【感想】都鄙問答

石田梅岩, 加藤周一 / 中公文庫
(6件のレビュー)

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  • 横

    都鄙問答(とひもんどう)
    著:石田 梅岩
    訳:加藤 周一
    中公文庫 968

    都鄙とは、都会と田舎ということです

    本書は石門心学の祖である、石田梅岩が、問答という形でその教えを広めるために使ったテキストです。
    宋学(=朱子学)をベースとしていて、神・儒・仏を日本の古典を読み、まとめ上げた書であるが、その根底には 心を知るという、三教を共に悟る教えが中心になっている

    いままで、全集の中ぐらいにしかなく、文庫になってようとはおもってもいませんでした。
    2021に中公文庫の古典シリーズの1つとして発行されていました。
    丹波の山村で生を受けた梅岩は、隠遁の学者、小栗了雲に出会って、性理の蘊奥を極め、悟りを開いた。そのことが、都鄙問答に書いてある。
    1729年に了雲が没し、45歳の梅岩は京都に出て、講席を開いた。いわゆる、心学の初めである。講釈、問答、瞑想工夫、実践の4つの手段で
    人々を教化していく。

    梅岩の教えは以下です。

    士農工商は役割は違えども平等である
    学問は実践である、学問則修身
    教育が有効であるためには、教師自身の修身が必要である、
    心学の徳目とは、倹約と家業である
    これまで卑しいとされてきた、商人の蓄える財貨も卑しくはない、金銀は天下の御宝である
    倹約とは、経済的な活動から得られる当然のものではあるが、不正の利益はその限りではなく、商人は正直であらねばならない

    梅岩は、心を知る ことを最高の目標とした 私心を去り、本来の心を見出すということである 本来の心は 性 である
    本心は無私であり、私欲をふくまない 一種の禁欲主義に通じる
    社会の職業・身分の区別とは同時に 天地の理 であって、動かすべからざるものである 天地の理に従うことは 分を知ること、すなわち 足るを知る ことである
    しかしながら、知ることはただちに価値をその行為を通じて実現することではなく、聖人の学問は行を本とする である。行とは町人の日常生活の今である
    つまり日常生活の現場にて、実行されなければならない

    神儒仏ともに悟る心はひとつなり 梅岩の心学において三教一致の主張ではなく、悟る心からみれば、神・儒・仏の一致不一致などは二次的な問題にすぎないという意味と思われる

    梅岩が江戸にもらした心学は、ウェーバに200年先立つ、西洋プラグマティズムの先駆を行く、先進的な経営哲学として、日本に広がっていく


    登場するテキスト

    易経、小学、孟子、論語、中庸、大学、礼記、詩経、孟子集註、孝経、素問、設文、荘子、書経、後漢書、法言、論語集註、史記、漢書、墨子
    日本書紀、徒然草、和漢朗詠集
    法華経、寿量無辺経、随願往生経、大原問答(法然上人)、阿弥陀経、観無量寿経

    目次

    都鄙問答 巻の一
     都鄙問答の段
     孝の道を問うの段
     武士の道を問うの段
     商人の道を問うの段
     播州の人、学問の事を問うの段
    都鄙問答 巻の二
     鬼神を遠ざくということを問うの段
     禅僧、俗家の殺生をそしるの段
     或人、親に仕えることを問うの段
     或学者、商人の学問をそしるの段
    都鄙問答 巻の三
     性理問答の段
    都鄙問答 巻の四
     学者の行状心得がたきを問うの段
     浄土宗の僧、念仏を勧むるの段
     或人、神詣でを問うの段
     医の志を問うの段
     或人、主人行状の是非を問うの段
     或人、天地開闢の説を譏(そし)るの段
    解説 加藤周一
    年譜

    ISBN:9784122070561
    出版社:中央公論新社
    判型:文庫
    ページ数:232ページ
    定価:880円(本体)
    発売日:2021年04月25日初版発行
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    投稿日:2024.01.16

  • けやけや

    けやけや

    2021年刊、中公文庫。1984年の「日本名著、冨永仲基・石田梅岩」に掲載のもの。以下、カバーの裏書から。

    文字がない時代にも天の道理があった。文字ではなく「心」を知れ。商人出身の梅岩は神道・仏道・孔孟老荘を独自に解釈、倹約と倫理を重んじる商人道を説いた。その思想は階層を超えて武士にも「心学」として受け入れられる。本書は問答形式をとり、生産と流通の社会的役割の評価、利益追求の正当性を説いた画期的な思考を読み解くことができる。続きを読む

    投稿日:2023.09.29

  • djuax

    djuax

    商売は立派な営みであり、営利追求は賤しいものではない。商人の儲けは侍の俸禄と同じ。※石田梅岩の思想はカルヴァン派の役割を果たし、日本の近代化を円滑にした(Bellah, 1957)。▼宇宙のありかたにかなった私心のない態度が大切。お金や商品を使って、社会の適切な運営に寄与することが大切。石門心学。石田梅岩ばいがん『とひもんどう』1739

    大乗経典は釈迦の教えにさまざまな学説が加えられて成立。大乗非仏説論。富永仲基とみなが・なかもと『出定後語しゅつじょう ごご』1745
    ※既存の宗教権威の否定。
    ※懐徳堂。大坂。町人によって建てられた学校。家業の合間に学ぶ。仕官の道はなく、学問のための学問。

    すべての人間が農業をして、衣食住を自給すべき。そうすれば平等になる。貨幣の使用も必要ない。学問や読み書きそろばんも必要ない。武士や職人、商人も必要ない。▼人は自然の全体なり 故に自然知らざる則は吾が身神の生死をしらず、 生死を知らざる則は自然の人に非ず。人に非ずして、生きて何をか為さん。安藤昌益しょうえき『自然真営道しぜんしんえいどう』1753
    ※出羽。秋田。

    道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。二宮尊徳

    神・仏・化物はなし。世の中に奇妙ふしぎのことは猶なし。無鬼論(無神論)。山片蟠桃『夢の代しろ』1820
    *科学的合理性
    ※懐徳堂。大坂の商人
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    投稿日:2021.08.16

  • kuma0504

    kuma0504

    この春、突然「日本の名著」シリーズに入っていた加藤周一訳・解説の「富永仲基・石田梅岩」(1984)の半分が文庫本になった。何故今なのか?何故本来加藤が好きだった富永仲基ではなく、こちらの方を復刊したのか。

    帯を読めば、編集者は本気で現代に石田梅岩を再評価させたいと思っているようだ。もしかしたら、渋沢栄一ブームを見越してのことかもしれない。
    曰く
    「ウェーバー、ドラッカーよりも200年早い経営哲学」
    「起業家必読」
    「生産と流通の社会的役割を評価、利益追求の正当性を説いた商人道の名著」
    とのことである。

    石田梅岩1744年没。中百姓次男として生まれる。11歳で丁稚奉公、商家としては成功しなかったが、「心学」を唱え(1738「都鄙問答」)、死んでその教えは隆盛し、商家のみならず大名家老が修行するに至り、19世紀から幕末にかけてあらゆる階層に浸透した。

    確かに、「心学」の全面的な現代語訳は少ないだろうし、親切丁寧な加藤周一の解説も現代に貴重だろう。確かに、私も加藤周一の隠れていた名論考がリーズナブルにポケットに入るようになったのは貴重だと思う。しかし、編集者は気がついていただろうか?本書は、かなり厳しい「石田梅岩批判」なのである。心学の特徴を全面的に紹介することは、同時に心学の持つ理論的な矛盾を突くことになるのだ。

    加藤周一の論理展開は、少し専門的でかなり緻密なので出来うるならば手に取って読んで欲しい。申し訳ないけど、私は関心部分のみ感想を述べたい。因みに、加藤解説→翻訳本文の順番に読むことをお薦めする。
    ⚫︎梅岩は儒教の古典の章句を引いて、商家の日常の具体的な例に即して語った。それが今までの儒家とは違った。
    ⚫︎梅岩は問答を行った。本書で学者が(私流の解釈です→)「真理は不可知なのだから、孟子が性善説を言うのは、善でもあり悪でもあるということと同じことじゃないですか?つまり孟子のいう天(真理)は何とでも解釈できるのではないか」と質問すると、梅岩は「キチンと古典を読め」「天はある。それは修業しなくては得られない」と答えて一蹴している(106p)。なかなか突っ込んだ質問が多くて面白い。←もっとも、加藤は「だから大事な部分は全て悟りに集約されて、論理の飛躍、矛盾は無視されている」と根本的な批判をしている。つまりトンデモ宗教(学問)なのだが、問題はこれが幕末の保守層に多大な影響を与えていることだろう。
    ⚫︎「神儒仏トモニ、悟ル心ハ一ナリ」は、梅岩においては三教一致の主張ではなく、「悟ル心」から見れば、神・儒・仏の一致、不一致などは、二次的な問題に過ぎないという意味の感慨ではなかったか。この典型的な日本人は、天地自然と自己との一致という経験を支えとしながら、現世において、与えられた集団の中で、いかに生くべきかという問題に専念したのであり、その経験から出発して概念的な建築をつくり、そうすることで現世を、または自己の所属する集団を、超越しようとはしなかった。
    ⚫︎現実の中で義理と人情が対立するときは、義理の方が優先させれることが多かった。(略)日本人が自己の内部と外部の世界との緊張関係に究極的な解決を望むときには、梅岩流の解決に近づくことが多いようである。(←義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい渡世の掟)
    ←それでも解決しない時には、加藤周一はマルクス主義の教条主義、あるいは本居宣長の「神ながらの道」を選択するだろうという。どちらも、結局大きな失敗をした。とくに、超国家主義は本居宣長流を継承したが、説明つかなくて破綻した。現代、「日本会議」や靖国派などの超国家主義がこれと同じ概念構造を持っているように思えるのは、私の穿ちすぎだろうか?政府閣僚の圧倒的多数が「日本会議」の信者になっているのは偶然だろうか?
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    投稿日:2021.08.15

  • 重度積読症

    重度積読症

     今なぜ文庫化?というのが本書を見ての最初の感想。
     もっとも、江戸時代の思想家の本はほとんど読んだことがないので、中公バックス亡きいま、今回簡単に手に取れる形になって読む機会を作ってもらったことには感謝。

     なるほど心学というのはこういうことを言っていたのかと、ある意味得心はいった。特に、江戸時代の士農工商の身分制度の下で、「商」の倫理・道徳とはいかに在るべきかを、自らの人生経験を基に、具体の例え話によって説いていくところは興味深かった。

     その思想的意義の詳細については、加藤周一の詳しい解説があるので、納得するかどうかは別として、是非参照してもらいたい。
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    投稿日:2021.05.21

  • 中央公論新社

    中央公論新社

    ウェーバー、ドラッカーよりも二百年早い経営哲学。生産と流通の社会的役割を評価し、利益追求の正当性を説いた商人道の名著。
    起業家必読。

    投稿日:2021.05.13

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