力と交換様式
柄谷行人(著)
/岩波書店
この作品のレビュー
平均 3.9 (9件のレビュー)
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【はじめに】
柄谷行人は、『探究』でマルクスの資本論の神髄を交換(交通)に見てとって以来、社会の基本動因として生産よりもまず交換を優位に置く交換様式論を提唱し、『世界史の構造』を手始めとして理論化を推…し進めてきた。社会を統べる交換様式を、互酬(贈与-返礼の義務)に代表される交換様式A、支配-服従(略取-再分配)の交換である国家に代表される交換様式B、資本と商品の交換である資本主義経済に代表される交換様式Cとした上で、交換様式Aが高次で回復される、いまだ実現していない交換様式を交換様式Dと呼んでいる。この交換様式論の核心である交換様式Dについて、具体的にどういうものだというものが明確に示されないことから、多くの読者はその部分で躓くことが多いのではないかと思う。交換様式論自体は世界構造を論じるための思考様式として魅力的ではあるのだが、その交換様式Dのある種の不在により宙吊りにされるようなもどかしさもあった。
大著『世界史の構造』は、2010年だった。そこにおいて交換様式の概念が構想されたが、その将来の形である交換様式Dについては、『帝国の構造』、『世界史の構造を読む』、『哲学の起源』、『遊動論』などを重ねてきてもなお明示されることはなかった。本書は季刊誌『atプラス』に掲載された「Dの研究」がもとになっているという。交換様式Dがいったいどういうものであり、他の交換様式Cと連関して将来形成されていくのかが示されることを期待して読み進めた。
【霊と力】
第一部は「力とは何か」から始まる。柄谷が使う「力」は観念的な力であり、その意味で霊的なものとなる。それぞれの交換様式を成立させるためには、それとは意識されずに人間が従う霊(=力)が必要となるのである。それは、まさに商品と紙幣との交換の間にマルクスが「飛躍」を見たように、合理的に考えれば、それだけでは起きうるべきものではないことが起きているのである。そしてそれは一度起きてしまえば、あたかも自然であり、そうでなかったことが容易に想像できないような何かなのである。
マルクスが商品に付着する価値を物神(フェティッシュ)として論じたことは知られている。しかし、単に表現上の技法としてある種の冗談として選ばれた言葉だとして見落とされがちであり、深く考察されることは少なかった。一方で柄谷はこのマルクスの物神は交換様式Cを語る上では本質的なものであり、そのことはこの本を通して何度も何度も繰り返される。物神=霊であり、本書を貫くテーマである「力」なのであるのだと。そして、マルクスが交換様式Cの霊(=力)を資本に見たように、交換様式Aから見出した霊(ハウ)をマルセル・モースは『贈与論』で語り、交換様式Bから生じた霊(リヴァイアサン)を見出したのがホッブスだと言う。そして交換様式Dで見いだされる霊を論じるのがこの『力と交換様式』だと柄谷は言う。
『世界史の構造』が世に出たのは2010年だが、それ以降の格差の問題や世界の閉塞感は、交換様式Bおよび交換様式Cによるシステムの限界を見せたものであったのかもしれない。序論の最後に柄谷はこう書く。
「交換様式Cから生じた物神は、人間と人間の関係のみならず、人間と自然の関係をも歪めてしまう。のみならず、後者から生じた問題が、人間と人間の関係をさらに歪めるものとなる。すなわち、それは資本=ネーション=国家の間の対立をもたらす。つまり、戦争の危機が迫りつつある」
交換様式Bや交換様式Cを揚棄することが望まれる交換様式Dに柄谷が拘るのも、危機感があるがゆえであり、またそうであるがゆえに交換様式が自然に要請されるのだということも言えるのかもしれない。
【交換様式】
本書では、交換様式A、B、Cについても改めて再考が促されている。特に、交換様式A、B、Cがいかに結びつき、互いに依存し、資本=ネーション=国家(ステート)を形成しているのかを改めて示している。その相互依存と連関について柄谷は次のように明言する。
「資本=ネーション=国家が出現するとともに、「資本の揚棄」という問題も、「国家の揚棄」という問題も、以前にもまして難しくなった。なぜなら、資本、ネーション、国家、すなわち交換様式C、A、Bが相互に助け合いつつ存続するからだ」
本書で交換様式間の連関を説明するに当たって主に援用されたのがマックス・ヴェーバーとミシェル・フーコーである。彼ら二人が自分が心酔する思想家の二人であったことからも特に印象深くまたその論理が腑に落ちた。ヴェーバーが産業資本主義に必要な規律を持った労働者、つまり「労働力商品」の誕生をプロテスタンティズム=「神の監視」から説明しようとしたのに対して、フーコーはそれを国家の監視から説明しようとしたのだと言う。それらはどちらも正しい。そして、またそれを王政とその対抗という形で結果として王が労働力商品となりうる国民を生み出し産業資本主義の基礎を作ったことに関してマルクスが資本論で「彼らはこのことを意識しないが、そうやっているのだ」といったことが交換様式とその力についての性質をよく示している。交換様式Cもまた、向こうから来たものである。だから、交換様式Dもまた向こうからやってくるのだと柄谷は主張するのである。よく考えてくれ、これが初めてではない、と。
【交換様式Dと世界共和国および宗教】
そして、『世界共和国へ』や『トランスくクリティーク』でカントを大々的に取り上げたように、ここでもまた『永遠平和のために』のカントを取り上げて、そこで提言された世界共和国が交換様式Dの世界であると示唆してみせる。柄谷は、カントが「人類の歴史を全体として考察すると、自然がその隠微な計画を遂行する過程と見なすことができる」としたのを、交換様式Dによって実現する世界のことであるとした。カントの問題意識と自身のそれを重ねていくのである。
「『永遠平和のために』において、カントが考えたのは、国家、いいかえれば、交換様式Bがもたらした怪獣をいかに揚棄するかという問題であった。そのとき、彼が示唆したのは、それを片づける「力」があるということだ。彼はそれを「神」と呼ばず、「自然」と呼んだ。先に言及したように、そのときカントは交換様式Dに該当するものを見出したといってよい」
例えば、カントの『永遠平和のために』で構想した「世界共和国」は交換様式Aと類似するがゆえに軽視されてきた。しかし、消えることなく回復してきたのは今後はAというよりもDとして現れることになると予言する。
「私の考えでは、自然の「隠微な計画」とは交換様式Dの働きを意味する。たとえば、カントが『永遠平和のために』で提起した「世界共和国」の構想は、人間が考案したものにすぎないように見える。その意味で、交換様式Aと類似する。したがって、無力である。ゆえに彼の提案した国際連合は、以来二世紀にわたって、つねに軽視されてきた。しかしそれは、消えることなく回帰してきた。今後もあらためて回帰するだろう。そして、そのときそれは、AというよりもDとして現れる」
柄谷は、交換様式Dは世界宗教のような形で現れると言ってはばからない。
「重要なのは、Dが人間の意志や企画によって生じるものではない、むしろ、それに反してあらわれる、ということである。それは、観念的な力、いいかえれば、「神の力」としてあらわれるのだから」
この宗教への拘りも『探究II』から通底するテーマである。『探究II』では世界宗教と普遍宗教について明確に分けていなかったかと思うが、ここで柄谷は世界宗教とは異なるものとして普遍宗教を挙げて交換様式Dによってもたらされるものと宣言する。
「世界宗教が交換様式BとCの圧倒的優越によってもたらされるのに対して、普遍宗教はそれらに対抗するものとして、交換様式Dによってもたらされる。そして、Dとは、BとCによって封じ込められたAの”高次元での回復”にほかならない」
そして、柄谷は交換様式Dが人間の意志を超えて「向こうから来る」と繰り返す。
「ここで重要なのは、Dは人間の意志あるいは企画によって到来するものではない、ということである。それはいわば「向こうから来る」。その意味で、それは”共産主義という幽霊”だといってよい。そして、その存在を明らかにすることが、「社会主義の科学」にほかならない」
このことについては柄谷はすでに『哲学の起源』で次のように書いているとおりである。
「Dに関して重要な点は、第一にA・B・Cと異なり、想像的な次元に存在するということである。またDはたとえ想像的なものであるとしても、たんなる人間の願望や想像ではなく、むしろ人間の意志に反して生まれてくるものである。以上の点は、交換様式Dがまず普遍宗教において開示されたということを示唆するものである。」(p.236)
そして、交換様式Dが宗教という形を取ることなしに顕われる可能性をギリシアのイオニアの政治と思想に見出している。
「交換様式Dが宗教というかたちをとることなしにあらわれることはないのか、と考えた。私はその最初の事例を、イオニアの政治と思想に見出した。」(p.241)
残念ながら、本書では宗教として現れることを示唆している。もしかしたらそれは改めて柄谷がそのように思い至ったということを示しているのかもしれない。
【まとめ】
柄谷行人、御年八十歳をもう超えている。本書が大部の著作となったとしてもおかしくはない。交換様式Dについて、より明確なビジョンが示されることを期待したが、そこには至らなかったというのが率直な感想ではある。交換様式論については、改めてまとめられて繰り返し強調されていることも含めて理解は進んだと思う。言い換えれば、カントの自然や世界共和国、普遍宗教を交換様式Dを示唆するものとするのも過去の著作でも取り上げられたものでもある。
柄谷は、交換様式Dは「向こうから来る」と繰り返す。もしそれがこれまでは来なかったにも関わらず、将来来るものだとすれば、それはシンギュラリティの時代が来ることと関係をしているのではないかとも想像するが、そこは柄谷はどこか否定するものであるように思う。交換様式B(国家)や交換様式C(資本)がその限界をきたしているとして、その先を交換様式Dと呼んでしまうのはある意味ではずるいとも思うのだが、それは次を引き継ぐものたちに任されたのかもしれない。ある意味では柄谷行人を揚棄することが求められているのかもしれない。
柄谷は本書の最後を次のような言葉で締める。
「今後に、戦争と恐慌、つまり、BとCが必然的にもたらす危機が幾度も生じるだろう。しかし、それゆえにこそ、”Aの高次元での回復”としてのDが必ず到来する」
われわれは果たして交換様式Dの到来を迎えることができるのだろうか。
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『世界史の構造』 (柄谷行人)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000236938
『世界共和国へ: 資本=ネーション=国家を超えて』(柄谷行人)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4004310016
『探究II』 (柄谷行人)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4061591207
『帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺』 (柄谷行人)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4791767977
『永遠平和のために』(カント)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4334751083続きを読む投稿日:2023.12.18
2023年バーグルエン哲学文化賞を受賞した作品である。唯物史観では社会の発展要因を「生産様式」とするが、それに対して作者は「交換様式」の概念で人類の発展を理解するというもので、作者が数十年にわたって温…めてきた思考を集大成する異色の人類発展史観である。
人間の共同性を贈与と返礼の互酬概念から考え始めるものであるが、哲学的で抽象度が高い文章が続き、理解しながら読み進めるのに相当の努力が必要である。
最初に、四つの交換様式の定義から始める。A 共同体における「互酬(贈与と返礼)」、B 国家権力にみられる垂直的な「服従と保護(略取と再分配)」、C 市場における「水平的な商品交換(貨幣と商品)」、D 「Aの高次元での回復」である。これら四つの交換様式を歴史的段階で考え、それぞれの段階が通底したり重なったりして社会は進化する。氏族社会(A)-封建社会(B)-資本主義社会(C)へと進み、「人間の意思を超えて到来する」D段階に至る、そこは「資本主義-国家-ネーションを揚棄する」究極の社会である。この交換様式からみた発展段階説はマルクス主義の経済的下部構造の段階説とは異なり、政治的・精神的なものも含み霊的な力の作用も重視する。Aにはマルセル・モースのいう「ハウ」、Bにホッブスが名付けた「リバイアサン(海の怪獣)」、Cにはマルクスが指摘した「資本の物神(フェティッシュ)性」という霊的観念諸力である。
Dの「A段階の高次元での回復」については、究極の理想である共産主義社会をイメージし「原初への回復・ユートピアの到来」として、それは「向こうから自然にやってくる」という、・・・この辺りまでくると殆どついていけない。何とか喰らい付いてきたのに最後の一番盛り上がった肝心なところで振り落とされる、「もう一回よく読み直してこい」と、そして又読む。
世界宗教は既にDの要素があるということや、アソシエーションなどの概念もD「高次元での回復」のヒントになる気がして頷ける部分も多々ある。箇所によっては論理・論証の凄さに共感し感覚が昂ぶることもある。作者はこの作品で哲学思考の可能性を存分に味合わせてくれる。人類の将来展望も示す。マルクス・エンゲルスをはじめヘーゲル、カント、ギリシャ哲学者や歴史的な思想家の成果をベースに組み立てた密度の濃い論考である。
生煮えながら少しわかりかけてきた気もする。読む毎に刺激的な思考の世界に入りつつあるという実感が満足感を増幅させる。続きを読む投稿日:2023.11.19
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