【感想】シンプルな情熱

アニー・エルノー, 堀茂樹 / ハヤカワepi文庫
(32件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • バビロンを夢見て

    バビロンを夢見て

    先に読んだ『嫉妬/事件』と比べるとやや印象が薄い。しかし両作品に共通する、自身を客観視し対象として公平に見つめ直し明確で簡潔な文章に表現できる筆者の姿勢に非常に好感を持った。

    投稿日:2024.04.06

  • hasema

    hasema

    積読の本を「片付け」ようと思い手に取った。
    ノーベル賞受賞アニー・エルノーの代表作。映画化されて大層話題にもなった。A役が有名なバレエダンサーで適役だということだったように思う。

    さて、「シンプルな情熱」は、まさしく「シンプル」な「情熱」であった。(繰り返してる笑)
    「シンプル」であることの剥き出しの「情熱」。(再び繰り返してるだけ笑)

    そう、私(たち)はこのシンプルさにこそ感動し共感する。
    近代人はこのシンプルさを捨てて生きてきた。人生は複雑だ。複雑であることは人間にとって重要で、シンプルさを追い求めることは「人間性」の否定でもあり、近代人である我々は複雑さをそのまま受け止めてきた。それが知的な在り方であり、今もそうあり続けている。
    (時代は逆行し、シンプルで反知性的な社会になりつつあるがそれはさておき)
    その中での出来事なのだ。
    だからこの「シンプル」さは刹那的であり、だからこそ、振り切れなければならない。
    この振り切れ方にこそ、この小説の魅力がある。
    「沼にはまる」というが、「沼」にはまる自分をそのまま脚色なしに写しとってみせたのがこの小説だ。

    諸男性作家が書く恋愛小説とは決定的に違う。
    (快楽の仕組みと、権力構造が違うから?「沼」が性欲やフェチと切り離せないのが男性小説家の残念なところ?)
    切実であり、客観性があり、ポルノ的な方向性とは真逆にあるものを描き出せたのは、エルノーが女性だったから、とも言えるだろう。

    最後の斉藤由貴の解説が素晴らしく、そこにもまた感動。一つの場所にとどまらず、飛躍している女性は多い。(男性もいるとは思うが)
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    投稿日:2023.07.30

  • べそかきアルルカン

    べそかきアルルカン

    ノーベル文学賞受賞作家による自伝的小説です。
    これは小説なので、
    虚構の部分もあるかと思われますが、
    すべてが作り話でもありません。
    そこにオートフィクションの魅力があるのでしょうね。

    内容を簡単にいってしまえば
    離婚歴のあるパリ在住の女性教師と、
    ときおり彼女の家を訪ねてくる
    東欧の外交官との肉体関係を綴ったお話です。
    外交官には妻子があり、
    家を訪ねてくるのも彼の都合しだい。
    次いつ会えるのかもわからない。
    家を訪ねてくるとき以外は連絡もない。
    このような関係がいつ終わるのかもわからない。
    女はただ男を待ち続けるだけ。
    でも、会えばまた激しく求めあってしまう。
    まったく救いのない関係。

    短い期間であったにしても、
    逢瀬を重ねるからには、
    それなりの感情の起伏があったはずです。
    でもこの小説では、
    感情表現は最低限に抑えられていて、
    過剰な描写が一切ありません。
    むしろ語り口が平坦なようにも思えます。
    しかし、それがかえって
    主人公の感情の揺れを際立たせる効果を生み、
    抑制された趣を醸し出しています。

    ここに描かれているのは恋とも愛とも違う、
    異質のもののような気がします。
    もしかすると傷つけ、傷つくことを
    互いに恐れていたから、
    このような関係が築かれてしまったのかも。
    シンプルな情熱という心の在りようは、
    実際に作者が心の奥底で抱いていた感情とは、
    真逆のものかもしれませんね。

    他人の内面を理解するなんて、
    土台無理なことです。
    ましてや異性の感情なんて、
    尚更わかるはずがありません。
    そういう意味ではとても興味深いお話でした。




    べそかきアルルカンの詩的日常
    http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
    べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
    http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
    べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
    http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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    投稿日:2023.06.28

  • mamimina

    mamimina

    おフランスの恋とはこのように没入的なのね…だけど時間をおくと、恋情もセックスもこのように乾いてカチリと表現できるのね。で、これがベストセラーになるのね。深いな、フランス。

    投稿日:2023.06.10

  • でん@読書垢(かもしれない)

    でん@読書垢(かもしれない)

    やっと読んだ。何に引っかかったのか。不思議。
    愛の情熱についてよりも、時々挿入される「書くこと」の意味についてがおもしろいと思った。

    投稿日:2023.05.13

  • ワンダフルデイズモーニング

    ワンダフルデイズモーニング

     紹介文に「その情熱はロマンチシズムにはほど遠い、激しく単純で肉体的なものだった」とあって、さぞエロいんだろうと思ったが別にエロくなく──いや……!今「別にエロくなく」と書いた途端に「いやエロいな?」と思い直した。そしてこの感じ直したエロさというは何かというのを考えた時に、冒頭の紹介文への違和感が立ち上がる。筆致に即してべつだん過激な性描写があるわけではないこの小説に私が感じるエロさというのはおそらくロマンチシズムに由来しているからだ。そこでロマンチシズムとは何かということを考えてみるが、この「ロマンチシズムとは何か?」というのを考えることこそがおそらく私の「シンプルな情熱」という小説自体への感想文に代替すると予感する。
     ロマンチシズムもしくはロマンティックとはいかなるものか。まず安直に浮かぶのはそれが目に見えないということで、しかしそれこそがおおよそ正解であるようにも思う。ここでいう目に見えないというのはたとえば客観を排してるとか物質的な質量をもたないとかに言い換えることが可能ということだが、しかし"存在しない"とか"肉体的でない"というのとは違う。
     いかにとっぴな妄想であれ、夢想であれ、(この小説にある)回想であれ、それらが頭に浮かんでいる状態には肉体性が伴うと私は思う。だからたとえば性欲にかられた妄想によって自慰行為ひいては現象としてのオルガスムは起きるし、楽しい夢想で頬が緩み、悲しみの想起で落涙する。私が定義するロマンチシズムというのは直截な意味での"甘美"のムードを必要としない。どんな種類の妄想夢想回想であれ、その想像行為自体によって身体に引き起こされるのは陶酔であって、また陶酔はえてして甘美なるものだからだ。つまり想像とはそもそもが甘美なのだから、"妄想夢想回想のうち甘美なものをロマンティックとする"という前提を私は無意味に感じる。

     「シンプルな情熱」が"激しく単純で肉体的である"というのはその通りだと思うが、しかしロマンティックでないというのには以上の点から懐疑的なのである。"激しく単純で肉体的でかつロマンティック"なのである。そしてその、直截的ではなくあくまで"現在そうではない肉体"が、恋情にまつわる回想を意識に巡らせているという、二重のレイヤーを一つの身体に宿らせている複雑な状態(a)は、単純な性描写(それは肉体と意識が同時性を持っている)が続くポルノ(b)よりもずっと、グッと匂い立ってエロい、と私は思う。なぜグッと匂い立ってエロいのかについての説明は野暮というか、(a)の方が(b)よりエロいことを語ることは遅かれ早かれ嗜好の問題になってしまうから割愛する。わかんなきゃわかんないしわかるならわかる。嗜好はいつも言葉を超越する。
    そしてグッと嗅ぎつけエロがりつつ、「いまここに無い時間/いまここに在る時間」が重なることも交わることもなくしかしひとつの制限領域の中で同時に存在しているというのが、この小説に私が最も惹かれた点だった。

     この小説には以下の四つの時間のレイヤーの存在を私たちに知らしめる。
    ① 「私」がAと逢瀬を重ねた、"書いている「私」が回想する時間"。
    ② "①を想起しこのテクストを書いている「私」の現在時間"。
    ③ ②から数年後の、"②を読み返して①を想起している「私」の現在時間"。
     そして、
    ④ 小説の出版から時を経て今まさに「シンプルな情熱」を読みながら、"①〜③を追体験的に想像している読者の現在時間"。

    ④というのはそもそもすべての文章を読む時に発生するのだが、この小説に於いては他の読書体験よりも強くこの④の時間が意識にのぼってくる。それは〈①←②←③〉というそれぞれの時間からの視線によってこの小説が構造されているからで、作品内でもうっすら言及されているが小説が読者によって初めて成立するものである以上、①〜③へ我々読者が矢印を向けるという自覚は必然の浮上である。

     こうした逆流の視線構造はそもそも想起の構造であるのだが、アニー・エルノーが「シンプルな情熱」で描いているのは想起構造の具体例に終わらない。むしろ、かつてあった時間が失われないために書き留めた頁群を読み返すことが、皮肉にも現在という時間が経年によって過去と分断されてしまったという苦痛を実感させる要因になるところに本質がある。この苦痛は苦痛と言いながら痛みを伴わず、文字にすれば矛盾するようだが、だからこそ逆説的な苦痛になるのだ。露骨に提示された想起構造はこの苦痛によって反転し、結局時の流れというのは不可逆であって、あんなに痛んだ傷も知らず知らずのうちに回復するというような当たり前の時間構造こそがゆるぎなく出現する。撮影された傷の写真を見返すことは、瘡蓋のとれたつるつるの肌にもうその傷がないことだけを思い知らすのである。
    こういった自罰叶わぬゆえに感傷的になり得ない苦しみが文体の簡潔さに表象されていると私は思うが、それを以って「ロマンチシズムにはほど遠い」とするのは、前述にさんざ書いた理由から、私は違うのではと思うのである。
    私たちには明日を生きるために過去を思い出せなくなっていく機能が備わっている。しかしどれだけ思い出せることの解像度が低下しても、過去はなかったことにはならずまた忘れ尽くすこともできない。

    「感傷的になり得ない」という感傷は存在する。
    昔の恋とはその代表で、「シンプルな情熱」が昔の恋についての小説であるいじょう、ロマンティックでないわけがない。
    続きを読む

    投稿日:2023.05.12

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