も多く学校の質も悪い。マイクロソフトがシアトルを選んだのはただビル・ゲイツとポール・アレンがシアトル出身だったからだ。それが今ではシアトルはアメリカ屈指のイノベーションハブとなり、アルバカーキは停滞している。シアトルは大卒社が人口に占める割合が45%に達し、シアトルとアルバカーキの大卒者の初任給の差は1980年には4200$だったのが今では14000$に拡大している。市民生活のあらゆる側面で明暗がわかれ今や殺人事件の発生率にいたってはアルバカーキの方が2倍以上多い。
大卒者の割合が最も高いコネチカット州スタンフォードでは高卒の平均年収も10万$を超える。これは極端な例だが大卒者の多い都市の高卒者の平均年収は大卒者の80%前後となっておりほぼ5万$を超えてくる。これは大卒者の少ない都市の大卒者の平均年収とほぼ変わらずこちらの高卒者の平均年収は大卒者の60%前後に留まっている。平均年収が高い都市の家賃や物価が高いにせよかなりの差だ。ハイテク産業の集積地には高度なスキルを持った人材が集積し年収を押し上げるだけでなく、知識の伝播が促進され高い技能を持たない人たちの生産性も向上する。ある都市における大卒者の数が増えれば高卒者の給与の伸びは大卒者の4倍に達する。
最後の方に1980年代に世界市場を席巻していた日本について言及しているがアメリカが世界の国々から最高レベルのソフトウェアエンジニアを引き寄せたのに対し日本では法的、文化的、言語的障壁により人的資本の流入が妨げられ、人材の層が比較すると薄かった。専門的職種の労働市場の厚みは、その土地のイノベーション産業の運命を決定づける要因の一つなのだ。移民か教育かであれば日本は教育への道を取り法的規制を緩和するしかイノベーション産業発展の道はなさそうに思える。
続きを読む投稿日:2015.06.30