【感想】下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち

内田樹 / 講談社文庫
(255件のレビュー)

総合評価:

平均 4.1
85
93
31
9
2
  • まともな授業ができないのは何故?

    今、学校でまともな授業が行われにくいという話や、大企業に入社出来て、親がやれやれと安堵していると3年以内には辞めてしまう…理由は「自分に合わない」ことのようです。そんな社会現象をどのように、分析しているのかに興味がありました。
    読みはじめましたが、教育について授業時間を増やせば学力低下が防げるなんて言う簡単な問題でないことが分かって来ました。
    何をするにも「本人のやる気」がなければできない。豊か過ぎてその芽を摘んでいるからだ…わたしはそんな風に考えていたのですが、いやはや根は深い。
    そんなことを感じながら、ざっと読み進み、2回目に読めば、もう少し内容理解が出来るようになるだろうと考え始めています。つまり小説を読むように1回読んで終わりには出来ない本です。

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    投稿日:2013.09.27

  • 学ぶ子の育て方?!

     何故、子供たちは学ぼうとせず、若者たちが働こうとしないのかを、自説・他説を交えながら明らかにしていく良書。講演をベースにし書き下ろされているので、平易な言葉で書かれているので非常に読みやすい。本書の中では、貧富の格差による家庭の教育力格差、それにより生じる正負の拡大再生産により、一層の格差社会化が進むことを指摘している。
     教育会の末端にいるものとしては大変興味深い内容で、改めて公的教育の役割や家庭教育のあり方について考えさせられた。個人的には、階層格差をブレイクスルーしていける人材を育てることが公的教育の役割だと考えている。そのためには、お為ごかしの教育改革ではなく、義務教育から高等教育、そして就労まで見据えた教育のグランドデザインの再設計が必要なのだろう。教育関係者のみならず、子育て中の方にもおすすめの一冊。
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    投稿日:2013.09.28

  • 社会としての危機感

    身近な現象としては、珍しいことではないものの、それがこの先何を生むのか、ということを見せつけられた気がします。

    投稿日:2013.11.16

  • 前半は

    ほぼ現場にいる身としては,前半はとても興味深くおもしろかった.

    投稿日:2013.12.08

  • 教育崩壊の実態

    なぜ子どもたちが学びを放棄してしまうのか。
    教育現場で起きている「学ばない」という問題の原因が分かりやすく書いてありました。
    学校教育の制度、特に公教育の制度が根幹から揺らいでいることを感じさせられます。より良い次世代を、より良い社会を創り出し発展させていくために、そもそもの学校というもののあり方を議論してもいい時代に来ている気がします。続きを読む

    投稿日:2014.05.01

  • 「意味」のある人間になるために

    学ぶ意味、働く意味なんて考えなくていい。学べる時には学べ。働ける限り働け。その結果として、お前はこの社会において、他者にとって「意味」のある人間となれる。超要約すればそういうことか。その「意味」は、「意義」「価値」「すばらしさ」その他のプラス表現に変換可能。100パー同感です、内田先生。続きを読む

    投稿日:2013.10.05

ブクログレビュー

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  • タコン

    タコン

    このレビューはネタバレを含みます

    下流志向「内田樹」読書メモ

    学びからの逃走

    【問題提起】

    学習しないこと,労働しないことを誇らしく思う,
    「新しいタイプの日本人」の出現

    論件2つ
    →①新しいタイプの日本人がどのような歴史的コンテクストから生み出されたのか
    →②学びや労働から逃避した日本人が溢れる危機的未来にいかに対処していくべきか

    【現状分析(具体例)】

    ・勉強を嫌悪する日本の子供

    ・学力低下は自覚されない
    →相対的な指標(偏差値)が支配的だから

    ・「矛盾」と書けない大学生

    ・わからないことが気にならない若者

    →「わからない」ことよりも「わからないことがあっても気にならない」ことの方に危機感を感じる筆者
    現代の若者は意味がわからないことをスキップすることに慣れている,意味がわからないことをストレスに感じない

    自分の知らないことを存在しないことにしている

    無知のままでいることに生きる不安を感じずにいられる

    ・世界そのものが穴だらけ

    ・オレ様化する子どもたち

    ・想定外の問い

    「学ぶことは何の役に立つのか?」という問い

    子どもたちにとって授業を受けることはある種の「苦役」
    子どもたちは教師に対して「支払い」をしていると捉えている
    別の言い方をすれば,「苦痛」や「忍耐」という形をした「貨幣」を教師に対して支払っている.
    それに対して,どのような財貨やサービスが「等価交換」されるのかを彼らは問うている
    →教師は絶句

    なぜか,それは「そんな問いかけが子どもの側から出てくるはずがない,ということが教育制度の前提だから」

    「どうして人を殺してはいけないのか」という質問は,
    「自分が殺される側に置かれる可能性」を勘定に入れていない

    それと同様に
    「どうして教育を受けなければならないのか」という質問は,
    「自分が学びの機会を構造的に奪われた人間になる可能性」を勘定に入れていない
    例)世界に無数にいる戦争や災害で学ぶ機会そのものを奪われている子どもたち

    実際には,この想定外の問いに対して,
    絶句する大人や先生が少なく,子どもにも分かるような功利的な動機づけで子どもに勉強させようとする.

    子どもたちは自分たちの差し出した問いが
    大人を絶句させるか
    幼い知性でも理解できるような無内容な答えを引き出すか
    そのどちらかであるかを人生の早い時期に学んでしまう
    ある種の達成感
    →それが何の役に立つのか?どんな「いいこと」をもたらすのか
    その答えが気に入ればやるし,気にいらなければやらないという,
    「等価交換」する子どもたちが誕生(経済合理的,功利的な価値基準が幼い頃から染み付いてしまう)

    ・家庭内労働の消滅

    消費主体としての自己を確立している子どもたちは,
    学校に入って教育の客体とされることに不本意である.

    自己のアイデンティティの基礎づけ
    社会関係に入っていく過程が,労働から入ったか,消費から入ったか

    ・教育サービスの買い手

    超少子化→シックスポケッツ
    初めての社会経験が消費すること

    お金を使う人間として立ち現れる場合には,
    その人の年齢や識見や社会的能力などの属人的要素は基本的に誰もカウントしない

    金の全能性の経験を持ってしまう

    金の多寡ではなく,「買い手」という立場を先取すること

    どのような場面でもまず対面的状況において自らを消費主体として位置付ける方法を探すようになる

    学校でも子どもたちは「教育サービスの買い手」というポジションを無意識のうちに先取しようとする.

    等価交換的な取引の一番大きな特徴:買い手はあたかも自分が買う商品の価値を熟知しているかのように振る舞う(=十分な商品情報を持って,適切な商品を購入するのが消費主体としてのあり方)

    消費主体として人生をスタートするということは
    自分の前に差し出されたものを何よりもまず「商品」として捉えて,
    それが約束するサービスや機能が支払う代価に対して適切かどうかを判断し,
    取引として適切であると思えばお金を出して商品を手に入れる.

    消費主体にとって,「自分にその用途や有用性が理解できない商品」というのは存在しない
    そのようなものはそもそも商品として認識されない

    子どもたちがひらがなを習うと,何の役に立つのですか?」という質問をするのは
    消費主体として「この商品は何の役に立つのですか?」と聞くのと同じこと.

    ・教育の逆説

    等価交換の取引の場での有用な交渉術
    「その商品には興味がない」という無関心を誇示することで取引を優位に進められることを知っている

    有用な交渉術を学校現場に即して置き換えると,
    「そんなもの要らないよ.だって,それが何の役に立つのか(というよりむしろ何の役にも立たないこと)を,僕は知っているから」

    この問いがある種の全能感を子どもにもたらす

    教師が差し出す教育的サービスを「そんなもの要らない」と拒絶することは
    人類が営々として築いてきた知的構築物を一蹴するに等しい行為であるのは全能感がある

    教師が商品の売り手になりさがり,何とかお客さんである子どもたちに教育サービスを買ってもらおうと懇願する

    子供の目から見て教育サービスのうち,その有用性が理解できる商品がほとんどないということ

    教育サービスが何の役に立つのかをまだ知らず,自分の手持ちの度量衡では,それらがどんな価値を持つのか軽量できないという事実こそが,彼らが学校にいかなければならない当の理由だから.


    教育の逆説は,
    教育から受益する人間は,自分がどのような利益を得ているのかを,教育がある程度進行するまで,場合によっては教育過程が終了するまで,言うことができない.ということ

    昔の子どもたちは「承認」の感覚を求めて労働主体としての自己形成のプロセスを進んだ

    消費主体としてのあり方として,
    ①目の前に差し出されたものを「商品」として認識
    ②「商品」を値切ろうとする(=最小の貨幣で最大の商品を手にしようとする)

    ・不快という貨幣

    教育サービスの対価として,自らを消費主体だと認識する子どもたちは何を支払っているのだろうか?

    →「不快」を貨幣として教育サービスと等価交換しようとしている

    教室は不快と教育サービスの等価交換の場となる

    「不快という貨幣」を最高の交換レートで「教育商品」と交換しようとする

    「最高の交換レート」で,ということはすなわち,
    例えば,その授業の価値が「10分間の集中(不快)に耐えること」であれば,
    残り40分間分の「不快」はこの教育サービスに対する対価としては「支払うべきではない」ものであり,その時間は隣の生徒と私語したり,ゲームで遊んだり,漫画を読んだり,立ち歩いたり,居眠りしたり,子どもにとって「不快」でないとみなされる行為に充当される(というより,充当されなければならない(=子どもたちのある種の努力))

    ・生徒たちの意思表示

    授業に対して何の意味もないということを示したいのではなく,
    等価交換が適正に行われることを何よりも重要視している.

    ・不快貨幣の起源

    子どもたちは「他人のもたらす不快に耐えること」が家庭内通貨として機能するということを,人生の極めて早い時期に習得している.

    「先に文句を言ったもの勝ち」のゲーム

    ・クレーマーの増加

    「先に文句を言ったもの勝ち」のゲームになれた子どもたちは
    「被害者」のポジションを先取りする能力に長けている

    「私は不快に耐えている人間」であり,あなたは「私を不快にさせている人間である」という,被害―加害のスキームを瞬間的に作り上げようとする.

    ・学びと時間

    不快を記号的に表示することで交換を有利に導こうとするタクティクス
    →学校教育の組織的な破壊をもたらした

    等価交換は空間モデルによってでしか記述することができない

    学びのプロセスは空間的に表彰することはできない

    →「時間」の有無

    「学び」は等価交換の空間モデルによって表彰することができない
    「学び」は時間的な現象である
    そして,時間的でないような「学び」は存在しない.

    ・母語の取得

    母語の取得を始めたとき,これから何を学ぶかということを知らなかった

    起源的な意味での学びというのは,
    自分が何を学んでいるのか知らず,それが何の価値や意味や有用性を持つものであるのかも言えないというところから始まる
    というよりは,自分が何を学んでいるのかを知らず,その価値や意味や有用性を言えないという当の事実こそが学びを動機づけている.

    学びのプロセスに投じられた子どもはすでに習い始めている
    すでに学びの中に巻き込まれてしまっているのでなければならない
    子どもは学習の主権的で自由な主体であるのではありません

    まず学びがあり,その運動に巻き込まれているうちに,
    「学びの運動に巻き込まれつつあるものとしての主体」という
    事後的に学びの主体は成立してくる.
    私たちはそのつどすでに学びに対して遅れている

    学びとは,
    学ぶ前には知られていなかった度量衡によって,
    学びの意味や意義が事後的に考量される.
    ダイナミックなプロセスである

    ※「買い物する主体」は無時間的な存在
    消費主体;等価交換を行っている過程で,消費主体は決して変化してはならない,
    その価値観を変えてはならない,その交換レートを変えてはならない,その度量衡を変えてはならないという厳重な禁則から逃れることができない
    →学びの場に消費主体として登場してしまった子どもたちも同じ禁則に縛られることになる.

    ・変化に抗う子どもたち

    「成長」へと押し流そうとする圧力(=学びへと誘う流れ)に全力で抗っている

    子どもたちがまず学ぶべきことは「変化する仕方」です
    学びのプロセスで開発すべきことは何よりもまず「外界の変化に即応して自らを変えられる能力」です

    ・「自分探し」イデオロギー

    「自分探し」とは,自己評価と外部評価の間に乗り越えがたい,「ずれ」がある人に固有の出来事であるということができます.

    自己評価と外部評価のズレ自体には問題がない
    問題なのは,自分でも納得の行くくらいの経緯や威信を獲得するように外部評価の好転に努めるというのが,普通の人間的成長の行程であるが,
    外部評価を全否定してしまうことが問題である.

    人々が何かを行おうとするとき,その行為の動機がどれだけ個人の心の内側から発するものか.教育心理学の用語を使えば,「内発的に動機付けられているか」どうかによって,私たちの社会はその行為を価値づけることに慣れ親しんできた.

    打算や利害によるよりも,自発性が尊ばれる.
    金儲けや,権力,名声の獲得といった,自己に外在的な目標を目指して行動するよりも,
    自分の興味,関心に従った行為の方が望ましいとみる.
    個性を尊重する社会では,自己の内側の奥底にある「何か」の方が外側にある基準よりも行動の指針として尊ばれる.

    問題は「自己に外在的な目標を目指して行動するよりも,自分の興味・関心に従っていた行為の方が望ましいとみる」という点である.

    仮にひろく社会的に有用であると認知されているものであったとしても,
    「オレ的に見て」有用性が確証されなければあっさり棄却される

    この価値付けが教育崩壊の根底に横たわっている.

    ・未来を売り払う子どもたち

    「現代思想を学ぶことの意味は何ですか?」
    もしこの問いに説得力のある回答をしたらそれを学んでも良いが,
    答えに納得できなければ,「学ばない」と宣言している.

    つまり,ある学術分野が学ぶに値するか否かの決定権は自分に属しているということを問いを通じて表明している.
    →傲慢さと無知さ

    20 歳の学生の手持ちの価値の度量衡をもってしては軽量できないものが世の中には無限に存在している.

    喩えて言えば,
    愛用の30センチの「ものさし」で世の中の全てのものを測ろうとしている.
    その「ものさし」では測れないもの,例えば,重さとか光量とか弾力と言ったことの意味を「ものさし」しか持たず,それだけで世界の全てが軽量できると信じている子どもにどうやって教えることができるだろう?

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    投稿日:2024.05.07

  • ゆう

    ゆう

    当座の報酬の期待値の低さ・不確定性に対し、経済合理性の下、消費者マインドで「こんなん何になるんだよ」と突っぱねちゃうのがニートと不登校、つまり労働や学びの拒否の始まり。

    その曖昧さや不確定性に対して「きっとなにかになるはず」と、気長かつ楽観的・期待的に身を投じて、労苦を負って行くこと。そして自己の不確定な変化という性質を認め、受け入れ、期待し、勘定に入れた上で学びに向かうこと。それらの勇気ある殊勝な態度が知性。

    また「自身の存立」時点で社会や周囲の人間から受けてきた恩義、つまりは贈与に負い目を認められ、その反対給付義務意識に駆られて積極的に労働という(返報)贈与を社会に行っていくこと。それこそ伝統的人間らしさ・文化人類学的知見に合致する労働者マインドであり、労働の倫理・哲学・美学である。

    ※ただこの倫理に関しては(薄給なだけならともかく)ハラスメントや長時間労働強制、肉体的・心理的安全性侵害が横行するような、日本に跋扈するブラック職場では成立しないと思うけど(2005年の本だししゃーなし?)。

    含蓄が多い本だと感じました。
    勇気と忍耐のある、道徳的な内発的動機づけに強く意志付けられた人間になりてぇ。
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    投稿日:2024.02.12

  • 2026195番目の読書家

    2026195番目の読書家

    自分も含めてですが、コスパよく結果がでることや収入が得れるというのが一般的な時代になっています。そんな時だからこそ本書で述べられている
    教育という本質的な部分は忘れてはならないと感じました。親と子で学ぶ。なぜ勉強するか?そこは問わずに楽しいよね?学ぶって出来るってという変化をしっかりとみてあげること。子どもも含めて感謝をする。人間として大事な教育という土台をもう一回作り直して現行にも活かせる一冊だと感じました。続きを読む

    投稿日:2024.02.04

  • planets13

    planets13

    冒頭の事例は「事実の一部」、「メディアで変に強調されているところだけ」を基にしているように思われたけど、「消費主体」という視点にはかなり納得。そしてリスクヘッジの意味を再認識させられた。

    投稿日:2023.12.24

  •  arata

    arata

    「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
    こういった子供の問いに、大人として最適なふるまいとは『絶句』してそのような問いは「ありえない」と斥けることだと著者は主張しています。

    なぜなら、その答えを教師から引き出すという体験によって、子どもがあるゆることにおいて自分に有益そうならやるし、気に入らなければやらないという採否の基準を身体化した『等価交換する子ども』になってしまうからだと言います。

    それは子どもたちが「家で労働する」という体験から自己形成をする機会がなくなり、その代わり早い時期から消費活動への参加を促されていることに原因があるとのことで、その説明は納得するところもあるのですが、平和で豊かな生活を送る日本の子どもが、勉強の意義を考えることがそんなに悪なのでしょうか?とも考えてしまいます。私もなんとなく考えたことあったと思うし。

    そんな質問に教師として「答えがない問いに答える必要はない」と斥けるのは、「つべこべ言わずにやれ」という昭和の感覚をよっぽど引きずっているのではとも思ってしまいます。
    「君は歴史で習った、戦時中の子どもの話を聞いてどう思った?これがその質問の答えになると思うから、一度自分で考えて、あとで先生に教えて」
    みたいな子どもに気付きや考える力をサポートするのが最適なのでは。

    ちょっと自分と意見が違うけど、子供をとりまく教育、家庭の構造がわかって面白かったし、色々考えるきっかけになりました。また読みたいです。
    ちなみにこのあと『ドラゴン桜2』を読むと、なかなか味わい深くなります。「考えるな!動け!」
    続きを読む

    投稿日:2023.12.05

  • Yuka

    Yuka

    学ぶことができるという環境を放棄している日本の子どもたち。納得のいく内容でした。
    生産と消費がかけ離れ、生産することへの尊敬と感謝が失われている日本社会。たくさん消費することが良いライフスタイルであることのように報じられるメディア。日本はどうなっていくのでしょう。続きを読む

    投稿日:2023.10.29

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