イラク水滸伝
高野秀行(著)
/文春e-book
作品情報
水牛と共に生きる被差別民がもつ“循環共生”の叡智とは?
権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む
謎の巨大湿地帯〈アフワール〉
―――そこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。
中国四大奇書『水滸伝』は、悪政がはびこる宋代に町を追われた豪傑たちが湿地帯に集結し政府軍と戦う物語だが、世界史上には、このようなレジスタンス的な、あるいはアナーキー的な湿地帯がいくつも存在する。
ベトナム戦争時のメコンデルタ、イタリアのベニス、ルーマニアのドナウデルタ・・・・・・イラクの湿地帯はその中でも最古にして、“現代最後のカオス”だ。
・謎の古代宗教を信奉する“絶対平和主義”のマンダ教徒たち
・フセイン軍に激しく抵抗した「湿地の王」、コミュニストの戦い
・水牛と共に生きる被差別民マアダンの「持続可能な」環境保全の叡智
・妻が二人いる訳とは?衝撃の民族誌的奇習「ゲッサ・ブ・ゲッサ」
・“くさや汁”のようなアフワールのソウルフード「マスムータ」
・イスラム文化を逸脱した自由奔放なマーシュアラブ布をめぐる謎・・・・・・etc.
想像をはるかに超えた“混沌と迷走”の旅が、今ここに始まる――
中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録が凝縮された
圧巻のノンフィクション大作、ついに誕生!
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商品情報
- シリーズ
- イラク水滸伝
- 著者
- 高野秀行
- 出版社
- 文藝春秋
- 掲載誌・レーベル
- 文春e-book
- 書籍発売日
- 2023.07.26
- Reader Store発売日
- 2023.07.26
- ファイルサイズ
- 82MB
- ページ数
- 480ページ
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この作品のレビュー
平均 4.6 (47件のレビュー)
-
【感想】
辺境探検家・高野秀行さんの最新作は、イラクの南東、ペルシア湾沿いに存在する湿地帯(アフワール)を冒険する。
この地帯は昔から、戦争に負けた者や迫害されたマイノリティ、山賊や犯罪者などが逃げ込…む場所であった。さながら「水滸伝」の梁山泊のようであり、現地の人の生活スタイルや周辺社会の構造は謎に包まれたままである。そうした「未知」に惹かれた高野さんは、現地の舟大工に木舟を作ってもらい、舟を拠点に湿地帯を探検しようと考えた。師匠の山田隊長と連れ立ってイラクに(いつものように)突撃し、現地の有力者たちとコミュニケーションを取りながらアフワールの現状を取材していく。
実際、湿地帯の人(マアダン)はどのような暮らしをしているのか。イラクについて背景知識のない私たちはつい原始人のような生活を想像してしまうが、大半の人は日本人と変わらない生活を送っている。陸の上に家を建て、水道・ガス・電気が完備された部屋の中でエアコン暮らしだ。だが、一部の湿地民――特に水牛を中心とした生活を営んでいる人――に関しては、水上に生える藁を折って浮島を作り、その上に藁小屋を建てて生活している。電気やガスは通っておらず、水牛の糞と藁を燃料に調理を行う。水道ばかりか食器や衣服の洗い場やトイレも無く、浮島の周りにある水ですべてまかなっている。
何故か、彼らの生活レベルは1000年以上昔のままなのである。数キロ先の町に暮らしている人は文明の利器に与っているのに、浮島の人たちは今でも古代人の暮らしを続けている。一応、商売道具である船外モーターは所持しているのでお金はあるはずなのだが、何故貧しい暮らしを続けているのかは謎のままであった。
そうした現地住民へのリポートに加えて、「マアダン史」とも呼べる民族史的エピソードが本書のところどころに挟まれるのだが、これがとても面白い。古代メソポタミア人と現代マアダンとの血脈、アフワール社会の慣習、フセイン政権との確執及び政治的動乱など、彼らがイラクという激動の地でいかにして湿地生活を維持してきたかが丁寧に紐解かれていく。
また、歴史に加えて、地元有力者の語る「マアダンから見た湿地帯の現状」も綴られていき、物語の厚みがどんどん増していく。
文献にあたるだけでも相当な量の作業が必要だったに違いない。完成まで6年かかったのも頷けるボリュームである。
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「イラク水滸伝」は、高野さんが今まで書いてきた本と比べても、テーマが広い。それは今回の旅が「失敗に終わっている」ことが一因だと思う。
当初の目的であった舟旅はできなかった。そもそもの計画が行き当たりばったりであり、現地情勢のことを深く考えずに見切り発車してしまった。しかし、その無鉄砲さが返って現地住民との接触を多くし、取材内容を多様なものにしていった。
もとからアフワールには規則などない。湿地帯の広がりも水量次第であり、ずっと同じ風景が存在するわけではない。そこにはイラクという国特有の「予測のつかなさ」が横たわっている。だがそうしたカオスな空間が、同じくカオスな行動をする筆者のチャレンジとピタリと合致した。当初の目的通りにはいかなかったが、目標が右往左往することで、ブリコラージュ的に研究が広がっていったのだ。
アナーキーで多様性に富んだ「エデンの園」。その自由奔放さに沿うようにあちこちを駆け巡る高野さん。間違いなく読み手を魅了する一冊だった。
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【メモ】
イラク南東のペルシア湾近辺、ティグリス川とユーフラテス川の合流地点付近には、かつて最大で日本の四国を上まわったこともある面積の「湿地帯(アフワール)」が存在し、30~40万人もの水の民が暮らしている。アラビア語を話すアラブ人でありつつ、生活スタイルや文化がまるで異なるらしい。
この地帯は昔から戦争に負けた者や迫害されたマイノリティ、山賊や犯罪者などが逃げ込む場所だった。湿地帯は馬もラクダも象も戦車も使えないし、巨大な軍勢が押し寄せることもできない。迷路のように入り組んだ水路では進む方角すらわからなくなるからだ。「水滸伝」の梁山泊さながらである。
世界最古の文明が誕生したと同時に発生したアフワールは、1990年代に、フセイン政権により水を堰き止められ枯れてしまったが、フセイン政権崩壊後、住民が堰を壊して水を再び流し、湿地帯は半分ぐらい復元されているという。
しかし、イラクの湿地帯では各氏族が点状に住んでいる。道もなく、村もない。このような状況では滞在のために誰に許可を取るべきかわからない。
そこで筆者が考えたのが、湿地帯で舟大工を探して、舟を造ってもらうという方法だった。地元の舟大工、とくに「名人」と呼ばれるような人の造った舟に乗っていたら、誰もが一目置いてくれるだろう。それに大工なら多くの氏族と取引があり、湿地帯で最も顔のきく人にちがいない。舟を基点にして湿地帯を調査するのだ。
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・バグダードや湿地帯に住むマイノリティ「マンダ教徒」は、2005年頃から、スンニ派とシーア派両方から迫害の対象となっていた。彼らは伝統的に銀細工や舟大工を生業としている。また、教育水準が高く、天文学、占星術、物理化学などの学問に秀でていた。
彼らは歴史学の見解とはまるで異なり、最初にマンダがいて、後にシュメール人が分かれ、それから何千年もあとにユダヤ、キリスト教、イスラムなど諸宗教が枝分かれしていったと考えている。しかもマンダの人たちからすると、それらのユダヤ以降の教えも全て間違いなのである。
・「湿地帯の王」と呼ばれるカリーム・マホウド。1980年代末からフセイン政権崩壊まで、アフワールで反政府ゲリラ活動を行っていた。脱走兵や元囚人、フセインに迫害されて逃げてきた知識層を束ね、フセイン政権が倒れる2003年まで湿地帯の人々の支援を受けながら政府軍に抵抗していた。92年にはフセインの娘婿で石油大臣でもあったフセイン・カーメル将軍が直接部隊を率いて大攻勢をかけてきたが、アミール曰く「全滅させてやった」。
しかし、アミールが周辺地域を支配するようになると、彼の水滸伝時代の好漢達が中心となって治安部隊を結成したことで、腐敗と独裁が行われ、今では信用を失っているという。
・湿地帯の恐ろしさは、その境界があいまいなところにある。例えば、背の高い葦が生えて迷路状になった水路はたしかに厄介だが、それでも舟に乗って進むことができる。でも今、目の前に広がる土地では舟も使えない。かといって、四輪駆動車や戦車で入っていけるかというと、それは危険だ。どこに深い泥濘があるかわからない。重い車両であればあるほど、泥にはまって抜けられなくなる。
純色の雲が地平線まで垂れ込めた空の下、どこまでも続く湿地とも荒れ地ともつかない土地を走っていると、なんだか世界の始まる前の原初の状態にいるような感覚にとらわれる。いわゆる「混沌」である。文明社会でもなければ、日本の自然とも全くちがう。
同じようなもやもやした気持ちで、湿地民(マアダン)のことも考えていた。どこが湿地かわからないのと同様、誰が湿地民なのかもよくわからないのだ。
・イラクのアフワール(湿地帯)は大きく三つに分けられる。ティグリス川とユーフラテス川にはさまれた中央湿地帯、ユーフラテス川の右岸(南部)に広がる南部湿地帯(別名ハンマール湖)、そしてティグリス川の左岸に広がる東部湿地帯だ。
東部は他二つの湿地帯とはかなり異なった特徴をもっている。まず、アフワールはフセイン政権によって一度完全に干上がったと言われるが、それはあくまでも中央と南部の湿地帯のことである。1990年代や2000年頃の衛星写真を見ると、東部湿地帯はけっこう水がある。
水は減少したものの、ダメージは比較的少なかった。生態系に継続性があるからだ。他の湿地帯は一度完全に消滅したので、哺乳類、爬虫類、両生類の多くは絶滅してしまっただろうし、他の動植物の被害も尋常ではないはずだ。かつての姿をとどめている場所があるとすれば、東部湿地帯だけなのだ。鳥や魚、植物にしても、他より豊かな可能性が高い。
・東部湿地帯のハウィザ湖は魚が豊富であり、それを餌とする鳥もたくさん生息している。湖には葦や泥を重ねて人工的に作った浮島(チバーシェ)があり、村人の一時的な休憩所になっている。
湿地には絶えず水と栄養分が運ばれてくるため、カサブ(葦)の再生力はふつうの森に比べて桁違いに高い。薪を獲るのも運ぶのも容易だし、水面より上の部分は乾燥しているので火もつきやすい。
・湿地帯にある唯一の島「チバーイシュ町」はアフワールの中心地であり、役場、学校、病院などがある。水路が縦横無に走り、石やコンクリートで造られた大きな家がぎっしり立ち並んで車の量もけっこう多い。
・川のほとりでは、水牛、浮島と並ぶアフワールの象徴である「カサブのムディーフ」にも遭遇する。ムディーフとはイラクの言葉で、ゲストハウスを指す。文字通り、客人が来たら泊めるためのものだが、それだけにとどまらず、氏族や仲間たちの集会所でもある。形状は縦長で、入口を入るとマットレスのような座席が敷きつめられている。立派なムディーフでは各座席に、背中にあてるクッションや肘掛けが用意されている。
バグダードなどの都市部ではムディーフは鉄筋コンクリートや石造りの建物だが、アフワールでは藁で作られている。
・私は、「長年の苛酷な独裁に加え、激しい内戦がつづき、治安がひじょうに悪く政治も腐敗している」という点から、イラクをソマリアやアフガニスタンなどと同列に置いていた。山田隊長はアフリカで長く活動していたため、やはりアフリカの最貧国チャドなどと比べがちだった。その目線で見ると、イラクは比較にならないくらい秩序がある。
例えば、イラクではバグダード市内でも地方へ行く街道沿いでもチェックポイントが多いものの、一度もカネを要求されたことがない。私たちはそれを「評価」してしまうのだが、ハイダル君たちにすればそんなことは当たり前で、アフリカと比較されること自体が「屈辱」なのである。
・彼らは「今のイラクはダメだ」と繰り返す。家や店の前の歩道にその家・店のモノが置かれていたり、道路がゴミで汚れていたりするのを見ては「あんなことは昔はなかった」と嘆く。
アフリカ慣れした私たちからすれば、ずいぶん贅沢な悩みに見える。いや、アフリカでなくても、パキスタンやインド、東南アジアなどアジア諸国の多くでも、家や店の前の歩道を近所の人が勝手に使っていたり、道路にゴミが落ちたりしているのは珍しくない。
ハイダル君の親戚の若者は、私たちが「アフリカよりいい」と言ったら、声を荒げた。「アフリカと比べないでくれ。アメリカや日本と比べてくれ」
返す言葉もなかった。
日本で見聞きするイラクのニュースはよくないことばかりだ。実際に現地へ行ってみれば決してそんなことはないだろうと私は自分の経験から確信していたものの、それでもイラクを「なめていた」のは否めない。
イラクは1970年代までは豊かな産油国だったのだ。教育と医療は無料で、レベルも高かっ たようだ。それが80年代に入ってからイランとの戦争で徐々に疲弊し、湾岸戦争の後の経済制裁で国民生活はどん底に落ちた。しかし、必ずしも政府の各省庁の能力までが大幅劣化したわけではないらしい。ハイダル君は言う。
「外部からの援助が止まって何でもイラク人が自分でやらなきゃいけなくなったからじゃないかな。サダムがやれって言えば、どんなことでもやるしかない。それに外国へ行くのも禁止されたから頭脳流出もなかった」
・彼らこそが新世紀の「水滸伝的好漢」なのではないかと思う。湿地帯を愛するマイノリティという意味で。なぜなら、今も昔もアフワールのことを大事に思うイラク人などごく稀だからだ。私がアフワールに興味があるとイラク人に話したとき、「ああ、あそこは美しいよ」とか「素晴らしい文化がある」などとポジティブに反応した人はこれまで皆無だ。みんな、「へえ、物好きだね」という薄い反応である。湿地民のことを「彼らはトラブルメーカーだ」と嫌っている人もいる。
湿地帯を回復させたところで何の利権にもつながらない。だからこそ、湿地帯の回復はある程度成功したのではないか。イラク政府が他の行政面では国民に非難され続けているのとは対照的だ。
そして今、新世紀梁山泊の中心にいるのがジャーシムである。もはや現地代表の地位をとっくに飛び越し、全アフワールで最も強い影響力をもつ人物となっている。大胆な治水工事を計画実行する能力と統率力、驚くほど広いネットワーク、国籍や身分や素姓に関係なく、自分を頼ってきた人は誰でも最大限に面倒をみようという親分肌、そして個人の自由を無視した権力を忌み嫌い、自分が納得できないことには徹底して反対し戦う、反骨にして異能の人でもあった。
・南部湿地帯の湖に浮かぶ葦の家には、文明的なものが何一つ見当たらない。チバーイシュ町では多くの家が電気・水道・ガス・エアコン完備という日本人と同じ生活水準なのに、ここでは船外モーターを持っている以外は古代メソポタミアの生活と変わらない。
家の外側には至る所に水牛の糞が貼り付けてあった。水牛の糞はカサブより嵩張らず、火力が強い。燃料として使える。
水道ばかりか食器や衣服の洗い場やトイレも見当たらない。浮島の周りにある水ですべてまかなうようだ。水牛がいる場所とは柵で仕切られているし、洗い場とトイレは別のところで行うから別に問題ないらしい。この辺の人たちは町の人もただの生水は飲まず、お湯を沸かしてお茶を飲む。
・(舟(タラーデ)づくりを目の当たりにして)しかし、この工法は一体何だろう。設計図を作らない。あらかじめパーツをきちんと用意することもない。材を正確に測ることもない。長さ、幅、厚さ、すべてにおいて無頓着である。メジャーはたまにしか使わず、その辺に落ちているカサブを切って、メジャー代わりにあてている。そして、大事な三日月フォルム造りに使うのは使用済みの板の切れ端。
「日本の大工はカンナだけでもいろんなサイズのものを何種類ももってるもんだけどな」と山田隊長は呆れる。ここの大工はカンナ自体使わない。なにしろ道具といえば、ジェッドゥーンと呼ばれる手斧、金槌、釘、ノコギリの四つしかないのだ。しかも釘は長さ5センチぐらいのもの一種類。ジェットゥーンは万能の道具で、のみやカンナ、金床の代わりにもなる。
ずっと湿地帯の舟大工を雑とか適当と言ってきたが、ちょっとちがうのかもしれない。
これは「ブリコラージュ」なのだ。ブリコラージュとはフランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが提唱した概念で、「あり合わせの材料を用いて自分でものを作ること」とか「その場しのぎの仕事」といった意味であり、文明社会の「エンジニアリング」と対照をなすとされる。
・マアダンは水牛中心の生活を送っている人たちなのだ。定住しているマアダンも、何か政治的な問題や自然災害などが起きたら、移動生活に戻るのだろう。また、後で知ったのだが、定住しているマアダン一家も、子供が成人して結婚をすると、親から水牛を分けてもらって、湿地の移動生活を始める。
・チバーシェ(浮島)は、水に浮いているカサブをそのまま踏みつけながら作る。ちょうど水面から20センチぐらいのところで直角に曲がる。踏みつけながら2メートル×2メートルぐらいの広さを確保したら、周囲に生えるカサブの束を刈り取り、そのスペースに乗せていく。浮島の地面には蒲の葉を敷き詰めてなめらかにする。
小屋がけでは、長さ2メートルぐらいのカサブの束を切って水面下の地面に突き刺し、テントのポールのように立てる。そのポールを何本か刺すと、今度はカサブの束を横に渡して、各ポールを縛る。これで骨組みは完成。「あとはゴザで覆えばいい」とのこと。全工程が20分程度で完成する。続きを読む投稿日:2023.08.12
イラク南部湿地帯「アフワール」探検記。アフワールの民の暮らしは、持続可能性という点においては、一年前に読んだ石川英輔『大江戸リサイクル事情』(講談社、一九九四)で描かれた江戸時代の暮らしとの共通点が…多かった。
・文明は森の消失で滅ぶが、メソポタミアの湿地帯のカサブ(葦)の再生力は高いという話。『大江戸〜』で読んだ竹の話と似てる!と思ったらイラクでは竹のこともカサブと呼ぶ。というかイラクに竹はないので外国のそれをカサブと呼ぶ。同一視可能ということだ。
・アグロフォレストリー(農業と林業)やアグロパストラル(農業と牧畜)など、異なる産業を組み合わせると良い循環が起き持続可能性が高まるという手法があるそうで、アフワールの水牛飼いの暮らしはこれの漁業と牧畜の組合せになっている。これも『大江戸』で読んだ魚付林、魚寄林、網代山(林業と漁業になるのかな)の話と似ている。
アフワールのSDGsっぷりは現代日本でも参考にできるのでは…というような文脈も読み取れたが、アフワールと数百年前の日本、どちらが遠いだろう…。
さて、私は高野さんの単著を読むのはこれが二冊目。高野さんに興味を持って以降最初に刊行されたのが本書だったので、あまりの分厚さに面食らいつつも、「(正直イラクについても水滸伝についても何も知らないが、)最新刊だ、読むぞ!」と思い切って着手した。
なんと語り上手な人だろう、というのが全体通しての感想。イラクにも水滸伝にもご縁のない私でも、大したストレスなく読めてしまった。なかでもわかりやすいのは、あだ名つけ。ジャーシムさんやらハイダルさんやらイラク人がたくさん登場するが、翻訳小説でも外国人の名前には難儀するもの。高野さんは、新たな人物が登場するたびに、本書内におけるあだ名をバシバシとつけていく。ボスのジャーシム氏には水滸伝のボスから名前を取って「ジャーシム宋江」、歌う男前船頭ハイダル氏には「シンガーソング船頭」、トム・クルーズに似てるが日焼けしてるから「ワイルド・トム」、色白で大柄だから「白熊マーヘル」、プーチンに似てるから「プーチン」など。これのおかげで「この人誰だっけ?」現象はほぼなし、ありがたい。さらに、宋江、盧俊義、呉用など水滸伝の人物名となんとなくのキャラクターまでセットで覚えられてさらにお買い得であった。
あだ名の他にも、イラク湿地帯の歴史や現在の暮らしを理解するのに、「日本でいうところの…」と繰り出してくる例えが大変わかりやすい。昔ながらの暮らしぶりをする湿地民のことを「シュメール人」と表現した人がいるのをみて、東京の人も「あの人は生粋の江戸ッ子だから」などと言うもんなあとなぞらえてみたり。湿地帯のひとつひとつの水路を指すのに固有の名前はなく道幅で呼び分ける一般名詞だけで地元の人は困っていないのを見て、日本でも「国道をまっすぐ行ってセブン・イレブンのところの路地を入る」なんて言うよなあとあてはめてみたり。理解上手の説明上手だ。
確かなことは言えないが、どうも今回の旅は、この道うん十年のベテランである高野さんと山田隊長(山田高司さん)をもってしてもなかなか制御しきれない、ままならない、掴みどころのない難しさがあったように感じられる。特に前半戦は、目的に向かって進んでいる感を高野さんたちも得られていなかったようで、私もちょっと迷子になって読み進めるモチベーションがあがらないところもあった。
後半になるとこの雰囲気が一変し、いつもの高野節!、かどうかはわからないがそんなこなれ感と高揚感が溢れだす。「料理手順の取材は聞き書きはダメ(当事者が言語化できていない工程が必ずあるから)」、「あるモノについて話を聞きたい、と人に迫るとき、写真ではダメ、実物に限る」など、ベテランの技が光る場面は多くあったが、最も称賛すべきは、幾度となく自らをピンチから救った高野さんの演芸力だろう。〝抱腹絶倒の「生きる知恵」炸裂シーン〟という稀有なシチュエーションは必読。惚れます。
山田隊長と高野さんは今年「植村直己冒険賞」を受賞されたそうです。おめでとうございます。続きを読む投稿日:2024.05.14
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