失われてゆく、我々の内なる細菌
マーティン・J・ブレイザー(著)
,山本太郎(訳)
/みすず書房
作品情報
19世紀に始まる細菌学によって、人類は微生物が病原になりうることを知った。そしてカビに殺菌力が見出される。抗生物質の発見である。以来この薬は無数の命を救う一方、「念のため」「一応」と過剰使用されてきた。これは、抗生物質は仮に治療に役立たなくても「害」は及ぼさない、という前提に基づいている。しかし、それが間違いだとしたらどうなのか――。人体にはヒト細胞の3倍以上に相当する100兆個もの細菌が常在している。つまり我々を構成する細胞の70-90%がヒトに由来しない。こうした細菌は地球上の微生物の無作為集合体ではなく、ヒトと共進化してきた独自の群れであり、我々の生存に不可欠だ。構成は3歳くらいまでにほぼ決まり、指紋のように個々人で異なる。その最も重要な役割は先天性、後天性に次ぐ第三の免疫である。しかしこの〈我々の内なる細菌〉は抗生剤の導入以来、攪乱され続けてきた。帝王切開も、母親から細菌を受け継ぐ機会を奪う。その結果生じる健康問題や、薬剤耐性がもたらす「害」の深刻さに、我々は今ようやく気づきつつある。マイクロバイオーム研究の第一人者である著者は、この問題に対して実証的に警鐘を鳴らすとともに、興奮に満ちた実験生活、忘れがたい症例や自身の腸チフス感染などを通じて、興味深いが複雑なマイクロバイオームへの理解を一気に深めてくれる。その案内人とも言えるのがピロリ菌だ。19世紀にはほぼ全ての人の胃にありながら、21世紀の今は消えつつある。そのピロリ菌の本態に迫ることは、マイクロバイオーム全貌解明への指標となりうるかもしれない。
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商品情報
- シリーズ
- 失われてゆく、我々の内なる細菌
- 著者
- マーティン・J・ブレイザー, 山本太郎
- ジャンル
- サイエンス・テクノロジー - 生物・バイオテクノロジー
- 出版社
- みすず書房
- 書籍発売日
- 2015.07.01
- Reader Store発売日
- 2018.03.30
- ファイルサイズ
- 0.5MB
- ページ数
- 304ページ
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この作品のレビュー
平均 4.4 (23件のレビュー)
-
あなたは1人で生きているのではない、といわれたら何を思うだろうか。
人は誰しも支え合って生きている、とか、友達や家族は大切だ、とか、それはそれで言えることだろうが、本書の主題は、もう少し、いやかなり小…さい生き物のことだ。小さいけれどもその数は膨大だ。その名は細菌。真菌やウイルスとともに、人の体を住処とする。
我々の体は30兆個の細胞からなる。一方で、人体には、100兆個もの細菌や真菌が住むという。長い進化の過程で、ヒトとの暮らしを確立してきたものだ。皮膚、食道、胃、腸、口腔、膣。多種多様な菌を抱える私たちは、1人でいても「孤独」ではない。さながら大きな森のように、多くの生き物を抱え、彼らに恵みを与え、また彼らから利を得ている。こうした菌たちは「常在菌」と呼ばれる。
本書の著者、マーティン・J・ブレイザーは細菌研究の権威である。
常在菌とヒトの共生や、感染症との闘い、そして感染症に打ち勝つかに見えたヒトが現在、直面している大きな問題について説く。
専門家の落ち着いた筆致であるが、その内容はスリリングで興味深く、驚きに満ちて飽きさせない。時に恐怖を呼びつつ、全体として生命の不思議と希望に溢れた1冊である。
生態系はバランスである。誰か1人だけ、突出した勝者がいるわけではない。時に攻め、時に攻められ、食うもの・食われるものが押しつ押されつ、それぞれの場所を流動的に保つ。
ヒトと細菌もそうして生きてきた。中にはヒトとの暮らしを選び、ヒトに利益を与えるか、少なくとも害を及ぼさないことで、ヒトの常在菌となったものもいる。
歴史の流れの中で、人類は移動し、繁栄にしたがって、数を増やしていった。その途上で、未知の細菌やウイルスとの遭遇が起こり、あるいは過密状態の都市部で、爆発的な感染が起こることもあった。
ヒトと細菌の関係の中で、1つの大きな事件がある。
1940年代のペニシリンの発見である。「奇跡の薬」、抗生物質の最初の使用であった。
抗生物質は、それまで、多くの人の命を奪ってきた感染症に、人類が打ち勝つ大きな武器と思われた。
それはある意味、正しく、ある意味では間違っていた。この効き過ぎる武器には、落とし穴があった。
ピロリ菌という菌をご存じだろうか。胃に住み、潰瘍や癌の原因になると言われるヘリコバクター属の細菌である。長年、胃は酸性が強すぎて、細菌が住むことはできないと言われていた。1980年代、ピロリ菌が胃から単離され、培養法も確立され、潰瘍の原因になっているとされたのは大きな出来事で、関与した研究者はノーベル賞を受賞した。ピロリ菌は後に、胃癌との関係も取りざたされるようになり、大きな驚きを持って迎えられた。
とにもかくにも、ピロリ菌=悪玉と目され、「よいピロリ菌は死んだピロリ菌だけ」とまで言われるようになった。病気の元となったピロリ菌は抗生剤などで叩かれ、保菌者は減っていった。
だが、近年になって、実はピロリ菌保菌者の方が発症しにくい病気があるのではないかと見られるようになってきた。胃酸の過剰な産生による胃酸逆流(胸焼け)などである。
その意味するところは何か。
抗生物質は強力な薬である。まるで火炎放射器のように、作用範囲にある菌を根こそぎやっつける。いわば焼け野原となった患部で、ときどき、この薬が効かずに生き残るやつが幅をきかせる。これが「耐性菌」である。耐性菌に効く抗生剤を探し、さらにその抗生剤にも負けない別の耐性菌が現れ、幾度となくいたちごっこが繰り返されてきた。
これは大きな問題である。しかし、抗生物質の過剰な使用は、別の問題も生んでいるのではないか、というのが本書の著者の主眼である。
焼け野原にいずれ雑草が生え始めるように、やがて患部や体内には菌が戻ってくる。だが、その菌は前と同じか? おそらくまったく同じではないだろう。そしておそらくは前よりも種類が減るだろう。中には、黙って日々我々を守る働きをしていた菌もいるかもしれない。100年に1度の変事に現れて、生存を補助したものもいるかもしれない。誰にもわからない。そして失われてしまった菌はもう絶滅してしまったかもしれない。多様性は永久に失われてしまったのかもしれない。
もう1つ、「善玉」「悪玉」とは何か、という問題もある。生態系は大きなバランスの上に成り立つ。例えば、宿主の免疫系と小競り合いを繰り返していた細菌がいたとする。さほどの害はなさないが、いささか「うるさい」やつである。あるとき、抗生剤が投与され、この菌も死に絶える。それまでこの菌と戦っていた免疫系のメンバーはたたらを踏む。場合によっては、この細菌の面影とちょっと似ているところがある、自分自身の細胞を間違って攻撃してしまうものも出るかもしれない。ひょっとしたらこれが近年増している自己免疫疾患の一因なのかもしれない。
そう、現代増えつつある自己免疫疾患やアレルギー、さらには肥満すら、もしかしたら我々の内なる宇宙に住む細菌生態系が乱されたせいなのかもしれないのだ。
まだ確証と言えるほどのものはない。そしてこれが唯一の原因であるとも考えにくい。
だが、傍証は積み上がりつつある。そして十分に仮説として検証する価値のあるものと思える。
すなわち、私たちが思っていたよりも「常在菌」に影響を受けていたのではないかということを。そして「常在菌」すらすべてなぎ倒してしまうような、極端な抗生物質の使用は控えるべきではないかということを。
私たちは近視眼的な対処を続けることで、急速に均質化し、多様性を失って行っているのかもしれない。
短期間なら影響は見えないかもしれない。しかし、多様性を失った存在は、変事に「脆い」。
微生物を含めた共生系、マイクロバイオームについての研究は端緒に着いたばかりといってもよい。今後、さまざま興味深いことがわかってくるだろうが、その前に、常在菌が大部分失われるようなことは避けるべきだろう。
著者は「抗生剤を一切使うな」とか、また「母から子への常在菌の伝播を遮断する帝王切開をやめろ」とか、極端なことを言っているわけではない。ただ、「過剰な」「行き過ぎた」適用については考え直した方がよいと提唱している。
豊富な事例と多くの参考文献を上げ、読みやすい冷静な文で綴られる本書には、説得力がある。
そう、我々は、1人で生きてきたわけではないのだ。
これからも、1人で生きていくような事態は、起こらないようにした方がよいのだ、おそらく。
自身が「森」であり続けられるように。続きを読む投稿日:2015.09.10
会社の健康診断で、オプションでピロリ菌検査がありますと言われた。陽性だと除菌もしてくれるらしい。ただ何となく面倒くさかったのでことわったのだが、「ピロリ菌の除菌って、なにか反対するような説も出ていなか…ったか」というのはすこし気になっていた。そうしたら、まさか自分の本棚にそのものの本が眠っていたのを見つけた。
著者はアメリカの微生物学者で、おそらく医師であると言ってもよいのだと思う。みすず書房の装丁でいかにも難しい本のように見えるのだが、中身はどうしてこなれた語り口のあまり肩のこらない読み物である。医師というのは臨床でさまざまな患者と接するからか、わかりやすく面白い文章を書く人が多いような気がする。
本書は、まずヒトの体内で共生する微生物たち=マイクロバイオータについて解説し、その多様性が抗生物質などにより危機にさらされているらしいこと、一方で現代のあらたな「疫病」(逆流性食道炎、肥満、1型糖尿病などなど)が増えていく様子も描き、両者のつながりをさぐっていく。
抗生物質が耐性菌を産み出していることはすでに大きな問題として周知のことで本書でも触れられているが、著者は耐性菌にとどまらない抗生物質過剰使用の影響があるのではないかと主張している。ことが多種多様な微生物で構成される人体のマイクロバイオームにかかわることなので、まだ仮説の段階を出ていないのだが、さまざまな疾患の増加を説明しうる魅力的な仮説だ。とは言え、これらの疾患には衛生環境やら栄養状態やらいろいろな原因が絡み合っているはずなので、そう簡単にクリアな結論が出なさそうである点は留意しておきたい。
なお、ピロリ菌に対する著者の考えは、人生の前半は健康に利益をもたらす一方、後半は健康にとって障壁となる、というものである。念のため。
疑問2点
1.抗生物質の過剰使用はヒトのウイルスへの耐性に影響しうるか?(菌相手だと常在菌が弱ると病原菌がはびこる素地になるのだが、ウイルスと菌は生態学的ニッチを奪い合うものなのか?なんとなく違いそうな気がする)
2.抗生物質を処方されると、途中で服薬を中断せずに最後まで飲みきれと言われる。たしか耐性菌の発生を防ぐため?それってどれくらいの根拠があるのだろうか?続きを読む投稿日:2020.02.10
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