【感想】ぼくらの戦争なんだぜ

高橋 源一郎 / 朝日新書
(30件のレビュー)

総合評価:

平均 4.3
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ブクログレビュー

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  • coco

    coco

    分かりやすい文体で読み手に問いかける。戦争は、穏やかな顔をしてやってくる。気がつかねばならない。大きい言葉、大きい声に、と。印象的だったのは太宰治の作品に隠された反戦の文意。恥ずかしながら知識不足で今回初めて知ったのが詩集「大東亜」。高村光太郎や室生犀星などが詠んだ国策の詩。「正しさ」に向かって人々が、言葉が動員されたと。それに対して、無名の兵士詩人たちの詩のすごさ。
    印象的だったのは、「敗戦当夜、食事をする気力もなくなった男は多くいたが、しかし、夕食を整えない女はいなかった」という文章。日常を捨てない、ということの大切さ、正常な感覚を非常時に捨てないことが、戦争への道を阻止する大きな手段だということがよく分かる。
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    投稿日:2024.02.02

  • rafmon

    rafmon

    「誰も戦争を教えられない」
    は?何言ってるの「ぼくらの戦争なんだぜ」。

    先の言葉は古市憲寿氏による著者のタイトルだ。まるでヒップホップのディスやビーフの応酬だが、高橋源一郎氏は、この古市氏の本を授業に用い絶賛したのだという。しかし、心中は、軽蔑している。戦争を自分ごととして捉えられず、戦争なんて知らなくて良いという古市氏を。一方で、戦争ではなく、平和にしがみつく事を根拠にせよという、新時代の発想にも、首肯すべきと唸る。

    本書は、小説トリッパーという雑誌の連載だったらしい。詩や小説などの戦争文学や各国の教科書を眺めながら、様々な形の戦争を考える。大岡昇平の『野火』は私も読んだ。向田邦子の『ごはん』は読んでいない。戦時の極限がシュルレアリスムのような朦朧とした景色を描き、頭がトリップする。まるで、あの暑い南国で死と隣り合わせになりながら、過度な緊張に疲労しきり働かぬ頭が見せる白昼夢が、戦時と今をシンクロさせるようだ。肌感覚がない、実感がないという意味では、古市憲寿も私も変わらない。戦争映画や戦争小説を娯楽化した時点で、罪なのだろうか。

    「ぼくらの戦争なんだぜ」は?何言ってるの。
    違う。集団の力学に巻き込まれ、強制された戦争であり、ぼくらの意思など意味をなさなかった。戦争に向き合う一人一人の自意識は遮蔽し、自分を押し殺した白昼夢であった。連鎖するのは、その夢でみた、怨嗟や悲劇。巡る。

    どんな物語でも、台本でも、ご都合に合わせて、好きに語れば良い。あなたの戦争は、わたしの戦争ではない。その物語を強制されるのは、みんなもう懲り懲りだから。だから、ぼく「ら」なんて、言うべきではないんだ。高橋源一郎は、分かっていて、問いかけたのだろうか。

    人間を鋳型にはめる教科書という装置と、文学の違いがそこにある。その対比を用いて戦争文学を問うたのが本書ならば、尚のこと。鋳型を否定する個々の戦争観を描いた文学こそ、ぼく「ら」という集団的体験を否定した所に成立する個人的体験なのだから。

    ー 関東軍が民間人を見殺しに、ソ連の追撃を免れるために橋を落とした。そのために家族を失った親戚が「長生きして、この国が滅亡するところを見たいね」

    ー ナチスに屈服したフランス南半分のヴィシー政権はユダヤ人虐殺に加担。フランスは戦勝国なのか敗戦国なのか、被害者か加害者かを問うフランスの教科書
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    投稿日:2024.02.01

  • yuki4

    yuki4

    「作家は、誰よりも、ことばの意味と
    美しさに敏感だ。
    だから、逆に、美しくないものにも
    敏感だ。
    ことばがいい加減に使われることにも
    敏感だ」(P448)
    本好きには頼もしい先達の高橋源一郎。
    上野千鶴子同様、
    上には上がいるなと思わせる。
    こういう存在が尊い。
    だからこういう文章も説得力がある。

    P126
    読んだら、世界がちがって見えてくる、
    そういう本が「いい本」だ ※

    P130
    「『小さい記憶』としての戦争は、
    なんだか、とても、『大きな記憶』に
    似ているのだ。
    『大きな記憶』としての戦争」がまずあって、
    その断片としての意味しかないように
    見えるのだ」

    「小さな記憶」「大きな記憶」という表現は
    初めて聞いた。言い得て妙だ。
    スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの
    『戦争は女の顔をしていない』が頭をよぎる。
    (実際、P418にその名が出てくる)
    「大きなことば」の例として
    「『大東亜』なことば」(P135)もしかり。
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    投稿日:2023.08.31

  • Masahiro Sera

    Masahiro Sera

    戦争について考えさせる。

    母親が満州からの引き揚げ者だったこと、大阪で祖母が父を連れて飛行機からの射撃の玉から命がらがら逃れたこと、広島原爆当時福山にいて被害者を見ていること。
    断片的にしか聞いていなかったが、今は聞くことが出来ない。
    人間の長い歴史にすれば、ほんの少し前のことだ。
    そして残念ながら、歴史は繰り返されるものだ。

    教訓を得る、学習する。
    賢いホモサピエンスの頭脳であれば、容易いことのはずなのに。

    本書では、戦時中の作家の活動も伺えるが、基本は大きな流れに抗う人は少なかったようだ。
    そして現在。教科書の近現代の歴史の記述だが、日本と中国や韓国との内容対比が、心をざわつかせる。
    また、勇ましい政治家の言動も。

    大切なものは何か。
    少なくとも、本能的に戦力だけを充実させることではないだろう。

    気になったことば。
    教科書は、ただ、文字の書き方や社会で生きてゆくための知識を与えるものではない。もっと大切な仕事がある。それは、「そこ」あるいは「ここ」で共に生きてゆくために必要なものを教えることだ。そして、この場合「そこ」あるいは「ここ」は、わたしたちの「国」なのである。
    ぼくたちは、幼い頃から、個々に、懐かしいそのようなもの、「くに」に触れている。童話やお伽話や、母の膝枕で聞いた昔話だ。半分まどろみながら、耳から入ってくるそれらのことばは、いつの間にか、ぼくたちの感受性をつくり上げてきた。
    ぼくたちがなにかを感じる、なにかを懐かしいと思う、そのよりどころは、そんな、いまとなってははっきりとは思い出すことができない「ことば」たちなのだ。

    戦前の小一の教科書は、こんなことばで始まる。
    「ツヨイ コハ、ナキマセン。
    イタクテモ ガマンシマス。
    ツヨイ コハ、コハガリマセン。
    クライ トコロ デモヘイキ デス。
    ツヨイ コハ、イヂワルヲ シマセン。
    トモダチニ シンセツ デス。」

    そして、「私の家族」が紹介され、「ヨソノオバサン」が来たときの礼儀についての「ぶん」があり、突然、こんなページが現れる。
    「テキノタマガ、雨ノヤウニトンデ 来ル 中ヲ、日本グンハ、イキホイヨク ススミマシタ。テキノシロニ、日ノマルノ ハタガタカク」 ヒルガヘリマシタ。
    『バンザイ。バンザイ。バンザイ。』
    勇マシイ コエガヒビキワタリマシタ。」

    2年生の本には
    日本 ヨイ国、キヨイ 国。
    世界ニ一ツノ神ノ 国。
    日本 ヨイ国、強イ 国。
    世界ニカガヤクエライ国。」

    歴史を書くと言うことは、歴史を検証することてす。
    「歴史教科書」は、その「国民」に、「あなたたちは、こういうものなのだ」と告げるために書かれている。あるいは、公に、ときにはひそやかに、「我々は」と言う「声」で語るのです。
    歴史が重視されるのは、歴史が『過去についての省察」だけでなく、未来をどのように設計し、どのように生きていくかを提示する役割をもっているからです。そのためある歴史家は「すべての歴史は現代史だ」と言いました。歴史は皆さんのすぐそばにあり、皆さんの未来に立派な道しるべとなるでしょう」
    これは、検定版韓国の歴史教科書――高等学校韓国史からの抜粋だが、日本の歴史教科書では、第三者的に淡々と書かれているらしい。

    「戦争」は「正しい」のだろうか。
    「戦争」の、いちばん大きな「当事者」たち、たとえば、「国家」にとっては、「正しさ」を証明するために「戦争」が行われる。
    どんな戦争も「正しさ」の衝突だ。
    逆に言うなら、「正しさ」がどんなふうに現れるのかを知るためには、「戦争」で起こることを見ればいい。

    政治家の言葉は遠く感じる。彼らは質問に対して答えるつもりはなく、ただ自分の言いたいことをいう。彼らは、「ことば」というものを、絶対に相手を理解するためには使わない。目の前にいる人間を見ないでしゃべる。いや、見ているのに、見ていないのである。いや、ちがう。彼らの目には、なにも、つまりぼくたちのことなどなにも映ってはいないのだ。
    彼ら政治家たらのことばは、だから「遠い」。とても「遠い」。
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    投稿日:2023.08.17

  • hwendyyy

    hwendyyy


    小説『惜別』は、最後に、魯迅(周樹人)の名短篇「藤野先生」からの長い引用を載せている。加害の国の作家になったブィコフが、「ウクライナ文学を読もう」と答えたように、太宰は、その作品の最後に、戦っている相手の国の作家の作品を読もうと、読者にいうのである。

    太宰治は、加害の国の作家は、なにをするべきなのかを考え、実行した。それは、彼の表現に、複雑な彩りを与えた。彼のメッセージは明らかであるように、ぼくには思える。

    『惜別』の直前に書かれた長篇小説 『津軽』は、故郷青森を訪れた旅をテーマにした。 そして、この小説の最後の文章は、この作品の中からではなく、その向こうから、太宰治が直接、「戦時下」の読者に向かって語りかけているように見える。彼は、そのすべての作品の中で、こう呟いていたのだ。

    「私は虚飾を行わなかった。 読者をだましはしなかった。 さらば読者よ、命あらばまた他
    日。元気で行こう。絶望するな。 では、失敬」(『津軽』新潮文庫)

    「戦争」を生き延びた太宰治は、残された僅か数年の間、「周さん」のように、前に、「革命」に向かって進もうとした。そして、太宰が、来るべき「革命」の主体として見いだしたのは、「女性」であった。そのことについては、またいつか書くことにしたい。
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    投稿日:2023.08.13

  • よんよん

    よんよん

    「ことば」の持つ大きな力。
    強い、人を支配する、人々を大きな目標に駆り立てるために使われる「ことば」。個人的な経験や記憶から導き出された「ことば」。「ことば」は人の心や体を動かしていく。

     ニッポンの人たちは、どんなふうに「ことば」を使ったのだろう、とりわけ、「戦争」というような特別の期間には。
    そのことがわかれば、ぼくたちは、いま自分がどんな「ことば」を使っているのか、あるいは、使うべきなのか、あるいは、使わされているのかを知ることができる。

     髙橋さんはまず、たくさんの教科書を読む。戦時下の日本の教科書では、かたき討ちの話や良い日本人の定義や、国民としての覚悟など、どの教科書も、戦争に向かう言葉でうめられている。そして、次に読むのはドイツ、フランスの歴史の教科書の、ナチスへの長い記述だ。この教科書で、どんな授業が行われているのか。かなり驚かされた。
     高橋さんは、「学校」とは、「国家」が生まれたばかりの人間を「国民」という形に「鋳造」してゆく場所であり、そのためのもっとも大切な手段が「教科書」であると言う。そしてその本質が、もっとも濃く現れているのが「歴史教科書」だと言う。
     
     「歴史教科書」はその「国民」に、「あなたたちは、こういうものなのだ」と告げるために書かれている。あるいは、公に、ときにはひそやかに、『我々は」という「声」で語るのである。

     ぼくたちは、ぼくたち自身が責任をとれない場所に生まれるのだ。けれども、その後、ぼくたちは、やはり、その特定の空間で生きることについて、自分自身で責任をとるしかないのだ。

     学生時代に歴史の授業は、よく言われるように、昭和はもう時間が足りなくて駆け足で。自分で調べてみて初めて知ることがあまりにも多かった。自分は教科書にある、どんな声を聴いてきたのだろう。ドイツの教科書とは違う、短い記述の中で、どんな言葉が聴こえるのだろう。いろいろ考えているうち、家永裁判を改めて調べてみたくなった。

     日本の文学作品の中にある「声」も多くの記述から説明されていたが、これによって太宰治への見方がかなり変わった。
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    投稿日:2023.08.12

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