ABAKAHEMPさんのレビュー
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ミレニアム2 火と戯れる女(上・下合本版)
スティーグ・ラーソン, ヘレンハルメ美穂, 山田美明 / 早川書房
まるでギリシャ神話のような物語
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前回までのスウェーデン国内における女性が被る性被害の統計情報のエピグラフは、本書ではいくつかの数式の引用に置き替わっている。
内容とどこまでリンクしているのかよくわからないし、冒頭のグレナダのパート…は意味があるのか、隣室の怪しげな夫妻の行動やハリケーン襲来の話も余計に感じられ、なかなか本筋が始まらず、イライラさせられていた。
さらにはミカエルが、なんとあのハリエットともベッドを共にする仲になっていて、それでいてリスベットとも連絡を取ろうとし続けるなんて、お前はどこまで節操がないのかと呆れてもいた。
上巻の第3部くらいからようやく面白くなり始めたが、それでも下巻でまさかあのような展開が待っているとは露ほども感じられなかった。
だから上巻で目を引いたのは本筋とは関係のない部分。
リスベットがかつての恩人でもあり、いまは脳卒中から深刻な麻痺が残るホルゲルを訪ね、励ました時の台詞が印象に残った。
今後のリハビリへの取り組みを促すつもりで「今後、あなたの助けが必要になるもしれないから、その時は弁護を引き受けてくれないか」という問いかけに、ホルゲルは言葉もうまく喋られないなか「もう年だから…」と断ろうとする。
言い終わらないうちにリスベットが繰り出す次の台詞がとてもいい。
「そうね、そんな気持ちでいるのなら、ほんとに年寄りの能なしだわ。でも、わたしには弁護士が必要なの。どうしてもあなたにお願いしたいの。裁判での最終弁論なんかは無理かもしれないけど、必要なときにアドバイスしてくれればいいから。ね?」
ちょっとぎょっとさせられる程の冒頭の突き放しからのフォロー。
日本人ならきっと「そんなことないわ、ホルゲル。あなただけが頼りなの」とでも言いそうな所だが、そうは言わない。
リスベットの性格もあるのだろうが、こういうところが海外作品に触れる愉しみでもある。
方程式の中で値が確定しない変数を未知数と言うが、本書で暗喩されるこの方程式に準えて物語を解釈すると、未知のXやY、Zがリスベットにもミカエルにも存在している。
リスベットは1991年の捜査資料がなぜ機密扱いになっているのか、その理由がわからない。
一方、ミカエルはビュルマンがこの事件にどう関わってくるのかがわからない。
ブブランスキーら警察は、固執するサランデル単独犯説をなんとか排除してみても、そうすれば動機や犯人が複数ということになるが、凶器である拳銃が一つである謎がわからない。
すべての未知数に値が与えられたとき、それぞれが等式でつながっていく。
人身売買と強制売春を告発する単純な社会派ミステリーかと思いきや、追う者が追われる者に転じたり、弱点のない不死身の敵が現れ、さらには出生の秘密や父殺しなど、まるでギリシア神話のようなスペースオペラが展開される。
最大の敵であるラスボスが父親ってスターウォーズのダースベイダーみたいだし、どんな攻撃もまったく効かない巨人に挑むのが、パオロ・ロベルトという実在の元プロボクサーってなんだよ。
スウェーデン国内ならもちろんお馴染みの存在なのだから、日本でいったらさしずめ井上尚弥がいきなり物語に出てきて、ボコボコにされながらストリートファイトするようなもの。
こんなの絶対ベストセラーになるわ。
というか作者ラーソンは、本書である第2部までを書き終えてから、出版社に連絡を取って契約を結んだらしい。
しかも全10部までの構想を持って。
普通なら第1部を書き上げた時点で連絡しないか?
たいがいの傑作だったぞ、あれ。
それにロベルトは了解済みだったんだろうか?
何より第1部と第2部のこの物語の違いは何だろう?
第1部のヒットを確信してシリーズ化するんだったらきっと、リスベットという魅力的な闇の仕置人というキャラを使って、公的には解決困難だったり、法的には裁かれないような様々な社会問題を、記者であるミカエルたちと協力して解決し、のさばる悪を片っ端から罰していくと思うんだけど、第2部では逆に容疑者として指名手配されちゃう。
第2部にしてこの構想力だとすると、第10部ではどんな展開が待っていたかわからないよな。
つらいのが急死した著者のパソコンには、未発表の第4部の草稿が存在していること(いま出版されてる別作家の手による4部とは別)。
籍を入れてなかったために内縁のパートナーで共同執筆者でもある彼女は、遺産を相続したラーソンの父親や弟と対立し、出版できずにいる。
読みたいよなぁ。 続きを読む投稿日:2024.04.24
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病の皇帝「がん」に挑む(下)人類4000年の苦闘
シッダールタ ムカジー, 田中文 / 単行本
「がん」の正体とは何か?
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また凄いの読んじゃったな。
上巻を読んでるときは、近藤誠の『患者よ、がんと闘うな』を思い返していた。
90年代にセンセーションを巻き起こしたのも、本書のセンテンスを辿ると、出るべくして出たという時…代の必然性を感じていた。
そして下巻になったら、何かホントとんでもないオチが用意されててブッたまげた。
例えて言えば、ある探偵が何年も前に失踪した人物を捜すよう依頼されて、探し出してみると自分だったという、昔見た映画のシナリオのような驚天動地の展開だ。
著者の例えはもっと洗練されてて、異国の獣スナークを捕まえたハンターが、それがかつてその獣を捕まえに来ていたハンターだと知るというルイス・キャロルの詩を引用している。
それが「がん」の正体だったのだ、と。
「がん」の正体とは何か?
ただのしこりなんかでは絶対ない。
病理的な定義では「無制御な細胞分裂」ということになるが、それだけでもない。
体じゅう至る所に移動し、組織を破壊する。
臓器に浸潤し、新たにコロニーもつくっちゃう。
周りには新しい血管まで張り巡らし、おまけに薬にも抵抗する、そんな病。
恐るべき増殖能力で、30年前に死んだ女性から採取された白血病細胞が、いまだ研究室内で繁殖し続ける。
基本的に不死なのだ。
これまでがんの原因因子として3つが考えられた。
ウイルス、化学物質、そして遺伝子だ。
最初は何が「がん」の危険因子になるのかを外部に求めていた。
たばこの煙やアスベストのように発がん因子は外部にある、と。
B型肝炎ウイルスやピロリ菌もがんを誘発するとわかった。
しかしすべての発がん因子が単独でがんを誘発するわけではない。
ピロリ菌を豚に感染させても潰瘍を作らなかった。
発癌因子の同定だけでなく、何をしているかのメカニズムの理解が必要だと悟る。
がんというのは実際には多様な病なのだから、単独の戦略で対処できる単独の疾患ととらえるべきではない。
さまざまながんを一度にノックアウトできるような魔法の弾丸探しや、予防や早期発見も結構だが、たった一つの道筋で太刀打ちできるものではない。
しっかりと「がん」の起源、発生のメカニズムを探るべきだというところから、ハロルド・ヴァーマスとマイケル・ビショップの原がん遺伝子説が生まれ、がんの正体とはつまるところ我々そのものではないかという発見に至る。
細胞を分裂マシーンに変え、細胞分裂の「オン」シグナルを永久に流しっぱなしにするsrc遺伝子は、ウイルス由来だと思ったら、実は正常細胞由来だった、と。
「がん原因遺伝子(ウイルスのsrc)の原型である正常細胞のsrcは、細胞に本来そなわった遺伝子なのかもしれない。ウイルスのsrcは正常細胞のsrcに由来するのかもしれない。レトロウイルス研究者は長いあいだ、ウイルスが活性化したsrcを正常細胞に組み込んで正常細胞を悪性化すると信じていた。しかしsrc遺伝子はウイルス由来ではなく、正常細胞に — あらゆる細胞に — 存在する原型遺伝子に由来するのだ」
ウイルスは確かにがんをつくるが、細胞由来の遺伝子を運ぶことでつくっているのだ。
ウイルスは実のところ、がん細胞に由来する遺伝子の偶然の運び屋に過ぎない。
化学物質やX線で誘発される突然変異によってがんが発生するのも、外来性の遺伝子が細胞に挿入されるためではなく、内在性の原がん遺伝子が活性化されるからではないか。
こう考えるといろんなことが腑に落ちる。
放射線や煤やたばこの煙といった一見なんの共通点もないように見える多様な原因が、なぜ一様にがんを誘発するのかは謎だった。
だけどそれらが、細胞内の原がん遺伝子を変異させ、活性化させることによって誘発しているのだと考えれば、納得がいく。
DNAに突然変異を起こす化学物質が「がん」を誘発するのは、それらの物質が細胞の原がん遺伝子を変化させるためである。
喫煙者のほうが「がん」の罹患率が高いのは、たばこがそれらの遺伝子の突然変異率を増加させるためである、と。
がん細胞の中心的な分子的欠陥としては、rasとRb、がん遺伝子とがん抑制遺伝子とがある。
活性化した原がん遺伝子は、言ってみれば「戻らないアクセル」と同じで、アクセルが戻らなくなった細胞は、細胞分裂の道を疾走する。
分裂を止めることができず、いつまでも分裂を繰り返す。
不活性化したがん抑制遺伝子は、言ってみれば「失われたブレーキ」と同じで、細胞はあらゆる停止シグナルを無視して、分裂をどこまでも繰り返すのだ。 続きを読む投稿日:2024.04.16
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ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上・下合本版)
スティーグ・ラーソン, ヘレンハルメ美穂, 岩澤雅利 / 早川書房
男女共作、ジャーナリストのスウェーデンもの
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スウェーデン・ミステリーと言えばマイ・シューヴァルとペール・ヴァールーによるマルティン・ベック警部もの。
全10冊のシリーズを高見浩訳で通して読むほど好きだったが、あちらも著者はジャーナリスト出身で…おしどり夫婦だった。
本書の著者も正式な結婚はしていないがパートナーの女性との共同執筆で、ジャーナリスト。
しかも全10部の構想を持っていたらしい。
共通点が嬉しくなり読み終えた第一印象は、全然古びていないなということ。
20年前の小説で、作品に出てくるPCはiBookだったり、メールもEudoraと時代を感じさせる。
おまけに発売されるや世界的なベストセラーとなって映画化もされたので、その後に数多くの模倣者を生んで、斬新だったアイデアや設定も踏襲されまくっているだろうと思われたが、いま読んでもすこぶる新鮮。
それが驚きだった。
40年前の過去の事件を再び調べるのに、これまでであれば関係者から話を聞いたり、残された日記や手紙などの探索を手かがりに、詳細を再現していくというのが一般的だった。
それが本作では、失踪日に焦点を絞り、その当日に撮られたたくさんの写真を手がかりにしているのだ。
新聞記者が撮ったものから一般人が撮影したものまで、それら無数の写真を時系列に並べ、失踪時間帯の時間経過からアリバイの立証、さらには失踪者の感情の変化までをありありと浮かび上がらせることに成功している。
観光地とはいえ、辺鄙な片田舎で、しかも住民の少ない島を舞台にしているのに、そんな都合良く写真が集まるかよっていうツッコミを見事にいなす仕掛けを作者は考ちゃんと用意している。
すなわち、その町の年に一度のフェスティバルと一族全員が集まる会議、そして偶然にも起こった島を結ぶ唯一の橋で起こったタンクローリーの事故をその一日に重ねることで、救出作業を撮る新聞社のカメラマンや旅行者の写真のサルベージに不自然さはなくなり、かつ島を密室状態にもするという鮮やかさ。
もちろん意図して映した写真ではないから鮮明さに欠け、決定的な新証拠が発見されるわけではないが、過去の事件を蘇らせる手法として斬新だなと感心した。
その後の展開では、「えっ、もう犯人と対決しゃちゃうの」っていう早過ぎるクライマックスにもやっぱり驚かされた。
あと残りこんなにもページあるのに、どう物語の結末をつけるのか、と。
そしたらああいう展開で、まさかトマス・ハリスばりのサイコ・ミステリーの後に、ジェフリー・アーチャーばりのコン・ゲームが待っているとは思わなかった。 続きを読む投稿日:2024.03.28
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WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方
ジル・ボルト・テイラー, 竹内薫 / NHK出版
「4つのキャラ」全員の息を合わせる
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自分のなかの感情や思考はどうしてこうも複雑なのだろう。
時に相反するような、入り交じったものになるのはなぜだろう。
それは脳のなかに2つの感情と、2つの思考を司る細胞群があるから。
それら2つの…ペア同士は完全に独立しているばかりか、まったく正反対の方法で情報を処理している。
例えば左脳の処理は、過去から現在へというように順序立ててつなぐような時系列処理を行ない、そこから推論や言語、時間感覚や自我が育まれるが、逆に右脳は過去も未来もない、「今ここ」という瞬間の同時処理を行なっているため、全体との一体感を育んでいる。
その結果、一つの頭の中に相反する二面性が生まれるのは仕方のないことで、我々が左脳と右脳の自律的な視点が引き起こす対立に苦しむのも無理はない。
もし心と頭が別々のことを言っているのだとすれば、それは脳の違う部分同士が争っている時なのだ。
人生をよりよいものにしていくには、左脳の「キャラ2」とどう健全な関係を築けるかにかかっている。
痛みや悲しみ、恨みといった負の感情とどう折り合いをつけていくか。
右脳のオープンでフレンドリーな「キャラ4」や好奇心旺盛で積極的な「キャラ3」だけになってしまえば、人生は豊かで楽しくなりそうだが、それは著者が自らの病を克服して得た教訓ではない。
怒りや恐怖はなくなったが、しゃべることも理解することもできず、意味を持った文字や数字も見分けることもできない生活。
もっと言えば自分が誰なのか、アイデンティティも喪失した状況。
心穏やかで果てしない感謝の気持ちに包まれた右脳支配の脳だけでは、とても人としての正常な営みを送れない。
多くの人は、黙っていても左脳の「感じるキャラ2」が優先となって、悲観的に感じ考えてしまうもの。
しかしキャラ2の感情的な苦痛に耳を傾けないでいると、そのうち身体的な病として表面化するだろう。
私たちの心身の健康の鍵を握っているのは、この「感じるキャラ2」であることが多い。
いつも不平不満や泣き言を言っているように見える「キャラ2」は、進んで外部の脅威に立ち向かってくれているスーパーヒーローだとも言える。
時にはどうしようもない自己破壊的な五歳児にも変貌するのだが。
著者は、自分のなかのギャラ2をよく理解して、「脳の作戦会議」を通じて、他の3つキャラたちと一緒に育てていく方法を学ぶべきだと語る。
弦楽四重奏を演奏するように、どのキャラが欠けても、メロディは完成しない。
あるキャラが暴走しはじめたと感じたら、速やかに一時停止し、90秒の間をあけて脳内の化学物質を一度中和する。
さすれば「4つのキャラ」全員の息も合わせやすくなると。
外からの情報を処理するのに我々は、生物学的に必ず、まずは感情に関わる細胞が処理をしてから、高次の思考中枢に送られる。
ゆえに人間はいかに「考える葦」だと思っていても、我々が「感じる生き物」であるという前提を無視するのは大間違いだ。
薬物やアルコールなどの依存症からの脱却においてもそうで、左右の感情・欲望中枢の細胞である〈キャラ2と3〉の両方を参加させないかぎり、決してリハビリは成功しない。
著者が本書で何度も繰り返す、「私たちは感じることもできる”考える生き物"ではなく、考えることもできる”感じる生き物"である」という主張の根本はここにある。
道理を説いて頭でわかっても、感情的にも降参させなければ、必ず依存症は再発する。
これは依存症患者だけの問題ではない。
彼らを支える周りの家族や友人もそうなのだ。
自堕落で破壊的な素行を目にすると、どうしても〈ハードなキャラ1〉に変貌してしまい、厳しいルールを作って管理してあげたくなってしまうが、それが相手をさらに追い込んでいることに気づかない。
もっと言えばそれが実は、自分の「キャラ2」の痛みや苦しみを隠すために「キャラ1」に変身していることに気づかない。
とりもなおさず依存症患者の問題ではなく、周りの人たち自身の問題でもあることを肝に銘じる必要がある。
「愛する人を見捨てたくない、かなわない夢だとあきらめたくない。家族や友人の〈キャラ1と2〉は必死に希望をもちつづけます。しかし、充分に苦しみを味わい、〈キャラ2〉が打ちのめされ、不安になり、落ち込んで、すっかり無力感と敗北感にのみ込まれると、〈キャラ1〉がリングにタオルを投げ込みます。〈キャラ1〉が希望にしがみつけばつくほど、さらにリスクの高い、次の段階の修羅場へ発展させる許可を依存症患者に与えてしまいます」 続きを読む投稿日:2024.03.22
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BUILD 真に価値あるものをつくる型破りなガイドブック
トニー・ファデル, 土方奈美 / 早川書房
ストーリーの「なぜ」の部分にフォーカスする
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仕事とは、金を稼ぐためなどの目標を達成するための手段ではない。
何か意味のあるものに対して、関心とエネルギー、そして何より大切な時間を注ぎ込む機会だ。
二十代の間になされる選択はたいてい間違ってい…て、入った会社、立ち上げた会社はまず失敗すると思ったほうがいい。
著者のモットーは、「行動し、失敗し、そこから学ぶ」。
失敗は学習の唯一の手段であるのだから、間違いを恐れない。
次に同じ失敗をしなければそれでいい。
そうすれば結果はついてくる。
もともとプログラマーの著者が、コードを書き始める前に考えておくべき事が山ほどあると知ったのは、就職したゼネラルマジックでの経験から。
足下ばかり見ずに目線をあげてみると、チームのニーズや懸念がよく理解できた。
どんなプロジェクトでも、営業やマーケティング、プロダクトマネジメント、広報、パートナーシップ、財務など、エンジニア以外の様々な要素を整えておかないと成功の見込みはないと知る。
それとテクノロジーを起点としてモノを考えては駄目だということ。
優先すべきは技術でなく直面する課題の方で、グーグルグラスがどうして失敗したかを考えればよくわかる。
「プロダクトをつくれば顧客は自然と湧いてくる」という発想では駄目なのだ。
いま何を必要としているかではなく、この技術で何が実現できるかなんて発想でやっていったら、遠い未来の問題の解決を目指す羽目になる。
一般の人が実際に感じている現実の問題にこそテクノロジーを応用すべきだ。
この現実の問題に対して、正しいタイミングでテクノロジーを組み合わせれば爆発的にヒットする。
ウーバーがそうだ。
スマートフォンが普及しない段階では意味がない。
誰もがスマホでモノを注文できる環境が整っているタイミングだから、タクシーを呼べたら便利だなとなったのだ。
本書で最も重要なメッセージは、プロダクトの目に見えない側面に注目すること、そしてカスタマー・エクスペリエンスを蔑ろにするなということだ。
「あなたがつくっているモノは、ユーザーがそれを手に入れるずっと前に始まり、手に入れた後もずっと続く」、「顧客は広告、アプリ、エクスペリエンス、カスタマー・サポートをそれぞれ区別して考えない。すべてあなたの会社、あなたのブランドとしていっしょくたに考える」。
プロダクトだけがプロダクトなのではなく、広告での認知から入手、使用、廃棄までの一連のプロセスまでがプロダクトなのだ。
そのためユーザーは、それぞれのすべての段階にちょっとでも引っかかりがあると、エクスペリエンスはまったく違ったものになる。
ネストのサーモスタットを家に取り付けるとき、自宅の工具箱からドライバーを見つける時間でさえ、エクスペリエンスを左右する。
付属品にドライバーを入れるだけで、どれだけカスタマー・サポートの費用を抑えられるか。
顧客の「なぜ」に気を配ることも大切だが、製品開発においても必ず「なぜ」から始めるべきだ。
なぜこのプロダクトは存在する必要があるのか。
なぜ重要なのか。
なぜ人はそれを必要とするのか。
なぜ夢中になるのか。
顧客が日々直面している本当の問題を理解していれば、「なぜこの製品をつくったのか」という問いは、「なぜこの製品を買うべきか」という問いに直結してくる。
ジョブズのスピーチも必ず「なぜこの製品を買うべきか」という問いに答えていた。
著者が言う「疑惑のウイルス」を、ジョブズは聴衆のアタマに入り込み、ばら撒いていく。
日々抱いていた不満を思い出させ、改めてもううんざりだという気持ちにさせるのだ。
プロダクトがどんなものか説明する前に、なぜそれが必要かを必ず説明していた。
こうしたテクニックは、ジョブズはとても自然に、当たり前のようにやっていた。
原稿なんてない。
その場のアドリブでもない。
製品開発のあいだ、社内で繰り返し同じストーリーを社員に語り続けていたから、あらためて文案を練る必要もなかったのだ。
最高のアイデアには、必ず「なぜ」への答えがある。
プロダクトに「何を」させるか決めるずっと前に、なぜ顧客がそれを求めるかを理解しなければならない。
「なぜ」が「何を」を決めるのだ。 続きを読む投稿日:2024.03.15
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極楽征夷大将軍
垣根涼介 / 文春e-book
世間は傑物でも倒せない
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最新の歴史研究に基づく令和版の太平記。
これまで描かれてきた色情魔で悪逆非道の高師直像や、英雄あるいは策謀家としての足利尊氏像は否定される。
じゃあこれが実像で史実かと言われれば、そんなことはおそ…らくないだろう。
太平記はあくまで軍記物語であり、いまだ作者も特定されておらず、成立年も不確かだ。
登場する武将の子孫が「活躍が書かれていない」と言ってどんどん書き替えられていった経緯もある。
なら史実としての信頼性も低く歴史的な価値もないのかと言うとそんなわけはなく、歴史上これほど日本人の思考の枠組みを規定してきた本もないはずだ。
その意味で、太平記という本はこれまでない新しい歴史書だった。
参考文献の一番目に出てくる亀田俊和の『観応の擾乱』を先に読んでいたので、この中で示された新たな解釈をもう小説に取り込んでいて凄いと感心した。
単にエピソードを断片的に拝借してというレベルではなく、新たな尊氏像とも整合性を保つ一貫したストーリーの肉付けがなされているので、物語として違和感がないばかりか、ちょっとこれ以外の解釈を受け付けなくなりそうなほど。
直木賞の選考会では委員たちから「読むのに時間がかかった」などと不平を言わしめるほど長大だし、宮部みゆきが「お勉強本」と評すほど、小説としての面白みが薄いとの辛口の評価もある。
確かに風景など情景描写はほとんどなく、物語も年記風に淡々と綴られ、登場人物たちの会話も平凡。
とりわけ選考委員たちが口を揃えるように、尊氏に対する直義と師直の反応があまりにもワンパターンなのは確か。
ただこうした瑕疵は本書に限らず歴史小説全般にも言えることだし、新たな尊氏像(ただし伊藤潤の『野望の憑依者』など先行例はある)を提示し、自分なりに解釈した太平記を描く事を目的にしているので、その意味では大変な労作だと思うし、大満足な一冊だった。
唯一の不満は、タイトルがちょっと能天気すぎることと、もっとエキセントリックな尊氏像を期待していたので、それが少し穏当なところに収まったことぐらいか。
それにしても足利尊氏という人物は、知れば知るほど好きになってしまう。
絶頂期に隠居を宣言したり、学界でも長年頭を悩ます不思議なキャラクターだ。
躁鬱病なのではないかと思うほど感情の起伏が激しく、弓がどんどん飛んで来てもだんだん楽しくなってきて笑い出すなどちょっとヤバい。
英雄的な所がなくド天然の愛されキャラで、リーダーシップのないリーダー。
戦前は三度も裏切った逆臣・朝敵の象徴で、尊氏を擁護した政治家は失脚すると言われたほどの嫌われ者。
そもそもが足利家の次男坊で、しかも側室の庶子という日陰の存在。
長兄が若くして死ななければ家督を継ぐはずもなかったし、当初はその子が元服するまでのツナギのはずだった。
近臣の者からも力量を危ぶまれ、影で極楽殿と嗤われていた。
その評価が一変していく過程は本書に描かれる通り、最初の討伐軍の遠征における尊氏の振るまいかもしれない。
本来なら初陣で華々しい戦果を挙げて見返すというパターンが正攻法のばすだが、直義が頭を抱えるようないつもの能天気な尊氏の返答が、意外なことに大器量の持ち主と持ち上げられることになる。
そんなわけあるかよって普通は突っ込みを入れたくなるが、そうでないとその後の展開の説明がつかないのだ。
確かに遠征後、尊氏の評価は幕府内で急速に上がり、北条家からの嫁取りの話にまで進むのだから。
ツナギの存在がいつのまにか衆目の一致する頭領にまで変貌を遂げ、やがては北条家から警戒される存在にまで肥大していく。
しかし尊氏本人は、ほんとはそんな当主の責任なんか進んで背負い込みたくなんかなかったし、和歌のうまい鎌倉御家人で一生を終えればそれで良いと思っていたに違いない。 続きを読む投稿日:2024.03.13