【感想】巨人伝 上

津本陽 / 文春文庫
(2件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • 酒井高太郎sakaikotaro

    酒井高太郎sakaikotaro

    (01)
    現代なら「絡みにくい」とも比喩されそうな南方熊楠の生態を南方の生命のあった時間の流れを使って紹介している。
    本書の南方が生き生きとして感じられるとすれば、まず、彼や周辺の人物のことばによるものと考えられる。和歌山市出身の著者が操る紀州弁は楽しくもあり、熊楠が半生を過ごしたこの海岸地帯が醸す熱気が伝わってもくる。
    熊楠は文書の中でも存分に猥褻や下ネタを織り交ぜているが、本書にもそうした熊楠の特性を欠くことなく紹介されており、爽快でもある。
    また、熊楠の生の受難や苦難にも目が注がれており、読後に、彼の人生の生々しさが苦く残されてしまう。著者は、熊楠の「絡みにくさ」あるいは厄介さ、神経症、人間嫌い、高慢さなどにその理由を求めているようでもあるし、多岐祐介氏の解説にもあるように、熊楠がまわりの近代性(*02)に残され進んだという問題にも触れられないではない。
    本書では、熊楠の原文もいたるところで引用されている。近代の並みの文献にのみしか触れていない読者は、この引用箇所の「読みにくさ」に戸惑うかもしれない。これらの「にくさ」は、熊楠の生が違和感として残るものを、読者として愛し、彼の境地への関心を示すかが、現在と熊楠をつなぐ課題となるだろう。

    (02)
    熊楠は夜に書く。夜に書かれるものは、採集した生物の記事や雑誌への投稿、古書からの抜き書きも多くあることは本書からもうかがわれるが、書簡いわゆる手紙も多いように感じる。
    厄介者でもあった熊楠の交友は、それでも多彩であった。英国の研究者たち、東京の同好たちのほかに、和歌山にも数多くの友好がネットワークされていたこともわかる。地域のネットワークは、新聞社や県庁といった方面にも及んでおり、それらは熊楠の政治性の発現とも考えられ、後年は弟子グループも組織されていたようである。
    書簡という当面の一方的な権力によっただけでなく、彼が酒席で開陳する古今東西の蘊蓄も、おそらくは、質疑や対話を許さない形式のコミュニケーションであっただろう。熊楠から溢れ出るもの、彼から突き刺されるものからは、彼の多感な霊感との交感という問題が浮上する。心霊や神霊と応接する際、彼女ら彼ら心霊は、一方的に降りてきて垂れてきて、現れてくる。その相互性の不全にのみ、熊楠は賭けていたのかもしれない。
    近代日本において政治的に構築された唯一の人格的神性であった天皇との引き合いが起こる必然も、霊感の圏内においては、必然であったようにも感じた。
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    投稿日:2019.06.29

  • dai-4

    dai-4

    恥ずかしい話、南方熊楠に初めて触れた。古典からのまんま引用部分が多くて、もう少し気楽な読み物と思ってた自分としては、その辺がちょっと面倒くさく感じた。

    投稿日:2012.05.16

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