【感想】全体主義の克服

マルクス・ガブリエル, 中島隆博 / 集英社新書
(16件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • Mkengar

    Mkengar

    あっと言う間に読了しました。新実在論の旗手であるマルクス・ガブリエルと、日本の哲学界の代表者でもある中島氏との対談ということで、お互い最初から全開モードで哲学の話をされていますが、不思議と門外漢の私が読んでもわかりやすく書かれていて、なにか質の高い時間を体験できたような印象を持ちました。議論のとっかかりは全体主義で、デジタルプラットフォームの浸透によって、新しいタイプの全体主義が生まれていること、それは市民がある意味喜んでデジタルPFに服従する市民服従的な全体主義ということです。ある特定の行動に市民が誘導されているわけです。

    中島氏は、過去の全体主義が目指していた普遍性は、偽の普遍性であって、これからの世界は西洋だけでもなく、東洋だけでもない真の意味での普遍性を追求する哲学が必要だと述べます。それを西洋と東洋の哲学者で生み出そうと。その仮説として中島氏は「花する(flowering)」という概念を普遍的な豊かさとして提唱していますが、そういえば本書とは別ですが、ポジティブ心理学の創始者であるマーティン・セリグマンは、人間のウェルビーイングをFlourishingという言葉で表現しており、その類似性を感じました。

    全体主義と普遍性、というテーマだけでなく、本書では新実在論が生まれた契機や、ハイデガーの黒歴史、悪とは何か、無と有の概念など知的好奇心を刺激される話が多数盛り込まれていました。私のような哲学門外漢でも読める、かつ十二分に堪能できる本でした。
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    投稿日:2023.06.17

  • kernel

    kernel

    他の新書系のマルクス・ガブリエル本では見なかった内容もあり、漫然とながら一読するには小気味よいスタイルだが
    対談形式ゆえの読み進めやすさと引き換えに失われるものも感じつつ、実在論などの進行形に踏み入れるには二の足を踏む。続きを読む

    投稿日:2023.04.29

  • イケダケンジ

    イケダケンジ

    デジタル化の進展と全体主義化という本書の問題意識はとても納得できる。

    現代の全体主義は、独裁者が上から民主主義を破壊するのではない。デジタルユーザーが、自ら進んで服従することで、独裁政権を生み出すのだ。恐ろしい!!続きを読む

    投稿日:2023.03.27

  • もさ

    もさ

    このレビューはネタバレを含みます

    科学は倫理・道徳を推し進めない、哲学を実践する意味はそこにあるという。

    なんでも広告やら資本主義に組み込まれる社会。その中で、民主主義は自壊していくという。
    なんでもSNSやインターネットに公開することで、ある・ないの二元的に自身の行動を捉えられる(公開していないものはないものとされる。)し、Googleに対して個人データや検索履歴などあらゆる行動を与えている。ただそれらの行動自体がGoogleやSNS会社の養分になっている。そして、それらの会社が我々の行動をサジェスト機能等で規定しうる。我々自身が無自覚に巨大ソフトウェア会社に従うことになる。ただ、それらのソフトウェア会社は民主的ではない。検索アルゴリズムは民主プロセスを踏まず、ただGoogleの思うままに表示されるし、Airbnbで借りた家でのトラブルは自己責任となり、Airbnbを運営する会社は借用者の権利を保障しない。無自覚に自主的に、非民主的なテクノロジーに従わざるを得ない状況はまさに全体主義の形が表れていると。テクノロジーが規定するものに従うつまり全体主義に加担するということになるからだ。そして、この全体主義の萌芽が国家単位で発生していたこれまでとは違い、国家の単位を超えたグローバル規模で発生しているということが現代の病理。
    便利になること、効率よくなることが良いことだとすること自体が特定の「普遍」の押しつけである。過去のナチズムや大日本帝国もその自分達の勝手な普遍性を押し付けるために理性的に侵略していたと。
    科学ですら、ガブリエルから言わせると一つの神話に過ぎない。一つの信仰であって普遍とは言えない。
    なぜなら、存在者の無限に長い連鎖(=おそらく原因と呼べるもの)は無限にあるから。それぞれの存在者の連鎖が無限であって、それらのすべてを包含する文脈、背景、原因は究極的にはない。宇宙の始まりであるビッグバンでさえなんらかが先行して、、、という話と思われる。その究極的な原因、根拠と呼べるようなものがなく、それぞれの存在者がお互いに影響を与え続けているようなこと自体が安定性をもたらしていると。その運動自体は法則がない。科学ですらそれがどこでも統一的に通用する根拠はない。
    どのスケールにおいても量子力学における確率論が展開されると。シェリングのいう原偶然性を認めることが重要としている。それが「普遍」の押しつけに陥らないための哲学であり、彼の提唱する新実在論。
    常に他者が入り込む隙間があることを認めるということ。
    自由意志のような哲学(意志と己とが分かれていて、原因となる意志と結果の己の行動とが明確に存在し、いつどこでも意志が同じであれば同じ結果になるとするような考え)ではなく、自己や出来事それ自体が自由であるという考え方(つまりどうなるかは分からない、神すらもいない)のもとで、どう生きるかって話をしている。
    想像を働かせること。立ち止まること。
    今、目の前にあるチキンのもともとの鳥の姿を想像すること、ファストファッションが作られる労働環境を想像すること、自分達の消費行動が誰かの搾取の上に成立しているかもしれないことに目を向けること。そういった想像力が重要である。売れればOK、自分が便利になればOKという話からの脱却。
    対話によって文化それぞれの非対称を感じることがなくなる世界、つまり様々な伝統が自分たちの歴史の一部だと考える世界を目指す。想像を世界にまで広げるて、社会的想像の刷新・更新をしていくということを掲げている。

    そうして出来上がる社会的想像が全を取り込むような力を持たないか、またそもそも理想はそうだとして、どういうものになりうるのかが想像しにくい点が気になったし、今後ももう少し考えてみたい。

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    投稿日:2022.08.24

  • tksych

    tksych

    お二人とも現代を代表する知性の方。とても消化しきれないので、今後のためにいくつかメモ。

    欧州の知的世界にあっても、いまだに拭えないナチズムの負の遺産
    デジタル技術を駆使した新しい全体主義の到来
    資本主義、消費社会の倫理的な再構築
    多様性、複数性、偶然性の哲学的回復
    東アジア哲学の可能性、西欧哲学との再会
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    投稿日:2022.01.10

  • minusion

    minusion

    私は以前から世の中には何か一つの真理があり、それをひたすら追い求めていた。その思考がロジカルであり、その最たるものが自然科学だと思っていた。
    しかし、この自然科学だけを信じる思想は全体主義といって、その他の価値観、例えば宗教などを一切受け付けなくなってしまう。
    実際に私は宗教を全否定していたし、空想に過ぎないと思っていた。
    しかし、そうであるならば、国家という概念も空想に過ぎず、たしかに存在しているのに間違いではないことに矛盾する。

    こういったように、すべてを一つのもので説明しようとしていた私にとって、とても心に刺さった内容だった。

    現代は、デジタル化に伴い、公私の区別が曖昧になり、全体主義に近づいていると警鐘を鳴らされていたが、それに対抗しようとしているのがダイバーシティインクルージョンで、特にこのインクルージョンがキーなのだと思う。

    一元論が多数存在して、相対主義になるのではなく、複数性、多元論の間にもがきながらも複合していくことが現代哲学なのだと。

    資本主義や自然科学主義など一元論に陥らないように心がけていきたい。

    あと、もう一つ驚いたことが、考えてみれば当たり前なのだけれど、哲学者も人間なのだということ。
    自分が論破されそうになったら、誤魔化して正当化しようとする。ナチスよりの思想をもつハイデガーもその一人で、痛いところをつかれると「わからない」と答えることができないこともあったそうだ。

    そう考えると、自分の弱さを受け入れて素直になることが本当に大切なのだろう。
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    投稿日:2021.09.22

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