【感想】壬申の乱と関ヶ原の戦い――なぜ同じ場所で戦われたのか

本郷和人 / 祥伝社新書
(20件のレビュー)

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  • だまし売りNo

    だまし売りNo

    関ヶ原は日本史上の重要な合戦が起きている場所である。古代には壬申の乱が行われた。慶長五年(一六〇〇年)九月一五日には天下分け目の関ヶ原の合戦が起きた。

    各合戦の迎撃側と攻撃側を整理すると以下になる。
    壬申の乱:迎撃側・近江朝廷、攻撃側・大海人皇子
    青野原の戦い:迎撃側・室町幕府、攻撃側・北畠顕家
    関ヶ原の合戦:迎撃側・石田三成、攻撃側・徳川家康

    全て攻撃側が勝利している。壬申の乱と関ヶ原の合戦では勝者の大海人皇子や徳川家康が新しい政治体制を作った。これに対して青野原の戦いは敗者側が室町時代という新しい時代を作った。
    壬申の乱と関ヶ原の戦いは攻撃側がそのまま最終勝利まで突き進んだ。これに対して青野原の戦いは攻撃側が勝ち切れなかった。迎撃側が最終防衛に成功している。青野原の戦いだけ敗者側が新しい時代を作ることになるが、最終的な勝者と考えれば全て勝者が新しい政治体制を作ったとなる。
    知名度では関ヶ原の合戦が最も高い。壬申の乱もそれなりにある。しかし、青野原の戦いは日本史に詳しい人でも知っているとは限らない。攻撃側が勝利して新しい政治体制を作ったという後の歴史へのつながりが弱いためだろう。
    続きを読む

    投稿日:2022.12.03

  • 近藤真弓

    近藤真弓

    日本は外国と比べて、戦乱が少なかったんですね。
    それ故、世襲が一般的になった。
    納得しました。
    ほとんどのものを中国から模倣しているのに、なぜ科挙がなく世襲になったんだろう、と前々から疑問でした。

    投稿日:2022.09.26

  • タマセツ

    タマセツ

    富=地位権力の奪い合いにおいて、史実から長・トップとなるべき人材は軍を如何に先導でき纏めるか、さらに国民、国家を如何に治めていくか、両方がうまく噛み合っていないと崩壊の危機に遭うということ。現代、良いプレイヤーは良い監督になれるとは限らない、それは個人の力から人を纏めるリーダーシップが必要だからだ。さらに、それは学ぶ側と教える側では全く違うということだ。続きを読む

    投稿日:2022.09.16

  • ドラソル

    ドラソル

    壬申の乱と南北町時代の青野ヶ原の戦い、そして関ケ原の戦いについて分析した一冊。

    どの時代も戦略上、大規模戦闘をする上で関ヶ原の位置が重要だったことが理解できた。

    投稿日:2022.05.23

  • 月猫夕霧

    月猫夕霧

    テレビで見かける人だから1冊くらい読んでみようととりあえず。判りやすく書こうとして内容が薄くなっている気がします。あと、地理好きとしては関ケ原で大規模戦闘があった理由を地理的な観点からも見てほしいところ(あそこ、東西交通が1か所に集まる交通の要衝であり、かつ、適度な平坦地があって合戦に向いてる珍しい場所なのです)。なんとなく文献と小縮尺の地図だけで書いた感じなのが物足りなかったです。続きを読む

    投稿日:2021.08.17

  • saga-ref

    saga-ref

    天下を分けた決戦の地が関ヶ原という指摘とその理由に納得。京の都を基準に愛発関、不破関、鈴鹿関が防衛上の要衝で、その関の東側の地域が「関東」と言ったという新たな知見が得られた。戦の勝敗を、誰が最終目的を達成したかで計る見方も新鮮! 「関ヶ原の戦い」の部分は、再読した『関ケ原合戦―戦国のいちばん長い日』での考察とほぼ一致した内容で、復習にもなった。関ヶ原以後、譜代を中央に、外様を辺縁に置くことと併せ、鎖国により独立採算の各藩の目を海外との自由貿易から内需へと向けさせる家康の構想がすごい。続きを読む

    投稿日:2021.02.09

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