【感想】多数決を疑う 社会的選択理論とは何か

坂井豊貴 / 岩波新書
(99件のレビュー)

総合評価:

平均 4.1
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36
12
3
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ブクログレビュー

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  • ウインナー

    ウインナー

    「多数決」は民主的に物事を決める際に使用され、その結果は集団の総意とされる。
    これは、今まで生きてきた中で幾度となく経験してきたことである。
    だが、それは本当に民主的なのか?
    今まで当たり前だと思っていたことの前提を考えるきっかけになる一冊です。続きを読む

    投稿日:2024.03.25

  • agjmd

    agjmd

    学校のクラスの話し合いをしていると、最終的な決定は、結局、多数決になる。そんな多数決する生徒たちを見ていて疑問だったのが、子どもたちが意外と数票差とかであっても、多数派の意見になることに対して抵抗感がないことだった。
    かといって、ではその問題点をどれくらい自分がきちんと説明できるのか、多数決に変わる代案を出せるのか、と聞かれると答えることが難しい。そんな問題意識がから手に取ってみた本だ。

    てっきり、「多数決を疑う」とあるから、多数決に代わる、何か画期的な意思決定の方法を見せてくれるのだと勝手に思っていたのだが、違った。この本は、多数決の限界を理解しつつ、それでもなお、「よりマシな多数決」のやり方を模索する、その模索の仕方を教えてくれるというコンセプトのものだ。
    著者が繰り返し言うのは、多数決で多数になったということと、その結果が正当なものであること、「正しい」判断であるということは、異なるということだ。単純に多数決の色々な方法を紹介するだけでなく、集団による意思決定において、理想的な判断とは何か、その決定は、何によって正当化されるのか、といった哲学的な問いにまで議論は及ぶ。
    「ボルダルール」「コンドルセの最尤法」「中位投票者定理」など、いくつかの多数決のやり方が紹介されるが、それぞれの選択場面において、どの方法がより正当なのか、それを考えることの大切さを筆者述べる。そして最後には、「小平市の都道328号線問題」という実際の事例を通して、民主的な判断のあり方について、具体的な説明をしてくれる。

    最近は、多様性やマイノリティに対する意識が高まってきたとはいえ、実際の世の中を見ていると、そうした意識から一見逆行しているかのように見える多数決という決定方法は、まだまだ当然視されている。そんな、数が多ければ正しい、といった単純な発想の多数決に、少しでも違和感を持ったことのある人には、ぜひ読んでもらいたい。
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    投稿日:2023.12.15

  • gaaco

    gaaco

    副題にもある「社会的選択理論」というものを、本書で初めて知った。
    人々の意思を集約するルール、方法を考える学問である由。

    三つ以上の選択肢があるとき、多数決は必ずしも人々の意思を反映しない。
    そこで、さまざまな方法が考えられ、いくつもの条件の下で強度が試されてきた。
    有力な2つの選択肢に対し、第3の選択肢が表れて票が割れることで結果が変わってしまう。
    このような不合理への頑健性を試す条件として「ペア勝者規準」「ペア弱者規準」などが考えられている。
    ここだけでも、「ほほお」である。

    スコアリング・ルール(選ぶ順位に応じ点数配分をして集計する)、ヤング・コンドルセの最尤法(複数選択肢からペアを作り、ペアごとに多数決を取ったデータから選択肢の選ばれた順序を求める)などが紹介される。
    なるほど、方法も洗練されて行っているということか…と思う一方、ベースはボルダとか、コンドルセという18世紀の理論であることにも驚く。

    20世紀には「中位ルール」というものが発見される。
    これは段階的に並ぶ複数の選択肢に山形の順位づけができるとき、真ん中の選択肢を選ぶというものだそうで、票の割れにも、自らの意向を偽って投票して対立候補をつぶすような戦略的操作にも強いとのこと。
    政策を評価する投票などでは効果はあるようだ。
    自分などは、議員の選挙のイメージがつい出てしまうので、最初どういう活用ができるか、なかなかイメージがしづらかった。
    が、たしかに有権者に熟議により論点を評価する観点にある程度の共通認識があれば、よい方法なのだということが経験的にも理解できる。
    どちらかというと、職場での意思決定に活用できるのではないかという気がする。

    最後の章ではメカニズムデザイン(集約の制度設計)の話が取り上げられていた。
    公共財の使い方を自律・分権的に決められるよう、制度を作っていくという考え方のようだ。
    ここではクラークデザインを取り上げていた。
    近年研究が進んでいる分野だそうなので、また別の本で読む機会があればと思う。
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    投稿日:2022.11.13

  • rafmon

    rafmon

    ルソーによる『人間不平等起源論』。主に社会不平等が拡大するなかで人間同士が疎外していくプロセスを描いたもの。支配する者の中には高慢と虚栄が、支配されるものの中には卑屈と追従が生まれる。しかし、結局は、富者さえも、欲望の奴隷。

    ー 人間は、欲望の奴隷。
    私も10代だった頃、よくその事を考えた。しかし、欲望に程良く従い、飼い慣らした先に、遺伝子との共創があり、種の連続性があるのだと。これは、個人の話だ。関係性において、この奴隷状態をこれを克服するために『社会契約論』がある。

    人民主権。それを運営するのが一般意志。共通化、平等性を志向する傾向をもつ、民衆の代弁、総括。一般意志は、どのように導かれるべきか。ここまで来ると成田悠輔のデータ民主主義も伏線として、踏まえておきたくなる。いや、社会的選択理論の方が基礎と呼ぶべきか。

    そこで、民主主義的投票、多数決の是非。投票の無い民主制はない。意志の集約ルールにより結果が変わる。集約ルールは、民意を反映できているのか。決選投票付き多数決、繰り返し最下位消去ルール、コンドルセ・ヤングの最尤法、ボルダルールなど、多数の運用方法があるが、性能の良い方法とは。また、多数決をめぐる最大の倫理的課題は、なぜ少数派が多数派の意見に従わねばならないか。

    これは、面白いなー。勉強になった。
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    投稿日:2022.10.14

  • bookkeeper2012

    bookkeeper2012

    一見したところでは単純なような多数決みたいな集団での意思決定プロセスに、票の割れに対する脆弱性や、サイクルの発生といった問題があることを教えてくれると。平易な語り口だが、意外と消化するのが難しい

    投稿日:2022.10.08

  • BRICOLAGE

    BRICOLAGE

    "民主制のもとで選挙が果たす重要性を考えれば、多数決を容易に採用するのは、思考停止というより、もはや文化的奇習の一種である。(p.6)"

     普段私たちが集団で何かを決めようとするとき、特に何も考えず「多数決」という方法をとるだろう。しかし、この「多数決」は手放しで信用できるものなのだろうか? 実は、多数決は完全からはまったく程遠い、いや程遠いどころかむしろ多くの欠陥を抱えた信用のならないルールなのである。
     最も理想的な意志集約の形は、もちろん「満場一致」であろう。全員が同意しているのだから、一番平和な解決だ。だが、現実には至るところに意見の対立が存在する。そこで、多数の人間の意思をなんとかうまくひとつに集約するルール(=「意思集約ルール」)を考え出す必要に迫られる。
     多数決の長所は、仕組みが単純明快で理解しやすく、しかも集計が容易なところにあると思う。だが、そもそも多数決は必ずしも多数派の意見を実現するわけではない(!)。例えば、A, Bの2人が立候補している選挙を考えてみる。支持率はそれぞれ60%, 40%とすると、この2人に対して多数決を行えばAが勝つ。だが、ここに3人目の候補者Cが現れた。CはAと似た政策を掲げていたために、元々Aの支持者だったうち半分がCに流れてしまった。すると、支持率はA, B, Cで30%, 40%, 30%となって、多数決の結果Bが勝利することになった。こうして、多数派が支持しているはずのA(またはC)の政策が多数決で選ばれないという事態に陥る。(2000年に行われたアメリカ大統領選挙で同様の状況になったそうである。)つまり、多数決は、候補が3つ以上あるとき「票の割れ」に脆弱なのだ。また、多数決は有権者の判断のうち、「誰を一番に支持するか」という一部分しか表明できないという欠点もある。
     本書の副題にもある「社会的選択理論」とは、意思集約ルールが備えているべき性質を数学的に定式化する学問である。18世紀から様々な意思集約ルールが検討されてきたが、その一つが「ボルダルール」である。それは"例えば選択肢が三つだとしたら、1位には3点、2位には2点、3位には1点というように加点をして、その総和(ボルダ得点)で全体の順序をきめるやり方で(p.14)"、票割れの問題を解決している。本書では、他にもコンドルセ・ヤングの最尤法、決選投票付き多数決、繰り返し最下位消去ルールなどが紹介されている。
     そうなると、問題なのは、多数決より色々な点で優れた様々な意思集約ルールが提案されているにもかかわらず、社会でそれらがほとんど認知されていないということである。多数決で決まったことに、なぜ皆が従わなければならないか。それは、本来であれば多数決の意思集約ルールとしての妥当性からその正当性が保証されるはずだ。しかし実際には、多数決を用いることは多くの場合妥当とは言えない。このような民主主義の根幹に関わる事実は学校教育で教えてほしかったが、「多数決」という自分の固定観念に穴をあけてくれたその一点だけで、本書を読んだ価値があった。
     本書の後半では、民主主義に関するルソーの議論を参照しつつ、投票について考察を深めている。フランス革命の思想的土台を作ったルソーは、人民は一般意志に基づいた熟議的理性を働かせて投票しなければならず、その限りにおいて少数派が多数派の投票結果に従うのが正当になると述べた。ここで一般意志とは、"自己利益の追求に何が必要かをひとまず脇に置いて、自分を含む多様な人間がともに必要とするものは何かを探ろうとすること(p.76)"である。だが、これは現代の民主主義国家における実際の投票の姿とは異なるもののように僕には思える。それは、有権者たちは(少なくとも僕は)「公」の利益より「私」の利益を最大化してくれそうな候補者に投票しているからだ。そうであるならば、「少数派は多数派の投票になぜ従うべきか」という倫理的な問題は結局、依然として未解決のままなのだろう。一方で、ルソーの構想したような投票は実現がかなり困難そうだ。一般意志に従って投票する(あるいは、投票しようとする)集団があったとして、その中に一人、個人の利益のために投票する人がいれば、彼は僅かかもしれないが他の人より得をするはずだからだ(従って、ルソーの構想した投票を実現しようとするなら、「裏切り者」の得が得ではないような仕組みを作らなければならないだろう)。
     民主主義と切っても切れない「投票」というものが、かなり根本的なところで未完成であることがよく分かった。

    1 多数決からの脱却
    2 代替案を絞り込む
    3 正しい判断は可能か
    4 可能性の境界へ
    5 民主的ルートの強化
    読書案内
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    投稿日:2022.09.10

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