【感想】世界の民族地図 すごい読み方

ライフサイエンス / 知的生きかた文庫
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  • yonogrit

    yonogrit

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    ライフサイエンス
    幅広いネットワークを生かして、国内外を問わずあらゆる情報を収集し、独自の切り口で書籍を制作する企画編集組織。スパイスのきいた視点には定評があり、生活に根づいた役立ち情報から、経済・地理・歴史・科学といった教養雑学まで、その領域は広い。主な著書に、『世界の宗教地図 わかる!読み方』 『世界の紛争地図 すごい読み方』 『おもしろ雑学 日本地図のすごい読み方』 『おもしろ雑学 世界地図のすごい読み方』 『おもしろ雑学 日本の歴史地図』 『おもしろ雑学 世界の歴史地図』 『関東と関西 ここまで違う!おもしろ雑学』 (以上、三笠書房《知的生きかた文庫》)などがある。

    民族の人口が多いと、その勢力、居住する国の国力を高めるのに役立つ。その意味で世界に君臨するのが 中国の漢民族(漢族) だ。中国の人口はインドに抜かれつつあるが2022年時点では世界最多であり、その9割以上を漢民族が占めている。

    ソ連邦時代に比べて面積が格段に小さくなったとはいえ、ロシアはヨーロッパからアジアまで、東西で1万キロを超える広大な国土を誇る。 民族としては、国民の 80%以上をスラブ人が占めているが、100とも200ともいわれる少数民族を抱える多民族国家だ。スラブ人の多くがロシア正教を信仰する一方、南部のトルコ系、東部のモンゴル系などの少数民族はイスラム教を信じている。

    一方で、ロシア人は考え方などにアジア的な側面があるともいわれる。やはりヨーロッパとアジアのハイブリッドというのが、ロシア人に対する適切な見方といえるかもしれない。

    イランと聞いてまず浮かぶのは、中東の大国、そして厳格なイスラム教の国というイメージだろう。それだけに「民族的にはアラブ人」と思いがちだが、実は違う。  そもそも中東にはユダヤ人が建国したイスラエルもあるし、イスラム教徒のトルコ人が多数を占めるトルコのような国もある。 中東の人がみなアラブ人ではなく、「イスラム教徒=アラブ人」とも限らないのだ。  それでは、 イラン人とは何民族かといえば、主にペルシア人である。

    ペルシア人は非常に誇り高い民族とされている。  その根底にあるのは、「世界最古の帝国」といわれるアケメネス朝ペルシア に始まる長い栄華の歴史である。  もともとペルシア人は騎馬民族だった。ペルシアの語源は、「騎馬者」をあらわす「パールス」といわれている。そのペルシア人によってアケメネス朝が建てられたのは、紀元前6世紀のことであった。

    ペルシア独自の高度な文化は、文学、思想、建築、美術工芸、音楽など幅広い分野に見ることができる。  たとえば世界遺産のペルセポリスはアケメネス朝の聖都。中東三大遺跡のひとつに数えられ、壮大な建築群や浮き彫りなどが往時の栄華を伝える。

    多様性の時代といわれながらも、日本では代々日本に住み、いわゆる「肌色で黒い直毛が日本人」との考え方が根深い。「日本国籍をもつ日本人」と「民族としての日本人」の区別もあいまいで、意識していない人も多いだろう。   民族としての日本人は、「大和人」や「和人」とも呼ばれ、ルーツは4万年ほど前にほかの大陸から渡ってきた人々とされる。 ユーラシア大陸から陸続きだった樺太を経て北海道に至った人々、朝鮮半島から渡った人々、中国南部から沖縄の島々を経て北上した人々がいたと見られている。彼らが各地に散らばり、約1万6000年前に始まる 縄文時代 を担った。

    日本は決して単一民族の国ではない。その最たる例がアイヌである。しかし、国会でアイヌを先住民族とすることを求める決議がされたのは2008年だ。

    インドで1年間に製作される映画の本数は2000本近くにおよび、その数はアメリカの約3倍にも上る。  いまや インド映画は製作本数、観客動員数ともに世界トップに君臨しているのだ。

    2022年 10 月、イギリスでリシ・スナク首相が誕生した。イギリス初のインド系首相である。  妻の父親ナラヤナ・ムルティは世界有数のIT企業インフォシスの共同創業者で、「インドのビル・ゲイツ」 とまで呼ばれる人物。娘が生まれた翌年にガレージで起業し、あっという間にグローバル企業に躍進させ、巨万の富を得た。

    世界最難関といわれるインド工科大学(IIT)だ。 IITの卒業生の中には、卒業後にアメリカに渡って大学院に進み、シリコンバレーで活躍して有力企業のCEO(最高経営責任者)にまで上り詰めるケースも目立つ。

     インドはすでにIT大国であり、特にソフトウェアは主要産業に育っている。   数学に強く優秀な理系技術者が育ちやすいといわれ、多言語社会のなかでキャリアに必須とされる英語力が高いことも人材育成に有利に作用している。  実は、優れたITエンジニアが数多く生まれる背景には、ヒンドゥー教のカースト制度があるといわれている。カースト制度は聖職者バラモン、貴族・戦士のクシャトリアなど4つの身分のほかに、職業が数千種類にも細分化されている。それらは世襲であるため、どの職業につくかに本人の選択の余地はない。つまり、生まれたときから将来の仕事が決まってしまっていることになる。  ところが、 ITは新しい業界ゆえにカーストの規定がない。 職業の分類がなされた時代には想像すらつかなかった業界だからだ。そこでインドの人々、特に下位の人々は懸命に勉強して、IT業界で成功をつかもうとしているのである。  また、国外にチャンスを見出そうとする人が多いのも特徴のひとつといえる。

    実は、金貸しや商売などはキリスト教徒にさげすまれる職業であった。しかし、ユダヤ人は農地の所有すら許されなかったため、そうした〝卑しい〟職業につくほかなかったのだ。また、キリスト教が清貧を説き、蓄財に否定的だったのに対し、 迫害され続けたユダヤ人が金銭と財産の価値を認めていた という違いもある。  勤勉を旨とするユダヤ人は、金融業で成功して莫大な富を蓄えていく。そして 17 世紀以降、欧米で多くの銀行を設立する ことになった。

    ユダヤ教の聖典『タルムード』を暗唱する習慣のおかげで思考力が鍛えられるとか、経済的な余裕があるから子どもが高度な教育を受けられるといった理由づけもされている。迫害され続けてきた民族ゆえ、財産のように他者から奪われない知識や技術の習得に価値をおく姿勢が継承されてきたからという説もある。  一方では、閉鎖的なユダヤ人社会のなか、メンバー同士が結婚を繰り返したことで優秀な遺伝子が受け継がれたともいわれている。

    そうした人も含めて、今日の世界を大きく変えた企業の創業者を挙げていくと、 グーグル(アルファベット)のラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン、「メタ」のマーク・ザッカーバーグ、インテルのアンドリュー・グローブ、オラクルのラリー・エリソン、 ネットフリックスのマーク・ランドルフ、デルのマイケル・デルなど、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。

    インドネシアのスマトラ島北部アチェでは、 16〜 17 世紀にイスラム王国が繁栄。アチェ人は1945年のインドネシア独立後も分離・独立を求め続け、イスラム国家建設を望む「自由アチェ運動(GAM)」が国軍と武力衝突を繰り返した。  2015年にはアチェ州でイスラム法による刑罰が定められ、同性愛行為、婚外交渉、不倫、飲酒、賭博などの違反行為はむち打ち刑に処せられるようになった。

    一方、ペルーの日系人は 10 万人と推定される。日系のフジモリ大統領が誕生したことで「ペルーでは日系人が活躍している」という印象をもった人も多いだろう。その後、フジモリ氏は人権侵害等で有罪となったが、ペルーは汚職や不祥事により政権が安定せず、2022年末には非常事態宣言が出される事態となった。

    たとえば、ユダヤ人。コーエン(司祭)、サンドラー(靴屋)、カウフマン(商人)、シュナイダー(洋服屋)など、古くからある ユダヤ人の名前は職業に由来するケースが多い。 そのほか「スタイン(石)」のつくバーンスタイン、ルービンシュタイン、アインシュタイン、「バーグ(山)」のつくゴールドバーグ、アイゼンバーグといった姓もユダヤ人によく見られる名前だ。

    たとえば、ケルト系のアイルランド、スコットランドなどに多い「Mac」「Mc」 がつく姓がそれにあたる。マクドナルドなら「ドナルドの息子」という意味になる。「O’」 がつくオニール、オコーナー、最後に「son」 がつくニコルソン、ロビンソンも同じである。「son」のつく姓は、北欧のスウェーデンでも多く見られ、デンマーク、ノルウェーのアンデルセンのような「sen」も同じ意味合いだ。

    スラブ系も同様だ。セルビア、クロアチアでは「ic(ッチ)」 がつくジョコヴィッチ、ミトロヴィッチ、ペトロヴィッチなどが該当する。ただし同じスラブ系が多い国でも、ロシアでは少々事情が異なり、ファーストネームと姓の間に、父親の名に「vic(ヴィッチ)」か「ic(ッチ)」 をつけたミドルネームを挟んで誰の息子かを示す。ミハイル・セルゲーエヴィッチ・ゴルバチョフなら、父親の名前はセルゲイだ。

    イスラム教徒にも食べ物に関する厳しい決まりがある。ユダヤ教徒と同じく『旧約聖書』のモーセ五書を啓典とすることから、重なるところも多い。その代表例が、 ブタを不浄として決して食べない ことだ。  ウシ、ヒツジ、ヤギ、ニワトリなどは食べてよいが、イスラム教で定められたとおりに屠殺され、処理された肉でないといけない。道具や設備に関する規定もある。  魚は食べてよいが、エビ、カニ、イカ、タコはユダヤ教徒と同じくやはり禁じられている。また、心身をむしばむとして、アルコールは禁止されている。   イスラム教の教えに従っている食品には、「許されたもの」「合法のもの」を意味する「ハラル」の認証マークを表示するシステムがある。 食品だけでなく、医薬品、化粧品なども対象となり、その成分にブタ由来のタンパク質や酵素、アルコールなどが微量でも含まれていたら認証を受けることはできない。

    ラグビーのニュージーランド代表チームは、「オールブラックス」と呼ばれる常勝軍団だ。彼らが試合前に、「ハカ」と呼ばれるマオリ人の勇猛な踊りを披露するようすを、ワールドカップなどで目にしたことがある人も多いだろう。   試合前のハカは、士気を高めるために取り入れられている。 ヨーロッパ系の白人がマオリ人とともに踊る姿を不思議に思うかもしれないが、見方を変えれば 同じニュージーランド人としての連帯や結束の証といえよう。  そもそもハカは部族同士の戦いの前に戦意高揚、威嚇のために踊ったものだ。マオリ独自の伝統文化で、公式行事、結婚式、学校のイベントなどでも披露される。

    ニュージーランドで人が暮らし始めたのは8〜9世紀ごろで、それはポリネシア系のマオリ人だったとされる。南太平洋のクック諸島から海を渡ってきたのである。

    シーク教の開祖はナーナクという。彼はヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を目の当たりにし、「宗教の区別はなく、あるのは唯一の神の存在のみ」として 15 世紀末から 16 世紀にかけて教団を組織した。

    ターバンを巻くようになったのは、ムガル帝国下で弾圧を受けた 17 世紀末以降のことだ。「カールサー(純粋な者の集団)」という戦士の組織がつくられ、「髪やひげを切らない」「櫛を常に持ち歩く」「鉄の腕輪をはめる」「ズボン下をはく」「短刀を身につける」という5つの戒律 が定められた。

    これは、 韓国が「超」がつくほどの学歴社会であることを示している。修能試験しだいで志望校の合否が、ひいてはその後の一生が決まるほど重要なのだ。  そもそも試験というものは、朝鮮民族に受け継がれてきた伝統ともいえる。朝鮮王朝の時代には、高等官僚になるためには是が非でも「科挙」 に合格しなければならなかった。韓流ドラマ好きなら、「 成 均 館」 を舞台に科挙に挑む若者らの青春群像を描いたドラマを思い出すだろう。成均館は中央の最高学府として朝鮮王朝が設置し、今日も韓国最古の名門大学としてその名を響かせている。

    タイでは、人口の大多数をタイ族が占めている。その祖先は、古代に中国南部から南へ移動してきた人々と見られている。彼らはこの地で古くから暮らしていた山岳民族、もしくはマレー系やインド系の民族などとしだいに混血していき、今日のタイ族となった。言語はタイ語、宗教は仏教徒が 9 割以上を占める。   タイは東南アジアで唯一、西欧の植民地支配をまぬがれた国だ。 外交戦略に長け、国際社会を巧みに渡り歩く資質は、いくつもの民族の文化や慣習が融合された歴史のなかで磨かれたとする説もある。

    新疆ウイグル自治区は中国北西部に位置し、その面積は実に日本の4・4倍もある。広大な中国の約6分の1を占め、一帯一路構想の「陸のシルクロード」が通っている。石油や天然ガスなどの資源が豊富なことから、中国政府が重視している地域だ。その新疆ウイグル自治区において近年、中国政府によるウイグル人への人権侵害が問題になっている。   古来、この地で暮らしてきたのはウイグル人であり、彼らの祖先はトルコ系遊牧民族とされている。 9世紀中ごろに遊牧生活から定住するようになり、イスラム教を受け入れて一帯に根を下ろして独自の文化を育んできた。

    大国の支配を受けながらもイスラム教を信仰し、ウイグル人として暮らしていたが、清王朝末期から漢民族の入植が始まった。反発したウイグル人の間で民族自決の動きが高まり、二度にわたり「東トルキスタン共和国」 として独立宣言をしたものの、押しつぶされた。トルキスタンとは「トルコ人の地」をあらわしている。

    アルメニア人を結束させる基盤となっているのが、アルメニア使徒教会だ。 アルメニアは4世紀に世界で初めて公式にキリスト教を受け入れた国 であり、いまも独自の宗派を維持し続けている。その篤い信仰心で人々は結ばれているのだ。

    「移民の国」であるカナダは、1971年に世界で初めて 多文化主義政策 を取り入れた。それは民族や文化の違いにかかわらず、すべての人々が平等に活躍できる国づくりを目指すものである。  たとえばカナダは、英語だけでなくフランス語も公用語としている。広大なケベック地方を最初に植民地支配したのはフランスだったが、その後に支配権を握ったイギリスもフランス系住民を尊重し、フランス語の使用を容認したのだ。  現在も多文化主義は重んじられ、毎年約 20 万人の移民を受け入れており、 国民の5人に1人が移民、使われる言語は200以上といわれるほど。 これだけ移民が多いと、異文化を融合させて統合を図ったり、多数派に順応させることは難しそうだが、「移民が国を発展させる」 という考えのもと、みなで共生すべく歩みを進めている。

    もちろんカナダ人がすべて多様な文化と移民の受け入れに積極的かというと、そうとも言い切れない。加えて、近年では寛容な移民の国の歴史の陰に、先住民族の多大な犠牲があったことが明らかになり、世界に衝撃を与えた。   カナダ政府は1870年代から先住民の子を親から引き離し、白人に同化させる政策をとっていたのだ。 主にカトリック教会が140ともされる寄宿学校を運営し、 15 万人もの子が拉致 され、集められた。  子どもたちは番号で呼ばれ、母語の使用や習慣を禁じられ、日常的に非道な暴行、性的虐待を受けた。劣悪な環境で飢えや病気から命を落とした子も多い。それが1998年まで続き、所在不明の子の数は4000〜6000人に上るという。

    フランス領インドシナの一部だったカンボジアは、1953年に独立を果たした。1970年に親米派がクーデターを起こし、中国が支援するクメール・ルージュ(赤いクメール人の意)との内戦が勃発する。 1975年、クメール・ルージュが勝利すると、最高指導者ポル・ポトによる狂気に満ちた共産主義体制が始まった。  市場も通貨も廃止、宗教は禁止、都市部の住民は財産を奪われ農村での集団生活を強制された。家族制度も否定されて子どもは隔離され、政権の思想に洗脳された。  微罪で逮捕された人々は拷問され、粛清された。同じ民族による組織的な虐殺であり、人類史に残る暴虐の限りが尽くされたのだ。1979年のベトナム軍侵攻で政権は敗走したものの内戦は続き、和平協定が結ばれたのは1991年だった。  伝統的な社会制度も文化も破壊され、知識人層は消滅させられた。

    2021年、アフガニスタンからアメリカ軍が完全に撤退した。 20 年にも及んだアメリカの介入が終わり、その行く末を世界が注視するなか、政府を打倒していち早く実権を奪い返したのがイスラム武装勢力タリバンであった。   アフガニスタンは多民族国家だ。古くからシルクロードの要衝として栄え、「文明の十字路」として多くの民族が入ってきた歴史をもつ。 99%までがイスラム教徒で、主にスンニ派であることは共通しているが、なかなかひとつにまとまらない。  最大の民族は イラン系のパシュトゥン人で、約4割を占めている。 アメリカ主導による国づくりをしていた時期の大統領はパシュトゥン人だったし、タリバンの構成メンバーもパシュトゥン人が多いといわれる。

    国際社会が警戒するのが、イスラム教シーア派のイランだ。 イランはアラブ世界で優勢なスンニ派の国々で活動するシーア派武装組織を支援しているうえ、核保有の問題がある。核開発の大幅制限と引き換えに経済制裁を解除した2015年の核合意が、トランプ前政権により無に帰すこととなってより一層、警戒が高まった。  イランを共通の脅威とする新たな関係構築も進んでいる。 イスラエルは敵対してきたアラブ首長国連邦、バーレーン、モロッコなどと国交を正常化した。 イランはそうした包囲網をかいくぐるように、シーア派の多いシリア、レバノン、中国などとの関係を強化し、ウクライナに侵攻したロシアには軍事支援を行っている。

    インドとパキスタンの確執は根が深い。  第二次世界大戦後、欧米列強の植民地支配に苦しんでいた民族が独立を勝ち取っていくなか、インドも1947年に独立を果たした。しかし、イギリスがヒンドゥー教徒とイスラム教徒を分割統治で押さえつけていたことから、 イスラム教徒はパキスタンとして分離する こととなった。   そもそも北インドにイスラム教徒が多い理由は、 16 世紀にイスラム教の国ムガル帝国が南下し、ヒンドゥー教徒が多かった住民のイスラム化を図ったことによる。

    その後、イギリス統治を経て、独立運動ではヒンドゥー教徒と協力したものの、いよいよ国家樹立という悲願達成を目前に決別してしまったのである。 「インド独立の父」といわれるガンジーは非暴力・不服従を貫き、独立運動を導いた。自身はヒンドゥー教徒ながらイスラム教徒と一緒に独立することを説き続けた。ところが、ガンジーはヒンドゥー教過激派の恨みを買い、暗殺されてしまう。

    イスラム教徒も一枚岩ではない。その分布域が東西に分かれており、ベンガル地方のベンガル人が暮らす東パキスタンと、政治経済で優位に立つ西パキスタンが対立。 東パキスタンは1971年にバングラデシュとして分離独立した。 このとき、インドがバングラデシュ独立を支援したことから、印パ戦争が勃発する。印パ戦争はこれが三度目となった。

    インドとパキスタンが初めて戦火を交えたのは、分離独立当初のことであった。その原因は今日まで解決されていない カシミール地方の帰属問題 だ。  カシミールでは住民の大半がイスラム教徒ながら、藩王はヒンドゥー教徒で、インド、パキスタンのどちらに帰属するか明らかにしないままでいた。そこへパキスタンが義勇軍を送り込んだところ、藩王がインドに与すると決めて武力援助を求め、印パ戦争へと飛び火したのである。

    紅茶の世界的な主要産地として知られるスリランカは、インド亜大陸の南東に浮かぶ小さな島国だ。北海道より小さな国土に約2200万人もの人が暮らしている。  民族としては、アーリヤ系で仏教徒のシンハラ人が4分の3と圧倒的多数を占める。次に多いタミル人はドラヴィダ系のヒンドゥー教徒で約 15%、ほかに 10%弱のスリランカ・ムーア人が暮らしていて、彼らは主にイスラム教徒だ。   タミル人の数が増えたのは、イギリスの植民地時代に茶葉生産の働き手として南インドから連れて来られたことによる。 1948年に英連邦の自治領として独立すると、 それまで抑圧されていた多数派シンハラ人が力を握り、シンハラ語のみを公用語に定めるなどしてタミル人の反発を招いた。  タミル人は主な居住地の北部・東部の分離独立を求めるようになり、1980年代以降は「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」が武力闘争を激化させた。政府軍がLTTEを制圧し、内戦が終わったのは2009年のことだ。

    アイルランド人は、古代ヨーロッパのケルト人にルーツをもつ。 ローマ人やゲルマン人の移動に押され、アイルランドに移り住んだのは紀元前6〜5世紀といわれる。現在もゲール語というケルト系の言語を使用している。約8割をカトリック教徒が占め、ケルト文化とカトリック信仰が結びついた独自の文化を保持している。

    スペインが多民族国家であることは、自治州の存在からうかがえる。  バスク州、カタルーニャ州、ガリシア州、バレンシア州などは、それぞれの州名になっている民族が多く暮らし、独自の言語を公用語として使っている。そのなかでも、 独立志向が強いのがバスク人とカタルーニャ人だ。
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    投稿日:2024.01.31

  • わんわ

    わんわ

    世界には多様な民族が暮らしていて平和に共存するのはなかなか難しいということがわかった。
    紛争や奴隷問題などの歴史は自分には難しくリタイアしそうになったけど異文化の話が非常に興味深かった。
    海外の人と接する機会があった時、無知故に相手を傷付けてしまわないためにも異文化を知ろうという気持ちはこれからも大切にしたい。続きを読む

    投稿日:2023.05.26

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