この作品のレビュー
平均 3.6 (15件のレビュー)
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何かと物議を醸しているフランスのミシェル・ウエルベックの小説。出版されたのは2001年8月。すぐその後の9月11日、米同時多発テロが発生したことで、イスラムによるテロの問題を予見した本とも言われる。
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小説としてよかったかどうか、感想を言うとすれば非常に面白かった。ただ、そうだとして、この褒貶入り混じるこの小説の何が自分の興味を惹いたのかを語っておかなければならないだろう。
まず何より、このテクストには幾通りもの解釈を許す、小説らしい懐の広さがある。そして、その広さは読者こそがこの作品を読む中で作っていくべきものとしてそこにある。著者の意見と主人公の意見は同一視するべきではないし、また当然おそらくは同一ではないのでもない。その上でも主人公の行動や考えに対して共感できないがゆえの批判があることは想像に難くない。しかし、それさえもまた著者がすでに意図し、読者の前にあえて提示したものであると見做すべきものなのだ。
そして、この小説は何と言おうと、あからさまにセックスについての小説である。人間が生きるにあたっての多くの行動は、幼少期より自然な形で獲得されるが、セックスだけは成長した後に人はその能力を獲得する。その結果として、それぞれがそれなりのやり方で対応をしなくてはならなくなった。かつて唯幻論で有名となったフロイト派精神分析の心理学者の岸田秀は、人は本能が壊れた動物だと言ったが、他のことはさておき、性に関しては人間は生物的本能が壊れているといっても差し支えはない。だからこそ、セックスは隠されていながらも、逆に言葉による饒舌を身にまとうものである。
古来、社会システムはそのような特性を持つ性をその社会統制にも利用してきた。誤解のないように付け加えるが、人格的な権力主体があって、その主体が社会統制のために意識的に性を利用してきたというのではまったくない。性という属性をうまく活用できるようなシステムを持った社会が、何よりも他の社会と比べてうまくやってきたと考えるべきである。性が本能に根差しておらず、そのために性をめぐって構築されるシステムが通時的には可塑的なものであるからこそ、時代を超えて性はある種の社会権力のコードとして役立つものとして形を変えて継がれてきたのだ。ミシェル・フーコーがその晩年『性の歴史』に取り組んだのも、彼の社会権力論のスコープからするとまったく当然の帰結である。また、フロイトが精神分析において性をあれほど特別視して理論を構築したのには、後世多くの間違いを指摘されるにせよ、大いに理由があったと言えるのである。
さて、ミシェル・ウエルベックは、そうした性が個人的なものであると同時に社会を統制するためのコードであることについて意識的である。そして、まさにそれこそが小説の形で取り上げられるべき類のものであることも十分に分かっている。最初に戻って、これこそが、自分がこの小説が非常に面白かったとした理由である。ミシェル・ウエルベックは、社会的コードとそれが含まれる時代、テクノロジー、グローバリズムとの矛盾を小説の形で指し示し、そこから目を離させることをしない。
社会における性の活用のされ方は、時代と場所によってさまざまであり、一般に性倫理とも呼ばれるものは、社会の要請によっても変転する。性の倫理は、非常に個人的なものであり自由に選択できるかのようなものであるのにも関わらず、その時代の社会体制の側に容易に回収されうる。一方で、その深いところで、性がある種の報酬であるがゆえに、そこに嫉妬の力学が入り込むことによって社会の中でマグマのような力学の支点を生み出す。イスラムの論理における心理的力学においてはもちろん、この小説でフィクションとして描かれた、セックス観光ビジネスに対するマスコミの反応は、まさしくその力学が強く働いているがゆえにある種の納得性を読者に与える。現代日本社会でも、芸能人の不倫にあれだけ騒ぐのは、冷静に考えると論理的に何が問題なのかわからないのだが、嫉妬の観点からみると合点がいく。
性においては、時代を超えて一貫した倫理というものがあるようで、実はそういったものはほとんどないといってよい。主人公らが所属する新興の観光会社の新基軸として打ち出したセックス観光についても、それに類したものが実際にタイで行われていたことは、ある意味では公然の秘密である。そういったものは、その昔は韓国でもフィリピンでも行われていたし、東西冷戦終了後の東欧でも行われていた。日本の中にも多様な性風俗が存在しているし、援助交際という別の形での売春行為も生まれている。数は多くはないのだろうが、女性が男性を買うというシステムも存在する。高橋源一郎が、かつてのベストセラー作家石坂洋次郎の大衆小説の中で、あっけらかんと娼婦の話が家族でされていることを指摘したが、かように売春というものひとつをとっても、場所と時代によって位置づけは異なっていた。もし一貫したものがあるのであれば、それは倫理ではなく嫉妬の論理の方なのだろう。
冒頭、主人公の父親が彼の愛人の兄に殺されるのだが、そのことについて主人公はたいして心を動かされるわけではない。普通の小説であれば、大きな事件として扱われるべきこの事件が、単に父親の遺産が懐に入った経緯を説明するひとつのエピソードとしてあっさりと流される。しかし、父の愛人が北アフリカ出身であり、その兄が熱心なイスラム教徒であったことが、最後のオチにつながってくる。父親が殺されたにも関わらず、色恋ごとで人を殺すようなことを理解の範疇外であるともいえるような態度をとった主人公はあらためて最後にイスラムにおける色恋ごとに関する倫理へ反したことによって手痛い報復を受けるのである。そして、彼らはフランス社会からも性の規範を逸脱したことによって批判される。
小説の最後は次の言葉で終わる。
「みんな僕を忘れるだろう。すぐに僕を忘れるだろう」
それは、正しすぎるがゆえに、あまりにも意味がない。しかしながら、記憶とその永続性とに、人生の意味がかかっているとして、「みんな僕を忘れるだろう」ことについて畏れをなく生きていくことがどうやってできるのだろうか。そして、そこにできる心の隙間に、性はするりと入り込んでくるのものなのではないだろうか。
「要するに、人間がひとりひとり違う存在だという考えはまさに不条理以外のなにものでもない。ショーペンハウアーがどこかでこんなことを書いている。「人が自分の人生で覚えていることは、過去に読んだ小説よりほんの少し多い」まさにそういうことだ。ほんの少し多いだけなのだ」
そういえば、タイトルになった「プラットフォーム」にウエルベックはどういう意味を込めたのだろうか。日本語のプラットフォームとフランス語のプラットフォームの含意が異なるような気がしている。作中に出てくる「プラットフォーム」という言葉はたった一回、次の少年のときのひとつのエピソードを思い返した主人公の独白の個所だけだ。
「かつて、十二歳のとき、山岳地に建つ高圧電線の鉄塔によじ登った。登っているときはずっと下をみなかった。てっぺんに着き、プラットフォームの上に立つと、降りるのが面倒で危険なことのように感じられた。頂に万年雪を被った山脈が視界の果てまで広がっていた。その場にとどまるか、ジャンプする方がずっと簡単だったはずだ。あと一歩というところで、墜落という考えに捕まった。捕まらなければ、飛翔の果てしない快感を得られただろうにと思う」
人生において、プラットフォームの高台に上って達観したように思えても、そんなものは錯覚で、すぐに下りてこなければならないものだということなのだろうか。そこにある幻滅を味わうのであれば、プラットフォームから飛翔して、そこで終わりにすればよかったのだろうか。主人公の恋人のヴァレリーが結果としてそうであったように。いずれにせよ、みんなすぐに僕を忘れるのだから。
あまり期待していなかったのだけれども、きちんと話の展開もあり、伏線の回収もあり、あらためて面白い小説だった。
主人公がぼそりとつぶやくように「読書のない生活は危険だ。人生だけで満足しなくてはならなくなる。それは危険を冒さざるをえぬ状況をもたらすかもしれない」ということなのかもしれない。
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『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』(高橋源一郎)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062180111続きを読む投稿日:2019.10.13
オトラジシリーズ。
初のウェルベックさん作品。
過激な描写が多い中、にじみ出るような開放感と自由な雰囲気がとても魅力的だった。
燃えるような恋、性、そして…
投稿日:2023.10.19
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