【感想】ルポ 高学歴発達障害

姫野桂 / ちくま新書
(11件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • yasu.sasaki611

    yasu.sasaki611

    ■発達障害は「ニューロ・ダイバーシティ」(脳の多様性)であるという捉え方も広まりつつある。ニューロ・ダイバーシティとは発達障害を「障害」として捉えるのではなく、「神経系の多様なあり方」として尊重していくという考え方。
     定型発達の人でも多かれ少なかれ凹凸がある以上、ニューロ・ダイバーシティという概念はあらゆる人を包含するものである。
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    投稿日:2024.04.23

  • kissarmy0814

    kissarmy0814

    2024.04.22
    ちくま新書のレーベル自体の評価を下げる一冊。
    内容も捉え方がルーズだと感じる点も多々ある。何よりも問題なのは、何をもって「高学歴」とするかについての定義がまるでなされないまま冗長的に「ルポ」が語られていることに最初から最後まで違和感がぬぐえないまま終わった。
    「高学歴」の定義をしたらしたで、読者から「それが高学歴?」のようなツッコミもあるだろう。それにしても、まずは何をもって「高学歴」として本著を作成しようとしたのかが甘すぎる。
    これは編集者の責任もある。これで読者を捕まえて売ろうとするのは、「筑摩書房」らしからぬレベル感に感じるのは私だけだろうか。
    テーマには興味を惹かれたが、ガッカリの一冊。
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    投稿日:2024.04.22

  • aybug03

    aybug03

    株式会社kaien など発達障害をサポートする民間ができ始めていること。
    精神科ガチャがあること

    大学関連は
    入試、履修、就活と卒論の両立、卒業研究など直面する場面が多いこと

    そして当事者が大学が一番楽だったという割合が多いと感じ、また社会にでてからが本当に大変だということ。続きを読む

    投稿日:2024.04.21

  • hori2221

    hori2221

    このレビューはネタバレを含みます

    良書。
    発達障害がよくわかる。
    個性だとか、誰でも失敗するとか、慰めの言葉が当事者には辛いこともあるとは。対応が難しい。声をかけないのもよくないし。
    高学歴の人も悩み多く、幸せとは限らない。

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    投稿日:2024.03.09

  • yonogrit

    yonogrit

    880

    姫野桂(ひめの・けい)
    フリーライター。1987年生まれ。宮崎県宮崎市出身。日本女子大学日本文学科卒業。専門は社会問題や生きづらさ。著書に『私たちは生きづらさを抱えている――発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『生きづらさにまみれて』(晶文社)などがある。

    天職にたどり着いたASD女性高橋希美さん(45歳)上智大学理工学部卒業機能不全家族/女子グループが固まってしまう学科/パワハラ気質の社員/才能を活かせる穏やかな環境

    「小さい頃から算数・数学がとにかく好きだったんです。小学校入学前にはもう足し算と引き算はできていたと思います。問題集があればひとりでできるところが数学の魅力です。理科だと実験道具とか要るじゃないですか。家でもひとりでできる数学には没頭していました。数学ができることが、得意なことと苦手なことの凸の部分なんだと思います」

    「昭和時代の学校は、今でいう特別支援学級に入るような子どもがたくさんいて、ワイワイギャーギャーとカオスな世界が作られていました。わかりやすいのが『ドラえもん』のジャイアンとのび太です。医療的な目線では、ジャイアンとのび太は発達障害だと言われるでしょう。そしてこんにちの令和時代の目線では、ジャイアンやのび太はクラスに適応できないので、支援の対象とされるべきです。 しかし、ジャイアンやのび太のような人は昭和の時代では医療や福祉の支援対象として見なされないのが当たり前だったんです。学校だけじゃありません。職場にもそういう人がいて、そういう人は窓際族などになっていました。そういう人がいてもなんとかやっていたんですよ。

    そういった意味では、昭和の時代に発達障害の方や知的障害の方が巷にいっぱいいて働けていたということと、身体的なコミュニケーション(暴力)が流通していたことはパラレルな関係にあると感じています。今の世の中は全て言葉で伝えないといけないですよね。狭い意味での暴力を含まないコミュニケーションで全て解決しなければならない。言葉だけでなんとかしようと思ってもなんともならない人がたくさんいるのは分かる気がします」

    「産業革命の後に障害者の働き先がなくなったかというと断言するのは難しいところで、常々変わってきたという表現の方が適切かもしれません。第二次世界大戦が終わり、高度成長期ぐらいまでは工場の仕事がたくさんありました。工場の仕事や駅で切符を切る仕事などはASDの人が向いていることがままあります。また、職人にもASD気質の人が多いです。そういう意味では産業革命はある時期、発達障害の人に優しい部分すらあったようにも私は思います。

    ただ、産業構造が変わって、例えばサービス業などの第三次産業の割合が増えれば、ADHDやASDの人が農業や漁業といった職に就ける確率は減っていきますよね。そういう人たちでもデスクワークをしなければならなくなる。第三次産業が台頭していくにつれて人間同士のコミュニケーションをする必要性が出てきて、どんな職場においてもうまく溶け込まなければならないといった要請が労働者の側に立ち上がってきます。

    高学歴の場合、もともとの処理速度が速い人が多く、別のルートや手段を使うマスキングやカモフラージュといったある種の〝擬態〟ができる能力もある。私の友人の高学歴の当事者は、子どもの頃から字が汚く、書字教室に通っても改善されなかったため、早いうちからタイピングをこなせるようにした。また、大学では講義になかなか出られなかったり、居眠りしてしまうので、出席を重要視する科目を避け、テスト結果を重要視する科目を多く受講するなどの対策を取っていた。

    「健常者なら朝起きて、準備をして、スムーズに出社できますが、処理速度が遅い人の場合、出社準備の優先順位に混乱し、遅刻しがちになってしまいます。

    ある意味、悩みが高度すぎるのかもしれません。ある当事者の方が来世に期待しますと言っていたことがあったのですが、達観されているなと感じました。自分に合う環境を探していくことが大事ですが、コツはできないことが目立たない場所を見つけることです。妥協が必要になることもあるかもしれませんが、門戸は広がっているはずなので、悲観しすぎないでいただきたいです」
    続きを読む

    投稿日:2024.02.21

  • hiro1548

    hiro1548

    現代はアメニティと引き換えに「生きづらさ」をかかえることになっているみたい。一方であらゆる事が細分化・専門化したことで、ここでいう高学歴だけど発達障害という悲劇も生み出しているのだろう。
    かつて中教審がかかげた「生きる力」ってどこに消えちゃったのかな?続きを読む

    投稿日:2024.02.02

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