【感想】辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦

高野秀行, 清水克行 / 集英社インターナショナル
(33件のレビュー)

総合評価:

平均 4.3
13
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4
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  • あなたと行けば、異郷も楽しい

    本を読む楽しみは、旅をする楽しみに似ています。
    一人旅もよいですが、ときには、気の合う仲間と二人で旅をするのも、またよいものです。
    本書は、その楽しみをたっぷりと味合わせてくれますよ。

    (1)お茶会にお題迎えて読書会
    片や辺境世界の探索者、片や中世文書の解読者。
    普段は別々な領域で活躍する著者たちが顔を合わせれば、それだけで楽しい驚きが生まれるものです。
    本書の前作に当たる対談集「世界の辺境とハードボイルド室町時代」は、二人ならではの知識や経験に基づくやり取りが、存分に楽しめる作品でした。

    もちろん、これだけでも十分に楽しいのです。
    しかし、誰かゲストが加われば、もっと面白くなる可能性を秘めていたといえます。
    帽子屋とウサギのお茶会に、アリスがやってくれば、これはもう、何かわくわくすることが始まるに違いないですよね。

    本書では、読書会の形をとることで、新たな展開が生まれます。これは素晴らしいアイディアですよ。
    お題となる書物は、博覧強記の著者たちにとっても未知の世界。課題図書という要素が加わることで、読者も、著者たちとともに、自分の井戸を出て異国へ旅をし、一緒に驚き、楽しむことができるようになりました。

    (2)読書量をひけらかす本ではありません
    本書のタイトルには、「怪書~驚書~読書合戦」とあり、奇書マニアが腕比べをしているような印象も受けます。この点はちょっと誤解を招きそうですね。

    本書は、オレは変わった本を知っているぞ、すごいだろうという、ひけらかしの本ではありません。そもそも、読書会は勝ち負けや正解を競う場ではないのです。
    もちろん、各回の選書も読ませどころではありますが、特別な本を読んでいれば偉いという扱いはされません。イブン・バットゥータの「大旅行記」も、これまで読んだことがないから、いや大著でしたねと共有できる。体験を楽しめばよいわけです、

    むしろ、対談中にはメジャーな漫画なども出てきます。言語について論ずる中で、「へうげもの」のキャラクターが江戸と上方を行き来しているとか、島津のセリフが読めない文字で書かれているとか、うまい例を取り上げています。娯楽作品の中で誇張があっても、否定せず、面白がるのがいいですね。

    (3)注釈が愉快な本に外れなし
    各章につく脚注も読みどころ。
    ラッコの項には、「イタチ科の哺乳類。体長六○~十三○センチ…」などの基本情報に始まり、室町時代の慣用句「ラッコの皮」に関する豆知識まで書かれており、過剰なまでの懇切丁寧ぶりが笑いを誘います。

    著者たちの、説明のうまさにも注目しましょう。
    たとえば、権力による管理を逃れるためにわざとリーダーを持たないという考え方を、「子どもたちは小学校の学級委員を押しつけ合う」という例から説明する。明に対して武力を誇る豊臣秀吉の言葉を、「勉強できないけど、スポーツは得意だぜ」と言い換える。
    お題の本を未読の場合でも、何を論じているのかわかりやすいです。
    もちろん、自分が読んだ本であれば、さらに深く味わえます。私は本書をきっかけに、「世界史の中の戦国日本」を読みましたが、その後に本書第2章を読み返し、改めて著者たちの視野の広さや、原典の切り取り方の鋭さに感心させられました。
    読書に勝ち負けや正解はないけれど、優れた読みはいくつも存在し、日々の研さんにより磨くことができるのでしょう。

    自分の井戸を深く掘る者は、井戸の外へ出たとき、驚くほど遠くまで行くことができる。
    自由や成功を求めて世界へ出ていくには、まず自分の力をつけることが大事です。
    そのうえで、出自の異なる他者との出会いを楽しむ心があれば、コミュニケーションの苦労さえも、面白い体験となる可能性があるのですね。
    長いものに、素直に巻かれておれない者の生きる道を、確認させられた一冊です。
    続きを読む

    投稿日:2018.06.23

ブクログレビュー

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  • よおこ

    よおこ

    ずっと積読だったんだけど、もっと早く読めば良かった。誰かと同じ本を読んで語り合うって、すごく豊かな時間の使い方だなあ。

    投稿日:2023.09.24

  • すいびょう

    すいびょう

    【感想】
    「謎の独立国家ソマリランド」や「アヘン王国潜入記」といった、世界の辺境を旅するノンフィクション作家、高野さん。かたや明治大学教授であり日本中世史の専門家である清水さん。この二人が、面白かった本を何時間も語らいあって出来たのが本書である。お互いの専攻が「辺境」「日本中世史」とあって、取り上げられるのは歴史書、かつ「常識外れの一冊」が多い。

    例えば、初めに紹介されている「ゾミア」。ゾミアとは東南アジア諸国と中国の間にひろがる山岳地帯のことである。ゾミアに住む人々は、「あえて国家から逃げて原始的な生活を送っている」と、筆者のジェームズ・C・スコットは紹介している。

    通常、生活のレベルは徐々に文明化していく。現代で未だ原始的な暮らしをしている人は、ジャングルの奥地に住む少数民族ぐらいである。私たちに映る彼らの姿は、はっきり言えば「文明に取り残された野蛮人」だ。

    しかし、ゾミアの人々は違う。彼らは常識とは完全に逆で、定住型国家から逃げ出し、集まった人々で「戦略的な原始性」をつくり出したという。

    前提として、彼らには「国家はろくでもないもの」という意識がある。単純に「支配の象徴」であるからだ。稲作も国家的性格を強調させる農法として彼らは放棄している。そればかりか、彼らは文字も持っていない。国家は文字や農業(税)を通じて国民を管理していくからだ。文字を捨てるということは支配を避けるためのゾミアの知恵であり、戦略でもある。

    しかし、文字を持たないということは、歴史や伝統を放棄することでもある。これは文明国で暮らす私たちからしてみればとんでもない話だ。生きるとは何かを残すことであり、それを放棄してただ今だけを過ごすなんて、何か意味はあるのだろうか?
    しかし、ゾミアの人たちにとって歴史はそんなに重要ではなかったのだ。彼らは移動するから土地の奪い合いは起きないし、土地の権利を主張する手段も必要もない。生活の糧も遊牧や狩りによって賄えるし、物資が不足したら周辺国で必要なものを交換すればいい。
    裏を返せば、文明化でメリットを得てきたのは国家の側だったのだ。国家に所属し、国家に管理され、支配されながら生きることを望んでいない人が、一定数いる。私たちのように「発展=素晴らしいもの」という考えは、世界の辺境においては普遍的ではないのだ。これぞ、辺境をもとにした「常識外れの一冊」ではないだろうか。
    ―――――――――――――――――
    以上は一例だが、本書ではほかにも、14世紀にイスラム世界のほぼ全域を遍歴した記録をつづった「大旅行記」、現代に生きる源義経の魂が自らの生涯を解説していく「ギケイキ」など、「辺境の怪書」を色々と取り上げている。
    読んでいて感じたのは、自分がいる場所はまだまだメジャーの中のメジャーで、そこから少し外れれば、常識と思われていること全てがひっくり返る可能性があるということ、そして、その逆転を知ることはとっても面白いということである。
    それは未知を知るワクワク感であり、同時に、世界を見る目が以前よりも多層的に生まれ変わることへの楽しさでもある。自分の見識・教養を広げるうえでは、こうした「ニッチでディープな本」を読むことも、一つの力になるはずだ。

    ――これまでぼんやリと映っていた辺境や歴史の像がすごくくっきりと見える瞬間が何度もあった。解像度があがるとでもいうのだろうか。同時に、「自分が今ここにいる」という、不思議なほどに強い実感を得た。そして思ったのである。「これがいわゆる教養ってやつじゃないか」と。
    思えば、「ここではない何処か」を求める志向を私たち二人は共有している。でも浅はかながら私はなぜ自分がそれに憧れつづけていたのか気づかずにいた。
    「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追求していくことは「ここが今どこなのか」を把握するために最も有力な手段なのだ。その体系的な知識と方法論を人は教養と呼ぶのではなかろうか。
    もちろん、日常のルーティンにおいて、そんなことはほぼどうでもいい。だから往々にして教養は「役に立たない空疎な知識」として退けられ、いまやその傾向はますます強まっている。でも、個人や集団や国家が何かを決断するとき、自分たちの現在位置を知らずしてどうやって方向性を見定めることができるだろう。
    その最も頼りになる羅針盤(現代風にいえばGPS機能)が旅と歴史であり、すなわち「教養」なのだと初めて肌身で感じたのだ。
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    投稿日:2022.11.17

  • sanbon-kei

    sanbon-kei

    面白い。だが前作よりかは1弾落ちる。本書の中で紹介したイブンバットゥータや日本語スタンダードの歴史なんかは読んでみたいと思った。
    軽く読める読み物。

    投稿日:2021.08.06

  • ukkarihachi

    ukkarihachi

    『「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追及していくことは「ここが今どこなのか」を把握するために最も有力な手段なのだ。その体系的な知識と方法論を人は教養と呼ぶのではないだろうか』

    教養とは経験や知識で積み上げたものの【解像度を上げる】こと。素晴らしい知的バトル。これを高校、いやせめて大学生時代にこんな授業を聴いていたら。これこそ一般教養で学ぶべきことなのだ。
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    投稿日:2021.01.24

  • おしょう

    おしょう

    日本の歴史学者である清水克行と、辺境などを渡り歩くノンフィクション作家である高野秀行による読書対談。

    前作に引き続き、異なる背景を持つ二人による対談は面白い。
    そえぞれの知識、体験に裏付けされた着眼点から一冊一冊の本を掘り下げていくため、非常に読みごたえがある。

    本書を読む前は全然興味がなかった「大旅行記」「ギケイキ」といった本についてもぜひ読んでみたくなった。
    続きを読む

    投稿日:2020.09.20

  • ちもち

    ちもち

    読んでないのに読んだような気になれるズルくてありがたい本。教養と知識で殴られ続ける感じで面白かった。

    投稿日:2020.06.09

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