トーイン クアルンゲの牛捕り
キアラン・カーソン(著)
,栩木伸明(訳)
/創元ライブラリ
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さる夫婦のささやかな口争い――あるいはいちゃいちゃから物語は始まる。
「自分と結婚したことによって、あなたは豊かで幸せになった」
双方が断じて、互いに引かなかったので、それぞれの財産比べとなった。
ま…ずは厨房の手桶や釜から始め、奴隷、指輪、細工物、衣装などの数と品質を競う。
さらには羊、馬、豚を並べたが、互いに互角で勝負がつかない。
しかし、牛を比べた時、大きく差が開いた。
夫の所有する見事な牛に匹敵する牛を、妻は持っていなかったのである。
夫の名はアリル、妻の名はメーヴ、
アイルランドはコナハト国の王と女王である。
勝負に負けたメーヴは全財産を失ったかに嘆き、怒り、あれ以上の牛を得るべく手を尽くす。
見事な牛はいた。
名をドン・クアルンゲ、クアルンゲの褐色の雄牛、夫の所有する牛よりよほど優れている。
しかし、当然、そういう牛は、所有者が手放そうとしない。
よって女王メーヴは、なぜかアリル王とともにアイルランド大軍勢を集め、力ずくで牛を奪いに向かう。
そこに立ちはだかるのが、クー・フリンひとりである。
ひとり?
そう、ひとりなのだ。
アルスターの戦士たちはすべて呪いのために床に伏して、闘える状態になかったからである。
しかし、大丈夫。
なぜならクー・フリンなのだから。
5才の時から数々の武勲を――
三かける五十は百五十本の投げ槍をおもちゃの盾で受け止め、
三かける五十は百五十人の若者達との球技で、一人で対して負けることなく、
盗賊団を相手に五十の傷を負ったものの、盗賊九人を殺し、
剣と盾と槍を試しにふりまわすうちに、いくつもの武器をめちゃめちゃに壊し、
戦車にのれば十二輛をぐしゃりとつぶし――
数々の逸話を持つ17才の少年なのだから。
数々の戦士がクー・フリンに襲いかかるが、すべて一行で死んでいく。
一行で何人もが死んでいく。
そして、それぞれがその地に名前を遺していくのだ。
シーズ・フライヒ(フライヒの妖精の塚)、アース・キルネ(キリウスの浅瀬)、ロン、ウアル、ディーリウの浅瀬、アイネーンの塚、etc.etc.etc...
神話、伝説というものを久しぶりに読んだが、たいへんに面白い。
当時これを物語った人々が、考え出せるかぎり、だれよりも強く、かっこよく、なによりも面白く、とにかくワクワクする話を――つまりは、この世で最高にすごい人のすごい物語をつくろう! と意気込んで、幾世代もの時間をかけて練り上げたものにちがいないからだ。
そんな馬鹿な! なんでそうなる! どうしてこうなる! の連続に驚きっぱなしで、まったく飽きることがない。
例の牛でさえこうだ。
『彼は、毎日五十頭の雌牛に種付けができた。・・・・・・ 毎晩五十人の屈強な若者達が、彼の広い背中の上で試合をした。百人の戦士達が彼の陰で暑さ寒さをしのぐことができた。』(87頁)
『トーイン』を読みたいと思ったのは、その舞台アルスターの名が目に入ったからだ。
私の好きな『ショーン・ダフィー・シリーズ』(エイドリアン・マッキンティ著)の舞台が、'80年代のアイルランド、アルスターなのである。
『たぶん、あれはモリガン。
黒き瞳のモリガン。哀しみのモリガン、偉大なる女王、戦いと豊穣と不和の女神。
鴉は丘を、高地の沼を、雨に濡れそぼつ通りを越えていく。
あれがモリガンなら、彼女は傷ついた大地を見おろし、満足しているだろう。アルスターというパッチワークのキルトを見て、キンタイア岬の山腹の惨事を見て、満ち足りた気持ちでかあと鳴いているだろう。』 (『ガン・ストリート・ガール』565頁)
シリーズ4巻末のこの詩のような一節が、強く印象に残ったのだ。
なるほど『トーイン』にモリーガン/モリガンは出てくる。
「モリーガンとクー・フリンの対話」なる挿話では、娘にも老婆にも姿を変えて、気味の悪い存在感を放つ。
鴉に姿を変えては、たびたび現れ、戦の悪夢を唄う。
戦女神、悪夢女王モリーガンは、アイルランドでかなり重きをおかれる存在らしい。
そして、そんな神話の時代から、ショーン・ダフィの80年代、2021年の現在にいたるまで、そこは女神のお気に入りの土地のようだ。
アニメや、ゲーム、ファンタジー世界を入口として『トーイン』を読むのはもちろん素晴しい。
現に、あとがきによれば、この文庫版の出版は 『 Fate/Grand Order 』という人気ゲームが大きな理由なのだ。
そして、私は『ショーン・ダフィー・シリーズ』の読者にも、この『トーイン』を強くお薦めする。
どちらもがよりいっそう面白くなるにちがいない。続きを読む投稿日:2021.01.06
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