オール・ノット
柚木麻子(著)
/講談社
作品情報
今度の柚木麻子は何か違う。
著者の描く3歩先の未来にあるのは、ちょっとの希望とささやかな絆。
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友達もいない、恋人もいない、将来の希望なんてもっとない。
貧困にあえぐ苦学生の真央が出会ったのは、かつて栄華を誇った山戸家の生き残り・四葉。
「ちゃんとした人にはたった一回の失敗も許されないなんて、そんなのおかしい」
彼女に託された一つの宝石箱が、真央の人生を変えていく。
「大丈夫だよ。オール・ノットの真珠にすれば。あんたみたいながさつな子も。これは絶対に切れない、そういうつなぎ方をしているんだよ」
「え、オール・ノットって、全部ダメだって意味じゃなかったっけ?」
「全部ダメって意味もあるけど、全部ダメってわけでもない、っていう意味もあるんだよ。そうだよ。全部ダメってわけじゃないんだよ。なにごとも」
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この作品のレビュー
平均 3.0 (109件のレビュー)
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あなたには、ある人との出会いがその先の人生を変えた…という経験はないでしょうか?
私たち人間は人と人との関わり合いの中で生きています。もちろん、人付き合いが苦手で…と極力人と関わらない生活を心がけ…ている方もいらっしゃるでしょう。しかし、私たちがこの世を生きていく中には、他の人と全く無縁に生活を送ることはできません。
一方で、私たちが他の人について知っていることは限られてもいます。同じ職場で働いていても業務上関わり合いがなければ会話自体存在しないこともあるでしょうし、普段会話をする関係にあっても、相手の人生をどこまで知っているかと言えばそれは限られたものだと思います。そんな中では、いつも見かける人にまさかの背景事情が隠されていたと気づく瞬間の到来…そんなこともあるかもしれません。
さてここに、『アルバイト先の』『スーパーマーケット』で、『試食販売のマネキン』として働く一人の女性と知り合った先に『変化は小さなものだがじわじわと始まっていた』と人生の変化を見る一人の女子大生が主人公となる物語があります。将来の負債となる『奨学金』に漠然とした不安を抱え『節約生活』を送る主人公を見るこの作品。そんな日々に変化をもたらした女性に隠されたまさかの背景事情に驚くこの作品。そしてそれは、「オール・ノット」という書名に込められた『全部ダメってわけでもない』という言葉に主人公の未来を見る物語です。
『よろしければ、どうぞ』と『唐突に目の前に差し出されたあたたかな飲み物に』とまどうのは主人公の宮元真央(みやもと まお)。『七月の終わりで、外気温は三十度』という中の『熱いもの』に抵抗を抱くも『身体の内側がうるおいで満ちていく』中、『これって、アイスティーのモトですよね』と話しかける真央は、『何度もこの店のこの通路で、顔を合わせているひと』、『たぶん五十代くらい』と目の前の女性のことを思います。そんな女性に声をかけられ『紙パック入りのアイスティー原液一リットルを躊躇なくカゴに入れて』いく客を見る真央。『大学の授業料は、毎月、日本学生支援機構から振り込まれる十万円の奨学金でまかな』いつつ、『スーパーマーケット』と『ビジネスホテルの清掃業務で生活費を捻出』する真央は、大学卒業後に残る『奨学金四百八十万円の返済』のことを思います。そんな真央は『パート主婦の杉下』から『あのおばさんの苗字は山戸(やまと)』だということを教えてもらいます。『あの人が試食販売するとものすごくよく売れる』、『どのメーカーの営業』も『指名してくる』とおばさんのことを知っていく真央。
場面は変わり、『あの、よかったら、これどうぞ』、『私が焼いたの。お口に合えばいいんだけど』とおばさんに渡された紙袋の中にはスコーンが入っていました。そんなことをきっかけに『仕事が終わる時間が近い日は』『おばさんを待ち伏せして、一緒に帰るようになった』真央は、『おばさんの名前は四葉(よつば)さん』だと知ります。そして、『この人、とてもお金持ちなんだ。正確には「元」お金持ち』ということも知っていきます。
再度場面は変わり、『この中に、真央さんが欲しいもの、あるかしら』と、四葉に話しかけられた真央。『有名製菓メーカー』の『懸賞の賞品一覧』を見せる四葉は『ハガキにマークを貼る作業さえ付き合ってくれたら、全部、あなたの欲しいものに使ってもいい』と説明します。応募ハガキを書く中で、『四葉さんの実年齢は、四十一歳だ』と知った真央。そして、『神様、どうか真央さんにパソコンが当たりますように』と『指を組み合わせて目を閉じ』る四葉とポストに投函を終えた真央。
そして、『お盆が明けるのと同時に、お菓子メーカーからの当選通知が四葉さんのもとに』届き、『最新式Macの登場で、真央の生活は一変し』ます。『漫画喫茶やメディアセンターに通わずとも勉強できる』日々の中に『夏休みが終わ』り、『大学二年生対象でインターン募集』を始めたホテルへと面接に赴く真央。
再び場面は変わり、四葉に招かれ、アパートに泊まった翌日、『これが私の全財産』と『両手に載るくらいの、小箱』を差し出す四葉は、中身を説明する中に『これはね、オール・ノットっていうの』と『真珠の短いネックレスを指に絡め』ます。そして、四葉は言います。『この宝石箱をあなたにあげる。全部売れば、奨学金を全部今のうちに返して、将来を設計する分くらいにはなると思う…』。そんな突然の申し出を固辞する真央に『これはあなたの失敗のために使って。失敗は誰だって、していいものなの…』と告げる四葉。そんな『宝石箱』を受け取った先の真央の人生が描かれていきます。
“友達もいない、恋人もいない、将来の希望なんてもっとない。貧困にあえぐ苦学生の真央が出会ったのは、かつて栄華を誇った山戸家の生き残り・四葉。「ちゃんとした人にはたった一回の失敗も許されないなんて、そんなのおかしい」彼女に託された一つの宝石箱が、真央の人生を変えていく”と内容紹介にうたわれるこの作品。カタカナで記された書名の「オール・ノット」が『all not』という英熟語を思い起こさせます。では、そんな「オール・ノット」という書名の意味合いを含めこの作品の読みどころを三つの方向から見ていきたいと思います。
まず一つ目は、この作品の舞台の一時期が『コロナ禍』にかかることです。この作品が刊行されたのは2023年4月19日であり、同時期には連休明けの感染症法上の扱いの変更も決まっていました。しかし、作者の柚木麻子さんが執筆されていらした時期はまだまだ『コロナ禍』であり、作品にそんな世の中が描かれているのは自然なことです。そして、『コロナ禍』を背景にした作品をすでに10冊以上読んできた私ですが、この作品で取り上げられる背景事情は初めてのものです。この作品の主人公となる宮元真央は、”貧困にあえぐ苦学生”としての日常を生きています。『我が家にそんな余裕はない』、『仕送りは絶対不可、と釘を刺され』一人上京した真央。
『生活費を切り詰めても四万八千円の家賃と合わせたら、毎月の支出が十万円に届きそうな時がある』
そんな日々の中に『奨学金四百八十万円の返済』が将来にのしかかっていく真央。そんな中に突如訪れた『コロナ禍』。
『アルバイトは自宅待機を余儀なくされ』、『苦渋の選択で奨学金に手をつけて、数ヵ月をしのいだ』
そんな状況は、
『卒業の年になっても、コロナは収束する気配をまったく見せなかった』、『卒業式もオンラインだった』
一生に一度しかない大学時代、それをまさかの『コロナ禍』で奪われ、かつ、それでなくとも生活苦に喘いでいた日々がさらに厳しいものなっていくという真央の人生。『コロナ禍』が”貧困にあえぐ苦学生”にどれだけ辛いものであったかを物語は描いていきます。この側面から『コロナ禍』を描いた作品は私にとって初めてであり、そんな『コロナ禍』を経てその後の人生を生きていく真央のことがとても気になります。
二つ目は、上記でも触れた”その後の人生”という点です。実はこの作品の構成は非常に凝っています。というより大胆極まりない展開を見せるのです。それは、描かれる時代の幅の広さと、まさかの近未来が描かれていくという点です。物語を通しての主人公は宮元真央が務めます。
『去年と変わらない、アルバイトだけの夏だった。大きな出来事はなかった。恋もしなかった。でも、それは真央の生涯で忘れられない夏となった』。
そんな日々の中に大きな起点を作ってくれたのが、山戸四葉の存在です。『アルバイト先の』『スーパーマーケット』で『試食販売のマネキン』として働く四葉。物語は真央が大学二年、二十歳の時がスタート地点になります。何かと謎めいた存在である四葉の人となりは、ある人物を通して、
『九〇年代初期の横浜で、山戸四葉にぴたりと寄り添うことは、この世界すべてを味方につけるに等しかった』。
そんな過去が物語の中で語られていきます。えっ!と驚くまさかの過去が描かれていく物語は時代を感じさせる独特な雰囲気感に包まれています。このレビューではこれ以上触れることは控えますが、これから読まれる方には是非お楽しみにしていただければと思います。一方で私がここで触れるのは、この正反対に位置する時間のことです。この作品では、なんと近未来が描かれていくのです。と言ってもこの作品はSFではありません。”タイムマシン”も”ドラえもん”も登場しません。そこには、あまりに自然に未来世界を舞台にした物語が語られていくのです。それこそが、『三十四歳の真央は…』と語られる〈第三章〉、『今年で四十歳になった…』と語られる〈第五章〉に描かれる物語です。とは言え西暦何年のことかは物語中はっきりとは登場しませんので、記されている内容から時代を特定してみましょう。〈第一章〉で『もう二十歳だから、いいわよね』という記載と、『大学二年生対象でインターン募集』という記載がある一方で、早々に『大学の授業はすぐにオンラインに切り替わった』という記載があることから真央が『大学二年生』、20歳になる年度が2019年度であることがわかります。ここから算出すると、
・〈第一章〉: 真央20歳 → 2019年
・〈第三章〉: 真央34歳 → 2033年
・〈第五章〉: 真央40歳 → 2039年
という数字が導き出されます。これは凄いです!作品の後半はまさかの未来世界が描かれていることになるからです。では、そんな未来世界を柚木さんがどんな風に描かれているのか、少しだけ見てみましょう。これが2039年の日本の姿です!
『ここ数年で四十度越えが当たり前になった』
これはリアルです。もう今年の夏さえもあり得そうで怖い予測です。次は、気候だけでなく身近な生活を見てみましょう。
・『正規の授業料を払えるような家庭は子に早い段階で留学させているのが普通で、そもそも多くの富裕層家庭はすでに海外に逃れていた』。
・『多くの日本の十代は高校卒業後、非正規のまま一生働き続ける』。
あまりに衝撃的な未来観に言葉を失いそうです。流石にこんなことはないと信じたいですが、日々のニュースを見ていると100%来ない!と言い切れる自信がないところに今の落ちぶれた日本の現実を憂いもします。では、少し明るく、身近な話題も見てみましょう。
『壁のスキャナーに真央は手のひらをかざした。これでマイナンバーとクレジットカードにひも付けられた情報はすべて読み取られる…慣れると財布や健康保険証がいちいち必要だった時代を思い出せない』。
これは凄いです。『マイナンバー』と『健康保険証』の一体化が話題に上がる昨今ですが、そんな次元ではありません。15年後にこのような時代が来ているのでしょうか?楽しみでもあり、ちょっと怖い気もします。これから読まれる方には、是非、この柚木さんの描く未来世界も楽しみにしていただければと思います。
そして、三つ目は書名の「オール・ノット」です。上記した通り、私はこの言葉に『all not』という英熟語を思い浮かべました。
『全部ダメって意味もあるけど、全部ダメってわけでもない、っていう意味もある』
そんな英熟語ですが、一方でこの作品の表紙をよく見ると連なるように真珠が描かれています。私は宝石に関する知識は一切持ち合わせていませんが、宝石がお好きな方はピンと来られたかもしれません。
『一粒真珠を通すたびに、しっかり固く結んで、たとえ切れたとしても真珠がバラバラにならない』、『真珠を絶対に離れないようにつなぐ、そういうネックレスの技法』
このことを「オール・ノット」と呼ぶのだそうです。物語では、『ネックレス』が登場しますが、その一方で上記した英熟語の意味合いもこの言葉にかけられてもいきます。なるほど、と納得するこの書名に繋がる物語。つくづく上手く作られた作品だと思いました。
そんなこの作品は上記してきたように、”貧困にあえぐ苦学生”である主人公の真央が、アルバイト先のスーパーマーケットで『試食販売のマネキン』として働いている四葉と出会ったことから動き出します。
『去年と変わらない、アルバイトだけの夏だった。大きな出来事はなかった。恋もしなかった』。
そんな日常を一見淡々と過ごす真央ですが、卒業後に重くのしかかってくる『奨学金四百八十万円の返済』を踏まえ、『絶対に内定を得ないといけない』という思いの中にギリギリの生活を送っています。そんな中で出会った四葉は、不思議な魅力を真央に魅せていきます。
『四葉さんと一緒だと、周りがとても優しくなる』。
そして、
『彼女の不思議な力を紐解いていくと、そこには必ず、明確な理由があった』。
そんな四葉との関係を作っていく中に
『この宝石箱をあなたにあげる。全部売れば、奨学金を全部今のうちに返して、将来を設計する分くらいにはなると思う…』
そんな風に譲り受けた『宝石箱』。物語は、そんな『宝石箱』の由来となる過去の物語、そして、上記もした真央の34歳、40歳という時代を描きながら展開していきます。複数の時代を生きた数多の登場人物、数多の時代背景を鮮やかに一つに結びつけていく柚木さんの筆致は読む手を止めさせてはくれません。そんな物語は、上記した『貧困』、『奨学金返済』、『コロナ禍』といったリアルな問題だけにとどまらず、昨今強く光が当てられるようになった『性加害』の問題にまで及んでいきます。さまざまな社会問題が、これでもかと、もうてんこ盛りに盛り込まれていく先に見る物語の結末。そこには、そんな世の中にそれでも力強く生きていく真央の姿、清々しい読後感を見せる物語の姿がありました。
『そうだよ。全部ダメってわけじゃないんだよ。なにごとも』。
そんな意味を持つ「オール・ノット」という言葉と、真珠の『ネックレスの技法』を掛け合わせた書名を冠するこの作品。そこには、主人公・真央の二十年にも及ぶ人生の苦悩と歓喜の物語が描かれていました。まさかの近未来の描写に興味が尽きないこの作品。そんな物語に顔を出す数多の社会問題に鋭く光を当てるこの作品。
数多の社会問題と幅の広い時代背景を描いていくにも関わらず、軸が全くぶれない見事な構成力を見せる物語の中に柚木さんの凄さを見る素晴らしい作品でした。続きを読む投稿日:2024.03.25
大学の同期にもいたであろう社会人になってから奨学金を自分で返済する学生たち。若い頃はあまり気に掛けたことがなかったけれど、奨学金を「借金」として背負っていくとゆう現実の重圧は、自分が歳を重ねて世の理不…尽をたくさん見てきた今となってようやく解ったように思う。
コロナの給付金を不正に受給したり、困っていないのに公的な貸付を受けて返済せずに逃げ果せる人々がいる後ろには、本当に必要で借り入れて、大人になって苦労しながらも真摯に返済している人がたくさんいる。正直者が損をする世の中。なんだか遣る瀬ない。
横浜出身の友人が、親は山手のお嬢様だったと話していたのを思い出した。少し誇らしげだったような…。
山戸家や実亜子のような富裕層と、真央や佐々木さんのように貧困層に限りなく近い苦学生の対比、世間の価値観の移り変わりなども興味深く懐かしく思いながら。自分がこれまでに出会った、ずいぶん疎遠になってしまった人々を思い返した。あの人いま頃どうしてるかなぁ…続きを読む投稿日:2024.04.28
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