【感想】日本一長く服役した男

NHK取材班 杉本宙矢・木村隆太 / イースト・プレス
(7件のレビュー)

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  • 勝太郎

    勝太郎

    「更生は道のりであってゴールではない。」
    「更生に正解はない。」
    「更生は一人では決してできない。助けてくれる誰かと出会えるかどうかだ。」
    他人事ではありません。自分がそうであっても何の不思議もありません。
    重い言葉が考えさせられます。
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    投稿日:2024.02.28

  • iadutika

    iadutika

    日本一長く服役した男

    著者:NHK取材班 杉本宙矢・木村隆太
    発行:2023年6月25日
    イースト・プレス

    日本の刑罰は死刑と無期懲役に距離がありすぎると思う人は少なくない。90年代に友人を強盗殺人で失い、その犯人の公判傍聴を続けていた時、無期懲役なら早ければ10年そこそこで出てくる、と誰かから言われた記憶がある。しかし、最近では、30年は仮釈放されないと報じられている。有期刑の上限が30年に引き上げられたため、これより短い刑期で仮釈放されると矛盾が出るためである。この本を読むと、そうした事実が確認できる上、もう一つ、無期懲役が我々の想像以上に過酷な刑であることも分かってくる。

    本書によると、1973~2021年に12年以内で仮釈放された無期囚は14人いるが、昭和が13人、平成に入って(1989年)からはわずか1人だとのこと。一方、有期刑の上限が30年に引き上げられる以前、1998年~2007年の10年間で仮釈放された無期囚は79人、刑事施設で死亡したのが120人。30年に引き上げられた後は、仮釈放が82人、死亡が233人。実質的な「終身刑」となった数が倍になっている。

    さらに重要なのは、有期刑(例えば懲役30年)と無期懲役の違いである。30年ちょっとで出られるなら、あまり変わらないようにも思えるが、大きな違いがある。無期囚は、たとえ31年で出たとしても、一生、仮釈放であり、死ぬまで囚人なのである。ずっと引受人のもとで、観察されながら生きていかなければならない。微罪でも犯せば仮釈放が取り消される可能性がある。一般人ならとがめられないようなこと、あるいはなんとも許しがたいことをする人間が現れても、手を出してしまったら終わりである。

    確か、映画「うなぎ」では、妻と愛人を殺した主人公が無期囚となり、8年で仮釈放されて理容師として暮らしていたが、最後に暴力事件を起こして監獄に舞い戻ることに。今度は10年よりもうちょっと長くなるかもしれない、という台詞があったように記憶している。

    この本によれば、長く刑務所で暮らした無期囚の中には、仮釈放後に「戻りたい」という人が結構いるようだ。そうなると、終身刑の方がましだというケースもあることになる。

    本書のタイトル「日本一長く服役した男」は、61年間にわたって刑務所で過ごした83歳のA。21歳(22歳直前)に最高裁で無期懲役が確定し、服役したのは1958年7月。それこそ10年そこそこでどうして出られなかったのか。その理由について、300ページ余りで書かれているのかと期待して読んだが、その部分に関しては僅か数十ページ程度だった。細かい説明はなく、どうしてそうなったのか、読者にはあまり理解できない。他のページは、2番目に長く服役した人(56年)やそれに近い長期にわたる無期囚の話、Aを知る人の話など、元々はNHKの番組のために取材した内容の取材記でページが埋められている。

    ■どんな人物?何をした?

    Aは、1936年、大阪市生まれ。3歳の時に母親と弟2人と生き別れになり、継母が家に入る。3年後、1942年、今度は父親が戦死、継母が家を出たために一時は親族に引き取られた後、児童養護施設に送られて成長する。天涯孤独の身として広島の島で少年時代を過ごし、中卒後広島県内で職を転々としたが、盗み癖があって少年院にも送られた。成人すると岡山県でキャバレーのボーイ。音楽に出会う。83歳の仮釈放時の荷物にも、手書きの楽譜があった。

    Aは少年院を出た後の更生保護施設(お寺)で知り合った少年と、年の瀬にお金に困り、少年の働いている精肉店の売上金を狙った。売上金を持った店主の妻を夜道で待ち伏せ、4歳の子を抱きかかえながら急ぎ足で通り過ぎようとした彼女に金を要求した。応じなかったために首を切りつけ、売上金2万3千円の入った鞄を奪うこともなく逃げた。女性は死亡。1956年、強盗殺人事件。

    事件の2年後、無期懲役が確定して熊本刑務所へ。少なくとも1984年以降は洗濯工場にいて、優秀な洗濯工だったことが分かっている。トラブルも起こさず、ある時期から「第1級の模範囚」に。級は1~4まであり、服役当初は4級。1級だと外部との手紙の回数が増えるなど優遇もある。

    ■なぜ61年も出られなかったのか?

    服役して22年、最初に仮釈放のチャンスが訪れたのは1980年。43歳の時、地方更生保護委員会に申請が行われた。刑法28条で決められている条件、「改悛の状(情ではなく状)」、「(無期囚は)10年経過の後」をクリア。だが、申請は棄却。10ヶ月後の申請も棄却。1991年まで、数年おきに申請されたが(40代で3回、20代で2回)、4回は棄却、1回は取り下げ。主たる理由は、1979年ごろからAが更生保護施設の帰住を希望していたものの、その受け入れ先が見つからないためだった。

    服役14年後から、Aは精神に異常をきたす傾向があり、5年半にわたって医療刑務所に移送されていた。これが他の無期囚より仮釈放の手続きが遅くなった原因とも考えられる。同囚だった松下氏(56年間服役)の証言では、度重なる仮釈放の手続きの中で、Aが自暴自棄のような言葉も口にしたとのこと。やがて第1級から4級へ格下げとなった。そのあたりから、80キロの体重が骨と皮だけになり、刑務官が話しかけてもまるで反応しなくなり、奇妙な行動も増えた。

    松下氏によると、こうした精神状態はAに限らないことだという。彼自身も「頭がおかしくなった」という。他人の声だとか雑音だとか、幻聴が聞こえるようになり、それを薬で抑え込まれるのは無期囚にはままあること、とも。また、Aをよく知る無期囚の片山さんは、仮釈放で受け入れ先のない心情は「仮釈放は砂漠の中に落とした針を見つけ出すようなもの」と言う。

    仮釈放が手間取るなか、昭和の終わりから平成の初めにかけて、仮釈放中の無期囚が殺傷事件を起こし、仮釈放が難しくなった。さらに、1995年には地下鉄サリン事件が起き、2004年に刑法改正で有期刑の上限が30年に引き上げられた。2003年以降は、20年以下での仮釈放はおらず、30年を超えるようになっていった。

    2009年、6回目の申請は、それまでの刑務所側からでの申請ではなく、地方更生保護委員会の権限で審理を行う「職権審理」で行われた。なぜか?2008年に、国会では超党派の議員が「終身刑」の創設を求める法案の概要をまとめた。議論が活性化し、2009年3月に法務省からの通達により、無期囚は30年が経過したら1年以内に仮釈放審理を開始することになった。法律上の最短は10年のままで、通達により事実上、30年となった。

    Aは51年が経過していたが、反省の態度もうかがえ、再犯のおそれもないが、帰住先が決まっていない、という理由で「不許可」の結論が出た。

    2006年、刑務所を出たばかりの高齢者が、戻りたいとの思いで下関駅に放火した事件をきっかけに、「司法と福祉がつながっていない」と問題になり、2009年「特別調整」という制度が始まった。出所後に帰る場所がない人を対象に、福祉サービスにつなげて受け入れ先を確保する措置。2011年になると、更生保護施設の受け皿を拡げるべく「自立準備ホーム」という新たな制度がはじまり、後にAを受け入れることになる老人ホームも、この頃に出来た。

    この本は、2020年に、熊本県域のNHK地方局のみで放送された番組の取材記である。放送できなかった部分も含めて紹介されている。最初は2020年7月に放送が予定されていたが、熊本の集中豪雨により延期となり、9月11日にオンエア。25分枠だったが、反響により45分バージョンもその後、放送された。

    本書の著者2人(記者)や番組ディレクターの質問に対し、Aは事件のことがわからないという答えを繰り返した。結局、事件のことを聞けないままに。Aは放送直前の9月9日に死亡した。仮釈放から1年と5日後だった。

    **********

    刑事訴訟法53条により、何人も被告事件の終結後、訴訟記録を閲覧することができる。なお、規定により、有期の懲役・禁固の確定裁判の裁判書は50年、死刑と無期の確定裁判の裁判所は100年保管されている。これは検察庁を経由して閲覧できるが、窓口では水際作戦が行われ、なんとか申請を止めさせようとする。なんと言われようが窓口でとにかく申請すること、その際、揺さぶりに乗らないこと、申請書を出しさえすれば何らかの対応を検察はせざるを得ない、とのアドバイスを得て、著者は申請に臨んだ。すると、「記録はもうありません。無期は50年です」と早速言われた。100年のはずだと反論すると、「そうでしたっけ」ととぼけつつ申請書を受け付けた。その後、「記録はないかも知れないです」との揺さぶりもあった。

    30年以上、刑務所で暮らす無期囚は大きく3つに分かれる。
    ・更生なんてどこ吹く風、我を通して刑務官や周囲に反発
    ・被害者の冥福を祈りながら、忍耐強く真面目に取り組む
    ・あまりに長い受刑生活で、ただ漫然と生きている

    刑務所で使われる属性
    少年J、女子W、外国人F、刑期10年以上L、初犯A、再犯や暴力団員B。
    例:刑期10年以上の暴力団員ならLB
    全国に66ある刑務所のうち、LBとBの受刑者専門なのは、熊本刑務所、旭川刑務所、岐阜刑務所、徳島刑務所の4箇所のみ

    服役期間が長くなり高齢化し、自力で歩くことも、風呂で体を洗うことも難しい高齢受刑者がいる。介護スタッフに付き添われながら歩行訓練をし、高い壁に閉じ込められつつ僅かな段差も越えられない受刑者もおり、自由な移動を制限される刑務所内の随所に、バリアフリー設備が導入されているのが皮肉に見えた。

    プリゾニゼーション
    刑務所化。俗にムショぼけとも。拘禁状況への過剰適応の一つ。感情が平板になり、物事に対する関心の幅が狭くなり、規律や職員の働きかけに従順。

    日本における懲役刑の源流は熊本藩の刑罰制度にあり、日本の更生保護事業は熊本から始まったといっても過言ではない、とのこと。江戸時代の刑罰制度は、「死刑」と「追放刑」が中心だった。追放は飢えや寒さのために再犯を呼び、今度は死刑になる。熊本藩では、追放犯にすることは殺すようなものだとの批判により、6代目藩主が追放刑を廃止し、「徒刑」を取り入れた。1~3年の「定小屋(さだめごや)」に拘禁、強制労働も。
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    投稿日:2024.02.17

  • scent

    scent

    NHK取材班が書いたもので ドキュメンタリーが作られていく様子が書かれていました

    61年間の服役って 人生の半分以上塀の中。
    外に住んでいる私でも 久しぶりに コンビニとか行って セルフレジとかで 戸惑うのに 若い時代に塀の中に入って いきなり高齢になって街に出たりしたら 浦島太郎でしょう。
    しかも 塀の中では規則正しく行動し 作業行う日々。
    外に出た時は もう何もしなくても良いとなっても どうして良いものか戸惑う。
    被害者への贖罪も あまりにも長い年月でその気持ちもどうなってるものか?
    この取材によって答えは出ていないが あの時こうだったらとか もし とか 結局は 答えはないですね。

    自分だって 違環境に生まれて育っていたら 犯罪者なっていたかもしれないし 被害者になっていたかもしれません。

    悩ましい内容でした。
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    投稿日:2023.10.24

  • 借買無 乱読

    借買無 乱読

    『無期懲役』の判決を受け、61年もの長い間服役していた男。彼はどんな罪を犯し、それにどう向き合ってきたのか?NHK取材班の記者たちが追う、更正と刑罰をめぐる密着ドキュメンタリー。
    まず、「日本一長く服役した男」というタイトルに引かれて、本書を手に取った。熊本刑務所から61年ぶりに仮釈放された、80代の男性について密着した内容が綴られている。犯罪は予想通り"殺人"だったが、長期間の服役の理由が分からず、そこに興味を持って読んだ。
    取材した記者が綴っているように、「果たして、厳罰に処しただけで、同じような事件が繰り返されるのを防げるのだろうか」という一文を重く感じた。
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    投稿日:2023.10.15

  • bokemaru

    bokemaru

    新聞の書評で見かけて図書館で借りたもの。
    私もいつだったかどこでだったか、無期懲役といっても20年くらいで出されるんだ、と聞いたことがあり、そんなものなんだと勝手に思い込んでいた。
    どうやらそれは間違いらしく、30年40年と服役している服役囚は結構いるらしい。
    本書で取り上げられているのは、61年という長い間服役し、仮釈放された83歳の男性。うっかりすると誤解してしまいそうだが、決して、彼が服役期間の最長というわけではない。服役して仮釈放された最長、という意味で、65年服役中の人物もいるとか。
    その彼の出獄前後を取材した取材記録なのだが、これを何と捉えたらいいのか。更生・贖罪とは、という問題提起なのか、日本の刑法犯罪者の処罰に関する問題提起なのか、はたまた無期懲役と終身刑についてなのか。社会制度の在り方にも思えるし、われわれ一般市民の犯罪に対する意識について問われているとも思える。
    で、私が本書を読みながら頭に浮かんだのは、トラウマインフォームドケア、ということ。ケアが必要な人には何かしらのトラウマ体験がその背景にある、という概念で、罪を犯した人の多くはそれに該当するのではないかと私は思っている。この男性も、そもそも犯罪行為に至るにはそれなりの不遇な成育環境があり、そういう意味でも、出発点としてはケアが必要な人物だったのだろう。本来は、刑務所というところがそのケアを担うべきなのだろうが、現状ではそのようになっておらず、最近では罪の償いの場(というか、本当の意味での罪の償いの場にはそもそもなってないと思うけどね。ただの、司法で決められた処遇を受ける場所、なだけ。根本解決になってないから再犯が起きる)としてではなく、更生の場としての刑務所の在り方を考える動きもあるようだが、そう簡単には仕組みや社会の意識は変わらない。
    個人的には、犯罪を減らしたいのであれば再犯をさせないようにする仕組みは必須だし、そのためには個人へのそれなりのケアが必要だと思っている。まあ、現実的にはかなり難しいだろうけれども。費用面とか人材面とか。
    話がそれた。
    本書では、結局取材者が当初イメージしたような展開にはならなかったのだが、ひとつ言えることは、やっぱり罪を裁く、罪を償うということは本当に難しいということだ。加害者、加害者家族、被害者、被害者家族、その数だけ望むものも変わるし、思いも違う。簡単にセオリーが決められるものでもなく、正解もない。だから難しい。しいて言えば、常にそれぞれの気持ちや意見を聞きながらそれぞれに向き合い、考え続けること、それが正解なのかもしれない。
    ひとつとても「あ、なるほど」と思ったことは、終身刑の難しさということ。有期刑であれば目標ができ、目指すものができ、それをもとに服役囚を導き統制を保つことが可能になる。だが終身刑となれば希望となるものがないだけに自暴自棄になりやすく、刑務所内の秩序を保つことが困難になるという。実際、仮釈放のない終身刑を導入している国では、その点で刑務官が苦労しているところが多いのだそうだ。そうか、そうかもしれない。一生出られないとなれば、どうにでもなれ、と思うかもしれない。
    死刑制度の代わりに終身刑を導入することが難しいとなれば、どんな処遇が考えられるのだろう。やっぱり無期懲役で仮釈放になり、生涯保護観察付とか?ある一定のボランティア活動のようなものを必須にするとか?
    なんにしても、事程左様に、人が人を裁くことは難しいということでしょう。
    やっぱり、修復的司法かな。
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    投稿日:2023.08.26

  • 1080magic

    1080magic

    取材班が取材過程を記録しながら取り組んでいる様子が読み取れ、今の刑務所事情がよくわかる。引受人がいないがゆえに終身刑でも長く服役せざるを得なかった。その結果、刑務所が介護施設化している。社会に復帰しても、刑務所ボケで、命令に従い、自分の意思表示ができなくなる。仕事がなく再犯率が高い。理解ある受け入れ先ができて、再出発できたという作品だが、ラッキーな例であり、再犯のループに落ちる可能性があった。
    映画「すばらしきこの世界」(役所広司)に通じるもののある作品。
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    投稿日:2023.08.15

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