【感想】破戒

島崎藤村 / 岩波文庫
(40件のレビュー)

総合評価:

平均 4.2
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16
5
1
0

ブクログレビュー

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  • 内山ァ!

    内山ァ!

    穢多の差別をテーマにしているわりに、「信州の女は皆気丈だ」みたいな文章を平気で書く。ポジティブなバイアスは問題視されない時代

    投稿日:2023.12.03

  • harinezuminami

    harinezuminami

    実は読んだことがなかった作品。

    主人公が先輩と仰ぐ人が高柳に対していう言葉に「あれ?」と思い「なんでテキサスに行くわけ!?」と思ったのだが、解説によるとなるほどそこが本作品の弱点であるのだと。

    はいえ、「真に近代日本文学史上最高の記念碑」、その通りだと思う。続きを読む

    投稿日:2023.09.11

  • 本郷 無花果

    本郷 無花果

    このレビューはネタバレを含みます

    勝野君なぞは開化した高尚な人間で、猪子先生の方は野蛮な下等な人種だと言うのだね。は丶丶丶丶。僕は今まで、君もあの先生も、同じ人間だとばかり思っていた。

    丑松のこのセリフ。ダイレクトで強烈なメッセージだ。生い立ち、身分、性別、老若、貧富、障害の有無。
    全ての差別(差別意識)が馬鹿らしく思えて来る。
    人としての根幹を問われた気がした。
    そして、この差別社会の中で、ひたすら周囲に出生を隠し、自身までをも欺き通す苦悩。
    丑松自身、清廉であるが故にこの苦しみは耐え難かっただろう。終盤、彼のこぼした涙が胸を抉る様だった。

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    投稿日:2023.07.01

  • Sachi

    Sachi

     なんという苦悩だろうか。自分では選べない出自によって、人並みの生活が送れないほどの差別を必然的に受けることになるとは。

     主人公は瀬川丑松、24歳、信州で小学校教師をしています。父親から「隠せ」と厳しく戒められてきたとおり、自分が被差別部落出身の穢多であることをひた隠しにしています。

     入院していた病院で穢多であることが広まり追い出され、戻された下宿でも「不浄だ」と罵られ追い出される富豪の大日向や、「我は穢多なり」の一文で始まる『懺悔録』を書いた著述家猪子蓮太郎といった人々を目の当たりにし、丑松は〈同じ人間でありながら、自分らばかりそんなに軽蔑される道理がない、という烈しい意気込を持〉ちつつも、友人知人、恋心を抱く相手や、慕ってくる生徒たちのことを思うと、自分が穢多であるとは言えず、苦しみは増すばかり。

     信州の長く厳しい冬の描写が、丑松の不安に同調し、読んでいる者の心も鬱々とさせます。しかし、ある出来事をきっかけに丑松が目覚めてからは、なんとまあハッキリしっかりくっきり、冬の朝日のまぶしいこと。

     ラストは、そう来ましたか藤村さん、という感じ。瀬川丑松の再スタートとして、新たな人生への旅立ちとして、素晴らしいラストだと思います。ただ個人的には、こうなって欲しかったな、こうなったところを見てみたかったな、という思いもあります。ま、想像と違っていたというか、想像を超えたラストだった、と書いておきましょう。

     全体的に文章のリズムが良くて、声に出して読みたくなりました。

     読書力養成読書、12冊目。
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    投稿日:2022.09.25

  • pinkchou

    pinkchou

    このレビューはネタバレを含みます

    恥ずかしいことに、この小説を初めて読んだ。
    私はとても良い作品を読めたと感じた。
    まず、山々や、山間の村の様子など、自然や風景の描写が美しかった。島崎藤村はやはり詩人でもあるのだと感じる。むしろ登場する人々やその内面の表現よりも、丑松が故郷への旅をする場面や、いよいよ告白をする直前、雪の飯山の町の光景などが、私には美しく表現されていると思われた。
    それは藤村自身が、信州の風景を、深い山と雪の風景を愛しているからではないだろうかと思う。また、作品の中には、「北信州の人は…」という言い回しも多用される。彼は地元の人々の人となりにも愛着を感じていないはずがない。私は信州ではないが、地理的には近く、連峰を常に眺めながら育ったという点では、どちらかというと藤村に共感できるように思った。つまり、読んでいて自分自身、故郷とその山々、家族が思い出され、心動かされた。
    次に、丑松の苦悩する様子も、こちらまで苦しくなってくるような心持がするほど、心に迫ってくるものがあった。実際、読んでいる途中、夜中に苦しい悪夢を見たが、どうも本書に関係しているようだった。。
    巻末の野間宏の解説では、本書の欠点として、部落の問題を本質的に解決できていないことや、藤村が丑松に自身の内面を投影したに過ぎないと述べている。確かに、その通りであると思う。丑松は、なぜ謝る必要があったのかと私も疑問に思ったし、最後の場面も、単に都合主義的に国外へ逃れることで問題に向き合っていないようにも思う。
    ただ、確かに、部落問題という重要な具体的なテーマを仮託するにはこの小説が機能不全だったとしても、例えば、丑松が被差別部落民だったというのは、ある一つの場合であり、例であって、例えば別のものであってもいいのではないかとも考えてみた。今から見れば全く狂気としか思えないような偏見で、不当に差別を受け、それが当たり前の状況になっている社会。現代では、何が被差別の対象になるかは、ネットがあるのでころころ変わるが、カミングアウトの内容はそれこそLGBTに関連することでもいい。それに置き換えて考えてみても、言わない方が波風を立てずにうまくやっていける可能性も高い。それでも・・と苦悩する様は、明治のころから、この小説と大きく枠組み自体は変わっていないと考えさせられるようにも思った。現代から見て本書は、そういう読み方もできるのではないかとも思った。

    (思うだけなら人には自由がある(ただそれを、発信?してはいけない?)。
    だからこのブクログの記事は、もともと、自分の記録用と断っている。)

    確かに、根本的な具体の問題解決にはなっていないが、そこまでをこの小説で求めるというのもなかなか厳しいのではないかとも思う。
    また、丑松が作者の内面をただ投影しているにしても、それであっても、私は例えば、猪子先生に告白をしようとして、できずにいたり、著作を処分してしまうような様子に、共感できるような場面は、誰しもにあるのではないかとも思う。

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    投稿日:2021.09.12

  • 読生

    読生

    世間が作り上げた軛があまりにも大きすぎて、自らもそれを打ち破れない。
    自分を認めるというそのことですら、自分の価値を認めるという意味とは全く違う。
    そして、その軛に苦しむ彼らですら、「女は」とまた別の差別を当然のように行う。
    それが当時の世間が作り上げた「普通」で、それから外れることは難しく、また考えもつかない事であった。
    今を生きる私たちは、それが軛であることも、普通ではないことも知っている。
    知っているが、ではその軛から完全に開放されたのかと言えばそうではない。
    昔話だと笑える時代にはなっていない。
    いつかこの小説が、時代背景の解説なしに読めないような時代が来るのであろうか。
    続きを読む

    投稿日:2021.01.20

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