この作品のレビュー
平均 3.8 (16件のレビュー)
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僕はミリアム・ルーセル支持
難解で屁理屈満載のゴダール映画にあって、
ミューズたちの輝きは救いでもあり圧倒的な魅力である。
「ニューヨークヘラルドトリビューン!」とシャンゼリゼ大通りを歩くジーン・セバーグ、
マディソン…ダンスを踊るアンナ・カリーナ、
ジーッとカメラに見つめられながら答えにくい質問に頑張って答えるシャンタル・ゴヤ…
ゴダールは彼女たちを撮るということにかけては天才的。
愛するということにかけては…本書を読んでご確認を。続きを読む投稿日:2017.07.18
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770
四方田 犬彦
(よもた・いぬひこ)
1953年、西宮生まれ。東京大学で宗教学を、同大学院で比較文化を学ぶ。映画と文学を中心に、文化現象一般をめぐる批評と研究を続け、明治学院大学教授として映画…史の教鞭をとる。著書は『映画史への招待』(岩波書店)『先生とわたし』(新潮社)『見ることの塩』(作品社)『書物の灰燼に抗して』(工作舎)など百冊を越える。訳書に『パゾリーニ詩集』(みすず書房)などがあり、『ゴダール・映像・歴史』(産業図書)『シリーズ日本映画』全8巻(岩波書店)を編集した。
ゴダールと女たち (講談社現代新書)
by 四方田犬彦
ゴダールは一九三〇年、富裕な銀行家の孫としてパリに生まれた。パリ大学で人類学を学び、徴兵制度から逃れるためスイス国籍を取得した。映画雑誌に短文の評を執筆したり、配給会社の宣伝部員として働きながら、一九五五年、二四歳のときに短編『コンクリート作戦』で監督としてデビュー。だが彼の名声を決定的にしたのは、新人男優ジャン゠ポール・ベルモンドを主役に据えた『勝手にしやがれ』(一九六〇) である。このフィルムは文字通り従来の映画の文法を一新させるだけの強烈な衝撃力を持っており、ゴダールの名はこのフィルムの監修者のクロード・シャブロール、脚本のフランソワ・トリュフォーらとともに、フランス映画の新しい波、つまりヌーヴェルヴァーグの旗手として世界中に鳴り響いた。一九六〇年代を通じてゴダールは映画の最前線を生き抜き、『女と男のいる舗道』や『気狂いピエロ』といったフィルムを通して世界中の映画ファンを文字通り圧倒した。まだ世界がフランス映画の一挙一動に関心を抱いていた、よき時代の出来事である。
一九七九年九月一二日、ソウルの建国大学校に滞在していたわたしは、毎日アパートに配達されてくる英字新聞の紙上で、ジーン・セバーグの突然の死を知った。彼女は八日の朝、パリの自宅付近に停車中の自動車の後部座席で、毛布に包まれた死体として発見されたのだった。新聞には死因については記載がなく、ただ享年が四〇であったことだけが記されていた。わたしには何が何だかわからなかった。ただちに頭に浮かんだのは、彼女が縞模様のTシャツを着て、シャンゼリゼの街角で「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」と声を立てながら新聞を立ち売りしている姿だった。ゴダールの『勝手にしやがれ』のなかでもっとも印象的な場面のひとつだ。
やがて東京に戻ったわたしは、ジーン・セバーグの死因についていくつかの証言資料に当たり、彼女を描いたドキュメンタリー映画につきあってみた。精神錯乱による自殺だという説を聞いたこともあったし、FBIによる陰謀だという説を説く者もいた。薬物摂取が原因だと説く説さえあった。真相はいまだにわからない。銀幕の裏側では 阮玲 玉 からジュディ・ガーランドまで、数多くの名花が非業の死を遂げている。それもマリリン・モンローのように、死因さえ不明の場合が少なくない。ジーン・セバーグもまた例外ではない。彼女は政治と人種問題に深く関わり、堕ちた偶像のなかでもとりわけ悲惨な死に方をしたのだった。そして彼女の死の翌年、元の夫だったロマン・ギャリーまでが自殺してしまった。
冷たい透明感に満ちた眼差しと、過剰な苦痛に崩れる表情。自信に満ちてきびきびとした仕草と、寄る辺なさに立ち尽くす身振り。『聖女ジャンヌ』におけるセバーグを特徴づけているのは、こうした相反する身体の映像の対照である。演技の稚拙さについてはここでは言及すまい。ただセバーグの小柄な身体がもつ、一見自動人形のようなぎこちなさが、不思議な雰囲気を醸しだしていることは、やはり興味深いことだと思う。もっとも監督のプレミンジャーは女優としてのセバーグには不満を隠そうとしなかった。彼はいくたびとなく、主役をオードリー・ヘップバーンに替えるぞと怒鳴り散らした。
セシルは自分をどこまでも子供扱いしてやまないアンヌに反撥し、寝室にある人形に呪いのピンを突き立てたり、わざとサングラスをかけてお行儀悪く振舞う。あげくの果てには軽い関係の男友だちの寝室に押しかけてゆく。どうやらここで処女の喪失がなされたらしいとわかるのは、その直後、後ろめたい気持ちで別荘に戻ったセシルが微かに足を引き摺り、歩きづらそうにしているからである。彼女は慣れない手つきで煙草を吸おうとするが、手が震えて火をつけることができない。煙草が逆さまよと、アンヌが教え諭す。ちなみにこうした隠された性的なるものの暗示はプレミンジャーがときに好んだものであったが、彼からセバーグを譲り受けたゴダールにはどうしても到達できないところであった。
その癖、二言目には「フランス人って五分を一秒というのね」「フランス人って全然違っていても同じっていうのね」と、外国人特有の偏見を口にし、これまで寝た相手を尋ねられて両手で七本の指を立てたり、バイト先の上司と平然とディープキスをしたり、いかにも当時のフランス人が想像していた開放的なアメリカ娘のステレオタイプを演じてみたりもする。これがゴダールによる意図的な演出であることは間違いない。一九六〇年のフランス女性は性的解放においても社会的進出においても、アメリカよりはるかに遅れているという認識は、当時のフランスで一般的に共有されていた社会的神話であった。ゴダールはパトリシアが著名作家にインタヴューする際にこの話題に触れ、同時期のロラン・バルトに近い神話批判をそこで試みている。
だがセバーグのように白人女優が黒人解放運動に共感を示すことは、白人中心主義社会であるアメリカの禁忌の枠組みの外側にあった。それはゴシップの種以上のものとしてメディアには受け入れられることはなかった。一九七〇年であったが彼女が妊娠したとき、生まれてくる子供が黒いか白いかという口さがないゴシップがメディアを賑わしたことがあった。これは当時FBI長官であったフーヴァーが意図的に行なった情報操作であったことが、関係文書の多くがすでに公開されている現在では明らかにされている。結局セバーグは薬物中毒になったうえ自殺を図り、一八〇〇グラムの女の子を帝王切開で早産、ニナと名付けられた彼女は二日後に死亡してしまった。彼女が自分の死んだ娘の遺骸を抱きしめているところは、メディアによって写真に撮られた。当時、すでにセバーグと離婚をしていたものの、ギャリーはただちに記者会見を行い、ニナが自分の子供であることを言明するとともに、彼女が「憎しみによって殺害された」とメディアを非難した。この元夫の 俠気 にはなかなか立派なところがある。というのも私見によれば、ニナの父親はイーストウッドであったはずで、ギャリーもそれを重々承知だったからである。
一九五八年夏、アンナはヒッチハイクを重ねてパリに到着し、デンマーク人の聖職者の斡旋でともあれ小さな部屋を見つけた。中学でわずかに英語は学んだものの、フランス語はからっきし話せない。文字通り食うや食わずの状態で映画館に入り、理解できるまで繰り返し同じフィルムを観る。そうして彼女は会話を勉強したのだという(ちなみにわたしの知人であるデンマークの映画批評家は、久しぶりにアンナがコペンハーゲンに戻ったときインタヴューをしたが、長い間母国語を用いていなかったので、その言葉はほとんど聞き取れなかったとわたしに語った。結局インタヴューはフランス語で行なわれた)。
ヴェロニカは最初に登場するとき、ジュネーヴの街角で白いコート姿で市電を待ち、仔犬の玩具で遊んでいる。それを見つけたブリュノは心のなかで「彼女はジャン・ジロドゥの芝居から抜け出してきたかのようだ」と感動してしまう。唇を 窄め、娼婦のように煙草を吹かしてみせるヴェロニカのクロースアップ。「その眼はべラスケスの灰色だったのか、それともルノワールの灰色だったのか?」。自室に戻ったヴェロニカは、チェックのロングスカートにセーター姿で眉を濃く引き、ばっちり付け 睫毛 をしながら、大きな鏡の前で長い黒髪を梳いている。部屋に招き入れてもらったブリュノは、手持ちのカメラで彼女を撮影し続ける。するとヴェロニカは、自分がコペンハーゲン生まれのロシア人だと、少し舌足らずの、片言のフランス語で答える。「ヴェロニカの魅力は彼女自身だった。肩の曲線と不安げな眼差し、それに謎の微笑」。ヴェロニカはハイドンの音楽を背景に、歓喜に満ちて部屋中を飛び回り、両手を拡げて踊り出すと、最後にソファにでんぐり返る。ブリュノは手帖に△□○の記号を書き、それに髭を加えてAIMER(愛する) という言葉に直すと、彼女に見せる。「彼女はぼくを見た。ぼくの考えでは、女は二五歳をけっして越えるべきではないのだ。年をとるにつれて男は美しくなっていくが、女は違う。女が年を重ねるというのは、あってはいけないことなのだ」と、後になってブリュノは独白する。
一八世紀の中ごろ、意に沿わぬ形で修道女にさせられたシュザンヌは、厳しい肉体的苦行と修道院の権威的な体制に我慢ができず、反抗を試みる。だがその結果、彼女は悪魔 憑 きであると判断され、危うくレスビアンの餌食にされそうになる。ある神父と懇意になったシュザンヌはともに修道院から逃亡することに成功するが、その直後に彼から犯されそうになり、娼館に逃れたり、乞食の身に転落したあげくに自殺する。ディドロの筆になるこの多分にポルノグラフィー的魅力をもった反カトリック的小説を、リヴェットは一九六三年に舞台にかけ、主役をアンナに振った。まだいくぶんフランス語にアクセントが残っていたものの、彼女の演技は高く評価され、いくつかの賞を受賞した。当時、パリに留学中でボードレールとシオランを読み耽っていたフランス文学者の出口裕弘氏は、極寒のさなかにこの芝居を観る機会があり、深い感動に包まれたと、かつてわたしに話してくれたことがあった。
このインタヴューの二日後、わたしは彼女のリサイタルに出かけた。アンナ・カリーナは黒一色のシンプルな衣装で次々とシャンソンを披露し、最後に『気狂いピエロ』に登場する名ナンバー「私の運命線」を歌った。彼女は昔のような舌足らずの歌い方をやめ、堂々と間を取りながら大年増のコケットリーを振り撒いていた。わたしは心のなかで、人知れず懐かしさに浸っていた。ところがリサイタルが終り、カーテンコールとなった瞬間、突然に大勢の少女たちが舞台の下に駆けつけ、いっせいに「アンナ! アンナ!」と連呼を開始したのだった。これはわたしにも、そしてアンナ・カリーナ本人にも予想のつかない事態だった。我も我もとサインをねだるファンたちを前に彼女は最初驚いた表情を見せたが、やがて座り込んで一人ひとりに対応しだした。騒ぎが収まったのはリサイタルが終了してなんと三〇分後のことだった。
『中国女』はゴダールのあまたの作品のなかでもとりわけ物議を醸したフィルムである。ある夏休み、四人の大学生と一人のメイドが、ヴァカンスで不在のさるブルジョワのアパルトマンを借り受け、毛沢東思想学習のため合宿を行なう。彼らは朝起きるとヴェランダで毛沢東体操をし、小さな赤い書物である毛沢東語録を交互に朗読しながら、革命について討議を重ねる。ヴェロニク(アンヌ) は青い人民服にキャスケットを被り、右手に語録を掲げて革命闘争を誓う。ギョーム(ジャン゠ピエール・レオ) は次々と色眼鏡を取り替えたり、顔に巻きつけた包帯をまた外したりして、寓話的なパフォーマンスを見せる。キリーロフはテロリズムを礼賛して自殺し、アンリは修正主義者だと非難されてアパルトマンを去る。彼らはプロレタリアートの解放を合言葉にしているが、誰一人としてメイドのイヴォンヌ(ジュリエット・ベルト) が討論の最中にもせっせと靴磨きをしていたり、田舎から上京して一時、売春をしていたといった過去に気を払わない。やがて夏休みが終り、一行は毛沢東思想など忘れてしまったかのように合宿を終える。
西ドイツの二つのブルジョワ家族が親しい関係にある。双方の父親は財閥の頭目であり、息子ユリアンと娘イーダが婚約をしたことにご満悦で、それをもって将来のさらなる発展の徴候だと考えている。もっともイーダ(アンヌ・ヴィアゼムスキー) は新左翼の反政府デモを話題にしてユリアンを挑発するが、ユリアン(ジャン゠ピエール・レオ) は現世に冷笑的で、イーダに対しても一向に異性としての関心を示さない。イーダがユリアンに別れを告げに来るときのアンヌは帽子を被り、青いワンピースにチェックのスカーフを身につけている。これはおそらく彼女のすべての出演作のなかでもっとも凛々しく可愛らしい感じのショットだろう。やがて敵対しあう大財閥どうしが企業合併し、ナチスと協力した過去の 隠蔽 を目論むとき、突然にユリアンの死が報告される。彼は生まれつき豚にしか性欲を感じない青年であった。そして豚小屋に潜り込んでいたところで、腹を空かせた豚たちに食べられてしまったのである。『豚小屋』は、中世から現在にいたるまでヨーロッパにおいてユダヤ人が「豚」の蔑称のもとに差別されてきた事情を知らないかぎり、単なるグロテスクな見世物劇としてしか理解されないかもしれない。だがパゾリーニはここに、現下のヨーロッパを覆いつつあるポスト・ファシズム状況への警戒の意味を込めており、それは遺作『サロ』(邦題は『ソドムの市』) へと主題的に連結することになる。『豚小屋』においてレオとアンヌは『中国女』以来の再会を果たし、二人が対話する出演場面はフランス語でなされた後、イタリア語によって吹替えられた。
『愛の讃歌』(一九九六) は、彼女にとって五作目にあたる小説である。両親の思い出を契機に執筆されたこの作品は、作者と思しき語り手が母親の死後にその遺品のなかから、二八年前に父親が残した遺言を発見するところから語り起こされている。そこにはジュネーヴに住むある女性に向けて、自分の腕時計やカフスボタン、旅行用のショルダーバッグ、髪の毛の一束とともに、エディット・ピアフのレコード「愛の讃歌」を送るようにという指示が記されてある。父親が死の直前、母親と離婚をする予定でいたことが、ここで思い出されてくる。この女性こそ父親の愛人であり、母親は遺言を履行しなかったと判断した語り手は、ある決意のもとにその女性に手紙を出す。折り返し返事が来て、語り手はジュネーヴを訪れることにする。もっとも指定された父親の遺品は今では散逸してしまっており、携えることができるのはピアフの傷んだレコードだけである。ところがあに図らんや、問題の女性は「愛の讃歌」という曲にまったく無関心であった……こうして一家のレコード棚に置かれた一枚のシャンソンのレコードが回転軸となって、語り手の家族の物語が甘美に、そしてときに苦く悲痛に解き明かされることになる。慈愛に満ちた祖父。その前で神の存在を否定し、彼を悲しませる孫娘。愛人の交通事故死に衝撃を受ける母親。だがあらゆる喜怒哀楽を超えて、「愛の讃歌」は高らかに鳴り渡る。それはいつしか人生そのものの隠喩と化してしまったのだ。
だがミエヴィルはいかなる応答も見せず、フェミニストからのイデオロギー的な誘惑をどこまでも拒絶した。フェミ系の批評家たちは空手形を渡されて引き下がるしかなかった。ミエヴィルには、そのような流行に惑わされることなく、自分が自分の根拠地にあって探求しているという自信があったからである。続きを読む投稿日:2024.05.24
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