【感想】道徳感情論

アダム・スミス, 村井章子, 北川知子 / 日経BP
(6件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • asuka

    asuka

    訳としては本書はとても読みやすかったです。

    道徳感情という、自分の中の「当たり前を言語化」しようとしている試みが面白かったです。私自身も今まで読んだ本を振り返っても、自分とのギャップを見つけて言語化することはあっても、ギャップがないものの輪郭をつかんで表すという行為はしたことも見たこともないので、その点が「さすが”見えざる手”を説いた人だ!」となりました。

    ただ、話しとしては17世紀イギリスの「当たり前を言語化」なので、退屈です。
    今の道徳感情を考えるにあたって、スミスと同じように「どんなことに共感するのか」「どんな人が立派な人か」「どんな立ち位置が中立な観察者なのか」みたいな流れで再考してみたら面白いかもしれません。
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    投稿日:2023.06.18

  • Mkengar

    Mkengar

    何とも言えない満足感が得られる書籍でした。ただ中身が非常に濃いので(ページ数も700ページほどある)、正直最初の方の議論がほとんど頭から抜けつつあり、なんとか時間を見つけて2度目に挑戦したいと思います

    冒頭にノーベル経済学賞受賞者でもあるアマルティア・センの序文がありますが、これだけでもお金を取れるレベルです。アダム・スミスの代表作である「道徳感情論」と「国富論」、表面的に読むと、同一人物が書いたとは思えない、あるいは互いに主張が矛盾しているという印象を持つ人は多いかもしれません。前者が「徳」「正義」「共感」などを論じているのに対して、後者はそのような感情を排した「利己心」を中心に経済メカニズムを論じているように見えるからです。しかし私自身は本書を読んで、道徳感情論こそがアダム・スミスの包括的な書であり、その中の「交換メカニズム」について詳細に分析したものが「国富論」であるという見方をしたいと思います。実は「道徳感情論」は、「国富論」に先立って執筆されましたが、その後亡くなる直前までスミスは「道徳感情論」を加筆・修正しています(日本語版も最終版をもとにしています)。つまり、アダム・スミスは若かりし頃に道徳や共感のメカニズムを本(道徳感情論)にしたけれども、宗旨替えをして利己主義が経済メカニズムの中心だ(国富論)と論じるようになったわけではないのです。むしろスミスの頭の中心には「道徳感情論」で書いたこと(あるいは書ききれなかったこと)があって、その中の極めて狭い領域について詳細に議論したのが「国富論」だと考えるべきです。

    センが指摘しているように、「道徳感情論」は「国富論」ほど注目されていませんが、その理由は、本書がカバーするテーマの包括性(幅広さ)にあるのではないかと感じました。取り上げているテーマの広さと、それぞれについて複数の説を丁寧に解説しているので、何冊もの専門書を一気に読んでいるような感じがする、つまり悪く言うとキーメッセージが頭に残らないのかもしれません(対照的に、国富論では見えざる手などのキーコンセプトが明瞭に頭に残ります)。逆に言えば本書からは、アダム・スミスの知識の恐ろしいほどの広さ、また視野の広さをうかがいしることができます。視野の広さを示す例として、本書でたびたび登場する「中立の観察者」があります。人が何か行動を行う際に、心の中にいる「中立の観察者」がそれをどう感じるか(称賛するのか、恥ずかしいことだと思うのか、やり過ぎだと思わないだろうか、など)を考えよということなのですが、センはこの概念を「開かれた中立性」と呼び、ジョン・ロールズの「公正としての正義」が論じている「閉じた中立性」よりも優れていると評価しています。

    資本主義の限界が議論されるにつれて、最近マルクスブームがまた起こっているようです。マルクス主義者がマルクスの再評価を試みる本が巷にあふれていますが、私自身ははっきりいって食傷気味です。マルクスではなく、むしろアダム・スミスこそが再評価されるべき人物である、そして「道徳感情論」の中に資本主義の進路変更の答えがあると私は思います。
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    投稿日:2023.05.06

  • ことりんご

    ことりんご

    他人の喜びに共感しない者は、礼節が欠けているだけかもしれないが、
    他人の苦しみや悲しみに共感しない者は、不人情として軽蔑の対象となる。
    しかしながら、相手と完全に感情が一致することはない。
    相手の苦しみや悲しみを少しでも和らげてあげたいと思えば十分である。
    誰もが胸の中に住む中立な観察者(良心)と対話しながら、自分の行動を決定している。

    多くの者は、富と権力の道を選択する。そうすれば人から注目、賞賛され、承認欲求が満たされるからである。
    しかし、ごく少数の者は、知恵を極め、徳を実践する道を選択する。
    知恵と徳の価値を知る賢い者は、世間の賞賛よりも自分自身の納得感に重きをおく。
    評価基準は、他人ではなく、自分の胸の中の観察者である。
    健康な体を持ち、借金に悩まされておらず、心にやましさがないこと。平穏な日常に楽しみを見つけて過ごすこと、それが幸福(心の平穏)。
    それ以外の基準はいらない。
    他人と比較して自分を評価する必要はない
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    投稿日:2022.10.23

  • Tomota

    Tomota

    このレビューはネタバレを含みます

    人間は、他の人のことを心に懸けずにはいられない。“経済学の父”が、『国富論』に先立って構想した、「共感」原理に基づく道徳哲学を読み解く書籍。

    私たちは、他人が悲しんでいると自分も悲しくなる。
    それは想像力の働きによって、自分の身を他人の身に置き換えて考えるからだ。想像こそが、他人を思いやる気持ちの源である。

    私たちは、友人に喜びよりも悲しみをわかってもらいたいと願う。
    不幸な人は、共感が得られたら悲嘆を引き受けてもらったと感じる。この時、相手は悲しみを分かち合ったと言える。

    私たちは自分の富を誇示し、貧しさを隠そうとする。それは、人間が悲しみよりも喜びに共感する傾向があるからだ。

    栄達を求めず、何者にも頼らず、ひたすら自由に生きる。
    そのための方法は、野心を抱かないこと、そして人々の注目を独占する支配者と自分を比べるような愚を犯さないことだ。

    人々の尊敬と賛美に値するようになるための道は、2つある。
    「富と権力を手に入れる道」と「知恵を究め、徳を実践する道」だ。そして、大多数の人間は、前者に惹きつけられる。

    生活の程度が中流~下流の人の場合、堅実な職業的能力を備え、注意深く、不正を犯さず、慎み深く振る舞えば、失敗しない。「正直は最善の処世術である」という諺の通りである。

    幸福は、心の平穏と楽しみの中にある。心が穏やかであれば、たいていのことは楽しめる。不幸に陥る大きな原因は、他者と自分の境遇を比べ、その差を過大視することにある。

    個人にとって有用な資質は「理性と理解力」「自制心」だ。この2つの資質が「思慮」という最も有用な徳を形成する。

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    投稿日:2022.02.27

  • mamo

    mamo

    国富論に並ぶアダム・スミスの主著。

    「道徳感情論」と「国富論」前提となる人間観が、共感的か、エゴイスティックかということで矛盾しているみたいに言われることもあるが、「道徳感情論」の初版は、「国富論」出版前だが、「道徳感情論」の第6版は、「国富論」の出版後に出ていることから、アダム・スミスとして、この2冊には、一貫した人間観があると考えて良いはず。

    実際に読んでみると、人間の共感性を基本としているが、同時にエゴイスティックな面やしょうもないまでにセコイところ、とほほな面もしっかり観察している。

    そして、そういうしょうもなさも含めて、自然、神の大きな意思(見えざる手)のもとでは、全体としてOKなんだとおおらかに包み込む感じ。

    個人的には昔の哲学は、言葉の定義から初めて、そこから演繹的に展開していくイメージがあるが、ここはイギリス経験論の世界。日常の観察を積み上げながら、論を一つ一つ進めていく感じですね。(なので、この議論って、MECEなんだろうか?とか思ってしまう)

    親しみやすい卑近な例も多いが、時代的になんとなくピンとこないところも。

    色々な日常的なお話の積み上げだし、18世紀のイギリスと21世紀の日本の文脈の調整をする必要があるので、なかなか全体が見晴らせない。

    とりあえず全体を通読したが、まだまだ、その偉大さは見えてこない感じ。

    でも、スミスさんって、いい人だったんだろうな〜、みたいな人柄は伝わってくるな〜。

    次は、「国富論」に進め、もう一度、「道徳感情論」に戻ることとする。
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    投稿日:2018.08.02

  • k-masahiro9

    k-masahiro9

    このレビューはネタバレを含みます

     自分の持っている一つひとつの能力が、他人の持つ同様の能力を判断する尺度となるのである。私は、他人の見え方を自分の見え方で、聞こえ方を自分の聞こえ方で、理性を自分の理性で、怒りを自分の怒りで、愛情を自分の愛情で判断する。そのほかに判断する方法を持っていないし、持つこともできない。(p.78)

     愛という感情は、それだけでも感じる人にとって心地よいものであり、心を落ち着かせ、活力を刺激し、さらには身体の健康をも増進する。愛を注がれた人の心の中には感謝と満足が湧いてくるはずであり、それを感じればなおのこと、愛は喜ばしいものとなる。愛を注ぐ人と注がれる人は互いを思いやり、互いを幸福にする。そして互いを思いやる姿は共感を誘い、他のすべての人にとっても快いものと映るだろう。(p.125)

     喜びは気持ちのよい情念であり、どれほど小さなきっかけであっても、私たちはこの情念に身を任せようとする。だから、嫉妬や羨望に毒されていない限り、他人の喜びにすんなりと共感できる。これに対して悲しみはいたましく、自分自身の不幸に対してすら、この情念に身を委ねまいと自然に抵抗する。(p.131)

     きわめて格調高いある種の芸術や学問は、その優劣を決めるのに微妙な好みに頼らざるを得ない。だがそのような決め方は、つねにある程度は不確実である。一方、明白な証明や確実な証拠によってはっきりと優劣を決められるものも存在する。前者で優劣を競う人々が世間の評価が木にする度合いは、後者よりはるかに大きい。(p.295)

     聡明な人は、取り返しのつかない災難が自分の身に直接降りかかってきた場合でも、数カ月あるいは数年先には必ず心の平穏を取り戻せるのだということを見抜いて、初めから心に波風を立たせまいと努めるのである。(p.337)

     宗教は人間の自然な義務感を強化する。だからこそ世間は、深い宗教心を抱いているらしく見える人々の誠実さは信頼して大丈夫だと感じる。このような人々は、人間の行いを縛るさまざまな制約以外に、神からの制約も受けていると想像されるからだ。宗教心の篤い人にしても世間一般の人と同様、適切にふるまうことを心がけると同時に世間の評判を機にするだろうし、胸中の人からの称賛だけでなく他人からの称賛への顧慮が行動に影響を与えるだろう。(p.374)

     多様性は、変化のない退屈な画一性より楽しい。とりわけ、新しく現れるものが先行するものに導かれ、隣り合うもの同士は互いに自然に関係付けられているというふうにゆるやかな秩序を持った多様性は、ばらばらのものの無秩序な寄せ集めよりも好もしい。(p.431)

     思慮深い人は、自分が修得すると明言したことは何であれ、単に自分の知識をひけらかすためではなく、つねに真剣かつ熱心に学ぶ。したがってこのような人の素養は、並外れてすぐれているとは言えないにしても、例外なく本物である。思慮深い人は、巧妙な詐欺師のように悪知恵を働かせたり、学者きどりで傲慢な態度をとったり、底の浅いあつかましい偽善者のもっともらしい口上で人を欺いたりはしない。実際に持っている能力さえ、けっして誇示しない。(p.461)

     宇宙という偉大なる体系の統治、あらゆる賢慮と知性を備えた存在の普遍的幸福に対する配慮は、神の役割であって人間の役割ではない。人間に割り当てられているのははるかに些末な仕事であり、その乏しい能力や限られた理解力にふさわしい仕事、すなわり自分自身、家族、友人、祖国の幸福への配慮である。(p.508)

     現代の宗教や習慣は、大人物に自分が神だと思わせることはおろか、預言者だと思い込ませるようなこともない。だが成功は、ちがう。成功が大衆の人気を勝ち取った暁には、とりわけ偉大な人物の頭さえ狂わせ、自分が実際以上に重要で能力のある人間だと思い込ませてしまう。(p.534)

     率直に心を開く人は信頼される。人は、自分を信じてくれる人を信じ、行く先がはっきり見通せるような人に喜んでつき従う。逆に、どこへ行くつもりかはっきりしない人にはついて行きたくないもので、隠し立てをするヨソヨソしい人は信用しない。また会話や社交の楽しみは、たくさんの楽器が調子を合わせて戦慄を奏でるように、感情や意見が響き合い、精神が相和すところからも生まれる。だがこの心楽しい調和も、感情と意見の自由なやり取りがなければ生まれない。(p.701)

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    投稿日:2017.11.14

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