【感想】デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化

モリス・バーマン, 柴田元幸 / 文春e-Books
(5件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • izumowol

    izumowol

    「デカルトからベイトソンへ」という著者の主張については、どれほど正しいのか、どれほどの妥当性を持っているのかを判断する立場にないし、それだけの能力も見聞も持ち合わせていないのだが、この本の発表から40年以上経った今になってもその論─特にその前段、デカルトに象徴される近代科学的な世界観や手法、価値観の行き詰まりに関する言説が、ある程度以上の説得力を持って私に迫ってくるという事実は、我々が思っている以上に現代社会が危機に陥っているということを如実に語っているような気がしてならない。続きを読む

    投稿日:2023.05.18

  • よし

    よし

    自我を全体の一部としてとらえていた近世以前の世界

    産業革命を経てデカルト的な化学というイデオロギーによって自我は世界と切り離され、自然と人間のつながりが薄れ、今や多方面で限界がきているように見える

    今こそベイトソン的な全体論的世界の関わりかたを模索すべき
    という内容。非常に学び深い本であった。

    いままさにこの現代、筆者の描く全体論的な世界へのパラダイム推移を自分自身が体験しているのではないかと感じた。
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    投稿日:2021.09.22

  • KUDO

    KUDO

    ニュートンを筆頭に、近代科学のスターたちを引き合いに出しながら、今現在まで引き継がれる近代科学的なモノの観方(バイアス)の限界点を解きつつ、かといってオカルトもしくはアニミズム的な中世に戻るわけでもない、新しいバイアスを手に入れよう!とあの手この手で叫ぶ本。
    最後の帰結は、矮小化された議論になっているようで残念だけれど、前半戦が素晴らしい一冊
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    投稿日:2020.01.14

  • fab-lab

    fab-lab

    P19 本来の意図が自己の保護であっても、他社との意味ある関わりから身を引くことで、結局は自己自身が窒息。自己が撤退するにつれて、まわりの世界は当然手ごたえを欠いた、非現実的空間となり、それがさらに内への逃走を加速する。


    メモ、雑記、まだ途中:
    ・試し刷りみたい ハードカバーじゃない 低コスト本? 曲げて読めるからいいけど

     読んでると、しばしば面倒な気分になる。資本主義や貨幣の制度をやめて、あったかい信頼で繋がる世の中にしよう、という類にふと感じてしまう面倒さ。魔法を取り戻した世界はアダムイブ以前のheureuxにみち調和で溢れている…世界との一体感、それはきっと素晴らしい、いやすばらしい、きっとそうなんだろうけれども…。
    自由選択したつもりの職場やら趣味やら家族友人のコミュニティはまだしも、町内会やPTAとの一体化はできれば勘弁、、とか、ついくだらない邪念が浮かんだりする。(人によってどのcommunityが都合よいかは違うだろう。)疎外状況に慣れきって、切り離し上等、内外も道徳も堕落しきったノードである私には”主体客体の峻別が体系化されたのはプラトン以降”とかきくと、プラトンまじ感謝、とか思っちゃう。
    でも、これだけSNSやら監視カメラだbig brother(negativeな意味でなくとも)だ、って時代なので、個人というフレームも近代のものとは違うし(だから国家やら資本主義やら書き換えも要アプデ)、近代~20c.に、直観的な認識としてちょっと違うな、と知りつつ目をそらしてきたことが変化する時期なんだろう。全体の構造に関わるので、部分的軌道修正というよりは、ルネサンス的な変革となっていくだろう。啓蒙で照らしたはずのlightはおぼろげで頼りなくなるだろうか?
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    投稿日:2019.09.15

  • hokkaido

    hokkaido

    書物の面白さの一つは、発表された後に時代が追いつき、予言の書のような姿を示す作品が現れることである。その点で、1981年に発表され、村上春樹の翻訳の”指導役”として極めた優れた翻訳家の一人である柴田元幸により翻訳された本書が約30年ぶりに復刊されたというのは、まさに本書が現代において求められていたからに他ならない。

    本書では、デカルト以降の近代社会に通底する”主客分離”により、意識を持つ主体とそこから切り離された世界の二元論には様々な限界が訪れつつあることを示す。その上で、近代以前の社会においては、主体と世界の境目は実に漠然としており、”魔術的”とも呼べる関係性がそこには存在しており、現代の我々はむしろもう一度そのような世界の認識論に回帰すべきではないか、というのが本書の主たる主張である。

    ただし、単なる近代以前の回帰であれば、それは単なる懐古趣味に他ならない。我々の認識論をアップデートする上での縁となるのが、本書のタイトルにあるもう一人の思想家であるベイトソンである。精神医学者・文化人類学者として、メッセージとメタ・メッセージが分離する「ダブル・バインド」が神経病の原因となることを看破したベイトソンの思想をヒントにしつつ批判的に乗り越えることで、近代社会の病理を我々は克服できるのではないか、それが最終的な結論となる。

    ジュリアン・ジェインズが『意識の誕生』で主張したように、”主客分離”のベースとなる人間の意識とは、実は人間存在にとって何ら先験的なものではなく、意識が存在せず、神々と一体化していた古代の人間は、極めて幸福な存在だったのかもしれない。現代の我々には全く想像ができないような、世界と一体化してあたかも”魔術にかけられた”ような世界を体験するということが、徐々にリアルなものとして浮かび上がってくる。本書はそんな稀有な体験を味わわせてくれる。
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    投稿日:2019.08.16

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