【感想】実録・天皇記

大宅壮一 / 角川新書
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  • yonogrit

    yonogrit

    970

    大宅壮一
    1900年大阪府生まれ。旧制の専門学校入学者検定試験(専検)に合格し旧制第三高等学校に進学。東京帝国大学文学部社会学科入学、在学中より健筆をふるう。第二次大戦後、時代の風潮を裁断する社会評論や人物評論で活躍。自ら“無思想人”を宣言し、明快な是々非々論で広く支持され、「一億総白痴化」「駅弁大学」「恐妻」などの流行語も数多く生み出した。1970年逝去。主な著作に『文学的戦術論』『日本の遺書』『世界の裏街道を行く』『「無思想人」宣言』『昭和怪物伝』『炎は流れる』など。


    皇室の一番大きな使命は、皇室そのものを存続させることである。その皇室の中核体をなしているのが天皇である。〝神代〟から伝わっている〝血〟を後世に伝える生きたバトンである。聖火である。この火はどんなことがあっても消されないように守りつづけねばならぬ。これが皇室の中のすべての組織、制度、施設の中に一貫している思想であることはいうまでもない。

    そのためにもっとも大切なものは、〝血〟のにない手である天皇、ついでその〝血〟を次代に伝える器としての女である。男女間の〝愛情〟などというものは、〝血〟を伝えるという至上目的からみれば、まったく第二義的、付随的なものとなる。

    だが、必要以上に多くの〝血〟のスペアをつくると、どうしても、 歩 どまりが悪くなる。家斉の場合は、五十四人の子供の中で、四人は生後まもなく死亡し、結婚できる年齢にまで成人したのは二十八人、すなわち全体の約半数にすぎない。家慶の場合も、大部分早死にしている。家慶の 御台所 は、 有栖川 一品 中務卿 織 仁 親王の娘で、 楽 宮 喬 子 といった。九歳で、家慶との問に婚約が成立し、十五歳で挙式、二度流産をして三度目に第一子 竹 千代 を生んだが、半年足らずで死亡、つづいて第四子、第五子もすべて育たなかった。

    遊廓の中に同性愛はつきものであるが、宮中や大奥の中でもその例は決して珍しくない。しかしさすがに監視の眼が行きとどいていて、公然たる形においてはもちろん、 秘かにでも実際にそれを行うことは許されないし、見つかれば直ちに処分される。その点で女官は、娼妓のように雇主にとって投資の対象にはなっているわけでないから、簡単に追放される。

    そのかわり擬態的な同性愛は、実害の伴わぬかぎり、公然と認められている。むしろそれが制度のようになっているともいえる。例えば、女官たちの召使は針女と呼ばれているが、かの女たちはその女主人を〝 旦那 さん〟と呼ぶのである。

    かくて明治にいたるまで、日本の支配形態は、その間多少の変化はあっても、ずっとこの二重性をもちつづけたのである。会社でいうと、天皇が会長で、その時々の実力者が社長ということになる。いや、ある時期には天皇の地位はもっと弱く、名前だけの〝 社賓〟で、 捨扶持 をもらっている程度であった。

    考えてみると、一国を統治するということは、一つの事業を経営するのに似ている点が多い。はじめはわずかな資本でスタートしても、創業者にすぐれた腕があり、うまく時代の波にのりさえすれば、同業者との競争にどんどんうち勝つことができる。やがてその部門で一、二を争うような大会社になり、ついにはその部門全体を独占的に支配する一大コンツェルンにまで到達する。

     かように元就は天皇株を買ったといっても、その買い方がひどくケチで打算的であったが、信長の方はもっと太っぱらだった。信長の父がすでに皇室ファンで度々献金をしているが、信長がこれ以上に熱心な皇室の支持者になったのは、伊勢神宮を通じてである。信長の育った時代に、 清 順 上人 というのが 外宮 正遷宮 のために、全国を 勧進 して歩いていた。当時皇室はどん底にあったが、神宮への寄進が予想外にあつまっているのを見て、信長はこれはものになると思ったにちがいない。正月に明治神宮や 靖国神社へお参りの多いのを見て軍需株を買うようなものである。

    これに反して蒲生君平の方は、先祖は蒲生氏郷 から出ているというので、やはり「太平記」を読んで皇室に傾倒し、全国の 陵墓 を調べて歩いた。昔は皇室株がいかに高かったかを裏づける物的証拠として、そのころまで残っていたのは陵墓くらいのものだから、確かに眼のつけどころはいい。だがかれは根が商人だけに、彦九郎のように気狂いじみた皇室一辺倒ではなくて、幕府と 両建 であった。いちはやく国防の急務を説き、これと勤皇思想とを結びつけている点に、君平の先駆者的な性格と独創性がある。次代の日本を 席巻 した尊皇 攘夷 の思想の 雛 型 は、この商人出の純民間志士によってつくられたといってもいいだろう。

     明治以前には、一般人民には姓というものはなかった。姓は個人でなくて〝家〟についているものだが、かれらには〝家〟が認められなかったのである。個々の家畜を識別する必要が生じた場合に、名前をつけることがあっても、姓までつけるには及ばぬというのと同じ考えから出たものである。だが、姓をもたぬのは百姓、町人だけではなかった。 僧侶 にもなかった。これは人間の世界を離脱したものと認められたからであろう。

    もう一つ姓のない人間の一群がいた。これは皇族で、かれらは〝 雲上人〟とも呼ばれ、神々の部類に属するものと考えられていたからである。ところがその神々の世界が、前にものべたように、人口過剰になってくると、どうしても一部のものは気の毒だが下界へおりてもらわねばならない。これがいわゆる〝 臣籍降下〟である。しかし、下界で人民どもの仲間入りをしても、その出身を示すバッジのようなものをつけて、後々までも普通の人民と区別する必要がある。その目的と必要から生れたのが〝 賜姓〟である。

    現天皇家に万一のことがあった場合、この順序で帝位をつぐことになるのであろうが、これでみると、男系に重点がおかれ、女系の方は非常に軽く見られていることがわかる。明治天皇の皇女を妃に迎えた朝香、竹田、東久邇の三宮家とも、ずっと下の方に位している。

    当時、いわゆる〝天皇もの〟は左翼系の執筆者の独壇場で、そのほとんどが戦前から続いた「封建制論争」「日本資本主義論争」の一環としてとらえられ、講座派も労農派も〝人民弾圧の総元締め〟という共通の認識に立って、天皇家の構造や実質的な権力の主体であった幕府との関係にまでは分析が及んでいなかった。
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    投稿日:2024.01.10

  • 臥煙

    臥煙

    天皇制についてのタブーや忌憚のない鋭い論評。本書の初版の昭和27年だからこそ執筆されただろう幻の天皇論。

    日本のマスコミ論やノンフィクションの話になると必ずこの名前にたどり着く評論家大宅壮一の作品。

    終戦直後、国体の護持だったり昭和天皇退位論だったり、そもそもの天皇制の廃止の意見まで出ていた頃。¨人間¨となった天皇。こんな時代だからこそ生まれた作品だろう。

    皇位継承について「血のリレー」と割り切った発想。皇位継承問題が近年騒がれているが、やはり宮家がなくては皇位が途絶えるのも時間の問題、左派はそれを狙っているようにも思えてくる。

    江戸幕府の始めであったり、マッカーサーのGHQ など、皇室の諸制度を説明する比喩が何より絶妙。

    今、このような作品を執筆すれば、右派からも左派も叩かれることだろう。

    時代のスキマに生まれた奇跡の一冊、奇書であろう。
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    投稿日:2020.05.17

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