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森山至貴, 能町みね子 / 朝日出版社 (11件のレビュー)
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このレビューはネタバレを含みます
タイトルのインパクトと「クィア」って何?と思い読んでみました。 クィア・スタディーズを専門に研究している森山先生とエッセイストの能町みね子さん、二人によるクィア・スタディーズについての対談形式の本です。 いわゆるLGBTQ+の「Q」は、「クエスチョニング」と「クィアQueer」二つの言葉の頭文字を表しているそうです。 「クエスチョニング」はなんとなく意味わかりますよね。自分自身の性自認や性的指向がまだ定まっていない、またあえて定めていない人たちのこと。 それに対して「クィア」って耳慣れない言葉ですよね。私も今回初めて知った言葉でした。元々はとても侮辱的な言葉なんだそうで、あえて日本語に訳すと「オカマ」だそうです。 「クィア」とは、性的マイノリティや既存の性のカテゴリに当てはまらない人々の総称なのですが、この本の内容を私的にまとめてみると… 性的マイノリティの人々は実際に「いる」のだから、受け入れるとか受け入れないとかではなく、「いる」ことに「慣れろ」というスタンス。分類して整理したら終わりじゃない、カテゴライズするのではなく、踏み外して世界を広げようというような、いわば生き方だったり心意気のことのようです。 多くのセクシャル・マイノリティのアイデンティティの総称として、以下の13個が上がってたんですが、いくつわかりますか? L:レズビアン G:ゲイ B:バイセクシャル T:トランスジェンダー Q:クエスチョニング Q:クィア I:インターセックス A:アセクシャル A:アライ P:パンセクシャル P:ポリアモリー O:オムニセクシャル 2S:トゥー・スピリット 私はこの本を読むまでは7個しか知りませんでした。でもこれ以外にもまだまだいろんなセクシャリティがあるようです。そういえばアロマンティックもノンセクシャルも入ってない…。 ちなみに異性愛者のことはヘテロセクシャル、生まれたときの性と自身の性自認が一致している人のことはシスジェンダーといい、そしてそれ以外の人たちを総称して「クィア」と呼ぶようです。 正直なところ、カタカナ用語がめちゃめちゃ多いし、頭の良い方たちの対話なので、知らない言葉や考え方が当たり前のように話されていたりして、内容を理解するのがちょっと難しかったです。でも改めてセクシャリティってグラデーションだよなぁと。男とか女とか言う前に人間であること。たまには凝り固まった固定観念や「普通」を疑って問い直していかないといけないなぁ…と思いました。
投稿日:2024.04.30
アハゴリラ
頭の良い人たちの会話。 こんな少ない言葉で理解し合ってる…という驚き。 性に関する本は最近読んでなかったけどたまにはアップデートが必要だなと思った。
投稿日:2024.03.15
iadutika
慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話 著者:森山至貴、能町みね子 発行:2023年7月1日 朝日出版社 書き出しから「クィア・スタディーズ」と出てくるので、クィアって何だ、から始めないといけない。「LGBTQ」とか「LGBTQ+」とかいった時に出てくる「Q」の一つがクィア(クエスチョニングの意味もあり)。6章立ての第1章で、まさにこの言葉についての説明を森山がしている。Queerという単語は、もともとは男性同性愛者やトランスジェンダーの女性に対するかなり侮辱的な言葉だった。日本語にあえて直すなら、ニュアンスは「オカマ」になるのかな、とも。クィア・スタディーズは1990年代に始まった学問で、東大助教である森山の専門分野。 言うまでもないが、LGBTやLGBTQ(+)は、セクシャル・マイノリティであるが、この本を読んでいると、そのマイノリティのなかにもマジョリティとマイノリティがあるのではと思えてくる。LGBTを二つに分ける場合、BとTの間に/が入ると解説している。なんとなく分かる。レズビアン、ゲイ、バイと、法律でもある意味で保護されているトランスジェンダーとは、確かに異質さがあるようにも思える。しかし、最近ではすっかりお馴染みになり、まだ一部の人たちではあるがある程度の市民権を得るようになったLGBも、Tと同じで、その他の性指向やセクシャリティであるQに比べると、マジョリティっぽいようにも感じる。 なお、QはLGBTに含まれない性指向やセクシャリティなどを差すだけではなく、LGBTを含めた全体を差す場合もあるらしい。クエスチョニングという意味で使うQでは、自身の性や、性的にひかれる他者の性について定まってない、もしくは定めないあり方を言う。 L,G,B,Tにおいても、それぞれに(各個人で)違うということを、まず対話を進める著者2人は確認する。そして、それに含まれないクィアは、さらにいろんなパターンがあることも確認しあう。能町が自らの経験(MtoFのトランスジェンダー)や感性により得た感覚や考え方を表現すると、森山が専門家として研究事例を引き合いに出しながらそれを解説していく、そんなパターンが多い。森山はゲイとのことだが、どちらも考え方はリベラルに属し、LGBTQには様々なパターンがあっていい、当然だ、という立場。読んでいるこちらも同じようなものなので、読み進むうちに、正直、少し退屈になるところもあった。 ただ、こちらは、人に迷惑をかけなければ(例えば小児性愛はいいが実行してはいけない)、個人がどういう性の指向だろうが自由だろうという考えは、当事者である彼らと、当事者でなく大きな関心を持っているわけではない僕とは、意見が一致しても、その思考の熱量が大きく違うという面はあるので、その意味で退屈してしまった要素は少なくないかもしれない。 最後まで読んで、結局、クィアというのは単なるセクシャルな分野でのカテゴリーではなくて、生き様というか、心意気というか、ムーブメントにもなりうる、セクシャル・マイノリティの自由な日常ではないかという気がする。個人的には、ジャズやジャジーという言葉と使い方は似ているようにも思える。ジャズはカテゴリーじゃない、ジャジーなやつがやる音楽だからジャズになるんだ、という言葉がタモリから出たことがある。能町みね子も出ていた「ヨルタモリ」という番組で。今の朝ドラ「ブギウギ」でも、服部良一役が似たようなことを言い、曲を作っているように思える。 私たちは「みんな」なんかじゃない。クィアは、既存の制度に乗っかりながら、それを自分なりに流用していくみたいなところもあるし、既存の制度に対して他の人が馴れ合っちゃうところですら馴れ合わず、徹底的に反旗を翻していくところもある。死に向かって突っ込んでいくみたいなものもクィアの態度。 クィアっていう態度には、「そいうのやってらんねえわ」っていうスピリットがある。そうすると、全力で逃げるか、使いこなしてやるとか、いろんなある種、不真面目と言われかねないようなやり方を進んでやるっていうところがある。 森山(307-308P) ************* LGBTという言葉自体は1980年代後半にはあった。日本だと2000年代ぐらいに散発的にマスメディアが使い、2012年にいくつかの経済誌が特集を組んだ。 いがみあっていたLGBTが連帯する契機になったのは、HIV/AIDSの流行。 1873(明治6)年に、肛門性交が鶏姦(けいかん)罪として犯罪化されたが、1882年の旧刑法制定でなくなった。実際に懲役刑を科された人は、ほとんどいなかった。 インターセックス:生物学的に非典型的な生物のあり方をしている人をそう呼んできたが、今はそう呼ぶこと自体も議論の的。疾患名ではDSD(Disorders of Sex Development)=性分化疾患。 アロマンティック:恋愛感情みたいなものを他者に抱かない クワロマンティック:他者に抱く好意が恋愛か友情かわからなかったり、決めなくていいかなと考えたりする人たち アセクシュアル:他者に性的な欲求を抱かない ポリアモリー:複数人同士で恋愛関係を結ぶ BDSM:Bondage(拘束) Discipline(懲罰) Dominance (支配)Submission(服従) Sadism Masochism ヘテロセクシズム:セクシズム(性差別主義)をもとにした言葉。男は美人が好き、女はイケメンが好き、MCが男性でアシスタントが女性・・・ ホモフォビック:同性愛者に対する差別や嫌悪 アマトノーマティヴィティ:性愛規範性。1対1で成立しているカップルが素晴らしい、いい生き方だ、、、、 森山は幼稚園のときにあったお泊まり会で、男の子と同じ布団に入ってどきどきした。能町は、男女は恋愛するものと聞かされてきたため、女の子を好きになった経験があり、少し違和感があったものの、まあ男子として高校生ぐらいまで順応してきた。20歳を超えてから、女子とつきあってみたけど。セックスする段階になって吐き気を催したりしはじめた。 世の中にある男らしさ、女らしさのコードがなくなれば解決するというわけではない。例えば、男がスカートを穿いてもなにも抵抗のない社会になった時、ジェンダー規範がなくなったんだから、トランスの人はトランスしなくて済むと、トランジションの権利が保障されなくなることも考えられる。 マイノリティを題材にした物語(小説など)は、マジョリティのビルドゥングスロマン(教養小説)と呼ばれる。さまざまな体験を経て主人公が精神的に成長していくが、最初、マイノリティのことをしらないマジョリティが成長してくパターン。マイノリティをしらないうちに出てくる言葉は、見ていてしんどい。母親役がマイノリティに不理解で、父親は無関心とか許すパターンがなぜか多い。NHKの「恋せぬふたり」など。 最近、気になるのは、ゲイでありながら現状をものすごく肯定してナショナリズムや保守思想に走る人たち。ホモナショナリズム。 フェミニズム 第1波:19-20世紀前半 第2波:1960-80年代 第3波:90年代初頭に始まる(外見や行動における個人の自由や主体性をより重視) 第4波:2010年代から #MeToo運動など 「性同一性障害」という言葉が広まったとき、「体が男(女)だけど心は女(男)だ」という説明が広まったが、それがよくない。心が女かどうかなんてわからないし、体が男かどうかもわかないこと。心も体も二種類しかない、心は100パーセント女、なんて。個人個人でグラデーションがあるはず。 子育て支援、保育所、託児所の充実といった政策は雑な言い方をすれば左派的、少子化対策という言葉が乗ってくると右派的な感じがする。 能町が参加したBBSのオフ会で出会ったクィアな人。 巨大な女の人に酷い目に遭わされるということにしか性的興奮を得られない人。実在の人間では無理で、高さ何十メートルというイメージ。 また、ネット上では、ピアノにかけるビロードのカバーに興奮する人もいた。
投稿日:2024.02.07
ゆまち
クィアは本来強烈な侮蔑の言葉。 それを逆手にとって、森山先生と能町さんがクィア・スタディーズを語り合う。 かなり踏み込んでいるから、LGBTなどのベースになる知識がなかったら読み進めるのが少し難しいか…も。でもとても面白く意義深い対談なのでぜひ読んでほしい。 今まで思いもしなかったLGBTQ+だけでは片付けられないクィアなことについて、なるほどと新たな発見を多々得ることができました。 LGBTなどの(それに限らず)マイノリティにある立場の人に対して、受け入れるって言葉を使うのは受け入れないという選択肢があるということでもある、それはおかしいんじゃないか、むしろマイノリティ扱いしないで当たり前にそういう人たちがいることに慣れろという考え方には目から鱗で、そっか、わざわざ受け入れてもらわなくていいんだ。と勇気をもらえました。 他にもたくさん感想を言いたいところはありますがこの辺で。 マイノリティって言うけど、本書はたくさんの立場の人たちにも焦点を当てて書かれており、LGBT以外の人たちも包括すれば、もうこれはマイノリティではないのでは?という思いが生まれました。マイノリティなんだけど、堂々とやっていこうと思えました。 ぜひさまざまな人に読んでほしい一冊です。続きを読む
投稿日:2024.02.05
1509579番目の読書家
“みんな”から取りこぼされるものとしての“クィア” 易々と包摂されなどしないのだということ ままならない心と身体と共に生きる違和感を手放さないっていう話が面白かった。「ありのままで良い」のもそれはそ…れで違うだろって。続きを読む
投稿日:2023.12.23
hosinotuki
対談の中で、LGBT、マイノリティとマジョリティ、そしてよく分からなかったクィアについて、体験談や識者の論説や社会制度などを踏まえて説明され、いろいろと勉強になった。
投稿日:2023.11.14
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