【感想】民俗学がわかる事典

新谷尚紀 / 角川ソフィア文庫
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  • tetujin

    tetujin

    ・新谷尚紀 編著「民俗学がわかる事典」(角川文庫)を読んだ。事典であるから言葉を調べるための辞書ではない。そのやうに使へないこともないが、何しろどの項目も3頁か4頁といふ分量である。索引はない。第1章「民俗学への招待—身近な疑問から —」から始まつて第12章「民俗学に取り組む—民俗学と民俗学者の今昔—」に終はる全12章139小項目からなる。読むための事典であることは容易に察しがつく。しかも、この最初と最後の小項目だけ見ても、民俗学をできるかぎり広い視点から紹介しようといふ意図が分かる。
    ・第12章は民俗学の今昔である。最初は「民俗学は国学とどのような関係があるのか」である。国学との関係である。当然、本居宣長と平田篤胤が出てくる。2人が民俗学にどのやうな影響を与へたか。よりはつきりといへば、「いわゆる民俗学がその直系の子孫であるか」(474頁)といふことである。答はイエスでありノーである。「国学は江戸時代において『私たちはどうしてここにあるのか』という問いを突き詰めるために日本人の古典としての『古事記』や『日本書紀』を対象として、読み解く作業としての古典研究を続けていった」(同前)。儒教研究の動きに対して、宣長は「『古事記』の研究を綿密に進め」(475頁)る。それが「日本という国の伝統に立ち返る『やまとごころ』を強調し、漢心を排そうとして鋭く儒学と対立する」(同前)ことになる。「さうすると国学は近世日本における『日本』ならびに『日本人』を発見する手段だったとみることができ」(同前)る。「国学はそれまでの儒学=中国文化=外来文化の影響から解き放たれた日本本来の姿を想定する。(中略)そのため、国学は古典研究としての側面とイデオロギーとしての側面の両面を持」ち、「国学と民俗学の両者は『私たち』は何かという問いにおいて結ばれる。」(476頁)篤胤の系統がイデオロギーを前面に出していたのはよく知られるところ、それでもその根底にはといふより、その根底にさういふイデオロギーがあればこその古典研究であつた。「国学が明治以降の教育制度の中でやがて国文学科と国史学科を生み出す母体となった」(476頁)のは、その研究内容からすれば当然のことであらう。ただし、民俗学に関しては、実は当時のヨーロッパの学問の影響がある。柳田国男はフランスの影響を受けたといふ。それらと並んで「民俗学の祖先の一つは国学だと」(同前)言へる。だからイエスでありノーなの である。国学は、現在の人文、社会科学の広い分野に影響を及ぼしてゐると思はれる。篤胤の神代文字研究は食はせ物であつたから学問的にはほぼ消えたが、妖怪研究は今や盛んである。幽霊や妖怪は身近でもあつたが故に、篤胤以後も途切れることなく続いてきた。 さういふのは他にもあるはずである。次の小項目2はいささか長いタイトルであるが、要するに江戸時代人の民俗への関心は如何とい ふことである。この最後、「江戸という時代は都市の文化の成立によって田舎という概念ができあがり、その田舎への関心の高まりを見せた時代だ(中略)それは『私たちとは異なる』ものへの興味でもあったろう。」(479頁)とある。例へば「偐紫田舎源氏」はパロディーでもあるが、さういふ中から生まれた題名である。敢へて言へば、田舎への関心は昔の文物への興味、研究と同じことでは ないかと思つてしまふ。東京五輪以後の民俗激変期を経た現在、その基本は江戸時代かもしれない。時代の差を考へれば、私たちの興味や関心はそれほど変はってゐないのではないか。実際のところはどうなのであらう。民俗学の成果を知りたいものである。
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    投稿日:2022.10.30

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