【感想】日本はこうしてつくられた ~大和を都に選んだ古代王権~

安部龍太郎 / 小学館
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  • 123456qaz

    123456qaz

    月刊誌サライ・半島をゆく 再編集・加筆
    第1章奈良・大和政権
    第2章丹後半島(日本海側・京都府・若狭湾の西)
    第3章出雲
    第4章宇佐八幡と対隼人(国東クニサキ半島)
    第5章熊野・紀伊半島
    第6章房総半

    最初の倭国の中心は福岡県糸島市 伊都国 東側・博多湾に奴国
    大陸で後漢が黄巾の乱・滅亡→遼東の太守だった公孫度(コウソンタク)・独立し朝鮮半島に帯方郡→210年 倭、韓、ついに帯方に属す。
    この頃の日本は、吉備、播磨、讃岐、出雲、丹波(たにわ)、大和…独立国多数→大和の纏向に新しい都、女王卑弥呼
    記紀の神武天皇の東方遠征、前方後円墳の原型は大和にあるはずだが無い→倉敷市の楯築墳丘墓がルーツ
    魏志倭人伝の記述 狗奴国(クナコク)は卑弥呼に属さず、狗奴国王の卑弥弓呼(ヒミクコ)は敵対

    大和・三輪山の大物主神(敵対した神) 疫病・10代崇神天皇にお告げ→三輪山に祀る・大神神社(オオミワ)

    内陸部に成立したヤマト政権 南西部の葛城氏と同盟(水軍・航路)
    4C末の高句麗好太王との戦い
    百済の阿華(アシン)王は、同盟の証として太子展子を人質として使わす・後の秦氏の祖先
    宋書倭国伝の五王の朝貢 421~478年
    475年百済が高句麗に攻められ滅亡 479年宋朝滅亡 ヤマト政権の外交ピンチ
    凋落した王権に代わり、オオド王(継体天皇) 大王として大和に招いたのは蘇我稲目(馬子の父)
    藤原不比等659~720年 記紀の編纂にたくさんの仕掛け 当時100年前の厩戸王の活躍を脚色 藤原氏が台頭する前の蘇我氏の功績をおとしめる
    蘇我馬子の業績(仏教導入、遣隋使)は聖徳太子との共同業績とした

    大山誠一「天孫降臨の夢」著者 記紀を鵜呑みにしている限り不比等の呪縛から抜け出せず、日本の古代史の実像を知ることはできない。

    京都駅発のはしだて1号 天橋立へ イメージカラーは赤 大江山の赤鬼伝説にちなむ。
    1300年前 丹後と丹波は1つの国で丹波(タニワ) 稲作先進地 田庭
    浦島太郎の伝説→浦嶋神社 478年21代雄略天皇時代に乙女に誘われて常世の国、825年53代淳和天皇時代に帰郷

    現在、海流に乗って朝鮮、中国から大量のごみ→太古の昔は船の漂着・交易が盛ん

    国譲りのエピソード 天の逆手(通常と異なる柏手)
    出雲の国一宮→熊野大社 古代に勧請

    九州大分 宇佐は隼人との戦いの最前線

    新羅との対立 722年半島の南に日本対策の城
    727年 日本は渤海との関係強化
    731年 畿内に惣管(ソウカン) 鎮撫使(チンブシ) 戦時体制☆Wikiで少ない・書物に治安維持を行ったの記述があるだけか?

    749年 八幡神入京(神々の代表として大仏に参拝 神仏習合 聖武天皇の目指す仏教国家のための演出)
    →聖武天皇死後、恵美押勝(藤原仲麻呂)は方針変更→聖武天皇の娘、孝謙上皇が勝ち、称徳天皇へ 仏僧である道鏡を皇位に付けようとする事件
    →怨霊騒動→桓武天皇は八幡神を出家させて八幡大菩薩(怨霊変じて仏神となってもらう)

    両子寺 六郷満山の中心的役割 参道入口に無明橋(橋を渡ることで煩悩から離れて仏の世界に入る) 仁王像 江戸時代に子授けの霊験によって庶民の崇拝☆本中で撮影スポットして紹介

    熊野本宮→家津御子大神(来世、阿弥陀如来) 速玉(過去、薬師如来) 那智(現世、千手観音)
    伊勢へ七度、熊野へ三度 熊野三山の牛王宝印紙(ゴオウホウ)

    育成町赤倉にある大丹倉
    二木島 神武天皇の船が難破したときに救助した伝説☆
    丸山千枚田 1601年の記録では2,240枚の棚田・その頃の人々が生きていくための努力をいかに営々と続けてきたかの証☆予備校時代の先生・ピラミッド見ても感動せず・棚田は感動→人が生きるために作ったから

    過去、現世、未来にわたって救われるとの教え
    速玉大社 神門をくぐって左手に進むと、朱塗りの神殿 正面に拝殿、奥の左手に結宮、右手に速玉宮 さらに右手の上三殿には家津御子大神、天照大御神、高倉下命

    鯖の熟れずし(ナレズシ)☆食べログまとめ・和歌山は寿司の玉手箱
    太平洋の暖流・黒潮による温暖な気候のおかげで海産物や農産物など豊かな天然資源に恵まれた和歌山県/豊かな恵みを素材にして郷土特有の「寿司」
    ・秋刀魚寿司
    和歌山県南部の熊野灘沿岸一帯などで食べられている寿司/もともとは保存食だった1500年以上もの歴史をもつ寿司/秋刀魚といえば三陸沖産が知られるが熊野灘で獲れる秋刀魚は三陸沖から寒流に乗って南下するうちに脂が適度に落ちることによって寿司の魚に向いているとされる。
    ・めはり寿司
    紀伊半島南部に分布する郷土料理のひとつで醤油漬けされた高菜でご飯を包んでいいるもの/「おにぎり」に近い弁当のひとつ/本来はソフトボール大の大きさ故、目を見張って食べることから名付けられた
    ・なれ寿司
    酢を使わずに作られる醗酵寿司で寿司の原型/和歌山北部ではサバを用いる/ぬか漬けの深漬けのような独特の発酵臭/初めてだと受け付けないこともあるが食べ慣れるとクセになってしまう和歌山グルメの代表格の一品
    ・柿の葉寿司
    柿の産地である紀北部及び奈良県・吉野で郷土料理として親しまれている寿司/酢でしめた塩サバと甘味のある酢飯を柿の葉で包んだ押し寿司で殺菌効果のある柿の葉に包むことにより数日程度の保存に適するとともに柿の葉の香りが寿司に移り風味も良くなる。
    ・雀寿司
    和歌山の郷土料理で姿ずしの一種/チャリコと呼ばれる小鯛を開いて酢で締めこれをすし飯に乗せて握ったもの/形が雀のようにふくらんでいる/紀淡海峡の潮流で鍛えられた豊かな味わいの小鯛を使う。

    鋸山からの富士山
    房総半島には早くから黒潮に乗って近畿、西日本から渡った住民有り 忌部氏(インベ) 故郷が阿波の人 房総の語源
    地引網、勝山の捕鯨の技術、銚子の醤油→紀伊から伝わった。

    海産物 アワビは霊力を持った神聖な貝と考えられていた☆なぜ?女性的だから?
    木更津市の手古塚古墳(三角縁神獣鏡、中国製の四獣鏡…出土)4C後半以前に畿内と結びつき

    650年~670年の造営 龍角寺 関東では珍しい白鳳仏 古墳群 対蝦夷戦の最前線、大和朝廷軍が多く駐留☆成田の北
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    投稿日:2022.08.28

  • nekotaro

    nekotaro

    天照大神、神話、日本書紀、古事記、大和、出雲等等、神社へ詣でる度にその歴史や神話に触れメディア等でも目に触れるが、何度見ても聞いても時系列に整理出来ない上に何処までが本当で何が創り上げられた物なのか判りません。

    本作は、遺跡古墳や神社の歴史を紐解き写真や地図等も散りばめられ読み易いが、、やはり何なのか分からない。そもそもこの手の物は線引きして白黒ハッキリさせる事では無い様に思えてきた。

    初代天皇は、神武天皇で西暦1世紀ごろ南九州から大和盆地に東征してきた。奈良盆地の広大さと東側の山を自然の防壁とし瀬戸内海から九州へ唐や大陸へのルートもある。

    丹後、丹波は奈良や北九州に並ぶ遺跡が残って居り考古学の宝庫。注目されないのは古事記や日本書紀から抹殺されているから。
    新羅等朝鮮半島との交易も盛んだった。

    出雲大社は、大国主命を祀る。10月は全国の神が出雲に集まる為、神無月といい出雲だけは神在月という。
    大国主命は須佐之男命の娘を妻にしている。
    須佐之男命はいざなぎの命の子で天照大神と月読命と並ぶ三貴子だ。
    須佐之男命は熊野大社に祀られ、天照大神は伊勢神宮だ。

    大和を治めていた天照大神が天津神を大国主命もとへ遣わせ出雲国を譲れと命令する。
    大国主命は出雲に神殿を築く条件で受け入れた。その後政治は大和に神事は出雲が担当する事となる。

    昨年、出雲大社参拝の際に参道の木々の大きさや神聖な空気が漂う雰囲気に圧倒された。国譲りの岩や大社の巨大な柱跡、雲と稲妻を表し豊穣を祈るシンボルとしての巨大なしめ縄。何もかもが普段のセカセカとした生活とはかけ離れた世界観に圧倒された。

    そんな事もあって少しは神々や国のはじまりを知りたかったが無理でした。。。
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    投稿日:2021.05.02

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