数学はなぜ生まれたのか?
柳谷晃(著)
/文春新書
作品情報
歴史を知れば、数学がみるみるわかる! 学校で習った数学は何の役に立つのか。数学者で現役教師の柳谷晃先生が、その疑問に応えます。
柳谷先生は言います。「数学はどんなに抽象的に見えても、人類が直面してきた問題を解決するために生まれてきました。そのことが理解できれば、数学に対して自然と敬意と感謝の気持ちが生まれ、数学が体に染みこんでいくはずです」。本書では、中学・高校の数学の教科書に凝縮されている数学の知恵がどのように生まれたのかが魅力的な語り口で語られます。「0はなぜ偉大か」「三角比はなぜ生まれたのか」「リンゴが落ちても、万有引力は生まれない」「コンピュータはなぜ2進法で考えるのか」等々。これを読めば数学の本質がみるみるわかり、「こんな数学の講義に出会いたかった」「数学をもう一度、勉強したい」と思うに違いありません。
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商品情報
- シリーズ
- 数学はなぜ生まれたのか?
- 著者
- 柳谷晃
- ジャンル
- サイエンス・テクノロジー - 数学・物理学・化学
- 出版社
- 文藝春秋
- 掲載誌・レーベル
- 文春新書
- 書籍発売日
- 2014.04.20
- Reader Store発売日
- 2014.07.04
- ファイルサイズ
- 3.1MB
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釈迦、キリスト、ムハンマド。このお三方の中でどなたが一番数学ができたと思われますか。お経から考えて、1番は釈迦、科学への理解から考えて、2番目がムハンマド、キリストは数学を勉強した記録があり…ません。
最澄、空海だけではありません。昔のお坊さんは、科学者でもありました。日本には多くの神社仏閣が残っています。その美しさに惹かれて、神社やお寺がお好きになった方も多いでしょう。とにかく神社やお寺の建物の姿は綺麗です。法隆寺の五重塔だけではなく、フェノロサが「凍れる音楽」と評したとされる薬師寺の東塔や唐招提寺など、いつまで見ていても飽きません。
その知識の積み重ねの上に今の私たちの生活があります。ですから、数学を学ぶことで、昔の人の努力に感謝する心が芽生えます。そのような数学の教え方でなければ、意味がありません。そのような教え方ができるなら、すべての人に数学をわかってもらえるはずです。
普通の人が努力でできるところまで、2次方程式の解き方がやさしくなったのです。ヴィエトのような人がいると、普通の人の能力が上がります。国民の知的レベルが上がれば、もちろん、国力も上がります。そのようなことを成し遂げた人を天才と言います。何かの能力があるだけで、人の能力を上げられない人は、ただの優れた人で天才ではありません。
数学に大きな変革があるときには、たいていの場合社会からの要求があります。国力を強くしなければない。国を立て直さなければならない。そんな気持ちに社会全体がなっているときに、数学の世界でも大きな進歩が生まれます。
なぜなら、ピラミッド側面の高さ(AS=x)と、底面の正方形の一辺2aの長さの半分は、黄金比になっているからです(図3-⑥参照)。図でいえば、a:xが1:1+√5/2になっているのです。作図した黄金比を元に直角三角形SAHを作り、ピラミッド全体の建設に利用したのでしょう。また、ピラミッドの中の通路は、2歩くと1上るように作られています。つまり、ここには底辺:対辺:斜辺が2:1:√5の直角三角形が隠されています。おそらくその比を持つ直角三角形が建設に使われたのでしょう。
対立を通して世界を見ると、簡単にものが理解できます。しかし、そんな簡単に世界は動いていません。ヨーロッパとイスラム帝国でも同じです。科学の文化の交流を見れば、敵対関係ではないことがわかります。十字軍はエルサレムに攻めこむときにベネチアの船を使いました。バグダッドの総督はベネチアに十字軍に船を供給するのをやめてくれないかと申し入れています。そのような交渉ができるのも、バグダッドとベネチアが貿易をしていたからです。数学の伝播の仕方を知ると、そんな事実に気づくこともできます。
第4講 古代ギリシャで「証明」が生まれたのはなぜか?
すると、他の都市国家と話すときに、説得をしなければなりません。ある問題について、なるほどそうだと、論理的に納得が得られる解決策を提案しなければなりません。話し合いが前提になります。大きな声を出しても、相手は帰ってしまうだけです。すると、他を圧するほどの国力を持たない両者にとって、お互いにまずい結果が生まれます。たとえば、古代ギリシャに大きな国が攻めてきたときには、何とか意見を調整して、一丸となって戦わなければ、ギリシャ全土が征服されてしまいます(実際にペルシャ帝国に攻められたとき、そのような危機に陥りました)。どのように大国と戦うか、都市国家同士で納得の行く、正当性や合理性を備えた都市国家の意見が通るでしょう。無理を通したり、力ずくで言うことを聞かせたりすれば、対等な関係は築けません。つまり、論理的な証明は、対等な関係の根幹にあるのです。とはいえ、古代ギリシャの場合は、一つの都市国家が他を圧倒するほどの国力を持てず、それぞれの都市国家の力が拮抗していたため、対等な関係を結ばざるをえず、論理的な証明が求められた、と言うべきでしょう。
中国や日本の数学では、緻密な計算は育ちましたが、証明が育ちませんでした。古代ギリシャとどこに違いがあったのでしょうか。中国では、黄河が氾濫すると肥沃な土が上流から流れてきます。耕さなければ作物はできませんが、耕せば農作物の生産量は着実に増加します。そして、多くの人口を養っていける国を作った方が強くなります。すると説得する相手は、誰になるでしょうか。国の最高権力者や土地の実力者です。すなわち皇帝や王、宰相ということになります。そうなると、論理的な証明は求められません。説得すべき相手が納得する話し方こそが必要になります。故事来歴などを使って、「そうか、なるほど」と思わせることが勝負を分けるのです。「おまえ、面白いことを言うね」と言わせたら勝ちです。証明よりレトリックです。中国には孔子から荀子、荘子まで多種多様な思想を説く諸子百家はいましたが、証明は育ちませんでした。中国から伝わった教科書、『算経十書』(『九章算術』〔「はじめに」参照〕を含む古代中国の数学書の総称)で数学を習っていた日本にも、証明は育ちませんでした。
解説はよくわかる先生がればなりません。論理的に積み上げていない方も大変です。現実の問題を解くときには、直面している問題のどの数が教科書の問題のどに対応するかを自分で判断しなければならないのです。応用力をつけるのも一苦労です。この教科書で数学を学ぶのは、才能がないと、なかなか難しかったでしょう。しかし、論理で押して、正しい証明を示してあげると、才能がない人でも、数学がわかるようになります。この点は古代ギリシャ人に感謝する必要があります。
必ずしも、現実を現実のままに見てはいないのです。まっすぐに見えても、まっすぐではないことがたくさんあります。ですから、数学では、まっすぐとは何か、ということを定義しないと、人によって言うことが変わってしまいます。ある言葉を書いたら、読んだ人がすべて同じ意味を頭に思い浮かべられるようにしなければ、数学は成立しません。
いつの時代でも理屈っぽい人はいます。数学が専門でない人が、数学の専門家のことをよく理屈っぽいととがあります。このことについては、私はちょっと違うと思います。数学の前には事実がありますので、あまり理屈っぽい人は数学に向きません。あくまでも数学は理屈ではないのです。事実ですから。自然をそのまま理解できない人、感じ取れない人には、数学はできません。それから、想像力のない人も数学はできません。理屈で押すのは数学ができない人です。
「論理的」という言葉には、難しい言葉の響きがが、三段論法には飛躍がありません。努力すれば、才能がなくてもわかります。少なくとも素直になればわかります。つまり、論理で積み重ねたものは、一般の人でもわかるということです。これが古代ギリシャような証明を育てたところの強みです。努力すれは凡人でもわかる。そういう証明があるヨーロッパと、才能がある人しかわからない数学が育った中国、日本。
どちらが生産性が高くなるか、最初から勝負は決まっています。
「論理的」も「抽象的」も何か難しくものを考えているように聞こえますが、逆です。現実をそのまま捉えたり、常に変化する数値を扱らより、やさしくものを考えられるように論理的、抽象的な考え方を使うのです。もし、現実をそのまま考える方がやさしいと思っている人がいたら、それは現実を見ていないからです。この世界はそんなに簡単にできているわけではありません。
世界三大数学者といえば誰か、ご存知でしょうか。アルキメデス、ニュートン、ガウスです。最初の2人は知っている方も多いと思いますが、ガウス(1777-1855)は意外と知られていないかもしれません。でも、現代の私たちの生活に、最も役に立つことをしてくれたのは、18世紀から19世紀を生きたガウスでしょう。2乗するとー1になる複素数iの意味づけをしてくれた人です、と聞いても、生活に全然近くないのでは?
と思うことでしょう。しかし、統計の正規分布など、現代の統計処理の基本をすべて作ってくれました。現代に欠かせない測量技術もガウスなしには語れません。ニュートン(1642-1727)は、17世紀から18世紀を生きた人ですが、アルキメデス(B.C.287-B.C.212)は断然古く、紀元前3世紀の人です。
アルキメデスを数学者として見ている人は少ないでしょうが、数学でも非常に大きな成果を残してくれました。アルキメデスは、高校の数学の代名詞のように言われる、微分積分学に非常に貢献した人です。正確に言えば、微分積分学の礎を築いた人です。高校の教科書では、微分を先に学び、その後に積分を学びます。ところが、数学の歴史では、微分よりも積分の研究が先に進みました。積分とは、面積を求めるための手段と言ってもかまいません。その技術は主に耕地面積の計算に使われていました。かつては納税と言えば、穀物で納められていたので、納税額を決めるためにはま
ず、耕地面積を算出しなければなりませんでした。くり返しになりますが、積分とは、一言でいえば、面積や体積を計算することです。微分とは、接線を求めることです。古代文明で、微分と積分のどちらが先に必要になるかといえば、面積・体積を求める積分でした。ですから、積分の考え方が先にできたのは、自然なことです。数学は人間の生活に必要なことに影響されながら育っていきます。
微分積分を研究した人の名前を挙げると、その時代の天才の名前が並びます。ガリレオ、カヴァリエリ、トリチェリ、フェルマー、パスカル親子、デカルト。すごいメンバーです。そしてこの中には、微分積分を作るのではなく、それを研究するための道
を整備した人たちもいます。フェルマー(1601-1665)やデカルトは中学で習ら座標を作ってくれました。中学で習う座標をデカルト座標と呼ぶのは、このためです。今の座標に近いものを作ってくれたのは、デカルトではなくて、フェルマーだと言われています。
ケプラーのお母さんも、魔女の疑いをかけられましたが、ケプラーは貧乏な中でも何とかお金を作って、お母さんを助けました。ケプラーが死んだ直接の原因は、馬車で移動するお金がなく、馬で長距離を移動したために引いた風邪でした。
しかし、キリスト教では、自然の仕組みは神様が作ったと考えていますから、その研究は聖職者にしかされていませんでした。だから、聖職者以外の人が自然の仕組みを探求することは歓迎されるどころか危険だとみなされ、時には抑圧され、弾圧されました。しかし、カトリックには、長い歴史がありますから、包容力があり、融通がきき、落としどころを考える知恵も備えていました。十字軍遠征でイスラムの文化に触
れて、カトリックだけが優れているわけではない、と気づく人が出てきます。それらとあまりにもカトリックの言っていることが違うので、キリスト教を棄てた人もいるくらいです。そして、イスラムの大学や文献から、新しい知識が続々と入ってきました。キリスト教の言っていることだけが、正しいわけではないということが、知識人に浸透していきました。同時に自然環境が寒冷化で厳しくなっていました。何とかしなければ、生きていけません。
普通の人が微分積分を計算できるようになる。結果、厳しい気候から国を守ることができるようになり、軍隊や兵器が優れたものになり、産業も発展します。それだけ数学が社会と密接に結びついていた時代だったということです。本当はいつでもそうであるべきです。社会にはいつでも見えざると見えるとにかかわらず、解決を待っている問題があるからです。
「もし私が他の人よりも少しよく知っているとすれば、それは私が昔の巨人達の肩の上に乗って立っているからである」――ニュートン
数学は自然の動きや動かなくても現実にあるものを扱います。実際に見えなくても、それが式の中に現れるものであれば現実のものとして扱います。ですから実際に存在するものの性質に依拠した証明方法や問題の解き方を考える必要があります。理屈、すなわち、論理計算だけを扱っているわけではないので、理屈で押す人は数学ができない人です。数学は五感だけでは足りません。五感では見えないものを見ながら証明しますから。
亡くなられた方とお話しすると言うと、霊媒師を思い浮かべてしまうかもしれません。しかし、私たちが触れる大切なことは、たいてい亡くなられた方が残してくれたことです。そのことから学ぼうとすればその作品を通して、彼らとお話ができなければなりません。レオナルド・ダ・ヴィンチと話したければ、彼の手稿を読むか、「最後の晩餐」を見れば、お話しすることができます。そして、彼の数学の考え方を聞くことができるでしょう。そのためには良い目と良い耳と数学の才能が必要ですが。続きを読む投稿日:2023.08.23
数学は人間が直面したいろんな問題を解決するために生まれたのだという。あくまでも現実から出発し、数学的処理を施すのであって、現実を飛び越えて結論が出せるわけではないともいう。
だけど、数学的処理ってやつ…についていけないんだよ。21世紀に生きていても、位取り記数法を持たなかった先人以下の処理能力しかなかったりする事実にがっかりするんだ。続きを読む投稿日:2018.03.15
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