児童書
コミック版 日本の歴史
シリーズ内の平均評価:
(118)
「うつけ」と呼ばれた少年時代から、後の秀吉、家康を従え天下布武への道を登りつめるまでを、学習まんがの概念をくつがえす現代的なビジュアルで描き出しました。 総合監修には、キャリア約20年・著作300以上の実績を持つ歴史研究の第一人者、加来耕三先生を迎え、重厚な構成が実現。 乱世に現れた英雄か? 情け容赦のない魔王か? 戦国乱世を駆け抜けた稀代の人物の鮮烈な生きざまを、鮮やかに描き出します!
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三河国に生まれた本多忠勝は、幼い頃から徳川家康に仕えていた。やがて織田信長と今川義元による桶狭間の合戦が始まる。当時、今川の配下だった家康は、戦の最前線である大高城への兵糧入れを命じられる。忠勝も初陣で参加した兵糧入れは成功したものの、今川義元が織田信長に討たれてしまい……!? 名槍・蜻蛉切を携えて数々の戦場を駆け、生涯無傷を誇った闘将・本多忠勝の、忠義に生きた人生をダイナミックに描く!!
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織田信長の妹・お市と、近江国の戦国大名・浅井長政の長女として生まれた茶々。信長により家を滅ぼされ、母とともに落ち延びるが、母・市が再婚した柴田勝家も、豊臣秀吉に滅ぼされてしまう。秀吉のもとへ引き取られた茶々たち三姉妹は、秀吉を恨みながらも、戦国の世に生きることを選択していく。天下人である秀吉の妻に選ばれた茶々は、秀吉の世継ぎとなる男の子を生む。父母の血を天下に残せることを誇りにする茶々だったが……
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越後国に生まれた直江兼続は、上杉謙信の姉・仙桃院に見込まれ、謙信の養子となった景勝に仕えることになる。やがて謙信が亡くなると、景勝ともう一人の謙信の養子・上杉景虎の間で跡目争いが勃発。兼続は知略を駆使して、景勝を勝利に導く。さらに兼続は、景勝の命で上杉家筆頭家老の名門・直江家を継ぐことになり・・・!? 謙信に学んだ「義」と、「愛」をもって主君を支えた武将の物語!!
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信濃の豪族・真田家に生まれた昌幸は、武田信玄に仕え、その才能を見出される。織田信長打倒のために西上をはじめた武田軍だったが、信玄が病に倒れ、武田家は滅亡の道をたどった。昌幸は二人の息子・信幸と幸村と話し合い、真田家は信長に降ることを決める。しかし、織田信長が倒れ、徳川・上杉・北条の三大勢力が真田家に迫る。群雄割拠の世、真田家の生き残りをかけ、昌幸は知略を駆使して立ち向かう!!
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12歳でキリスト教徒となった摂津国高槻城主・高山右近は、織田信長や豊臣秀吉に仕えながら、キリスト教の教えを真摯に守り続けていた。だが、秀吉から「バテレン追放令」が出され――!? 2016年1月、ローマ教皇庁により、信徒の崇敬の対象となる「聖者」に次ぐ「福者」として認定されたキリシタン大名・高山右近。その波乱に満ちた生涯を鮮やかに描く!!
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福井藩士の由利公正は、藩主が招いた熊本藩士・横井小楠に学び、困窮する福井藩の財政立て直しに力を尽くした。やがて、公正は小楠の紹介で坂本竜馬と知り合い、意気投合する。公正の財政手腕を認める龍馬は、明治維新後の新政府の財政を任せられる人物として、政府の岩倉具視に公正を推薦。明治政府に登用された公正は、財政面から政府を支え、政府の基本方針『五箇条の誓文』の草案をつくるのだった。
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讃岐に生まれた佐伯真魚(のちの空海)は、幼い頃から優秀で、都の大学に入った。 しかし、とある僧との出会いをきっかけに、山野での修行をはじめ……。 遣唐使船で唐へ渡り密教を修め、帰国後、真言宗を開いた空海の波乱の生涯を描く!!
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足利将軍家に仕える伊勢新九郎(のちの北条早雲)は、応仁の乱の戦火をくぐり、主人とともに京を出た。 そして、主人と別れたあとは、駿河の今川家に嫁いだ妹を訪ね、そのまま客将としてとどまっていた。 だが、突然当主が亡くなったことで、今川家に家督争いが起こる。 妹と次期当主の甥のため、新九郎は争いを収めようと動き出す! のちに、伊豆を攻め、小田原に進出し、やがて相模全土を平定した、東日本で最初の戦国大名の物語!!
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百年にわたり越前を平和に治め、北の京・一乗谷をつくりあげた名門大名・朝倉家。 その最後の当主・朝倉義景は一般に、代々の平安に胡坐をかき、織田信長に攻め滅ぼされた無能の大名と思われています。 しかし、実際の義景は、文武両道に優れ、先祖より受け継いだ一乗谷をさらに発展させた、優秀な大名でした。 そんな義景がなぜ滅ぼされたのか。 一向一揆と織田信長、ふたつの巨大な敵と戦い続けた、義景の一生を描きます。
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平安時代中期。 貴族の五男として生まれた藤原道長は、元服し、内裏で仕事を始めるが……!? 貴族文化が華やかに咲きほこった時代、権力争いが絶えない宮中で出世を果たし、三人の娘を天皇に嫁がせて栄華を極めた、平安貴族最大の実力者がついに登場!! 藤原道長の生涯とともに、当時の貴族の暮らしぶりをわかりやすく紹介!
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「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士の指導者がついに登場!! 元禄14年、播磨国赤穂藩主・浅野内匠頭が、江戸城内で吉良上野介に斬りつける刃傷事件を起こす。 内匠頭はその日のうちに切腹、赤穂藩はお取り潰しとなった。 赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助は、主君の無念を晴らすため、浪士たちを率いて吉良の屋敷に討ち入る!!
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徳川幕府のキリシタン弾圧が激しさを増していた江戸時代初期。 少年・四郎は、飢饉と重い年貢に苦しむ島原藩領の農民たちの姿を見る。 そして、四郎の住む天草にも、厳しく年貢を取り立てる役人が来ようとしていた。 このままでは生きていくことができない絶望的な状況に、四郎たちは農民や牢人らを集め、一揆を起こす決断をする――!!
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