【感想】自己分析論

高橋昌一郎 / 光文社新書
(3件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • しろくま

    しろくま

    知的好奇心を擽る素晴らしい本。第一章は就活、第二章は他者との関係(人間関係)を踏まえた自己分析についての話で、就活の実情も踏まえ、非常に参考になった。第三章は哲学的な自己分析の話。ソクラテスからプラトン、デモクリトスなどに触れながら「私とは何か」の思索を追うが、デカルト以降はかなりややこしくなる。何が何だか分からない。けれど考えるしかない。実存は本質に先立つ。カミュが唱えた形而上学的反抗が印象に残った。しかし、それを達成するのは非常に厳しそう。そもそも「達成」などというものはないのかもしれない。現実に反抗するのは立派であり、知性の限界に挑戦する素晴らしいことのように思える。しかしそれ自体、「意味」は無く、ただそうする人がいるだけだ。
    僕としては、人間が幸福に生きるには、感情に素直に生きるしかないのではと思う。それも、一つの実在する意見だろう。
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    投稿日:2024.01.09

  • 中尾

    中尾

    5人の学生と1人のモデレーター(教授etc)が『哲学ディベート』と同じ議論形式で自己分析について語り合う。2章までいわゆる就活的な自己分析が焦点となっているが、後半から「自己」とは何か?といった哲学的な探究が展開されている。その点、自己分析という点から大きく脱線はするが、ある意味、「自己」の探究は自己分析の原点なのかもしれない。

    『哲学ディベート』は色んなジャンルの議題があっため、学部別の学生の視点というのは面白かったが、今回の自己分析にまでその視点いる?という感じはした。むしろもっと哲学的な文脈を掘り下げてほしかった感もある、

    3章に出てくる科学哲学者が絶妙にウザいキャラクターだが、ギリシャ哲学の解説が何気に分かりやすくて勉強になった。哲学の知見は就活にもかなり役立ちそう。
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    投稿日:2021.06.24

  • tsurumarubozu

    tsurumarubozu

    自己分析というと、日本で一番必要になってくるのは「シュウカツ」の時期でしょうか。自分はどんな仕事をしたいのか。自分にはどのような業種・職種・会社が向いているのか。どのような会社が自分を必要としているのか。これをしないまま就職活動をすると、キミ、自分のこと何もわかってないね。就活ナメてるの?となる。

    本書は、こういった就職活動における自己分析に始まり、人間関係における自己分析、人生哲学における自己分析に話が進みます。3つの章のボリュームは同じくらいなのですが、ここでは哲学にフォーカスしたいと思います。

    ◆ソクラテスの魂論
    人類で最初に「自分とは何か」という問題について徹底的に考え抜いた人は、ソクラテスだそうです。ソクラテスの結論は、「私とは魂である」ということでした。人間は、生まれてから一度も経験したことがないにも関わらず知っていることがあります。これが人間に魂がある証拠である、と。例えば、正三角形。現実世界において、3辺の長さが完全に同一である三角形は存在しません。でも人間は、魂があるから「完全な正三角形」を認識できる。これと同様に、ソクラテスは「完全な美」や「完全な正義」が存在して、人間は生まれながらにして知っていると考えました。ここまでくると、うーんという感じですが、魂論は、良くも悪くも現代まで大きく影響を与えた考え方です。

    ◆デカルト「我思う、ゆえに我あり」
    時代が流れて、デカルトが登場します。彼は、「我思う、ゆえに我あり」と表現して、自己の存在を証明しました。デカルトは、自己を考えるにあたり、全てを疑うことにしました。すると、今自分が見ていることは実は夢かもしれない、となる。そして、それが夢ではないということがどこまでいっても証明できません。ですが、「これは夢かもしれない」と疑っているという事実は消えません。彼は、だから自分は存在しているんだと結論づけました。

    ◆神経生理学が明らかにする人間の「意識」
    デカルトが証明したことをよくよく考えると、彼が示したのは「思考が存在すること」です。思考はもしかしたら、「私」以外がするかもしれない。話は飛びますが、あなたは、狭い道で車を運転しているとしましょう。すると、路地から急に少年が飛び出してきた。あなたは、「少年が飛び出してきた!」と認識して、条件反射で急ブレーキを踏みますね。しかし、神経生理学の実験結果によると、ブレーキを踏むのは、少年を見たと認識するよりも早いタイミングで行われる。にも関わらず、人間は「少年が飛び出してきたのが見えたからブレーキをとっさに踏んだ」と意識します。意識の上では、都合よく順序が逆転するのです。となると、意識って本当に私なんでしょうか。

    ここまでくると、自己ってなんなんだよ、分析したところでしょーがねーじゃん、という気にもなってきますが、「おわりに」に太字で書いてあるように、「「自己」はいくらでも生まれ変わることができる」。そう考えると少し楽になりませんか?
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    投稿日:2021.01.11

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