【感想】体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉

伊藤亜紗 / 文春e-book
(48件のレビュー)

総合評価:

平均 4.3
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18
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  • 理解できないところもあるけど、星5つです。

    驚きの連続でした。桑田さんは、同じフォームで投球しているつもりなのに、実際は1球1球投球フォームが違っていた。そして1球1球投球フォームが違うのに、ボールは同じ場所に投げ込まれていた。こんな驚きの事例が満載でした。そして「できるようになる」という現象を、当たり前と思っていたけれど、本当は不思議な現象である事を理解しました。意識が体を動かしているのなら、意識が知らない動きはできないハズ。しかし、乗ったことのない自転車に乗れるようになる。これは意識以外のでものが動かしている証拠なのだろう。驚きの事例が、いくつも載っている本なのですが、私には理解できない文章分があったのは残念でした。例えば「ひとつひとつの体の可能性と限界の上にしか、サステナブルな表現はありえないという希望と絶望を含んでいます。」「意識を追い越していくような体の奔放は、体の可能性の発露ではあるけれど、その可能性をそのまま実社会に解放してよいか、となると話はべつです。」「学習が抑圧的なものから自発的なものに変わるとすれば、それは現場の人間関係や社会制度をも変える可能性を含んでいます。」のような文章です。とは言え、この本は沢山の驚きを与えてくれたので、星5つです。続きを読む

    投稿日:2023.06.07

ブクログレビュー

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  • あんこ

    あんこ

    読みやすかったし面白かった。
    できないことができるようになる瞬間の「あ、こういうことか」をサポートするテクノロジーが書かれていた。
    ニューラリンクのように脳にインプラントを埋め込んで考えるだけで色々できる、みたいなのは正直言って少し怖い。
    でも、装着することでプロと同じ指の動きでピアノが弾ける器具だったら面白い。試してみたいと思う。
    続きを読む

    投稿日:2024.04.07

  • すいびょう

    すいびょう

    【まとめ】
    1 やったことがないものを、身体ができるようになるまで
    (株)イマクリエイトが開発した「けん玉できた!VR」という製品がある。その名のとおり、バーチャルリアリティを使ってけん玉のわざをトレーニングする、というものだ。
    仕組みはいたってシンプル。コントローラを手にもち、ヘッドマウントディスプレイを装着すれば、バーチャル空間内でけん玉をあやつることができる。リアルの空間と違うのは、玉の動く速度が実際よりもかなり遅いこと。つまりスローモーションで動く玉を相手に、けん玉の練習ができるのだ。
    その効果は驚異的だ。このシステムを体験した1,128人のうち、実に96.4%にあたる1,087人が、「現実空間でも」わざを習得したというのである。必要な時間も、ものの5分程度。バーチャル空間で少し練習しただけで、リアルの空間でもけん玉ができるようになるのだ。

    バーチャル空間で体験したことも、それがいかに現実には「ありえない」ことであったとしても、何ら遜色ない「経験値」として蓄積され、リアル空間で行為する私たちのふるまいを変えてしまう。しかも「リアルではない」と頭で分かっていたとしても、体はそれを、いわば「本気」にしてしまう。
    体のユルさが、逆に体の可能性を拡張しているのだ。

    私たちは、自分の体を完全にはコントロールできないからこそ、新しいことができるようになる。なぜか。
    逆のことを考えてみよう。
    ①「できない→できる」という変化を起こすためには、これまでやったことのない仕方で体を動かさなければならない
    ②そのためには、意識が、正しい仕方で体に命令を出さなければならない
    ③しかしながら、それをやったことがない以上、意識はその動きを正しくイメージすることはできない
    ④意識が正しくイメージできない以上、体はそれを実行できない
    という出口のない袋小路に陥ってしまう。体が意識の完全なる支配下にあると仮定するかぎり、私たちは永遠に、新しい技能を獲得できない、ということになる。
    これが「技能獲得のパラドクス」である。

    しかし、現実の私たちは成長の過程で、さまざまなことが「できるようになって」いる。歩くことも、話すことも、書くことも、打つことも、みな最初はできなかったことだ。ところが、いつの間にかどれも「できること」に変わっている。
    つまり、「体が完全に意識の支配下にある」という仮説が、そもそも間違っていたことになる。実際には、私たちの意識は、自分の体を完全にはコントロールできていない。そして、だからこそ、私たちは新しいことができるようになる。


    2 ピアノを自動で弾く指
    ピアニストであり科学者でもある古屋晋一さん。彼のサイエンティストとしての仕事は、ピアニストの「探索」――いつもと違う環境や違うシチュエーションで弾いてみて、演奏の引き出しを多くすること――をサポートするところにある。「意識がとどかないところ」に行くためのテクノロジーである。

    彼が作ったのが手にはめるエクソスケルトンだ。グローブ型の外骨格であり、手にはめてスイッチを入れると、指が勝手に動きだす。特定の演奏者の指の動きをリアルタイム出力することで、プロの指の速さ、リズム、強さをそっくりそのまま体験できる。

    エクソスケルトンを60名ほどのピアニストや音大生に試してもらったところ、多くの人が「指が軽くなった」と答えた。いったんエクソスケルトンで「指が速く複雑に動く世界」を知った人は、エクソスケルトン無しでも、指が速く複雑に動くようになるのだ。

    古屋さんのお子さんがエクソスケルトンを体験した時、感想はひとこと「あ、こういうことか」だった。
    体に先を越された意識のありようを、これ以上的確にあらわす言葉があるだろうか。体にまず「できてしまう」という出来事が起こる。意識が、できてしまった体に追いつくようにして、それを確認する。それが「あ、こういうことか」という発言につながったのだ。

    ある動作が無駄なくできるためには、自分が行おうとしている動作のイメージが明確になっている必要がある。他方で、一度も成功したことのない動作は、成功したことがない以上、動作のイメージがない。できるためにはイメージが必要だが、できていないのでイメージがない。「できない」→「できる」のジャンプを起こすためには、このパラドクスを超えて、「イメージがなかったけどできた」という偶然が成立する必要がある。
    まさにこのジャンプを可能にするのが、エクソスケルトンだ。エクソスケルトンは、意識と関係なく指を動かすことによって、意識することのできない動作、つまりイメージすることのできない領域へと、私たちの体を連れ出してくれる。そのことによって、自分ではできない動作のイメージを与えてくれる。「私の知らない私の体」に気づかせてくれるのが、このテクノロジーなのだ。


    3 桑田真澄のピッチングフォームはバラバラ
    柏野牧夫さんは、トップアスリートの体の固有性の分析を行っている。その中でも特に力を入れているのが、桑田真澄の身体能力の研究だ。

    桑田真澄は、投球フォームが毎回違う。リリースポイントが1球目と30球目で水平方向に14センチもずれている。キャッチャーが構えたところに正確に球が届いているにもかかわらず、だ。

    柏野さんは、この桑田の特徴を「ゆらぎ」「ノイズ」という言葉で説明する。「桑田さんの場合は、ゆらぎやノイズを内包したうえで、毎回、それらをうまく吸収するような動きをされているということだと思います」。
    つまり、フォームがそもそもかっちりと固定されておらず、多少の振れ幅をもっている。その幅の範囲内の投げ方であれば、狙いを外れた失投にはならない。計測の結果得られた桑田のフォームのばらつきは、「正解からの誤差」なのではなくて、そもそも「誤差を含んだ正解」なのではないか、と。そしてこの誤差が、マウンドの傾斜や固さといった環境の変動に適応する秘訣なのではないか。

    運動にゆらぎがあることで、「変動の中の再現性」が可能になる。身体の使い方を探索することで「土地勘」が身につき、さらにその土地勘が探索の可能性を広げる。

    しかしながら、どうしても直感的に分からないのは、桑田本人がこうしたゆらぎを意識していない、ということである。本人としては、「今日はマウンドが柔らかいから体重移動しすぎないようにしよう」などと思って調整しているわけではない。それどころか、「全球一緒の感覚で投げている」つもりでいる。
    これは桑田が鈍感だということではない。むしろ逆で、自分の動きに対して人一倍繊細な感覚をもっている。にもかかわらず、それは意識的に作られたゆらぎではないのだ。
    つまり、ゆらぎも土地勘も意識の外部で起こっている出来事であって、本人はそれを知らない。知らないうちに体が動いている。柏野さんの言い方を借りれば、「体が勝手に解いている」。それはまさに「体が意識を追い越している」ということであって、奔放さの発露そのものである。

    さらにさらに、桑田が自身で思い描いている「カーブの投げ方」と、測定の結果得られた「実際のカーブの投げ方」は、まるで違う手の使い方だった。桑田は手がイメージ通りに動いていなくても、結果としての回転は本人の思い通りになっていたのだ。プロは鍛錬を積むうちに客観的な選択や判断が消え、より主観的な視点に立つようになり、目の前のパターンを構成要素に分解せず、全体として捉える。プロの中でも特にエキスパートには、ある種の「自動性」が生まれているのだ。

    しかしそれがゆえに、エキスパートの技能は言葉で伝えにくい。柏野さんのテクノロジーは、選手の体の動きを解析し映像にすることで、自分の外側にある動きを「探索」できる。テクノロジーはそっくりそのまま「見本」とするべきではなく、あくまで方向性を与える教師であるべきだが、このテクノロジーは人間、とくに自身の技能を明言できない上級者に対して「未知の可能性」を見つけることに役立つだろう。


    4 意識をオーバーライドする
    ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)とは、脳波などの情報を介して、脳と機械が一体となって動くようにした仕組みのことである。
    牛場潤一さんは、BMIを研究開発している。ただし、単に脳と繋がる機器を作るのではなく、工学と医学の両方にまたがり、脳のメカニズムそのものを解明する基礎研究も同時に行っている。

    牛場さんは、HMDを使って、脳のメカニズムについての実験を行った。
    まず、HMDに、本来より1度右側の世界を投影し被験者に見せる。被験者からすると、まっすぐ手を出したつもりでも、左に1度ずれたところから手が出てきたように見えることになる。この状態で、被験者はターゲットを指差すように命じられる。
    重要なのは、1度程度の誤差であれば、被験者の意識にはのぼらないことだ。「ズレといっても1度のため、何も考えずに指差しを行っても、正しくターゲットを示すことができる。しかしながら、そのあいだにも脳は、意図した動きと目から入ってきた手の位置がわずかにずれていることを知覚している。そして本人が自覚していないところで運動を修正している」と牛場さんは言う。
    それが分かるのは、この実験を繰り返したときだ。1回に1度ずつのずらしを、たとえば40回繰り返したとしよう。当然、最初と最後では40度視野がずれていることになる。自分の体に対して40度右にあるものが、HMDの中では自分の正面に見えることになる。しかし、被験者は現実空間とは40度左にずれた位置に見えるバーチャル空間のターゲットを見ながら、現実空間のターゲットに向けて正確に指をさせるのである。

    牛場さんによれば、「脳には無意識下でとらえた誤差を自動的に処理して、次の運動計画のときにもうちょっと正しい運動を出力するという、オートマチックにアップデートをする機能みたいなものがある」。つまり、真正面に手を出したつもりなのにちょっとだけ左に見えるという誤差を脳は知覚し、「思ったより少しだけ右に出さないとターゲットを正確に指差しできないな」と判断して、運動のプログラムを修正するのだ。
    「脳は、意識にのぼらないところでも外部の環境の情報を取得していて、その環境で自分の思ったとおりの体の動かし方ができるように、自分の頭の中のプログラムを更新、メンテナンスしていくんです。そういう機構が本人の意識してないところで絶えず動いています」。

    この「体が勝手に解く」のような学習のあり方は、脳卒中などの患者さんのリハビリにおいても有効なのではないか、と牛場さんは考えている。
    「バーチャルリアリティとかロボットっていうものが今高精密に高精細にコントロールできるようになったので、意識にのぼらないんだけどちょっと誤差を与える、与え続ける、アハ体験みたいなものをじわじわ好きなようにプログラムできる時代になったので、こちら側が意図をもって設計してあげれば、訓練する人は意識していなくてもこちら側の意図のほうに学習を誘導させることができる。そういう考えのもと、意識をオーバーライドして無意識のものが顕在化するみたいなことっていうのができると思いますね」
    「意識のオーバーライド」とは、「意識の操作」ではなく「意識的にはアプローチできない可能性の顕在化」のことだ。「動かなくなった手を動かしたい」と思っている患者さんがいる。ところがいくら意識してがんばっても、手を動かすことができない。そこで意識的に行うのとは違う運動学習の可能性を、外部からの介入によって引き出してみる、というわけだ。

    牛場さんが脳卒中の患者さんのために開発したのは、脳の活動をとらえるヘッドホン型のデバイスと、腕につけるグローブ型のデバイスから成るシステムだ。それまでと同じやり方では手が動かせなくなった患者さんのために、別の神経経路を使って手が動かせるように誘導するシステムである。仮に、左側の脳の腕の制御に関する箇所が損傷を負ったとしよう。右側の脳からの運動指令を出すことができなくなるため、右腕が思うように動かなくなる。
    脳は、代わりとなる機能代償経路を探して、試行錯誤する。頭につけたヘッドホン型デバイスが待っているのは、運動野や補足運動野などのシグナルだ。視覚野や言語野が活動しても手は動かないので、この部分が活動する必要があるからだ。
    ふと、偶然患者さんの脳が「正解」に相当する活動をみせる。するとヘッドホン型デバイスがそのシグナルをキャッチし、ただちに腕につけたグローブ型のデバイスが、患者さんの手の動きをアシストしたり、筋肉に刺激を与えたりすることで、腕を外から物理的に動かす。「あ、これでよかったんだ!」。これが報酬になり、先ほどの脳の働き方を強化するような方向に学習が進む、というわけだ。
    実際このシステムを使ったリハビリを1日1時間、7日間にわたって体験した患者さんは、スムーズに腕を頭の上の方まで上げられるまで回復した。
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    投稿日:2024.02.26

  • masanorihasimoto

    masanorihasimoto

    複数の理系研究者を現代アートの研究者がインタビューし、気づきを横展開しつつ「できるようになる」意義や醍醐味を取り戻す文脈に整理する

    投稿日:2024.02.17

  • べー

    べー

    ブクログスタッフの2023年下半期ベスト本で紹介されていたので、どんなもんかと読んでみました。

    「できなかったことができるようになる」ということをテーマに、5人の科学者の研究を取り上げながら紹介されている本。日常生活でそんなこと考えたことはなかったけど、読みながら「へぇボタン」を何度も押したくなりました。(歳がバレる…)

    私たちは、自分の体を完全にコントロールできないからこそ、新しいことができるようになるそうです。なんのこっちゃと思ったけど、読めばなんとなく分かった気になります。

    1番へぇだったのは、脳が学習するメカニズムの中で、「そのやり方であってるよ」と褒めて学ぶ方法(報酬系)と、「それは間違ってるよ」と罰することで修正する方法(罰系)では、罰系で学習したことの方が長く定着しやすいということ。やっぱり、自分で痛い思いをしたことは忘れないんだね。
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    投稿日:2024.02.10

  • NORIS

    NORIS

    2024.2.3市立図書館
    ブクログ通信「ブクログスタッフが選ぶ、2023年下半期ベスト本!」で紹介されていて興味を持ったのでさっそく借りてみた。これまでは「(障害などで)できない/思い通りにいかない」からだに注目してきた著者が、それとは逆に見えて実は思い通りにいかないという意味では同じ「できる」のおもしろさにも開眼したというノンフィクション。「こんなのおもしろいに決まってる」と読む前からわくわくしてる。
    ****

    案の定、読み始めたらどんどん読めた。理工系の成果を人文社会系の目から報告することでとても読みやすくできている。ピアノ、投球といった具体的な技芸獲得からコーチングサポート、バーチャルしっぽ、そして声の活用の可能性まで、どの章も驚きとわくわくの連続だったし、そういう発想が生まれた研究者たちの経験してきたことや考え方を育んだ背景も興味深かった。

    もともと言語(習得)の習熟度についてはいろいろ考えることが多いので、楽器や運動の習熟をサポートしたり分析したりする技術の話はどこを読んでも興味深かったし(思いがけず19世紀のピアノ教育観やシューマン、ショパンらの言動なども詳しく知ることができたし)、テクノロジーに「代わってもらう」というより「サポートしてもらう」ことで、人間がどこまで自分が新しい技能を身につけたり失われた力をリハビリで取り戻したりできるのかという世界の一端を見たことで、ちょっと世界が明るくなったような気がした。
    (この先の人生で楽器の習得に縁があるかどうかはわからないけれど、老化や病気から身体機能が低下したり失われたりということでリハビリが必要になることはきっとあろだろうと思うから…そのときこの本にあったことを思い出せば、専門家や自分の潜在的な力を信じてがんばれそう)

    ***
    ちょっと前の新聞に載っていたバンドドラマーのジストニアの方がどうやら第2章の柏野さんの研究所で協力しているらしいなと新聞を整理しながら思ってたら、きのうか今日か、テレビでもちらっとそんんあ場面が流れていた。
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    投稿日:2024.02.03

  • kemechanyo

    kemechanyo

    2023年のブクログスタッフのオススメ本に上がっていた本。
    テクノロジーで「できる」を科学的に解明していく。
    第一章ではエクソスケルトン(外骨格)を手につけることでピアニストと同じ指使いができるというもの。その後は習得も早いという。
    何だか映画のマトリックスで格闘技をダウンロードしていたのを思い出した。

    第二章では桑田のピッチングの解析。第三章は画像処理からの分析。体は脳の記憶によって実は柔軟に動かすことができるとともに、できるとはどういうことかを問う。
    第四章では脳波を用いた実験からリハビリへの応用。第五章ではもはや自分の身体を越えた、別の何かへ乗っ取り(代用)も試している。ここではアニメの攻殻機動隊のことをイメージしてしまった。
    身体はこう動くもの、という固定観念ではない時代。柔軟にいろんな可能性を結びつけることで、老化を超える未来に結びつくような期待がもてた。
    続きを読む

    投稿日:2024.01.30

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