【感想】雌犬

ピラール・キンタナ, 村岡直子 / 国書刊行会
(12件のレビュー)

総合評価:

平均 3.7
3
4
2
2
0
  • 自然や運命に対する諦念とふさわしい罰

    穏当で予定調和の、倫理観に溢れた小説とは対局にある、胸をざわつかせ心掻きむしられるような作品。
    本書はヘミングウェイの『老人と海』への著者なりのレスポンスというが、最後に主人公がとる行動の真意や、「人生は入り江のようなもの」という一文の意味など、読書会で取り上げたら語りがいのあるポイントが多い。

    舞台は、太平洋岸に面したコロンビアのとある小村。
    「地獄の果てのもっと向こう」断崖の上にかろうじて立つお屋敷の目の前は、木が生い茂るジャングルで、濃密な空気が立ち込め闇が支配している。
    上空では死骸を求めコンドルが旋回。

    眼下の入り江の水の流れは早く、潮が引かないと歩いて渡ることができず、満ちれば全体が水浸しになる。
    若いころ海岸の事故で幼なじみを亡くしたダマリスは、海に攫われた遺体が出てくるまで、毎日ムチで打たれ続ける。
    時が過ぎ、生後間もない雌の子犬を譲り受け、それこそブラジャーの中に入れて連れ歩くほど世話を焼くようになったのは、女が乾く年頃の40歳を過ぎるまで、呪術や祈祷に頼ってあらゆる犠牲を払い不妊の治療を続けるが報われなかった経験を持つためだ。溺愛し我が子のように尽くした子犬が、やがて山の味を覚え、逃げてしまう。

    散々探し回ったが見つからず、とうとう諦めてしまう。
    思う通りにいかず、自身の意思の範疇外にあるものに対して、期待するのを止めてしまうさまは、犬を探すのをやめることと妊娠を待ち望むこととが、微妙に重なり合っている。
    一度は諦めた雌犬が数十日ぶりに帰ってきて、その後も逃げ出さなくなり、ようやく正気に戻ってくれたと喜ぶが、実はただ身ごもっているからだと聞かされ愕然とする。
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    投稿日:2022.05.23

ブクログレビュー

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  • がと

    がと

    コロンビアの海辺の村で邸宅の管理人をしているダマリスは、近所からもらった雌の子犬を飼い始める。ダマリスは不妊治療の末に子どもを諦めた過去をもち、子犬の成長に慰めを感じて溺愛するが、いつしか思い通りにならない犬への愛が歪んでいく。トラウマを持つ中年女性と雌犬の愛憎関係を乾いた筆致で描く。


    なんだか雌犬づいている。女性と雌犬の奇妙な依存関係が印象的な物語を読むのは今年に入って3作目。レベッカ・ブラウンの『犬たち』、ホセ・ドノソの「散歩」、そしてこの『雌犬』だ。もちろん本書は最初からタイトルに引力を感じて手に取った。
    『犬たち』は幻想の雌犬が増殖し、深い孤独を抱えた主人公の心を苛む話。「散歩」は弟と甥の"子育て"を終えた女性が野良の雌犬と出会い、それまでの人生からするりと抜けだしていく話だった。この二作における犬はとてもシンボリックな存在だったが、本書のチルリは違う。最初から最後までリアルな動物の犬であってそれ以上でも以下でもない。その描き方が非常にドライなのである。
    その犬らしい犬でしかないチルリをダマリスは娘代わりにしてしまう。それが歪みの始まり。ダマリスはずっと夫がチルリをいじめるんじゃないかと心配しているけれど、ロヘリオのほうが犬をしっかり犬として取り扱い、人間に期待するような見返りを求めてはいけないとわかっている。
    不妊治療に関してもロヘリオが不実だったというわけではなく、ただ決定的な場面で男尊女卑的な価値観からモラハラじみた発言をしてダマリスを傷つけてしまう。ロヘリオが妻の苦しみを顧みないただのクズ夫だとは言えないから苦しい。(不妊治療のエキスパートが魔術師や祈祷師なのはコロンビアあるあるなのか、夫妻が追い詰められていることを意味するのかどっちだろう)
    そもそもダマリスの出生事情が複雑だったり、夫妻が住み込みで管理している邸宅が昔死なせてしまった友人の家だったりして、読み進めるほどに彼女が八方塞がりの人生でプレッシャーと闘いながら今に辿り着いたことがわかってくる。子が欲しいという強烈な願いは私にはわからないけれど、ダマリスは実際に子どもが産まれてもその子を通して世界に認められたい、受け入れられたいという思いが強すぎて規範を押し付けてしまったかもしれない。チルリは容易く脱走を繰り返しては子を孕んでダマリスのコンプレックスを刺激し、その苛立ちはやがて暴力に発展する。
    この小説は終わり方がすごい。それこそ崖から突き落とされたかのような幕切れに虚を突かれた。とにかく全ての設定がダマリスから逃げ場を周到に奪い、彼女を追い込む。本当は生きたチルリと一緒にジャングルに逃げてしまえばよかったんだと思う。自己規制に苦しめられる主人公像がやっぱり『犬たち』に似ている。この作者は幻想的な書き方を一切しないけれど、終盤のダマリスは幻聴や幻覚を見ていても不思議ではない。
    停滞した人間関係が一匹の犬の登場によって静かに狂っていく。犬はただ犬であるだけなのに、人はそこに意味を期待して勝手に裏切られた気分になる。庇護できるものへの愛はいつも生殺与奪権と表裏一体だ。だが、本作が悲惨なだけの印象で終わらないのはこの圧倒的にドライな文体のせいだろう。乾いているがマッチョではない、極限の女性を描くために研ぎ澄ました文体が見事だった。
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    投稿日:2024.04.08

  • sako0105

    sako0105

    ダマリスが住んでいる環境をイメージしようと試みるのだが、どうも想像力が足りず、ただただジャングルが浮かんでくるだけ。崖の上の家のイメージもそのままでしか浮かばず、貧相な想像力しかない自分に辟易する。可愛い子犬は当たり前だがイメージできる、ただただ可愛がるのも十分イメージできる。その後のダマリスの犬との接し方がまたまたわからない。愛と憎しみは紙一重ということか。続きを読む

    投稿日:2023.09.01

  • yukimisake

    yukimisake

    こちらも表紙を見て「かっこいい!」と勢いだけで手に取った本です。内容は全く知りませんでした。

    この作品は読み手が男性か女性かで感じ方が大きく変わると思います。
    そして犬好きの方は要注意です。
    私は一旦読むのを止めてしまいました…。

    そのショックが大きくてそれしか頭に無いのと、理解が追い付かなかったのでこの辺で。

    映画化が決定しているそうですが、アカデミーが好きそうな内容であります。
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    投稿日:2023.08.11

  • Mizuiro

    Mizuiro

    このレビューはネタバレを含みます

    特段心揺さぶられることなく読み進めていたが、最後ガツンと頭を殴られたかのような衝撃があった。

    読み終わってじわじわくる雌の怖さ。自然と人間の生々しい部分が詰まった作品だった。

    可愛がっていた犬を邪険に扱うようになるなんてひどい!と思いつつ、相手が思い通りに動いてくれない時に起きる苛立ちは私の中にも存在するし、子供を産めない自分が、望まずとも子供を身籠る犬を憎らしく思うというのも、想像のつく感情だと思った。

    生き物を殺める行為は何時も非難の対象だけれど、それは全て悪なのか、その背景やその後の影響にも問いを投げかけられていたように思った。(それとも単に自己を正当化しようとする心理がダマリスに働いていただけか?)雌犬が死ななかったら、ある種自分と同じような寂しい思いをする子供たちが増える、自分になんらかの被害が及ぶかもしれない。

    子供は親を選べない。親もまた子供を選べない。
    彼女が自分の子供を産んでいたら、どうなっていたのだろう。

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    投稿日:2023.05.28

  • トリアナママ

    トリアナママ

    ピラール・キンタナ『雌犬』
    まず題名を見て、どんなどぎつい話なんだろうと疑問が湧くが、実際に主人公の「女」が「雌の犬」に翻弄される話しであった。実は、この「女」がまさに曲者で、自分よがりで感情的で無秩序でいわゆる『雌犬』みたいな女なのだ。
    この女は、始め母性から小さな仔犬を命がけで可愛がるが、やがて犬が成犬になり、外の世界を楽しみ、子を孕むと、嫉妬から雌犬を自ら手に掛けて殺してしまう。
    憎しみから、一度他人に手渡した犬が、女を頼って戻って来たにも関わらず、撲殺するのだ。この心の移り変わりが恐ろしく、読み終えた後に薄寒さを覚える。
    まぁ、内容はどうあれ、作者がコロンビア出身の"女流作家"という珍しさは注目すべき点だ。また、ファンチャコと言う圧倒的な自然を背景にロルカの戯曲『イェルマ』に刺激を受けた題財は、鬼気迫る「女」の感情表現に豊かな色を添える。
    読み応えのある一冊だった。
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    投稿日:2023.01.24

  • よんだ

    よんだ

    面白いとか心震えるとかじゃない、「私がいる」と思った。
    女であること以外に共通点のないダマリスが抱えるものを私は知っている。
    根源的な母性の暴力性と濃密な南米の自然の描写はあまりにも似ていて、自分が子供の頃から振りまわされ持て余し恐れていた「これ」はまさしくこのジャングルであり母性。続きを読む

    投稿日:2022.11.12

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