【感想】創られた「日本の心」神話~「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史~

輪島裕介 / 光文社新書
(23件のレビュー)

総合評価:

平均 4.1
8
5
7
0
0
  • 演歌を創ったのは五木さんだったのだ!

     ひろしではありません。寛之の方です。本を読むとわかります。
     さてその内容は、タイトルの副題の通りです。
     「美空ひばりは演歌歌手なのか?」冒頭のこの「はじめに」を読むだけでも大変興味深い物がありますが、全体としては、流行歌、歌謡曲、J-POPを解説しつつ、膨大な文献資料をもとに論じた一つの日本文化論であります。
     まず、第一部において、歴史が語られます。明治、大正時代からの話は、その曲を知らなくても十分楽しめました。それに、ついこの前まで存在していたレコード業界の決まり事?のような裏話もなかなか面白かったです。そして、第二部から、所謂「演歌」ってなんだ?という核心に迫っていきます。最後の章は「昭和歌謡の死と再生」というタイトルで、阿久悠の死去の影響を語ります。
     私は昭和34年生まれでありますが、特に、1970年代以降の歌謡史は、懐かしい名前、懐かしい曲がバンバン出てきてとても興味深く読ませて頂きました。たしかにあの頃、演歌なんていう単語はなかったし、美空ひばりが神格化されていたという意識もありません。
     また、「演歌」の音楽的スタイルは、日本的、伝統的なものばかりではありませんし、うらぶれた酒場を舞台とし、どうしようもない男と耐える女を歌えば演歌というわけでもありませんよね。確かに、高度成長期に取り残された人々の鬱積が、今日の「演歌」というイメージを作り上げたのかもしれません。
     では、今後ますます広がってゆくであろう格差社会の中で、人々は何にはけ口を求めていくのか?これも興味深いところでありますが、ニューミュージックがいつの間にやらJ-POPと呼ばれるようになったのと同様、演歌という単語もいずれ死語にになっていくのかもという指摘も、なるほどと納得できるものでした。
     一方、アメリカにはジャズ、フランスにはシャンソンがあるように、日本には艶歌があると、北島三郎が言ったという話がありますが、この本を読むと、何故、世界では「演歌」が認知されないのかわかる気がします。おそらくそれは、ジャズもシャンソンもカンツォーネもタンゴもラテンも、そして日本の民謡や童歌も、すべて網羅されてチャンプルされた楽曲だったからではないのでしょうか。これも、日本人の文化を象徴しているのかもしれません。ただ言えることは、一つの楽曲を聴いて、「演歌だねぇ。」と思ったとき、理屈では言えないけど、我々世代では暗黙の了解ができるのもまた、事実なのであります。
     ぬるめの燗酒とあぶったイカとくれば、BGMは演歌でしょう、ねぇご同輩!
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    投稿日:2014.12.23

ブクログレビュー

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  • bikkotsu

    bikkotsu

    非常に興味深い内容でした。
    著者とは同世代ということもあり、演歌、歌謡曲、Jpopの変遷について、なるほどとうなりながら読みました。
    かなり大胆な主張にも思えますが、それを裏付ける丹念な調査をされているところが凄いなと。続きを読む

    投稿日:2024.04.02

  • sasara

    sasara

    新書大賞2011第10位筆者は演歌誕生は1966年五木寛之小説「艶歌」よりと。69年デビュー不幸なプロフィール脚色された藤圭子による暗さ、不幸による怨歌が人気定着も80年代若者達のjpopカラオケ文化により演歌は衰退へ意外と歴史が浅い創られた演歌日本の心とはなにかを問う。続きを読む

    投稿日:2021.10.28

  • iadutika

    iadutika

    このレビューはネタバレを含みます

    創られた「日本の心」神話
    「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史
    大阪大学文学部准教授 輪島祐介著
    2010年、光文社新書

    9月20日のオフ会でお話を聞いた輪島さんが書かれた本。
    お話を聞く前に読みたかったのですが、図書館の順番が回ってこず、やっと読めました。

    演歌の定義は? 美空ひばりって演歌?
    これらの質問に対する回答は、易しそうで難しい。
    演歌というと、ついヨナ抜き五音音階や、民謡調の二六抜き音階、七五調の日本的な歌詞、こぶしや唸り、なんかをイメージするが、実は、我々が「演歌」だと思っている曲に、そういうことが当てはまらない曲がいっぱいある。

    例えば、我々世代が「演歌」だと感じていた古賀メロディーも、レコード歌謡が始まった頃には「ラテン風」「南欧風」と見られていた。明大マンドリンクラブ出身でクラシックギター演奏に秀でた古賀の音楽的素養は、プチ・ブル青年層のカジュアルな舶来趣味と合致していた。
    そう書かれると、はっと目が覚める。この本には書かれていないが、9月に聞いた輪島さんの講演では、こんな話しが。私、きたはらんなは、森昌子、桜田淳子、山口百恵という花の中三トリオと同い年。私の世代では、森は演歌、後は普通の歌謡曲に聞こえた。ところが、今、輪島さんが教える学生たちに聞かせると三人とも同じジャンルだと感じるという。

    講演でも、この本でも、輪島さんの言いたいことは、「演歌」は必ずしも日本的ではなく、曲や歌詞に一定のルールがあるわけでもない、つまり音楽的なジャンルではなく、音楽産業上のいわば“都合”により、売る側の論理で創られた概念だということ。そして、長く見積もって1960年代後半から1980年代後半までの20年間の現象。
    その証拠として、JASRAC(音楽の著作権をほぼ独占状態で管理している組織)の仕事をしたところ、JASRACは「演歌」という言葉をなくそうと努力していることが分かったという(これはオフ会で披露されたオフレコ話(^o^))。
    そして、今は、「昭和歌謡」としてひとくくりにして売ろうとしている。

    この本では、一部と二部で「演歌」は多くの人が思いこんでいる「演歌」に非ず、音楽産業史の宿命によって生まれたことだということを、いろいろな角度から論じている。
    三部では、日本の文化人の思想と演歌についても分析。戦後、旧左翼による「演歌」的な曲への攻撃、五木寛之など新左翼側からのそれに対する反発と「演歌/
    艶歌」への賞賛(その申し子のように登場した藤圭子)、などが書かれ、さらに四部では、その後、演歌から昭和歌謡へと移った現在に至るまでの過程が追われている。

    はっと、目が覚める一冊。


    以下、ほーうっ、と思ったことの箇条書きのほんの一部

    GS以後のフリーランス作家の時代に入り、それ以前のスタイルが「時代遅れ」で「年寄り向け」に思われ始めたときに。古いタイプの歌と目されたものを新たにジャンル化されたのが「演歌」。(46)

    演歌の語源は、明治の自由民権運動の流れをくむ「演説の歌」(50)
    「ダイナマイト節」「オッペケペー」
       ↓
    演歌は直接的な政治批判から滑稽を含んだ社会風刺に。
    明治末年には、無伴奏→バイオリン導入、芸人に近づく
    壮士ではなく書生(苦学生)が担い手となり歌本販売アルバイトになったため商業性と娯楽性がさらに増す。「演歌師」の呼称誕生(52)
    レコード化されたものもあり、大正時代の大衆文化に足跡
       ↓
    昭和初年、レコード歌謡が成立し、基本的に口伝えの演歌師のやり方は衰退。レコード会社による歌詞と楽譜の印刷物無料配布は歌本販売を困難に。(53)
    演歌師は盛り場の流し芸人に(56)

    「こぶし」「唸り」が入ってきたのは昭和30年代、それ以前はほとんど見あたらない。(75-76)

    1960年前後は、水原宏、三浦浩、石原裕次郎、アイ・ジョージら低音ブーム。フランク永井の低音歌唱は、当時の人々に「バタくさい」と受け取られ、民謡調の三橋美智也の「田舎っぽさ」と常に対比された。
    その後、「都会調流行歌」はムード歌謡として、「演歌」形成期には、その「夜のちまたイメージの源泉となっていく(86-87)

    都はるみの唸り節は、ある時、浪曲師上がりの漫才師、タイヘイ夢路の舞台を見た母親が、娘の歌に個性をあたえるために唸りを強調するように命じたのが発端(95-96)

    「若者向けヒット曲は使い捨てだが、演歌は一曲の寿命が長い」とよく言われた。これは曲そのものとういより、演歌は「手作り」の地道なプロモーションを通じて「聞き手の生の」生活心情に訴えかけるのに対し、若者向けは華々しい宣伝やタイアップにより仕掛けられていくという、戦略上の違いから来ている(99)

    昭和30年代後半に登場した「流し」出身歌手、アイ・ジョージは、メキシコ風のソンブレロとポンチョを被り、ギターを抱えて歌う、当時は「ポピュラー」の歌手だった。(111)

    美空ひばりのレパートリーの広さを言い換えるなら、笠置シズ子「ブギ」、江利チエミ「ジャズ」、三橋三智也「民謡調」、南春夫「歌謡浪曲」といった、歌手の個性と特権的に結びつき、後続に影響を与える独創的なスタイルをついに生み出さなかった、ということ。彼女はきわめて優秀な解釈者にすぎなかった。(122-123)

    「地名+ブルース」によるご当地ソング」のスタイルを確立したのは、昭和41年の「柳ヶ瀬ブルース(美川憲一)」。「ご当地ソング」という呼称が使われたのも、この曲のキャンペーンが最初。
    この曲を作った柳ヶ瀬の「流し」、宇佐英雄は、あるとき「変わった歌をやってみろ」と客に言われ、以前、長岡にいたころに作った「長岡ブルース」を、とっさに「柳ヶ瀬」に変えて歌ったところ、地元有線放送局の社長だったその客が気に入って翌日に吹き込みをして、ローカルなヒットになった。(144-145)

    ナツメロブームは昭和40年、テレビ東京(12チャンネル)「歌謡百年」という番組が端緒。昭和40年の明治100年に向けて高まる。そこで見出されたレコード歌謡は、その時点でせいぜい40年程度の歴史しかない。現在とグループサウンズ以降の昭和歌謡との時間的距離と同じ。 (160)

    「日本子供を守る会」による「横須賀タマラン節」追放運動(1952年)が、「放送禁止歌」「封印歌謡」のルーツである「猥歌」に抗議。つまり、追放の主体となったのは政権側ではなく、左派、革新勢力だった。 (191)

    いずみたくは、日本共産党の文化工作隊からうたごえ運動の活動家へ、という左翼音楽エリートから職業作曲家に転じた。三木鶏郎のもとでCMソングもつくる。伊東へ行くならハトヤは、作詞野坂昭如、作曲いずみたく。(195)

    既成左翼が、進歩主義、近代主義の立場から、日本の大衆文化を「俗悪・頽廃」と否定したのに対し、新左翼勢力は「土着的」「民衆的」「民族的」として肯定的にとらえた。「敵の敵は味方」のパターン。大島渚が「日本の夜と霧」で、「うたごえ」やフォークダンスが六全協以降の党の転向と裏切りの象徴として侮辱的に描いた。(199-200)

    演歌(艶歌)の項目が初めて現代用語の基礎知識に立てられたのは1970年版。(271)

    1970年前後に一種の流行として定着した演歌は、音楽的特徴において日本的、伝統的とみなされてきたのではない。股旅やくざ、遊女、チンピラ、ホステスが集まる「盛り場」などアウトローと悪所にこそ、「真の」民衆性が存在し、やくざやチンピラやホステス、流しの芸人こそが、真正な下層プロレタリアートであり、西洋化=近代化である経済成長に毒されない「真正な日本人」なのだ、という物言いが可能になった。(289-290)

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    投稿日:2021.03.15

  • 小野不一

    小野不一

    まず文章がよい。たまげた。リライトされた文章のように読みやすく、テクニカルライターのように正確だ。読んだ時には惹かれた文章でもタイプしてみるとガッカリすることは意外と多いものだ。書き写せば更にガッカリ感は増すことだろう。このように身体(しんたい/=口や手)を通すと文章のリズムや構成を皮膚で感じ取ることができる。一方、名文・美文には一種の快感がある。輪島の文章が抜きん出ているのはその「簡明さ」にある。嘘だと思うなら試しに書き写してごらんよ。輪島は学者である。文士ではないゆえ、香りを放つ文章よりも簡明が望ましい。「簡にして明」であればこそ大衆の理解を得られる。
    https://sessendo.blogspot.com/2019/03/blog-post_7.html
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    投稿日:2019.03.07

  • ショーゴ

    ショーゴ

    このレビューはネタバレを含みます

    いわゆる「演歌」は日本の心である、という現代の人たちにほぼ疑いなく浸透している意識に対し、本当にそうなのか?という疑問を持った筆者の力作。
    徹底的に資料を読み込み、豊富な実例を挙げながら、「演歌=日本の心」となっていく過程について丁寧に語っている。
    そもそも演歌は演説歌の略称であったはずなのに、一体いつからそのような認識が広まっていったのか、一体誰がそれを作り上げたのか。
    それは、左翼的文化人と、レコードを売りたいレコード会社と、そしてマスコミによる意識的/無意識的な絡まりあいであった、と理解しました。

    目から鱗のことばかりで、読んでいてとても刺激的でした。

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    投稿日:2017.01.10

  • たまどん

    たまどん

    そもそも「演歌の定義は?」と言われると、私も前からはっきりしないなと思っていた。
    例1:河島英五の「酒と泪と男と女」は演歌なのか?
    演歌の歌詞の要素として誰からも異論は出ないだろう「酒」「泪」「男と女」が凝縮され、タイトルから見たらこれこそ「ザ・演歌」なのに、この歌を「演歌」に分類するのにおさまりの悪さを感じる人は多いはず。
    例2:「川の流れのように」は演歌?ならば「雨の西麻布」は?
    本書P269でも言及されてるけど、同じ作詞・秋元康、作曲・見岳章のコンビ作で、いわゆる兄弟関係にある作品なのに、「川の流れ~」は「日本の名曲」で「雨の~」は全然そう言えないってのもなんだかおかしくない?だって、もし「川の流れ~」をとんねるずが、「雨の~」を美空ひばりが歌っていたら、どうなってただろうか?

    …っていう疑問を持ちながらこの本を手にした。著者の輪島さんも疑問があったようで、そのうえで、この“こんがらがった”状態に自分なりに整理しようとしたのか、誰も手につけようとしなかった(あるいは多分、手をつけても誰も収拾をつけられなかった)領域に、徹底した文献検索によって学術的アプローチを図り、自分なりに「演歌とは実は何なのか」ということと「なんで演歌=日本の心なのか」について回答を出そうとしている。

    『回答を出そうとしている』と書いたが、演歌とは何か、については実は回答は出ていない(と思う)。と言うか回答は出せないのだ。なぜなら「演歌」の定義なんて存在しないから。
    この本によると、その時代時代の業界などの「売り手側」と、レコードやカラオケなどでの「聞く側」との複雑な連関関係によって、手を変え品を変え、その時々に都合よく、キーワード的に「演歌」と言う言葉が当てこまれているからだ。と言うことは演歌の実体が明確でない以上、「日本の心」も実質のない、体よく使われている言葉ということだ。

    演歌とは何?の回答は得られなくても、例1と例2の答えはわかった。売り手なり、聞き手なりが、それぞれ「これは演歌」って共通に考えれば、すなわちそれは演歌ということ。だから河島英五の歌は演歌ではないし、とんねるずの歌もそうだ。
    著者が追求したかったのは「演歌の定義の探究」ではなく、美空ひばりの歌イコール演歌だ日本の心だ、と直線的に思い込むような世間の誤解に対して根拠を示し矛盾を指摘することだったのだ。

    さらにこの本には直接関係しないんだけど、約20年前、私が大学生時代に夢中になった週刊スピリッツ連載の「俺節」(土田世紀作)の次のくだりも、読後、腑に落ちてきた。
    -東京のある繁華街。大衆的な酒場で好きな女の子にフラれて寂しくヤケ酒を飲む青年がいて、そこにギターをかかえた“流し”が入ってきた。青年の仲間の男が顔見知りと思われるその流しに「歌ってやって」と頼み、お金を渡す。男は「堀内孝雄やってよ」と言うが、流しは「ダメダメ、あんなの演歌じゃないよ」って言って、ギターを弾きながら「片恋酒」(宮史郎)を歌い出した-当時、その違いが全然わからなかった。片恋酒なんて、いかにも宮史郎的な、ある意味下世話な歌詞とメロディーだし。
    でも、少しだけ人生経験を積み、この本を読んだ今ならわかる。失恋した青年、仲間の男、そして流しが演歌として歌い、聞き、受け入れれば、それは演歌だと。俺節では、片恋酒の「つらいのよ、つらいのよ」の歌詞の箇所で、それぞれがその歌詞の言葉を胸に染み込ませるかのようなシーンとして描かれている。

    そして、同じ「俺節」に出てくる次のセリフにつながると思う。「歌にも…歌い手にも…それを聴く者にもドラマがある。そいつを胸に刻んでおくんだ…それが演歌だ。」
    (2015/4/19)
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    投稿日:2015.11.08

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