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西尾幹二 / PHP新書 (3件のレビュー)
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個人のエゴイズムと社会の拘束力とのあいだのバランスを問題視し、文化や社会の側から人間を探求するのではなく、人間を先に考える。これはフロイト的である。そして個人の対話力をいかに高めることができるか。衝突…や闘争に身をさらし、矛盾を矛盾として保持し続ける力。そのような個なくして多様性も国際性もない。政治よりもむしろ教育や心理の領域への今日的な示唆に富む本である。続きを読む
投稿日:2012.02.24
kamikami3594
このレビューはネタバレを含みます
日本の個人と社会の関係について論じた文化論。この本は1969年に出版された『ヨーロッパの個人主義』という本に加筆修正がなされたもの。西洋が個人主義を旨としながらも集団レベルになると一致団結できる一方で、日本は集団が一見まとまっていながらも同床異夢、呉越同舟である場合が多いが、それはなぜか。 明治維新以降、日本は「自由」、「平等」といった西洋から輸入した概念を用いて近代化=西欧化に邁進してきた。しかし、著者はいわゆる近代知識人が「進歩」、「自由」、「平等」を絶対化し、古い価値観を帰るべきだという態度を頑なに取り続けてきたことを採り挙げ、これを「ヨーロッパを鏡として常に自国を見てきた」と説明する。 彼らは何でもかんでも、日本国内の問題を「進歩」、「自由」、「平等」の徹底で解決しようとし、自国が到達した文明の段階を率直に見るということをしなかった。 日本の一部では他人に迷惑をかけることもまた自由で、教師にタメ口を聞いたり運動会の徒競走で手をつないでゴールしたりすることが平等とみなされる風潮がある。なぜこのような現象が起こるのか。 日本の小集団においては、人間相互の倫理基盤が集団内部の情緒的紐帯(一体感)に依存している場合が多くなる。だから、価値観のすれ違いがあれば、政党から学生運動にいたるまで小集団の分立、抗争(ゲヴァルト)が繰り広げられる。 こうなっては集団内の個人は埋没し、集団の外枠への想像力や構想力が働くことはない。丸山真男の言葉を借りるなら、「タコツボ(自分の所属集団)の外には我関せず」ということか。 さらに、自分の属する小集団の価値観を絶対化し、それを外の世界に主観的に押し付けるという傾向もある。だから、過去の成功例(日本国レベルで考えるなら、日本海海戦や高度経済成長)にしがみつき、それが通用しなくなればパニック(日本国レベルなら太平洋戦争、平成不況)に陥る。 個人レベルなら「俺はこんなに苦労したんだから、お前が苦労しないのはおかしい!」という奴隷根性を押し付けるようなメンタリティだと説明できると思う。 著者は「新しい歴史教科書をつくる会」のボスでバリバリの右派、タカ派で、基本的に考え方は合わないが、この本の内容には大いに評価できる。
投稿日:2011.06.06
a24s
1969年の講談社現代新書に加筆したもの。 30代のときに執筆した内容を変える必要はなかった、と自ら評価している。 たしかに、日本人の状況は驚くほど変わっておらず、またこの頃の西尾の筆は冴えている。 …あまり覚えていないのだが、たぶん私は西尾を読んでいたのかもしれない。 そう思えるほど、ここに書かれている7割ぐらいの部分は、完璧に同意できる。 いまの日本はおかしいのではないか、いや自分の方がおかしいのか・・・、そんなことを感じている人は是非一読されると良いだろう。 ただ、個人としていきてゆくなら覚悟を決めや、というのがニーチェなり西尾から読み取るべきことで、それ以上の社会で現にとるべきスタンスは彼らからは学ぶ必要はない。続きを読む
投稿日:2010.04.07
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