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橘 玲 / 朝日新書 (36件のレビュー)
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poron330
朝日というかリベラルが常に劣勢なのはなぜかという話。著者が解説するその理由は実に判り易い。↓ 現在の世界では急速にリベラル化が進み成果を上げ、結果リベラルは敗退している。 つまりリベラル化は奴隷制やア…パルトヘイト(少し前までは何処の国でも似たようなものだった)など、普通に考えれば善悪のはっきりしている殆どの問題を解決するという大きな成果を上げた。その結果残った問題は経済格差や安全保障、温暖化・脱原発など簡単には善悪を付けられない問題ばかり残ってしまった。リベラルは世界的に勝利したことで敗北したのである。 日本で云うネトウヨ的な主張は世界中で拡大しており、その発祥はアメリカにおいてリベラルの基準から逸脱した白人の田舎者。彼らに共通するのはアメリカから見捨てられたという怒り。 白人という立場は彼らにとって何の努力の必要もなく手に入れられるものであるから、トランプ支持者みたいな人には唯一のよりどころ。日本のネトウヨにとってのそれは日本人という肩書だけが誇れるものであり、それを覆す外国人参政権などの政策には必死で反対する。 また彼らが中国・韓国に異常にこだわる理由は、日本人がアジアで最も優れた民族であるという優越感を、中韓があらゆる方面で覆しつつあるという事。これはまた白人コンプレックスの裏返しであり、だからこそケントギルバートなどによる嫌韓本が彼らによく読まれる。 人間として道徳は6つある。1.安全2.公正3.忠誠4.権威5.神聖6.自由。それぞれが保守とリベラルでは受け止め方が異なるが、これらは人間の本性から生じてきた。しかし典型的なリベラルは3.共同体への忠誠4.権威への追従5.神への崇拝をバカにしてきた。つまりリベラルは6つの味付けの内3つしか使えない。6つの味付けができる保守が作った料理に大衆が魅力を感じるのは明らかであり、世界では保守がリベラルを圧倒する結果となっている。 ただ、どの国でも保守はその国内だけで支持されるのみで、グローバルでは他国に支持されないため(日本は事実上アメリカの属国なので、その立場を受け入れている人々にはトランプが好かれているのだと感じる)、グローバリゼーションの中ではリベラルが強い。 さらに日本だけがリベラルな愛国者という立場を否定してきてしまった。これは日本のリベラル政策の失敗。続きを読む
投稿日:2023.04.02
TAMA
本書の内容は、題名からネトウヨ的立場による朝日叩きかと思ったが、朝日叩きの内容はほとんどなく、リベラルと保守の本質を突き詰めていく内容である。 なぜ各国でトランプのようなポピュリズムが台頭し、リベ…ラルがどのような経緯で成り立ち、なぜポピュリズムに勝てないのか等リベラルや保守、ポピュリズムを知る上でかなり参考になった。また保守は各国独自の価値観に左右されるが、リベラルは国際基準で同じ価値観であるから、世界的に普遍の価値を有するということがリベラルの本質をついていると思われた。 本書の冒頭で、日本においては自民党が革新的立場にあり、共産党や立民党が保守のような立場にあることが、若者層の支持を得ずリベラル衰退の要因と書かれていた。最初はインパクト狙いの詭弁と思ったが、まさにそのとおり的を得た見方であった。 とにかく内容は難しかったが、リベラルを知る上でためになる一冊であった。続きを読む
投稿日:2023.03.16
あああら 1646886番目の読書家
このレビューはネタバレを含みます
朝日嫌い 2018 2022/01/03(月)記述 朝日嫌い よりよい世界のためのリベラル進化論 橘玲氏による著作。 2018年6月30日第1刷発行 題名に朝日と出している。 これは日本のリベラルの象徴として朝日としているだけだ。 リベラル嫌いという題名でもある。 その理由を考察した本だ。 今(2022/01/03)レビューを書いているけれども、 もしもっとこの本の指摘する所を立憲民主党が意識していれば 2021年10月の衆議院選挙でももう少しマシな結果になったのではないか。 今更ではあるが・・・ それだけに本書の指摘をもう少し正面から受け止め改善しないと 日本のリベラルに未来は無いと思う。 懸念するとすれば、れいわ新選組のような一見リベラル主義の政党が国債は借金にあらずとするMMT理論(無限に国債発行は出来ないので勿論誤りの思想だ)に傾注し、無限にバラマキ政策ができると盲信していることだ。無限に国債が発行できるのなら、税金や社会保険料は無料でも問題ないはずだ。だから既存のリベラル以上に悪質だれいわ新選組は。 野党共闘路線を取り続ける限り、立憲民主党に未来は無いだろうから根本的に足元から変えていくことを期待したい。 印象に残った点 重層的な差別である日本型雇用を容認しながら、口先だけで「リベラル」を唱えても 誰も信用しなくなるのは当たり前だ。 リベラリズムを蝕むのは「右(ネトウヨ)」からの攻撃ではなく、自らのダブルスタンダードだ。 日本のリベラルにいま必要なのは、保守化した「リベラル高齢者」の既得権を破壊する勇気だ。年金も健康保険も終身雇用も年功序列も何一つ変えないまま、若者に夢を与える未来を描くことなどできるはずはない。 「リベラル」を名乗る組織は、リベラルがどのようなものかを身をもって示す責任を負っている。多くの人がそれを見て、「自分もあんな風になりたい」と思うことで社会は前に進んでいくのだ。 リベラルとは、本来は「Better World(よりよい世界)」「Better Future(よりよい未来)」を語る思想のはずだ。だがいつの間にか日本の「リベラル」は、憲法にせよ、日本的雇用にせよ(あるいは築地市場の場所まで!)現状を変えることに頑強に反対するようになった。「改革」を否定するのは保守・伝統主義であり、守旧派であろう。 これは「戦後リベラル」を担う層が高齢化して、「何一つ変えない」ことが彼らの利益になったということでもある。 リベラルの失敗は、「自衛隊は憲法違反だ」と叫んでいるうちに憲法改正を右翼・保守派に先取りされたことだ。その結果、北朝鮮のミサイルが上空を通過するようになって「9条に陸海空軍その他の戦力は、これを保持しないとあっても個別的自衛権は自然権なので自衛隊は合憲だ(ただし集団的自衛権は認められない)」という苦しい理屈を繰り返さざるを得なくなった。しかしこれでは、「だったらなんでそう書いちゃいけないの」という子供の疑問に答えられないだろう。 憲法改正を拒絶するリベラルな憲法学者は、複雑怪奇な理論によって自らの主張を正当化しようとするが、これは「無知な大衆は黙って従え」というエリート主義そのものだ。 憲法はすべての国民のものなのだから、アカデミズムの密教の中に囲い込むのではなく、中学生や高校生でもわかるように書き直していくべきだ。 日本は未だに、イエを単位とした前近代的社会から個人を単位とした近代的社会に移行できていない。憲法24条の「両性の合意」を「双方の合意」に改正するとともに戸籍制度を廃止し、資産や親権を共同でもてるシンプルな家族制度にするべきだ。 年金や健康保険などの社会保障もイエ単位になっているが、家族の多様化で矛盾が拡大している。北欧などと同じく、これも個人単位に変えていくべきだろう。 日本統治時代の名残で韓国には戸籍制度があったが2008年に廃止された 仲間たちがどこまでなら許し、どこから許さないかを正確に知るには、高度な「道徳センター」を持っていなければならない。これは一般に「良心」といわれる。 すなわち道徳的社会では、繊細な良心(高機能の道徳センサー)と高い知能を持つ者がもっとも効果的に抜け駆けできる。良心はひとびとを社会のルールに従わせるために内面化されたが、それを仲間を出し抜くために使うこともできるのだ。 きれいごとを言う人は、道徳の貯金箱がプラスになったように(無意識に)思っているので、現実には差別的になるのだ。 安倍一強の秘密を読み解くこともできる。 それは以下の4つの戦略の組み合わせだ。 1国際社会では「リベラル」 2若者に対しては「ネオリベ」 3既存の支持者に対しては「保守」 4日本人アイデンティティ主義者に対しては「ネトウヨ」 「モリカケ問題」で権力基盤が揺らいでいるとはいえ、これが現代日本においてもっとも広範な支持者を確保する最強の戦略であることは間違いない。とりわけ有利なのは、中国や韓国・北朝鮮に強硬なポーズを取り「朝日」「民主党」を批判することで、最も面倒なネトウヨを「私設応援団」にできることだろう。 現代社会が抱える問題とは、先進国でも新興国でも、知識社会から脱落し、仕事や恋愛での自己実現に失敗し、「たったひとつのアイデンティティしかもてなくなったひと」がますます増えていることだ。彼らのアイデンティティはきわめて脆弱なので、それを侵す(と感じられる)他者に激烈な反応を示す。 原理主義的なイスラームを説くウラマー(イスラーム知識人)に共通するのは、栄光あるイスラームを蹂躙した西欧の植民地主義への怒りと、自分たちがイスラーム世界の周辺に追いやられ、差別されていることへのルサンチマンだ。この憎悪が、ISのプロパガンダと強く共振することはいうまでもない。 同様に、「愛国原理主義」を説く右派論壇にもリベラルへの強いルサンチマンが感じられる。それはおそらく、自分たちが「知」の主流派(エスタブリッシュメント)から排除されてきたという屈折から来るものなのだろう。 同様のルサンチマンは、金融緩和政策を強硬に主張し、エスタブリッシュメントである日銀を執拗に批判したリフレ派と呼ばれる一郡の経済学者やエコノミストにも見ることができる。しかしこれも日本に特有の現象ではなく、アメリカの一流大学は「リベラルの牙城」でそこに加わることができない右派の「思想的リーダー」から激しい憎悪を向けられている。 (*おそらく藤井聡や三橋貴明のことであろう) 同様に道徳に反した者を罰すると、それを見ただけで脳からドーパミンが放出される。こうした傾向は男性に特に顕著で、ネトウヨがアルコール依存症やギャンブル依存症、ドラッグ中毒と同じ、インターネット社会が生み出した病理現象=正義依存症であることを示している。 正義依存症はもちろんネトウヨだけではない。「反安倍」や「反原発」でえんえんと呪詛の言葉を書き連ねるのも同じだし、女性タレントの不倫から男性ミュージシャンの不倫を暴いた週刊誌まで、匿名の「正義」を振りかざす機会をさがしてネットを徘徊するのも同類だ。 ネットメディアの世界では、もっともアクセスを稼ぐ記事が有名人のゴシップ(噂話)と正義の話だというのはよく知られている。「こんな不正は許せない」という話にひとはものすごく敏感だ。 ふつうのひとたちが不道徳な政治家や芸能人、犯罪容疑者を夢中になってバッシングするのは、それが共同体を維持するのにもっともコストの安い方法だからだ。 「正義は快楽である」これだけだ。 復讐はもっとも純粋な正義の行使で、仇討ちの物語はあらゆる社会で古来語り伝えられてきた。脳の画像を撮影すると、復讐や報復を考えるときに活性化する部位は、快楽を感じる部位と極めて近い。道徳的な不正を働いた者をバッシングすることは、セックスと同じような快楽をもたらすのだ。 日本の右傾化とは嫌韓・反中を利用した日本人の「アイデンティティ回復運動」のことなのだ。 1970年から1995年までのアメリカの大学生男女の意識について調べると、「女性は自分の権利を心配するよりも良妻賢母になることを考えるべきだ」などの質問項目に対し、1990年前半の男性は1970年代の女性よりも高いフェミニスト意識を持っている。 先進国では、今や誰もがフェミニストなのだ。 この歴史的変化に伴って、妻に対するDV(ドメスティックバイオレンス)も急速に減っている。 アメリカでは(日本でも)つい最近まで夫が妻を殴ることは犯罪とは見なされなかったし、不倫をした妻を殺すことには叙情酌量の余地があると考えられてきた。 1987年には「男性が妻をベルトやステッキで殴るのは一様に悪いこと」と考えているアメリカ人は全体の半分しかいなかったが、それが10年後の1997年には86%まで大きく増えた。同様に、今では80%以上のアメリカ人がDVを「社会的にも法的にも非常に重要な問題」と考え、99%が「男性が妻を負傷させた場合は法的介入が必要」と回答している。 レイプと同様にこの20年で、夫婦であっても女性への暴力は強く忌避されるようになったのだ。 「反知性主義・グローバリズム批判・保守化」というのは、愛煙家による「嫌煙ファシズム」批判と同じで、行き過ぎた「知識社会化・グローバル化・リベラル化」に対するバックラッシュ(反動)なのだ。 知識社会というのはその定義上、知能の高い人が大きなアドバンテージを持つ社会だ。知識社会化が進むということは、仕事に必要とされる知能のハードルが上がるということでもある。そう考えれば、「知識社会化=グローバル化=リベラル化」が三位一体で進むにつれてそこから脱落する人が増えるのは避けられない。これが「中流の崩壊」と呼ばれる現象で、欧米では彼らの怒りが社会の保守化=右傾化を招いている。 シリコンバレー型の「リベラル」とは、普遍的な人権を前提として、グローバル市場から能力=知能のみで労働者を平等に選抜・採用し、そこから生み出されたイノベイティブな商品やサービスをグローバル市場に平等に提供するビジネスモデルのことなのだ。 ここに日本の「リベラル」の欺瞞がある。彼らは差別に反対しながら、自らが「差別」する側にいるのだ。 これを手短に要約すると、「日本のサラリーマンは過労死するほど長時間働いているが、生産性がものすごく低く、世界でいちばん会社を憎んでいる」ということになる。 日本社会は「既得権にしがみつかないと生きていけない世代」と「既得権を破壊しなければ希望のない世代」によって分断されている。「リベラル」を自称するひとたちは世代間対立論を毛嫌いするが、これ以外に高齢者と若者で右と左が逆転する理由は説明できない。
投稿日:2022.01.03
kasuran
現在の日本におけるリベラルとは何かという根本を解説する本。よく、自民党がリベラルと考える若者が増えて来ている(そもそも自民党の党是は憲法改正なので当然だ)。では旧来の左翼は何処へ行ったのか。当時革新を…目指した層は老いさばらえて、自らの保身を図る。若者の多くは変えられるものなら世の中を変えたいと思っている。知識層と貧困層がそれぞれ指すリベラルの定義が違ってきていると思う。作者は明らかにリベラルだと思うが、新しい時代のリベラルである。惜しむらくは、朝日を叩くつもりがないのにこのタイトルをつけたこと。 旧来のリベラルがダブスタのジレンマに陥っている、という話は面白い。確かにそうだ。だって、旧来のリベラルは世の中に乗り遅れてしまったのだから。その代表が朝日だという話であると。ただ、朝日が叩かれている理由はダブスタだけでなく、捏造からの自作自演が多いことがバレてじったからではないか……続きを読む
投稿日:2021.12.03
surakui
リベラルとか、保守ってなんだっけ?いかにしてなるもの?というものを調査結果を用いつつ明らかにしている本。 リベラルとか保守、いまいちよくわからんという方には一読の価値あり。
投稿日:2021.05.05
tosyokan175
中公新書の「戦後民主主義」を読んで、民主主義の来た道、行く道を考えるには、「戦後民主主義」の気分を作ってきた朝日新聞研究だろ、と思い開いた本です。書名から完全に感情的朝日ディスリ本パターンかな、と思い…積読本にしていたのですが、内容は全然違う目鱗な本でした。初・橘玲です。ミチコ・カクタニの「真実の終わり」でショックを受けたポスト・モダンが反知性主義を生んだ、ということが端的に論理的にピシッピシッと語られています。そして、「保守」がなぜ「リベラル」に勝つのか、の説明に用いられる「道徳の味覚」というロジックも衝撃。しかし、グローバルでは結果的に「リベラル」が「保守」を凌駕するという再転現象も納得。ビヨンセがオバマ大統領の就任式で国家を歌う意味を市場性というテーマで説明していて、なるほど・ザ・ワールド。人間という生き物の生存戦略としてのネオフィリア(新奇好み)とネオフォビア(新奇嫌い)のストラグルも説得力ありあり。「雑食動物のジレンマ」のアナロジー、これから自分でも使いまくりそう。そして心理学、遺伝子まで話は広がり、イデオロギーは匂うか?みたいなテーマまで振り回されます。そして、最後の最後、「リベラル高齢者」「シニア左翼」の牙城となった「朝日的」なるものにブーメランみたいに戻って来るのでありました。男はつらいよ、がファンタジーであるように朝日はつらいよ、からは若い世代へのストーリーは動き出さないかも…続きを読む
投稿日:2021.04.30
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