【感想】検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?

小野寺拓也, 田野大輔 / 岩波ブックレット
(85件のレビュー)

総合評価:

平均 4.1
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4
  • 「象徴と結果の論法」で検証

    ナチズムは「国家社会主義」と訳されることが多いが、「国民社会主義」と訳した方が実体に近いと主張。
    なぜならヒトラーにとって、国家は民族に仕える道具でしかなかったこと、そして社会主義者イコール国民主義者で、それこそが真のナショナリストだと捉えていたことを理由としてあげる。
    この指摘は確かにそうなんだけど、ヒトラーの権力がいかに特殊で規格外だったかを十分に説明していないように思う。

    ヒトラーは紛れもない独裁者だったが、通常考えられるような暴君ではなかった。
    自身への信奉を集めるため涙ぐましい努力をしたわけでも、強制的に人気を掻き集める粉飾されたカリスマでもなかった。
    しかもヒトラーの言動や、する事なす事すべてが絶対で、鏡や手本とされたわけでもない。
    部下の前で横柄な尊大さを見せたかと思えば、心気症患者のような不安定さもさらけ出す。
    極端な菜食主義者だが、会食に同席する参加者に肉料理が供されるのを禁ずるわけでもない。
    延々と野菜ダイエットの有効性を説いても、側近たちすべてが菜食主義者になることはついぞなかった。
    気まぐれで怠惰で優柔不断。
    ドラッグ患者でさまざまな病気を抱え弱々しいが、演説になると一転して力強く変貌する。

    ヒトラー政権の実態は究極の忖度体制。
    ヒトラーから細かい目標は下りて来ない。
    あるのはただ漠然とした遠い構想のみ。
    それを部下たちはヒトラーの望むことや意図を汲んで自律的に動いていた。
    総統の意を汲み総統のために働く。
    ヒトラーは確かに権威者として絶対的だったが、それぞれの決定でイニシアチブを持っていたのは彼ではなく部下たちで、単に追認する形がとられた。
    このように、上からの指令や命令を待たず、個々人がいかようにも主導権を発揮することができたからこそ、残忍なまでに効率的な実行がなされたので、ヒトラーの権力の特殊ぶりがよくわかる。

    ヒトラーにいちいち裁断を仰ぎ決定を待っていたら、この能率性は達成されなかった。
    とことん優柔不断でぐずぐずと先延ばしし、しまいには約束を反古にしてどこかへ行ってしまう。
    リーダーシップの観点から言えば、これほど当てにならないトップもない。
    だから権力の内部では、中心でいるようでいて、実は遊離し弾かれた存在になっていた。
    スターリンならこんな無秩序は許さないし、中央でとことん統制する。
    ヒトラーは逆で閣議も開かないから、政府中枢で相互の調整も計られない。

    なぜならヒトラーにとっては、プロパガンダと動員こそがすべてで、それ以外は無意味だったから。
    党だろうと国家だろうと、すべての組織は彼にとって何の意味も持っていない。
    ヒトラー体制の恐ろしさはここにある。
    組織のトップが、自らの生命線たる官僚合理性を突き崩しているのに、さまざまな政策が他国の比でないほど、大規模かつ徹底していて、実に合理的に実現されていたことの恐ろしさ。
    ここに言及がない点で、本書の目論みはすべて失敗しているように感じる。

    本書は、「30年くらいナチスを研究してるけどナチスの政策で肯定できるとこないっすよ」という自身のツイートが炎上したことに対する逆恨みから書かれているので、本人は寄せられた厖大な批判に対する公式のアンサーのつもりでも、そもそもナチスを賛美している連中が本書を手にとるか甚だ疑問。
    ナチスが行なった良かったとされる政策と、それが本当に評価しうるものなのか、その妥当性を検証すると語っているが、「ナチ・プロパガンダの術中にはまるな」、「政策のほとんどは借り物に過ぎないぞ」、「政権下で景気が回復したのもたまたまその局面にあったから」、「少子化対策や禁酒・禁煙運動やがん撲滅への動きも、結局すべては戦争に勝つことが目的」で、「つまりは戦争によって問題を解決し、戦争によって問題を解決不能にした」のであり、「最後には高邁な理想やイデオロギーは敗戦でなし崩しになり何も残らなかった」と結論づけている。
    これらの政策にヒトラーの意思がどの程度関与して、どこまでが部下たちによって肉付けされたのか、なぜほとんどの政策が借り物なのに、他国よりかなり徹底して実施できたのか、まるで明らかになっていない。

    ダナハーが語る「象徴と結果の論法」にそっくりで、まず象徴としての「悪の権化であるヒトラーに率いられたナチス」と「戦争とホロコーストを引き起こしたナチスの悪行」があり、そのようなナチスの振る舞いは必ず負の結果を伴うはずだ、すべての政策がもたらす結果には、問題が付随してしかるべきだという見解に貫かれていて、ナチスの権力構造を正確に腑分けした議論が展開されていない。
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    投稿日:2024.02.14

ブクログレビュー

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  • くろもも

    くろもも

    丁寧にならずもの国家たるナチスを検証した書籍。各種政策の良いと言われる面と実態に触れ、経済浮揚やアウトバーン、自然保護や健康増進などを解説。
    オリジナルなものはなく、組み合わせというものばかり、そこに問題がなくとも通底するのは包摂と排除。メリットを享受しうる対象は"一般的"ドイツ人、そしてそれ以外はどうなった?
    物事は一面だけ切り取るのではなく文脈・背景含めてでなければ見誤ると言うことかと思う。
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    投稿日:2024.04.25

  • harinezuminami

    harinezuminami

    定期的に繰り返される「ナチスは良いこともしたのだ」という発言や主張に対して、そんなわけないじゃん、で片付けるのではなく、歴史学の手法で丁寧に反証していく。

    ある「事実」を、文脈や全体像、目的、背景までを視野に入れて捉え、「解釈」すること。そこから自分の「意見」を持つこと。それが「歴史的思考力」を養うことでもある。

    ここで示される検証方法は、「歴史的思考力」とは何か、どうやって思考すればよいのかを知る手掛かりとなると思う。
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    投稿日:2024.04.22

  • bqdqp016

    bqdqp016

    ナチスの良い政策を一つ一つ否定した本。内容が主観的で、あたかも学術的な論述のようでいて全く論理的ではなく説得力がない。結局、ナチスは絶対悪であるので良いことのように見えても認められないとの論調で一貫している。全ては「左翼弾圧」政策をとっていた欧米諸国と同じく、より強硬であったナチスに反感をもっている左翼思想の研究者なのだと思えてしまう。ナチス勢力のピークは1940年だと思うが、その黎明期の1932年ごろのまだ影響力のない頃のナチスと1938年では、国民の人気と信頼感が全く違うのに、うまく使い分けてナチス政策を否定している。経済政策の批判も的外れな点が見受けられ、全く参考にならない残念な書籍であった。イアン・カーショー著『ヒトラー(上下)』もヒトラーに批判的な論調ではあるが、上下巻それぞれ1000頁にもわたり真摯にナチスの政策を明らかに記載していたと思う。論調が異なるのはなぜだろうか。

    「ナチスは「絶対悪」であり、そのことを相互に確認し合うことが社会の「歯止め」として機能しているのである」p3
    「善悪を持ち込まず、どのような時代にも適用できる無色透明な尺度によって、あたかも「神」の視点から超越的に叙述することが歴史学の使命だと誤解している向きは多い。端的に言ってそれは間違いだし、そもそも不可能である(これは正しい考えだと思う)p5
    「ヒトラーに優しい心があったとしても、それはユダヤ人虐殺を命じた事実を否定する根拠にも、免責する理由にもなり得ない」p31
    「恐慌にあえぐアメリカを尻目にいち早く経済を回復させ、完全雇用を実現したドイツの経済体制は、民主主義・自由主義的な資本主義体制よりも、国家が介入する統制経済体制の方に理があるように思われた。だが以上に見たように、その実態は過剰な財政支出に基づく軍需経済で、破綻の危機と紙一重の、いわば綱渡りの体制だった(この指摘は誤り)」p51
    「ヒトラーは政権を握るとすぐに左翼政党や労働組合の弾圧・解体に乗り出し、それに代わるナチ的な労働組合組織の設立に着手した(米国を始め各国で行われた反共の当時の当たり前の政策)」p61
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    投稿日:2024.04.15

  • ゆん

    ゆん

    一つ一つ冷静に検証・事実を抑えにいっているのは面白かった。
    がやはり気になるのは、どうして「ナチスはいいことをした」と声高にいう人々が出るのか、彼ら彼女らの心理というものをもう少し解明する本読みたいなあという(この本とは趣旨が違うので、この本に求めているわけではないのですが)。ただその心理を解明しても、そういう人々は見たい世界を見ていることも多いので、別に対話できるわけでもないんですが…難しい続きを読む

    投稿日:2024.04.14

  • mtsrs

    mtsrs

    ナチスは良いこともしたのか?著者の意見は著者自身の「三十年くらいナチスを研究してるけどナチスの政策で肯定できるとこないっすよ」というツイートに集約されているといってよいだろう。この本の中でも、よく言われるナチスがやった「良い政策」が本当はどんな物だったかをあらわにしていく。
    ただ「良いこと」とはなんなのかという価値の問題は簡単に測れないのも事実だと思う。ある政策が実際は他の国でも行われていてナチスのオリジナルではない、というのは良い悪いには関係ないように思えるし、戦況が悪化して最初に言っていた政策が実行されなかったというのはどう評価すべきか、とも思う。
    ナチスが作ろうとしたアーリア人のドイツに含まれる人にとっては受け入れられる政策であったのだろう。異民族を暴力的に排除する歪んだ社会を希求したのは、第一次世界大戦が共産主義とユダヤ人によって背後から刺されたため悲惨な敗戦に終わったという歪んだ認識がヒトラーはもちろんドイツ人の中にもあったことが背景にはあったのではないだろうか。そのドイツ人達にとっては古き良きドイツを取り戻すナチスは全体としてはよい方向にこの国を向かわせている、と感じたのではないか。それがたとえユダヤ人の廃絶という絶対悪的な政策であったとしても。(もちろん公平な目で見ればこれは明らかに「悪い」ことなのだけど)
    政策が結果として実を結んだのかという視点での「良いこと」とその時の国民の要求に合っている「良いこと」というのは違う物だろう。そういう意味ではなかなか簡単に「良い悪い」で言い切ることができないことが多いと思う。

    読みやすさは評価したい。
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    投稿日:2024.04.08

  • リン/タロー

    リン/タロー

    正直、ナチスは良いこともしたと思っていた側の人間だった。
    そこに対してしっかりと反証を持ってきて、全部プロパガンダだよと突きつけてくれる素晴らしい本。
    ナチスに限らずだが、歴史認識というものは本当に難しいし、「ナチスは実は良いこともしていた」という面白く刺激的なナラティブにはどうしても心惹かれるものがある。
    こういった本がちゃんと出版されることに感謝。
    続きを読む

    投稿日:2024.03.30

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