【感想】舞踏会・蜜柑

芥川龍之介 / 角川文庫
(9件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • gakujihondana

    gakujihondana

    蜜柑は芥川龍之介の傑作だと思っています。
    芥川作品は短編が多く読みやすい作品が多いので純文学入門に良いと思います。

    投稿日:2021.05.18

  • ホーカン

    ホーカン

    久しぶりに純文学を読んだ。読むのにエネルギーが必要なのでなかなか一気に読めない。

    蜜柑を読んだのは久しぶり。
    特別好きではないけどよく言われるように色彩表現が良いから印象に残るね。

    「魔術」が他と趣向が違っていておもしろかった。

    全体的に作者が模索している感じが伝わってくる
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    投稿日:2016.11.03

  • 葎花

    葎花

    大正八年度作品集と裏には記されている。但し解説によればこの時期芥川は作品の美的完成を見るのに大層苦心していたそうである。作中主体から客体への転落(芥川は停滞或いは退歩と呼ぶ)、恐らくは青年期特有の輝く感性の死。其処から熟成していくことは彼にはできず、狂気へと転落しながら喘いでそれでも作家たろうとしていたのだろう。その生き様には感服する。真似はしないしできないが。
    それにしても短編というものは、連作でもない限りひとつひとつの余韻が大きく次へ進むまでに間が必要なように感じる。そういう意味では決してこの作品群も「無駄」とは言えないと思う。
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    投稿日:2015.05.10

  • corleonevillage

    corleonevillage

    五感に語りかけてくる。話の筋はなんてことないのに、心に残る清々しさと、蜜柑の残り香に惹かれて、何度でも読み返してしまう。

    投稿日:2012.04.24

  • 千

    蜜柑ほど鮮やかな作品はないと思います。モノクロの世界に一斉に色が広がるあの感じは忘れられません。読後はしばらく放心してしまう程うっとりしました。芥川先生の小説は人の弱さをとても美しく描いているから、身近に感じながらもどこか神聖なのかな。続きを読む

    投稿日:2011.12.05

  • harucafe7

    harucafe7

    今演習で扱っている「舞踏会」。
    自分の中で新たな解釈・読解が生まれてきました。

    鹿鳴館の美化・青年将校の美化・通り過ぎる男達の美化・明子自分自身の美化…と、様々なことについて美化されすぎている…それこそ芥川にとっては珍しいほどの美しい文章が展開されています。
    これは後のH老夫人がかつて若かった自分・明子を青年小説家に語ったある種の回想録であるからであるから、些細なナルシズムが含まれているのは当然だろうと。

    しかしこの作品が明子という三人称で展開されているのは、単に明子の回想録というだけではなく、そこから更に青年小説家の思考により客観性が増したからです。

    明子の「顔」について具体的描写がないこと(服装や装飾品の描写は細部まで描かれている)、『ワットオの絵の中のお姫様』が実は誉め言葉ではないこと。
    この指摘には非常に驚かされました。
    思えば明子を見て振り返る男達の反応も、
    「一瞬間無邪気な驚嘆の色」「彼の眼の中にはかう云ふ疑問が、何度も人懐しい微笑と共に往来するやうであつた」「大官は(略)呆れたやうな視線を明子へ投げた」「大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆(あき)れたやうな視線を明子へ投げた。」
    藪の中にも通じる極めて微妙なアイコンタクトがここにも現れています。
    芥川作品の醍醐味である隙のない『伏線』が至るところに張られています。実際的に明子は美しくなかったし、美の象徴として語られていたわけでもない。
    一回読んだだけではわかりませんが、確実にパズルのピースのようにヒントは散りばめられています。

    そして最後のオチ、

    「奥様はその仏蘭西の海軍将校の名を御存知ではございませんか。」
     するとH老夫人は思ひがけない返事をした。
    「存じて居りますとも。Julien Viaud と仰有る方でございました。」
    「では Loti だつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」
     青年は愉快な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであつた。
    「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」

    ここで青年小説家は「青年将校=ロティ」だったということに興奮を覚えるが、H老夫人は以前の思い出に囚われ取り残されている。
    これによって、もはやH老婦人すなわち明子は実際美しくなかったし、明治の文明開化で背伸びをした日本人の滑稽さの象徴だったということがわかるのではないか。

    父親の発言や、明子が年をとると個人の名前が捨てられ「H夫人」つまり「イニシャル+夫人」と主体性の失われた呼び名に変化していたことを”人形化”と取る読解も非常に興味深かったです。
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    投稿日:2011.07.08

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