愛なき世界(上)
三浦しをん(著)
/中公文庫
作品情報
恋のライバルが、人類だとは限らない!? 洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。愛おしい変わり者たちと、地道な研究に人生のすべてを捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか――〈付録〉「藤丸くんに伝われ 植物学入門(上)」
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商品情報
- シリーズ
- 愛なき世界
- 著者
- 三浦しをん
- 出版社
- 中央公論新社
- 掲載誌・レーベル
- 中公文庫
- 書籍発売日
- 2021.11.25
- Reader Store発売日
- 2021.11.19
- ファイルサイズ
- 2MB
- ページ数
- 344ページ
- シリーズ情報
- 既刊2巻
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この作品のレビュー
平均 3.8 (101件のレビュー)
-
あなたは、『どうして指のさきにだけ、こんな硬いものが生えるのか』と自分の爪のことを不思議に思ったことはないでしょうか?
う〜ん、ないですね、そもそもそんなこと今まで考えてもみなかった…私の…正直な答えです。しかし、こんな風に訊かれると『所定の位置に、自動的に爪を生やす』というのはどういう仕組みなんだろう、とは思います。世の中には不思議なことがたくさんあります。それらは大きく分けると次の二つに分けられると思います。まずはその人にとっては不思議なことであっても世の中的には解明されていることです。テレビ番組を賑わすクイズの数々はこちらですよね。そしてもう一つが、その人だけでなく世の中的にも解明されていないことです。UFOとか、心霊現象、そして私たち人間の身体だってその全てが解明されているわけではありません。そして、そんな未知の事ごとに接した時に人は二つのタイプに分かれると思います。私のように不思議だなあ、でも『そんなこと考えたってしょうがないや』とそこで終わりにしてしまうタイプ。そしてもう一つが『投げだすことなく、しつこくしつこく考えつづけ』るタイプの人たちです。
この作品は、『木を見ても草を見ても、 「葉っぱってどうしてこういう形で、こんなふうに生えるんだろう?」』と思いを巡らす大学院生の物語。『植物は本当に、不思議でうつくしいです』と、植物に魅せられ、植物の研究に夢中になる一人の女性の物語。そして、それは『愛のない世界を生きる植物の研究に、すべてを捧げる』と、信じた道を歩いていく人間と植物たちの物語です。
『洋食屋「円服亭」は、東京都文京区本郷の高台にある』という『テーブル席が八つばかりの小さな店』で住み込みで働いているのは藤丸陽太。『東京の立川出身』という藤丸は、子どもの頃から料理が好きだったこともあり『お茶の水の調理師専門学校』に入学し調理師を目指していました。『バイト代が出ると、気になる店を食べ歩いた』という『藤丸の舌と心をもっともとらえた』のが『本郷にある円服亭』でした。『洋食屋と銘打ってはいる』ものの、『ラーメンや八宝菜もあ』り、『実態は和洋中を取りそろえた、「町の食堂」』という面持ち。何度か通ううちに『この店で働きたい』と思い履歴書を持参するものの『いま募集してないから』と店主の円谷正一に追い返されます。結局、卒業後は『赤坂のイタリア料理店に就職』した藤丸でしたが『円服亭への未練断ちがたく』、二年後再度足を運ぶと『いつから働ける?』と別人のような対応を受け住み込みでの生活が始まりました。以来、半年、『円谷の厳しい指導のもと、円服亭の味を体得すべく、充実した日々を送っている』藤丸。そんなある日、『すみません』と声をかけられてフロアに赴いた藤丸の前に『五人連れの客』がいました。『ちょくちょく円服亭に来るひとたち』とはわかるものの『どんな職業なのか、いまいちよくわからない』と思う『男性が三人、女性が二人』。『オーキシンの下流に』『MYBが』といったよく分からない会話をしている五人。その後も『五人の客の正体は不明のまま』でした。そして、数日後、『デリバリーはじめ〼』という貼り紙をだした円谷は『事業拡大してみるのも悪くねえ』と藤丸に配達も担当するよう伝えます。そんな時、いつもの五人のうちの一人、『黒いスーツを着た陰鬱そうな男』がやってきて『宅配をしてくれるのですか』と訊きます。『T大学 大学院理学系研究科… 教授 松田賢三郎』という名刺を出し、依頼した際にはここに届けるよう藤丸に話したその男。『T大の教授なのか』と理解した藤丸は、他の面々は『T大の学生なのだろう』と思いました。そして翌日昼まえ、『デリバリーをお願いします』と『T大松田研究室の秘書』の中岡から注文が入ります。早速、注文のあった『ナポリタンとオムライス』を自転車に積み込んで『理学部B号館、三六一号室』へと赴いた藤丸。そして、迷いながらも辿り着いた部屋のドアを開けたのは『藤丸より少し年上、二十代半ばぐらい』の女性でした。『私は松田研究室の院生で、本村といいます』と紹介を受けた藤丸。そして、本村に案内されて室内へと入った藤丸は『思わず「わあ」と声を上げ』ました。『部屋のなかは緑でいっぱいだった』という目の前の光景に驚く藤丸。『円服亭さんが来てくれましたよ』という本村の声に集まってきた面々は店に来ていた五人でした。食事を出し、代金をもらった藤丸は、『みなさんは、なんの研究をしてるんすか?』と興味津々に訪ねます。そんな問いに『植物学です』と答えた松田教授。そして、円服亭に戻った藤丸を見て『なんだ、竜宮城にでも行ってきたみてえな顔して』と言う円谷。そんな藤丸は『なぜこんなに心惹かれるのかわからぬままに、かれらが研究している植物学とはなんなのか、知りたいと願』うのでした…という藤丸と本村の運命の出会いから、本村に、そして植物というものに魅かれていく藤丸と、植物研究に魅せられた本村のそれからが描かれていきます。
美しい緑の植物の中をアゲハチョウが舞うという癒しを感じる表紙が特徴のこの作品。単行本から文庫になる際に上下巻に分冊されたことからもわかるようにあわせて640ぺージという圧倒的な文章量の中に表紙が示唆する『植物学』の世界が描かれていきます。まず上巻では、三章に分かれた冒頭の導入部とも言える第一章で、『国立T大学の赤門の向かい』で営業する『洋食屋「円服亭」』に住み込みで働く藤丸陽太が主人公として登場します。店主の円谷正一と絶妙な掛け合いを見せる軽妙洒脱な文体は、如何にも三浦しをんさんを感じさせてくれる物語です。例えば藤丸が暮らす『円服亭』の建物のボロさについて、こんな表現が登場します。『店の二階で寝起きする藤丸は、うっかり畳に落としたガラスコップが、落としただけとは思えぬ勢いで部屋の隅まで転がっていくのを目撃した』という一文。それに『心霊現象でないならば、建物が傾いているのだ』と一癖ある表現で続ける三浦さん。また、『T大学』という伏せ字にしながら『理学部B号館は赤門のすぐ近く、本郷通り沿いにある』、『Y田講堂がT大の象徴的存在だと認識した』、そして『T大紛争のときは、全共闘の学生たちが立てこもって、機動隊と衝突した』と、全く意味をなさないわざとらしい伏せ字の使い方など、三浦さんのエッセイの世界に馴染んだ身には極めてしっくりくる文体で物語は描かれていきます。
そんな藤丸を主人公とした物語は第二章に入ってまさかの主役交代を見せます。T大学の松田研究室へと出前に赴いた藤丸が出会ったのが『私は松田研究室の院生で、本村といいます』という博士一年に在学する女子学生・本村紗英(もとむら さえ)でした。『私はシロイヌナズナという植物の葉を、研究対象にしています』と藤丸に語る本村。そんな本村の存在を意識し出す藤村。物語は、そんな二人の関係性を描いていく部分がもちろんありますが、それ以上にこの作品の直球ど真ん中に描かれるのが表紙のイメージにも繋がる『植物学』の世界です。三浦さんの小説というと『林業』に携わる人々の日常を描いた「神去なあなあ日常」、『社史編纂室』の面々をコミカルに描いた「星間商事株式会社社史編纂室」、そして『辞書は、言葉の海を渡る舟だ』と、辞書作りに情熱を注ぐ人々を描いた「舟を編む」など、この世のさまざまな”お仕事”に丁寧に光を当てる作品が有名です。この作品では『植物学』の研究に日々没頭する研究者たちの姿が非常に、もしくは異常に細かいレベルで描かれていきます。具体的には『チャンバー』、『ピペットマン』、そして『エッペンチューブ』といった機器の名称が当たり前に登場し、『短日処理』、『腐生植物』といった専門用語が大量に登場します。また、紹介される植物も『ヤグラオオバコ』、『ケンポナシ』、そして『シロイヌナズナ』など、大半の読者には初耳となるような植物ばかりです。そのためこの作品には〈特別付録 藤丸君に伝われ 植物学入門〉というイラスト付きの解説が巻末に付いているなど、『植物学』に拘る三浦さんの強い熱意を感じました。しかし、さすがにやりすぎと感じる箇所もあります。『四重変異体とは、なにか』と、本村の研究について紹介する場面。『変異株の交配を繰り返し、変異を四つ重ねたもののことだ』と始まり、段取りを説明する内容は、『遺伝子変異は、たいがいは劣性なので…』、『メンデルの「分離の法則」により…』、『三重変異体「abc」に変異株「d」を交配させると、その孫世代の二百五十六分の一が、四重変異体「abcd」になる…』といった感じで、私は今小説を読んでいるのだろうか?それとも『植物学』の参考書を読んでいるのだろうかという専門的な内容がこれでもかと記されます。何ぺージにも渡るその記述は、藤丸から交代して主人公となった本村の情熱を強く感じるものではありますが、”ド文系”の私にはちんぷんかんぷん、かつ、脳が拒絶反応を起こしてしまうレベルの極めて専門的な内容…少し辛い読書になる部分が正直なところありました。
そんな『植物学』の世界を描いていくこの作品では”お仕事小説”として、『植物学』に携わる人々の生き様が描かれていくのも魅力です。私が特に魅せられたのは、『本村は幼いころから植物が好きだった』と始まる本村が研究者となるまでの歩みです。大学では大腸菌を研究していたという本村は、当然にその先へと研究を進めたいと意欲を持ちます。しかし、『日記をつけるかわりに、並んだ鉢植えに話しかけてから就寝するのが日課だった』という本村は『植物には愛着を抱けるが、大腸菌にはあまり思い入れがない』ということに気付きます。一方で『そこまで本格的に勉強しなくても』、『結婚とか、あなたどうするの?』と大学院進学を懸念する母親の言葉もあって迷いが生じる本村。しかし、キャンパスの中で大きなケヤキを見つけた本村は『どうしてケヤキはこういう形で枝をのばすの。どうして植物によって葉の形やつきかたがちがうの。知りたい、知りたい、知りたい』と、自分が何をしたいかに気づいていきます。『大学院へ行こう。植物の研究をしよう』、『この世界を、生命を支配する、いまだ十全に解き明かされていない不可思議な法則に、少しでも迫るために』と、心を決め大学院へと進んだ本村。そこには、植物には『思考も感情もない。人間が言うところの、「愛」という概念がない』、だからこそそんな『愛のない世界を生きる植物の研究に、すべてを捧げる』と決めた本村。どことなく不思議感のある本村の内面に灯るこの強い想いを知って理系研究者になっていく人たちの考え方、その強い思いの一旦が少し理解できたような気がしました。そして、ちんぷんかんぷんな専門用語の記述にも、そんな本村の姿が重なるようになったことで抵抗感が薄れていくのも感じます。また、上記したようにそこかしこに見られる三浦さん独特の弾けた表現の数々がこの作品に親近感を与え続けてくれることで、読書のハードルを下げてもくれます。さすが”お仕事小説”の第一人者である三浦さん、文庫640ぺージという圧倒的な物量を最後まで飽きさせない見事な構成の作品だと改めて思いました。
『ひとは植物にはなれない。でも、ひとであるからこそ、植物を知ることも、研究に情熱を燃やすことも、スイートポテトを味わうこともできる』と植物の研究に情熱を燃やす大学院生の本村紗英。そして、それをどこかひょうひょうと見守る藤丸陽太の不思議な関係が”お仕事小説”の中に絶妙な温度感で描かれるこの作品。『狂おしいほどの情熱に取り憑かれている』という本村の研究者としての情熱が”お仕事小説”の面白さをこれでもかと牽引するこの作品。『植物学』という私にとっては全く未知の世界の面白さを知る機会を与えてくれた、三浦しをんさんの魅力にどっぷりと浸ることのできる、そんな作品でした。
では、下巻へと引き続き読んでいきたいと思います!続きを読む投稿日:2022.01.03
このレビューはネタバレを含みます
洋食屋さんに勤める主人公(男)と、植物学を研究する院生(教授含む)のお話。
レビューの続きを読む
三浦しおんさんの本は、神去なあなあシリーズ以来だったので、何か植物関係の話が多いような気が勝手にしてる。
お話のほうは、ポッ…プな文体で読みやすく、ユーモアがあって飽きさせないなと思った。
本村さんにフラレても必要以上に落ち込まず、本村さんが食べたがった唐揚げを優先したりする藤丸くんが健気。
最後の特別付録がすごく手が込んでる!わかりやすいし。
本宮さんらしき女性と一緒にいる男性は誰だろう。まさかあれが藤丸くんなのか?
私の想像の藤丸くんは若干チャラい感じかと思っていたのに。
上巻の最後の松田教授の不穏な言動も気になるし、下巻も楽しみ。
続きを読む投稿日:2024.04.16
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