【感想】ヒトの目、驚異の進化 視覚革命が文明を生んだ

マーク・チャンギージー, 柴田 裕之 / ハヤカワ文庫NF
(24件のレビュー)

総合評価:

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  • 文字通りものの見方が変わる本。

    われわれが外界をありのまま正確に知覚できないのは、脳が「フィクションで行こう」と決定しているからで、それはそれで実際の生活で実に役立っている。
    デスクトップ上のアイコンに違和感を感じないのは、それがすでに脳が読み方を心得たフィクションと通ずる部分があるからで、このことは広く普及が望まれる新技術の開発に大いに参考となるだろう。
    その点で現在Googleが開発中のメガネやパッとしなかった3Dテレビなどは、こうした視覚デザインにかなった視覚情報を提供することにつながっているのだろうか?
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    投稿日:2020.03.25

ブクログレビュー

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  • 拙訓

    拙訓

    ヒトの色覚はヒトの肌の色の変化をしっかりと見分けることを基準に定まった。であるから、それ以外の色の見え方は偶然の産物。りんごが赤く見えるのも、その色覚の進化の結果であるらしい(場合によれば黄や緑に見えるようになったかもしれない)。肌の色は血流量や酸素飽和度の変化により変わる。それが健康保持や生命保持に関わる人類生存のキーになるものであるので、色覚もそれが最優先され、それに連係して、他の物の色の見え方も決まっていった。肌の色の変化は人間が意識的に変えられる物ではなく(例えば怒りの感情が高まると血流量が増え、顔が赤くなるが、これは自分の意思ではコントロール出来ない。よく、感情が顔に現れるのは平然とした表情を保っても紅潮してしまう。)人間社会を維持発展させるためには利他的行動を促すことが大切であるが、他人の本心や感情を察知することで、利己的行動を自己規制できるようにしたのであろう。もう一つは他者の体調の変化をいち早く察知して、処置救命することに肌の色の変化を見分ける能力は生存維持に重要(医者が色覚異常の場合、患者の変化を素早く察知することが出来ず大変まずい事態に。また女性は男性に比べ色覚異常が少ないのは子育てに関係し、子供の様子の急変に素早く対処できるようになれるためである)。人間が他の動物と違い、進化の過程でどんどんと体毛が少なくなり、肌の露出度が増して行ったのはこれに合致する。

    顔の真横に目が付いている動物が多い中、ヒトの目はなぜ、前向きについているのだろうか。横についている動物の視野がパノラマ的に後方まで見えるという利点を失ってまで、なぜヒトの目は二つ前向きについているのか。前方にものがあっても見透せる透視力が後方の視界を失っても有り余るほどのメリットがあったからである。しかしそれは目と目の間隔よりも小さい葉で覆われ、その隙間から前方が見透せるような環境で生活する事で得られるメリットである。現在の人間の生活環境は必ずしもそのようなものではない。後ろの視野がないことのデメリットの方が多い環境である。しかし、人間は後ろの視野が無いことの不便さを経験したことがないので、そのことが実感できない。

    心理学者は同じ長さの平行線に手を加えて、長さが違ったり、平行でな異様な錯覚を起こさせる実験図を作る。なぜ、このような錯覚が起こるのか。それは人間の視覚が0.1秒前の現実を捉えるからである。そうでないと視覚が認識した映像が実際に認識されたように感じた時に、すでに過去の映像になってしまうからだ。
    なぜ、人間の資格は0.1秒前の映像を先取りするのか。人間にとって最も馴染み深い前進行動をして移動する時に自分と周りのものとの刻々と変化する位置関係を正確に捉えるためである(人間にとって自分と周りの物理的な環境との位置関係を正確に把握することは生存上最も重要なことである)。
    前進中は網膜上で発生する光学的なぼやけのパターン(これにより周りの景色が自分の前身とともに後ろへ流れていくような認識を持てる)が錯覚を起こさせる心理学者作成の図に加えられる放射状の線と類似していることが錯覚を起こさせる要因である(流れるぼやけは中心部が上下に比べて膨らむように認識される)。
    人間の資格は三次元の現実の環境が自分の移動でどのように変化して見えるかを正確に把握する。だから2次元の絵画で奥行きのあるように見えるものは、実際には同じ長さの直線が手前か奥かで長さが違って見えてしまうのだ。3次元の世界ではそれが現実であるのだから。

    最終章は、文字の話。世界には様々な文字があるが、みな自然界の事物を見るための視覚的特徴をもとに作られている。人間はみな同じ特徴の文字を読み書きしているという驚くべき仮説。漢字もアルファベットもその他の文字も現実の世界の中で物を見分ける視覚的特徴のパターンと一致しているらしい。この文字をであるから文字は書き手サイドではなく読み手(それを容易く読み取れるように)に都合よく形取られている。この文字を書き記すことにより、すでに死した人々の声を霊読できるがごとく聴くことができるのだ。さらに、文字を書き記しそれを読み解く視覚を持つことで、短期記憶を際限なく保持し、それをもとにコンピューターのごとくアルゴリズムを実行していける能力を持てるようになった。世にいわゆる「ハウツー」本が手広くでまわり、それを利用して様々なことを手順を踏んで実行していける存在、まさにコンピューターのチューリングマシンのごとき存在となった。
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    投稿日:2023.10.28

  • すいびょう

    すいびょう

    【まとめ】
    1 テレパシー
    感情を察知するということが、読心術ではなく単に「表情を認識する能力」を意味するのならば、誰にでもできる。
    人間は生理的状態が変化すると、体のさまざまな部位に送られる血液の量が変わる。その結果、肌に色の変化が出る。人間の色覚は肌を見るためにあり、機械でしか測定し得ない血液量、酸素濃度といった「生理的状態」を検知することができる。また、顔色の変化によって他人の感情を感知することもできる。

    人間の肌の色は言葉で表すのが難しい。「あなたの肌の色は何色?」と聞かれると、文化にかかわらず回答はバラバラになる。肌の色には、色がついていないように見える特性があるのだが、色が分類できないときには、ステレオタイプ化と逆のことが起こる。違う色をいっしょくたにする代わりに、わずかな違いをすべて見分ける。
    人は、自分の体温を感じないことで、熱のある人の額を熱く感じられる。つまり、人は基準を感じないからこそ、ほんの僅かでも基準からズレた状態を感知できる。基準である「自分」の肌の色を認識できない代わりに、他人の肌の色の些細な違いにも気づくことができるのだ。

    肌はさまざまな色に変化するが、その能力の鍵は血液が握っている。
    ①肌の血液の量...血液が少なければ黄色っぽく、多ければ青みがかって見える。
    ②血液の酸素飽和度...高ければ赤みがかって、低ければ緑色を帯びているように見える。
    この特性から、人間の肌はどんな色合いも帯びうるのだ。そして、自然界であらゆる色合いを動的に示すことができて、しかも無色に見える(基準色に戻れる)生物はほとんどいない。

    加えて、人間は肌の色から状態や感情を連想する。青は悲しみ・病気、緑は貧血・弱さ、紫は息詰まり・出血・緩慢、赤は興奮・怒り・充血、黄は恐れ(蒼白)・臆病などだ。
    色によるシグナルは、筋肉を使った表現よりも直接的に、動物の生理的状態を他者に伝える。また、色によるシグナルは、動物が寝ていたり無意識だったりするときにでさえ送ることができる。とくに呼吸困難、それも赤ん坊が呼吸困難になったときだ。
    色によるシグナルから、動物がほんとうにどう感じているのかがわかる。これは互恵的利他主義の進化にとっては重要なことである。

    おおまかに言うと、色は、物体から発散する光の波長(スペクトラム)の分布を知覚することで得られる。たいていの動物には2~4種類の錘状体しかない。だから私たちは、自分にとってとても役に立ちそうな、限られた数の波長をサンプルとして使う。もし「X」(たとえば、肌)がいちばん重要なら、持ち主にXがいちばんよく見えるような錐状体の感度が選択される。その動物の色覚は、X向けにデザインされる。
    では、この世界にある、X以外のあらゆるものはどうなのか?人間の場合だと、肌以外のものは?
    進化がXのための色のパレットをいったん作り上げてしまえば、そのパレットにある色の物体は引きづられてしまう。酸素飽和度の高い肌のための赤は、夕焼けやルビーやテントウムシにも飛び散る。肌用の特殊な眼鏡によって、私たちは、夕焼けとルビーとテントウムシには何か客観的に似ているものがあると、誤って思い込むかもしれない。それは客観的な知覚とは何も関係がない。
    色とは動物の知覚によって無限に形を変える、不思議な世界なのだ。


    2 透視能力
    何故、目が前後についている動物はいないのか?
    横向きに目がついていれば、視野が重なる部分によって、周りの世界の一部を両目で見られる。そのとき両目の視野が重なる範囲は「前」である。一方、前後ろについている生物がいるとすれば、重なる範囲は「横」だ。横方向が一番良く見えても、あまりメリットはない。

    両眼視の利点は、奥行きを見れることにあるが、それ以外に「物を見通せる」ことが挙げられる。
    あなたが草むらに潜んでいるとしよう。単眼視ならば草の奥の風景は草に遮られてろくに見えないが、両眼視であれば草が透明になって向こうが見える。物体を透かして「透視」できるのだ。
    人間の目は、遠くの物を見るときには近くのものを透明化し、近くのものに焦点を当てれば背景画像を2つ同時に見れる。また、左右の目がまったく違うものを知覚しているときも、あなたの脳は別々の画像を一つの知覚に統合できる。(手で輪っかをつくって片方の目にあてがい、両方の目を開けたまま机の上のコップを見てみよう。左右の目は全く違うものを見ているのに、何故か矛盾なく統合されて全風景が見える。)木の葉か何かの障害物が一方の目の前にあるがもう一方の目の前にはないといった、見通しの悪い状況の扱い方が、脳にはわかっている。見たいものが見える目と、葉で遮られる目が刻々と入れ替わっても、脳は「ぼやけて見えるものこそ透かして見る必要のある対象である」と認識し続け、脳内で風景を合成するのだ。

    では、前向きの目と横向きの目の違いは?人間は前向きについているが、横向きに比べたメリットはなにか?
    見通しの悪い場所にいるとき、前向きの目を持つ動物は、横向きの目を持つ動物に比べて前方を二倍観察できる。横向きの目を持つ動物は、自分の前にあるものも後ろにあるものも観察できるから、前向きの目を持つ動物と横向きの目を持つ動物は、視覚的に同じだけの空間を観察できることになる。
    ところが、そこには違いがある。一般に、障害物の向こう側にあるものを認識するときには、閾値効果というものがかかわってくる。ものが一定の範囲しか見えないときには認識できないが、それよりほんの少しでも多くの部分が見えさえすれば認識できるというのが「閾値効果」だ。
    多くの場合、見通しの悪い状況では、前向きの目を持つ動物は、障害物の向こう側にあるものをほぼすべて観察できるのに対して、横向きの目を持つ動物は、半分しか観察できない。前向きの目を持つ動物は、前方を二倍観察する能力のおかげで、認識の閾値を超える範囲が見える状況になりやすいが、横向きの目を持つ動物がその場にいても、閾値未満の部分しか見えないので、まったく認識できない。
    かつ、実世界は平面ではなく三次元空間であるため、森の中で上や下を見たときの優位性はずっと高くなる。前向きの目を持つ動物は、横向きの目を持つ動物の6.5倍の世界を視覚的に認識できるのだ。

    たんに、前方が少しよく見えるようになる程度なら、後方が事実上完全に見えなくなる不都合のほうがはるかに大きいのは間違いない。そして、まさにこの点で、なぜ私たちの目が前向きなのかを理解するのに透視能力が非常に役に立つ。パノラマ視覚の能力よりも透視能力が備わっているほうが、周りの世界のものをより多く認識できるからだ。ただしそれは、自分たちの目の間隔より小さい葉のせいで見通しが悪い世界に住んでいる場合(つまり、体が大きく、葉を好む動物の場合)に限られる。現代都市のように障害物だらけの世界では、前向きの目の能力は半減する。
    透視能力は、後方が見えないことを補って余りある。透視によって、私たちの前方には新たな視野の層が加わるからだ。


    3 未来予知
    未来の知覚を引き出すのは、錯視である。二本の線は実は真っ直ぐなのに曲がって見えるとかいう、アレだ。
    未来予知は、なぜ人間は錯視を起こすのかという謎と密接に絡み合っている。脳が未来を予見して、現在に合致する知覚を生み出そうとした結果として錯視が生じるのだと、筆者は考える。

    あなたに一週間後にプレゼンテーションをする予定が入っていたら、それまでの一週間に準備をするだろう。それならば、「未来を知る」ということは、時間をコントロールするのと同じぐらい強力でありながら、実行するのははるかにたやすい。未来を知ることによって、あなたは予測を立てて準備をし、その未来が到来したときに懸命に振る舞うことが可能になる。

    視覚知についても同様で、脳は未来になにが起こるかを予測し、その到来に間に合うように知覚を構築する。こちらに向かってボールが投げられたとき、「ボールが手元に届く瞬間」を理解して手でキャッチできるのは、まさにこのような能力のためだ。言い換えれば、時刻t1に目に光が届いたとき、脳は時刻t1の「瞬間」に起こっていることの知覚を生み出すのでなく、「その知覚が完了する」時刻t2にも起こっているだろうことを推測し、知覚を生み出している。
    現在を知覚するためには、未来を先読みする必要があるのだ。

    錯視の一つに、「表象的慣性」と呼ばれるものがある。これは、対象内部の運動によって、対象自体が特定の方向に移動しているように思われるが、実際には動いていないという錯視だ。対象がある「べき」場所にあると観察者が知覚する一方で、画像に起こる「べき」変化が起こらないために、結果として知覚の錯誤が生じる。つまり、私たちの視覚系は未来を予見して、その情報を利用して現在の知覚を生み出すが、予見した未来がやって来ないと錯視が起こるのだ。

    錯視を見るということはそうした未来予知が外れることを意味するが、そのとき、我々の脳はどのような処理を起こすのか?
    驚くべきことに、私たちの脳はどうやら、未来の予見を誤ったときに、それをなかったことしているらしい。時刻t1での当初の知覚が間違っていたとしても、脳はその誤りに気づくとすぐに、もともとの知覚錯誤の記憶を「ピカッ」と抹消、いや隠蔽して、時刻に真実を知覚していたという新たな(だが偽の記憶)を創り上げるのだ。
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    投稿日:2023.07.10

  • あがり

    あがり

    人間の目が顔の前部に二つある理由は一般に立体視のためだと言われているが、著者は意を唱える。「透明視のため」。

    理論と証拠を出して立証されていく数々の事実。

    読了90分

    投稿日:2023.03.08

  • echigonojizake

    echigonojizake

    なかなかおもしろい視点で描かれており、読後に子供に話してみた。目にはテレパシー、透視、未来予見、霊読の4つのがあるそうだ。

    透視がいちばんへぇと思えたし、子供も同じ感想だった。次に未来予見。脳科学の世界とつながる。ホモサピエンスは生き延びるために透視し予見するのだ。

    見る、観る、視る、診る、覧る
    みるはいろいろあるなあ。
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    投稿日:2023.01.21

  • kaz.f

    kaz.f

    パルスオキシメーター。
    なんで挟むだけで酸素量が測定できるのかと長年モヤモヤしてたのでスッキリ。他の主張は納得までいかないが、そんな考え方もあるんか、覚えとこうレベル。

    投稿日:2022.11.17

  • うみ

    うみ

    ・人の眼は、人の肌の色の変化を捉えるように進化してきたか、なるほど。さすが社会的生物。
    ・顔の前に二つの目があるこの形態、立体視のためではなく、(目と目の間隔も小さい)障害物の向こうを透かしてみるために有利か、一理あるな。
    ・錯視は見て処理している間に過去になる現在(未来)を見るための情報処理(未来予見)の副作用。まあ、表現はともかく、ね。
    ・ただ、4勝の「霊読」とおどろおどろしい表現をしているが、文字を読む事については、「自然を視覚的に理解できるように進化した脳で文章(文字)をたやすく読めるのは、文字が数千年かけて自然に類似するように進化させられたからだ」
    「眼のための文字」と「手のための文字」(速記)
    ウマが人間が乗るためにデザインされているように見えるというのは、社会が文化的にウマを受け入れてきたから。

    第四章はちょいとうさんくさかったけれど、解説で、きちんとした論文が本書のベースだよと言われたので、受け入れるものとするw
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    投稿日:2022.08.07

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