【感想】男の見方 女の見方

養老孟司, 長谷川眞理子 / PHP文庫
(7件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • ますく555

    ますく555

    往復エッセイリレーの本です。いろいろな題材をそれぞれ関連させつつリレーしていきます。養老さんならではの視点があれば、長谷川さんならではの考え方がある。視界を狭めないために読むと良いかもしれない本です。

    投稿日:2011.07.04

  • locknloo

    locknloo

    「長谷川眞理子」ってどういう人だろうと思って調べてみたが
    「行動生態学」の理学博士で「国家公安委員会委員」「日本進化学会会長」だという。

    男女の違いを様々なテーマで語られているが、リレーエッセイという形式で二人がまったく絡まないし無理やり一冊の本にするために内容を膨らませているようにも思えた。

    共感したり納得させられた話も数々あったけど、対談形式のほうがより楽しく読めたと思う。
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    投稿日:2010.12.12

  • noppoppo28

    noppoppo28

    性差がものの考え方や行動で顕著だなと・・・頭を抱えていた2008年夏に読んだ一冊。
    養老氏の尿道に対するご意見・・・笑
    オレもそう思っていた。

    投稿日:2008.10.25

  • 仲松庸次

    仲松庸次

     脳の研究者と行動生態学,進化生物学のお二人がその立場から「男の見方,女の見方」について,その分野のいろんな研究成果が書かれていると思ったが,エッセイ集といった感じが強いです。 まあ,それはそれなりにおもしとかったです。



    (養老孟司)p80〜81
    男女の能力差のように、人類を束ねて二つに割って、その二群がどう違うかという話は、本当はあまりしないほうがいい。なぜなら、たとえば、男が女よりも空間把握能力が高い、という統計を教えると、あの女よりも、おれのほうが偉い、そう考えて喜ぶ馬鹿が、男の中にかならずいるからである。それは、まったくの間違いである。

    (中略)

     男には男の能力があり、女には女の能力がある。そんなことは、わかりきったことである。それと同時に、個性の幅というのがある。個性の幅は、しばしば男女の統計的な差を超える。そういう性質については、じつは統計的に男女差があったとしても、それを論じる意味はあまりない。社会の中でわれわれが出会うのは、それぞれの個人であって、一般的な男女ではないからである。こうしたすべては、ただの常識であろう。


    ※※※

     まあ,そうでしょうね。それは理解できます。でも,それでも男女の能力の差というのには,関心があります。
     「一般に男は・・・,女は・・・・」なんていうのはおもしろいです。空間図形の問題をさせると,女の子はできない。また,逆に言語能力では男の劣ること劣ること

     養老氏と同じようなことを長谷川さんも書かれています。


    ※※※
    (長谷川真理子)p101

     では、決断力、リーダーシップ、数学の能力、言語能力、方向感覚、攻撃性などの性質には、男と女で違いがあるのでしょうか? どう量的に表現するにせよ、これらの性質も、身長と同様に連続的に変化する量でしょうから、集団の平均値の差を検定すれば、もしかすると有意な差が検出されるかもしれません。それでも、ある一人の男か女を取り上げてその人の性質や能力を云々する場合には、服を選ぶときと同様、その人個人の性質が問題なのであって、集団の平均値に差があるかどうかは関係ないはずです。集団の平均値の差を根拠に個性を無視するとき、無用な差別が生まれてくるように思います。

    ※ ※ ※

     そうでしょうね。そこから差別が生まれることもあるでしょう。

     ただ,このように書いているのですが,別の項(文系・理系)ではこのようなことも書いています。

    ※ ※ ※

    (長谷川真理子)p114〜115

     私は自分が理科系で、普段は自然科学の研究をしているので、自分が物事を考える道筋は、ほかの人々にとっても同じだと思っていました。ところが、はじめて非常勤で某大学の法学部の学生に教え、試験の答案を見たときに、あっと驚かされたのです。第一問は、霊長目の中におけるヒトの位置を記述せよ、という問題でした。私は、当然、それぞれの種が分類単位ごとに樹木状に分岐して描かれる系統樹を描いてくれるものと思い込んでいました。こちらは、そのようにして教えたのですから。しかし、法学部の学生で、系統樹を描いてくれた人はいませんでした。全員が、「霊長類は真猿類と原猿類に分かれ、真猿類は、新世界ザルと旧世界ザルに分かれ・・・・」というように、すべてを言葉で書き並べたのです。私にとっては、全部を言葉で表すということは思いもよらぬことでしたが、彼らにとっては、図を描くということは思いもよらなかったようなのです。あとで、法学部の先生にこの話をしたところ、すべてを言葉で書くことに、先生方も別に違和感は感じておられないようでした。

    これが、はじめてのショックで、それ以来、いろいろな学部の先生たちが集まる会議でも、しばしばちょっとした違和感を味わいました。理系的思考では、複雑な事実はなるべく図表化しようとしますが、文系的思考では、文章で描くことを重視するようです。理系的思考では、事実を重視しますが、文系的思考では、個人的解釈の方に重点がおかれるようです。理系的思考では、説明がきれいにつくと喜びますが、文系的思考では、きれいに説明がつくとうさん臭いと思われることが多いようです。また、理系的思考では、仮説などはすぐにも捨てられるものと考えていますが、文系的思考では、自分の仮説とは信念をもって守り抜くもののようです。

     私の経験の範囲では、これらの違いは男女にかかわらず、文系か理系かによって大 きく異なるように思うのですが・・・・・


    ※※※

     おもしろいですね。ぼくも理系的思考と文系的思考にはちがいがあると思っています。
     ただ,分からないのは,上の方で男女の違いは「集団の平均値の差を根拠に個性を無視する」ということで避けているのに,文系,理系の違いはこのようにおもしろく書いている,というところです。

     文系,理系も平均の違いで個性もあるのではないでしょうか。そこでは差別は生まれないのでしょうか。

     ぼくは,平均の違いもおもしろがっていいのではないかと思っています。だから,文系的思考,理系的思考の違いってどんなだろう,男と女の思考の違いってどんなだろう,と考えるのは好きです。同じものだと思うのですが,ただ,社会的に男女の違いを述べると差別につながることもけっこうあるからなんでしょう。社会的に成熟していないのかも

     次のとてもかる〜く,おもしろかったところです。

    ※※※


     先日、イェールの研究室に、誰かが持ってきたチューリップがたくさん花瓶にさしてありました。ところがそれを見て、分子遺伝学が専攻の院生の男の子が、「この花は何?」と私に聞くのです。チューリップを知らない生物学の院生がいるということに心底驚愕してしまいました。そこで、教授たちのランチのときに、この院生の指導教授に「マイケルはDNAの構造は熟知しているかもしれないけれど、チューリップを知らないというのは嘆かわしいことだ」と半分ふざけて注意したところ、花の名前を知っているのは女性のすることで、男性は花を贈るだけである、という答えが返ってきました。


    ※※※

     おもしろいですね。ぼくは妻に花の名前を知らないといって笑われるこ
    とがあります。でもチューリップは知っていますよ。
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    投稿日:2008.08.20

  • nue

    nue

    まさにタイトル通りの内容。興味深く読んだあと、養老氏の「男も女もみんな年老いて死んでいく」という発言に心揺れた。そう思うなら、この手の本を読む意味はないかもしれない。

    投稿日:2007.08.21

  • ゆきね

    ゆきね

    男と女って永遠のテーマなんだろうな。
    10年以上前の本ですが今読んでも面白いし、5年後読んでも面白いと思う。
    長谷川さんの書いてるコトが理解できない部分もありましたが…。
    (あたしがフェミニストじゃないからかもしれない)
    (2006.11.04)
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    投稿日:2006.11.04

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