【感想】おどろきの中国

橋爪大三郎, 大澤真幸, 宮台真司 / 講談社現代新書
(87件のレビュー)

総合評価:

平均 3.9
17
34
21
3
0
  • 中国は2000年前にできたEUだった

    3人の社会学者が中国について語っています。
    時事的な中国問題を取り扱っているわけではなく、中国の本質、つまり中国とはそもそも何かを論じています。
    例えば、中国の皇帝とは?とか、漢字がどの様な役割を果たしてきたのかとか、儒教とは?とかです。
    ちょっと難しめですが、その分内容が濃いです。
    時事刻々と中国の動きを追うことも大切ですが、中国や中国人の奥底が分れば、中国がなぜ不可解で横暴な行動をするのか理解できると思います。
    続きを読む

    投稿日:2014.10.13

  • 座談会ではなく、鼎談です。

     あの「ふしぎなキリスト教」のお二人に加え、今回は宮台真司氏が加わった鼎談。
     ポイントは、大澤氏、宮台氏が、それぞれ1958年、1959年生まれ。橋爪氏が1948年生まれという年齢構成と、橋爪氏の奥さんが中国人であること。そして、鼎談に先立ち、このメンバーで中国を旅行したという点。おそらく普通の観光客が行かない場所や行けない場所も訪ねたのでしょう。
     ま、それはともかく、内容の構成上は、大澤氏と宮台氏が問題提起をして質問をまとめ、橋爪氏がそれに答えるといったパターンで進みますが、質問する二人も学者さんですから、当然、アホみたいな質問はしないわけで、結構読み進めるのに骨が折れます。難しい語句もバンバンでてきます。だいたい私は、「鼎談」だって思わず意味を調べましたもの。
     そして、肝は、アマゾンのレビュー等でも問題となっている最後の「中国のいま・日本のこれから」という最後の項目についてです。

     この本を批判する人は、あまりに中国寄りだと思うようですが、そう思うより中国の人は、そもそもこう思っている人が多いと考えた方が良いでしょう。
     なぜ日本人の「常識」が彼らに通じないのか?という点については、きっとそうなんだろうなぁと思わせる点が多々述べられていて、私にはとても面白く感じました。

     それよりひっかかかったのは、宮台氏の日本についての発言、日本は「まかせて文句をたれる作法」であって、「引き受けて考える作法」ではない。という点です。これは的を射ていると思います。昨今の諸々の情勢など、まさしくコレそのものではないですか?
    続きを読む

    投稿日:2013.12.19

  • そもそも「国家」とは何か?

    そもそも「国家」なのか―挑発的な帯だ。当然、考えなければならない、「国家」とはどのようなものを指すのかを。

    普通、我々が「国家」いう言葉で指すのは近代国民国家(nation state)のことである
    だが、中国はnation stateなのか?
    そう捉えてしまうことで、我々は何かを取り違えてしまっていないか?

    この意味がわからなくても大丈夫。
    これこそが本書の一番のテーマであるから、第一章でnation stateの定義について語り、
    その後の章では具体的に「中国はnation stateとは違う原理で動いているのではないか」という話が続く。

    鼎談であるし、橋爪氏は中国人の奥さんを持つ社会学者であるので、体験的なエピソードもたくさんあり、面白い。

    ただ、難を言えば三人とも社会学者であるので、歴史的な部分の実証性はやや怪しい部分もある。
    社会学というもの全体に言えるかもしれないが、歴史というのはそんなに理路整然とまとめられるものではない、と思うのだ。

    まあ、そこはそれ。
    ここに中国史学者が入ったりしたら、一気に重苦しいものになるだろうから、これでいいのだろう(笑)
    続きを読む

    投稿日:2014.09.23

  • 隣国を理解することは自分達の理解を深めることでもある

    そもそも中国とは何か?から始まり、
    日中のリーダー感の違い、毛沢東は皇帝か、
    日中の歴史問題など、3人の社会学者が
    中国について様々な切り口で鼎談する
    というスタイルである。
    中国人の目線で日本はどのように見えるか
    という切り口は新鮮で興味深い。
    日本の常識は中国では通用しない。
    隣国への理解を深めるだけではなく、
    相手の考え方や立場を知るという
    相互理解の基本を改めて認識させられる。
    続きを読む

    投稿日:2015.09.06

ブクログレビュー

"powered by"

  • 百冊会II

    百冊会II

    中国社会の構造と毛沢東のカリスマ性の秘密が面白い。
    「三国志演義」の思想から毛沢東のリーダーシップを読み解いていく。
    「三国志演義」では、皇帝は武力の強い者ではない。
    漢の皇祖劉邦は、武の天才項羽を、破るほどの武の達人だが、皇帝になると文民に徹し、文民皇帝として漢帝国400年の礎を作る。
    それは武の皇帝となった秦の始皇帝の帝国が15年で滅びたことを反面教師としているのだ。
    武で中華を征服したにも関わらず、武の痕跡を消し去って文を表に出すこと。
    それこそが「三国志演義」思想の指し示す皇帝の奥義なのだ。

    毛沢東が大躍進政策で失敗し、4000万人の餓死者を出した時、人民解放軍のトップで軍のエリートの彭徳懐は、毛沢東排除のクーデタを画策するが、誰も支援しなかった。
    人民解放軍は毛沢東を支持したのだ。
    何故なのか?
    彭徳懐は武を代表する始皇帝であり、魏の曹操に比肩されるからだ。
    一方の毛沢東は、文を代表する漢の劉邦であり、蜀の劉備に比肩されるからだ。
    中国の皇帝は、優秀な官僚を擁し、皇帝+官僚の政策が過たない限り、正当化される。
    その政策が失敗した時、農民は皇帝と時の政権を転覆させることが出来る。
    それが易姓革命だ。

    中国社会は儒教に裏打ちされた「幇」と言うインフォーマルな組織によって規定されている。
    幇はダブルスタンダードを持ち、内には徹底的な利他、外には無法を旨とする。
    モデルは蜀の劉備、関羽、張飛の「桃園の義盟」だ。
    後にそこに諸葛孔明が加わる。
    毛沢東幇に所属していた林彪は、出世するが、毛沢東に忌避され幇を放逐されると身の危険を感じて逃亡を企てる。
    しかし、逃亡計画がバレて、燃料不足のままトライデント機で慌てて飛び立ち、途中で墜落して死亡する。
    その逃亡計画を毛沢東に告げたのが、林彪の娘だった。
    この娘の行動は、毛沢東のカリスマ性を示すとともに、法家の思想(親に対する情よりも、法令を遵守する)の名残を示している。

    秦は法家の思想を採用して、法令違反を厳しく罰した。
    これは体外的な戦争を、内部に抱え込むことでもある。
    つまり、国家の内部が常に戦争状態であったのが秦だったのだ。
    その秦が15年の短命で滅びるに至り、漢を樹立した高祖劉邦は、主たる思想として儒教を採用した。
    しかし、一方では法家の思想を底流に残した 
    儒教を主として全面に出し、法家を従として、伏流させたのだ。
    儒教+法家のハイブリッド思想によって漢は400年の政治的安定を維持することに成功した。
    続きを読む

    投稿日:2024.04.20

  • kanjba12

    kanjba12

    めちゃくちゃ面白かった。最近、YouTubeで宮台先生の動画を見て、ファンになって図書館でたまたま見つけて読んだのがきっかけだ。中国の歴史や思想を踏まえた対談はすごく考えさせられた。これからの日本の立ち位置や日本人としてどう中国を捉えればいいか理解しやすかった。続きを読む

    投稿日:2024.02.20

  • mamo

    mamo

    3人の社会学者による中国の長い歴史、そして日本との関係を社会学の理論なども参照しつつ、現実の観察をしっかりと踏まえて、議論を進めていく。

    「おどろきの中国」というタイトルで、なんとなく「やっぱ中国って変な国だよね」的な内容をイメージたのだが、純粋に本当に「おどろいた」。

    これ1冊で、よくわからなかった中国のすがたがモヤの中から立ち上がってくる感じがあった。
    続きを読む

    投稿日:2023.03.08

  • 阿頼耶識

    阿頼耶識

    中国についての入門書。橋爪大三郎先生は何でも知っているのではないかと思った。中国の社会的がどういう仕組みなのか、歴史的な背景から説明される。そして、日本と中国の近代について比較、日中の歴史問題、最後に日本の未来について大変わかりやすく書かれています。続きを読む

    投稿日:2022.10.31

  • kouhei1985

    kouhei1985

    このレビューはネタバレを含みます

    中国は西洋より早くに国として成立したので、西洋的国家概念には当てはまらない。
    古代から一貫して支配層は文官。
    毛沢東は史上もっともラディカルで、利己主義を徹底した(伝統的な儒教すら破壊しようとした)。
    そんな毛沢東を中国人が否定しないのは、伝統的な皇帝システム(天と天子というシステム)の形式が無意識的に残っているから。

    日本人は日中戦争が「何であるのか」を意味づけられていないので、いくら誤っても中国側は納得できない。
    さらに、日本は戦争当事者世代と現在の世代のあいだの連続性を設定できていないので、過去について謝れない。

    日本は米中関係の付属物にすぎず、情勢を正しく分析して最善の選択をし続けなければならない。

    中国のリーダーは価値基準や人生の目標、仕事の責任、世界観などを自覚的、意識的に構成している。
    日本人は大事なことは集団で決め、組織として行動するから、自分の考えや行動を相手に説明できないし、自分でも納得できない。これでは負けてしまう。

    台湾の民主化の裏にはCIAが関与していた。

    三人目の宮台真司は専門用語が多くて難解。

    レビューの続きを読む

    投稿日:2022.04.19

  • riodejaneiro

    riodejaneiro

    このレビューはネタバレを含みます

    かなり長い間積読状態だったが、やっと読破。
    購入してから読むまでの間にかなりの時間を要したが、その分、自分なりの中国理解が進んだこともあり、非常に読み応えがあった。その間は、この本の内容を理解するために必要な時間だったような気もする。また今後色々と学んでから読み返してみたい一冊でした。

    実は宮台氏のことを知ったのは最近なんだが、中国関係の書物で彼の名前を見るとは思わなかった。
    全体を通して中国の考え方の成り立ちから、国際的地位や日本との関係等々、様々な角度から中国の専門家である橋爪氏にたいして大澤真幸氏、宮台真司氏が疑問を提起し、対談形式で進んでいく。

    中国を欧米的な物差しで測れないことなど、言われてみればまさにその通りとしか言いようのないエッセンスが溢れている。ただ文化大革命による過去の文化や慣習の破壊という部分に関しては、それ以前の中国について欧米人が書いた書物等から判断するに、はたしてどうなのだろうか?というのもある。また外交関係において日本が中国やアメリカ双方にとって付き合うと全体的に得をする関係を築くべきというのは大いに賛成であるものの、中国に恩を売ることで自国にもプラスに働くだろうというのは少し期待しすぎのように思える。中国の歴史の中で恩を仇で返してきたような歴史的事象がものすごく多いのではないか。

    タイトルにある通り、いろいろと現代的常識では測ることが難しく、また中国人自身が説明をしないこと(その理由も含めて)等についてはまさにそのとおりだと思う。ただ儒教という統一フォーマットでEUに見立てた中国のそれぞれ違う言語をしゃべる上層知識人をまとめたとあるが、なぜ今の中国人は国際ルールをあまり気にしないのだろうか。そのあたりも不思議だ。

    P.20
    ヨーロッパのものさしで、中国のことが測れるか、という疑問なわけです。
    で、そのものさしの中身を見てみると、国家はまず、世俗のものである。教会じゃない。国家は宗教でなくて、政治だけを行う。これはキリスト教文明の伝統のなかで、だんだんそうなってきたんですけど、このものさしは中国を測るのに適当でないんです。(中略)今から二千二百年前、ひょっとすると三千年かもっと前に、中国の骨格が出来あがった。ヨーロポパのものさしでは、理解しにくいものなんです。

    P.36
    中国の場合は順序が逆で、コムギ文明がうまれるとすぐ、複数の政治的まとまりの対立・抗争が起こった。ちょうどその時期に、諸子百家が生まれている。これは、いろいろな政策的オプションを提供するものだった。統一政権をつくるのなら、この政策的オプションを採用してはどうですか、という提案だった。
    秦の始皇帝は、李氏の法家を採って、儒家を斥けた。この政権が短命で失敗したあと、漢は儒家を隠し味にした。唐は、儒教を相対化するため、仏教と道教もとり入れた。宋は、儒教を純化した。このように、ときどきの統一政権は、統治のイデオロギーや政策オプションをどうするか選択できる。(中略)だからこそ、儒教を捨てて三民主義を採用したり、三民主義を捨ててマルクス主義を採用したり、マルクス主義を捨てて改革開放政策を採ったりできる。政治的統一が根本で、政策オプションは選択の対象、という順序は変わっていないでしょ?ここに中国の本質がある。

    P.39
    ある中国人の留学生がこんなことを教えてくれました。「中国には交通ルールはない。強いて言うと、事故を起こさないというのが交通ルールである」と。これは究極の帰結主義です。
    帰結主義とは「終わりよければ、すべてよし」という考え方です。(別名は行為功利主義)帰結主義の反対は規範主義で、これは「帰結はどうあれダメなものはダメ」という立場です。ちなみに規則功利主義と呼ばれる立場もあって、「規範があるのは、そのようにするともっとも良い社会的帰結が得られるからだ」とするものです。中国を旅行して感じるのは、この社会にはどうもダメなものはダメという規範主義的な様相がすごく希薄だということでした。

    P.46
    法家の「法」は、ぼくらが今日理解しているような意味での「法」や「法律」とはちょっとちがいます。簡単に言うと、法家のやり方の基本は、平等で厳格な信賞必罰の原理です。(中略)これに対して、儒家は、家族や親族の秩序に基づくイデオロギーです。法家は、家族の関係だからといって、これを重視したり、優遇したりしないので、ここに儒家と法家の大きなちがいがある、というのがぼくの理解です。儒家で大事だとされることは、君主への忠誠であり、家族・親族における年長者への服従、とりわけ父への服従ですね。前者が「忠」で、後者が「孝」。両者のうち、より大事なのは孝の方で、もし忠と孝とが矛盾する場合には、孝を優先させるべき、というのが儒家です。法家は、家族・親族をむしろ解体するように作用するのに対して、儒家は、これらをベースにし、強化するように作用する。

    P.50
    中国の民衆は、矛盾した感情をもっている。いっぽうで、政府は協力であってほしい。協力な政府は多くの税金と、労働の提供を要求する。それは負担だ。でも、税金や労務の提供を惜しんだらどうなるかというと、弱い政府になり、侵略者がやって来て、とんでもない結末を迎える。それよりは現政権のほうがマシではないか。このアンビバレントな心情を、いつも揺れ動いているのが、中国の民衆だと思います。

    P.55
    「幇」というのは、典型的には三国志の劉備と関羽と張飛に見られるような関係性です。
    仲間のためなら、自分のすべてを犠牲にしてもかまわないという猛烈な友情によって結ばれたグループで、互いに兄弟以上の兄弟になり、そこで究極の利他性が発揮される。小室さんによれば、これが中国の社会関係の核になっていて、幇の内と外ですべてが変わってしまう。幇の中では、約束や規範は、もちろん絶対的です。しかし、逆に、幇の外は究極に言えば無法違いになる。

    P.76
    中国にはこういう意味での神(God)はいない。そのかわり「天」がある。天も永遠不滅なんです。でもなぜ中国は、一神教みたいに時間を超越した普遍思考にならなくて、過去志向になるのか?
    天が何をするかというと、政府に統治権を授与する。それだけなのです。そして統治権を授与する手続きが、決まっていない。具体的には混乱期に、戦争に勝ち残ったというわけなんですが、それは結果論だから、その政府が正当かどうか、疑問の予知がある。まぐれじゃないか。そうすると、新しい皇帝の子どもが政権を第第継承していくとして、人民はなぜそれに従わないといならないのか、答えなければならない。(中略)
    そうすると、天の意思を問題にしなければならない。『孟子』などの考えを要約すると、その実態は農民の総意である。政治がうまくいっていて、農民の支持が調達されている限り、この政権は正当だと証明されたことになる。でも裏返せば、農民が不満をつのらせれば、革命が起こりうる。この繰り返しなんです。

    P.87
    中国がEUみたいなものだったという点が大事です。春秋戦国時代の、越とか楚とか秦とかは、お互いに異なる民族だと考えたほうがいい。まあフランス、ドイツ、イタリアみたいなものです。
    外国人みたいに言葉が通じない人びとばかりのとき、表音文字を使うと、各言語を表記できる。でも音がわかったところで、意味はわからない。中国はこういう戦略をとらずに、絵みたいな文字をつくった。絵は、概念をかたどったものだから、具体的なものなら、言葉がちがっても意味はわかる。抽象的なものだと困るんだけど、具体的なものの組み合わせでなんとか洗わず。そしてこの文字を、それぞれの言語の読み方で読むことにした。(中略)
    さて漢字というのは絵文字だから、人為的なもの、絵は、活用できないでしょう?だから、中国の動詞は活用があない。時制もない。人称も数もない。完了のようなことを表したければ、漢字を一字つけ加える。・・・ということは、中国語は、漢字を順番に音読していくだけ。

    P.117(イスラムのコーランと比べて)
    中国は、ここまで強力なテキストをもっていない。まず、経典は漢字で書かれているんだけども、これを読める人と読めない人がいる。そして経典は朗誦されるものではない。たくさんの方言があるので、中国をオーラル言語で統一することができない。
    じゃあ、テキストが人びとをどういうふうにとらえるか。経典の意味内容を理解できる知識人と、理解できない庶民がいる。ここで、儀式が大きな役割を演じる。樹ky校の言い方だと「礼」なんですけど、パフォーマンスなんです。(中略)服装とか食事とか言葉づかいとか、年長者を敬ったり、皇帝を敬ったり、その部下である役人を敬ったり、秩序を表現し再生産する儀礼が、中国各地で同じフォーマットで、実行される。これなら文字がわからない人びとでも、わかる。こうやってみんなを、礼の秩序に巻き込むのです。
    中国の社会構造の、上は政治秩序、下は家族秩序。政治秩序に巻き込まれない人も、家族秩序に巻き込まれる。

    P.129(中国人の同朋意識がなかなか芽生えなかったことについて)
    根本から言うと、儒教は民族的ではない。もともと多文化多民族な集団を、共通のフォーマットに従わせるための普遍的な原理原則だった。その下には、言葉も通じないローカルな農民の地域社会がばらばら広がっていてもいい。でも、せめて知識人だけは共通ルールに従いましょう。(中略)第二に、その儒教が想定するものは、天である。(中略)天も、民族的でない。天使である皇帝も、実は、民族的でない。ゆえに、皇帝の臣下である行政官僚は、民族主義的な行動ができない。(中略)第三に、民衆のあいだの連携が弱い。人びとは儒教道徳に従って、自分を大きな血族集団(血縁にもとづくローカル・コミュニティ)のいち員と考えており、そこに属する人びとの福祉を最大の目的に生きている。その集団の外の人びとには、よそ者だとして、冷淡な態度をとる。広い範囲の民衆がまとまろうとしても、砂を炭団にするようで、まとまらない。(中略)その傾向はいまでも根強いですよね。一九九四年に、新宿歌舞伎町で福建幇の男が北京幇の男を殺害した青竜刀殺害事件というのがありました。歌舞伎町では、中国人マフィアが、上海幇、福建幇、北京幇、東北幇と出身地別にわかれて、互いに抗争していたんです。ぼくは当時、そこで売春取材をしていたんだけど、異国の地で警察やヤクザに挟撃されながらも、決して共闘したりしない中国マフィアに、日本のヤクザたちが呆れていたのを覚えています。

    P.164
    社会の論理というのは、内容面と形式面とをもっていて、内容を抜きにして形式だけが働くということが結構あります。(中略)人口の大半が別に自分はクリスチャンじゃないですよと思っていても、つまり、意識の上では信仰を捨ててるつもりでも、行動様式としてはキリスト教的であるということはしばしば起こります。
    中国の皇帝のシステムに関しても、それと同じようなことが言えるように感じます。

    P.172
    中国の有力者は誰もが、ライバルに打ち勝ってのし上がってきたので、自分がこのポストにあることは正当だと考えなければならない。すると、その正当性を保証してくれる上部の正当性が必要になって、その頂点の正当性は、自分自身が正当性の厳選なっている。その場所では、どんなに無能なリーダーでお有能であることに生る。有能だから正当だ、みたいな。

    P.178
    元財務官僚の高橋洋一さんがこんなことを行っていました。
    「みなさんには盲点がある。現在の財務省には、財政再建路線というものはそんざいしていない。存在するのは、天下り先ポスト増大をもたらす増税路線だけであり、それは財務省の中では完全な常識だ。逆に、なまじっか財政再建を成功させてしまえば、増税がいらなくなって、自分の検疫が拡大しないので、実は財務債権をいろんな手練手管で妨害している。そのことは財務官僚であれば誰もが知っている「と。(中略)「いや、一人ひとりにたずねれば、実はみんなわかっている」。明らかに集合的に不合理だとわかっているし、だから、自分に自身がある連中は早い段階でスピンアウトして別の仕事に行くんだけど、残っている連中はそこにしか居場所がないと思い定めた人たちなので、もはやそれがどんな全体的な不合理をきたすものであっても、仕方ないと腹をくくってるというんですね。

    P.204
    紅衛兵も、儒教の廟や仏教の寺院や道観を襲撃して、像を壊している。そして、毛沢東の命令で、父親を批判した。父親を批判するのは、儒教の根本原則に反することなので、伝統中国のどんな皇帝も命じたことがない。儒教では、長幼の序が絶対で、親に対する服従(孝)は、政治的リーダーに対する服従(忠)に優先する。ところが、毛沢東はそれを命じた。中国は、伝統的に、官僚機構と家族秩序の二元的な社会だったものが、政治的一元的社会に変化させられてしまった。文化大革命の名にふさわしい、革命的な変化です。

    P.223
    日本の大陸進出について、ひとつの「大義」は亜細亜主義によって与えられました。ようは、アジア対西洋という対立軸の中で、日本がアジアを守る。(中略)しかし、二十一ヵ条要求(一九一五年)以降になると、亜細亜主義者の多くは、対中政策が自分たちの考えている大義とは違う方向に進んでいるという意識を抱きはじめます。(中略)彼らの長きにわたる内心忸怩たる思いは、日米開戦においてようやく晴らされたんです。日米開戦当時の朝日新聞の第一面に、中野正剛がこんなことを書いています。日本の大陸進出はやっぱり日本の国家エゴのごときものではなかった。まさに渦中の栗を拾うことによって亜細亜を守るという大義に基づくものであることが証明された。

    P.240(日清戦争の開始:清国が宗主国として朝鮮の内政干渉していたことに関して)
    日本が使った「朝鮮の独立を保全するために軍隊を進める」という論理は、ヨーロッパで生まれた近代的な主権概念にもとづくものですよね。でも考えてみると、東アジアの国際関係は、長らく中国を中心とした「朝貢」という独特のシステムでやってきました。朝貢関係というのは、近代的な主権概念では定義できないものです。
    清にしてみると、李氏朝鮮は朝貢国のひとつだったわけです。だkらあ、近代的な主権概念の基準では、朝鮮の主権が侵されていると見える状態も、朝貢の論理では、別にかまわない。

    P.267
    せっかくの考え抜かれた思想も、継承の段階になると、歴史的自意識の系譜につながらず、〈承認厨〉や〈溜飲厨〉の現在的ツールになりさがってしまいます。(注:威勢のいいことを吠えて承認されたい/溜飲を下げたいといった現在的自意識)

    P.272
    日本陸軍をはじめ、フランス軍をまねしたんです。でもドイツがフランスをやっつけたというので、ドイツ軍を手本にすることにした。
    さてドイツのプロイセン軍はナポレオン軍のいいところを大部分とり入れたんだけど、補給について、クラウゼヴィッツの『戦争論』を読むと、こう書いてある。
    一、現地で調達してもいいが、代金を支払え。
    二、現地で調達する場合、兵士が直接農家を訪れてはならない。その土地の市長と相談して、視聴に必要な物資を集めさせろ。
    こういうふうに注意が書いてあるんです。『戦争論』は森鴎外らが訳して(署名は『大戦學理』)、陸軍大学校も教材にして教えていたのに、ここはみんな読まなかったらしい。

    P.293
    資本主義陣営というか旧西陣営でのもっともラディカルな議論は、一種の資本主義の社会主義家である。これに対して、残っている社会主義国で起きていることは、社会主義という名のもとでの資本主義化である。現在の世界では、そういうねじれ現象が起きているような感じがぼくはしているんです。

    P.300
    南巡講話より前に、中国に行って中国人学者と交流する機会があったのですが、「市場経済」という言葉を公然と口にできなかった。もし口にすれば、相手に迷惑がかかる。市場経済をテーマとする論文も存在しない。それくらい、神経質な問題だったのです。
    南巡講話のあとは、自由に議論ができるようになった。鄧小平が一夜にして、市場経済を国是としてしまった。この瞬間に、資本主義は公認されたんです。

    P.302
    市場経済になってからは、(中略)いろんな腐敗・汚職が大規模になり、さらに巨大になった。(中略)こんな状態なのに、なぜみんなが文句を言わないかというと、誰の所得もみるみる上昇している。将来の希望がある。しかも、政府に意義を唱える反対派になっても、一円の得にもならない。本人の良心を貫くことは価値ある行為だけれど、そんなことしても、現実に中国社会に受け入れられる可能性はゼロに近い。しかも、当人とその家族ばかりか、親戚や友人もみんな迷惑する。

    P.312(小室直樹氏:中国原論から)
    「中国は資本主義に適合的なエートスを持っていない。資本主義的な行動様式は一朝一夕には育たない」と言っています。なかでも小室さんが一番重視していたのは、契約概念が中国にはないということでした。契約というものは、西洋の場合には、神との関係が原点にあって、出てきている。つまり、神との契約が人間同士の契約のモデルになっているわけです。しかし、そういう一神教的な観念がそもそも中国にはない。このため、中国では、「契約」という概念が定着しない、というのが小室さんの論の骨子ですね。

    P.366〈中国の個々人が日本の個々人より強そうであることに関して)
    本人は意識しないかもしれないが、儒教の行動原理。儒教は、個人プレーの集まりなんです。それに対して、日本人の場合はそういう習慣がない。大事なことは集団で決め、組織として行動するから、自分の考えや行動を相手にも説明できないし、自分でも納得できない。これでは、負けてしまう。

    レビューの続きを読む

    投稿日:2020.12.11

Loading...

クーポンコード登録

登録

Reader Storeをご利用のお客様へ

ご利用ありがとうございます!

エラー(エラーコード: )

本棚に以下の作品が追加されました

追加された作品は本棚から読むことが出来ます

本棚を開くには、画面右上にある「本棚」ボタンをクリック

スマートフォンの場合

パソコンの場合

このレビューを不適切なレビューとして報告します。よろしいですか?

ご協力ありがとうございました
参考にさせていただきます。

レビューを削除してもよろしいですか?
削除すると元に戻すことはできません。