【感想】日本人の葬儀

新谷尚紀 / 角川ソフィア文庫
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    ・新谷尚紀「日本人の葬儀」(角川文庫)は書名通り、日本人の葬儀について3つの観点から論じてゐる。葬儀の深 層、葬儀の歴史、他界への憧憬である。序に代はる文章として「現代人と死」といふのがあり、ここでは尊厳死と脳死といふ死の現代医学的な問題と、葬儀の作法や費用といふ極めて世俗的な問題が採り上げられてゐる。いづれも既に問題となつてゐることばかりである。コロナ禍の現在、葬儀の在り方も変はりつつある。本書は30年前に出てゐる。この間、脳死や尊厳死は日本人に受け入れられたのであらうか。最近あまり言はれなくなつてゐるところからすれば、もしかしたら受け入れられてゐるのかもしれない。しかし、脳死移植は増えず、心臓死後の腎移植もかつての数に及ばない。葬儀の在り方とて一筋縄ではいかない。それでもこれは「序にかえて」であつて本文ではない。私自身もさういふ書としては読まなかつた。本書は極めて今日的な話題で始まるが、本文はさうではない。民俗学の書である。序文代はりの文章の最後、「日本人の葬儀をめぐる大きな変化と混乱のなかにある現在、これからの方向を考えていく上でも、これまで日本の各地に長く伝えられてきた葬送の儀礼や、生と死の思想、他界観などをぜひとも知っておきたいものであ る。」(30頁)とある。本書は正にかういふ書である。本書はどこもおもしろい。葬儀に歴史でも結構つながつてゐる。つながりつ つ変化してゐる。当然だとは思ふが、それが葬儀となると実感できない。具体的なさういふ記述を並べられるとよく分かる。現代の葬儀は「深層」で述べ、過去の葬儀は「歴史」で述べる。かうしてつながるのである。
    ・その根底に何があるのかを探るのが「他界への憧憬」であらうか。ここにもいくつもの問題が含まれている。「憧憬」といつたところで、それで終はるものではない。最終章は「花いちもんめ」と題されてゐる。「日本人は、この世とあの世との交流をどのように考えてきたのか」(444頁)を「昔話や子供の遊びなどを通してみ」(同前)ようとするものである。だから「三枚のお札」で始まる。よく知られた話である。ここに疑問がある。まづ、なぜ老婆は鬼婆かといふ疑問であるが、結論を言へば、これは女性の持つ「境界」性によるのである。女性は「あの世とこの世との間の媒介者」(429頁)なのである。だから、「あるときには異界へと通じる不気味な力をもつ存在」(430頁)となる。これが鬼婆であらう。では、なぜ小僧は便所から逃げるのか。この便所の民俗を私は知らない。所謂便所神は「実際の生活の中に伝えられていたもの」(448頁)であるといふ。それだけでなく、様々な便所にまつはる習俗がある。結論、「人の誕生や死亡などその魂がこの世にやってくるとき、そしてあの世に行くときに、祀られているのが便所で あ」(451頁)つた。従つて、排泄の場所ではあつても、便所は「人々の意識の深層では、この世とあの世の出入り口だった」 (452頁)といふのである。「三枚のお札」で小僧が逃げたのはあの世であつたといふことか。いや、便所神が現れてお札をくれた のはあの世との境界、小僧はこの世に逃げたといふことであらうか。夜が明けて鳥が鳴くのはこの世であらう。鬼婆はこの世の存在、決してあの世の存在ではない。だからこそ食つた人の骨が散らばつてゐたのである。ただし便所は境界、境界たる存在の女性=鬼婆も この境界にあつては神には勝てぬといふことであるらしい。葬儀に関連して便所が出てこようとは思ひもしなかつた。それだけ昔話等 には隠されたものが多いといふことであらう。おもしろい書であつた。
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    投稿日:2021.10.10

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