【感想】グリーン経済学――つながってるけど、混み合いすぎで、対立ばかりの世界を解決する環境思考

ウィリアム・ノードハウス, 江口泰子 / みすず書房
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    3 グリーン社会の原則
    ■四つの柱
     グリーン目標を考える際、よく管理された社会には四つの柱がある。第1の柱として必要なのは、人びとの関係を定義する法体系である。その法は、市民の行為や市民権を擁護し、財産権や契約を定義して施行し、平等と民主主義とを促進する法でなければならない。優れた法があれば、信頼の置ける取引が行なえるとともに、紛争が起きた場合にも、公平かつ効率的な司法判断を期待して相互にやりとりができる。
     第2の柱は、私的財の市場が充分に発達していることだ。私的財とは、供給や享受にかかる費用をすべて企業や消費者が支払う、私的に使われる財を指す。私的財を効果的に供給する際の重要なメカニズムは、市場の需要と供給である。その市場では、企業と個人が取引と交換においてそれぞれの利益を追求し、アダム・スミスの見えざる手のメカニズムを通して効率性を促進する。
     第3の柱として、社会は公共財に伴う問題、すなわち外部性をうまく解決する方法を見つけ出さなければならない。外部性とは、その費用あるいは便益が市場の外に溢れ出し、市場価格に反映されない活動を指す。外部性には、環境汚染や感染症のように負のスビルオーバーもあれば、新しい知識のように正のスピルオーバーもある。よく管理された社会では、おもな負の外部性は法によって補正され、規制や課税を通して交渉や損害賠償責任を促進する。さらに言えば、政府の措置が欠けているか不完全な分野では、個人や民間組織は、外部性の影響に充分に注意する必要があるだろう。
     最後に第4の柱として必要なのは、政府が制度の平等性を推し進めることだ。そしてまた、課税と支出を通して不平等を補正し、経済的、政治的な機会と結果の平等で公正な分配を確実にする。この目標がとりわけ重要なのは、この半世紀に経済格差が拡大したためである。ひとつだけ例をあげるならば、1963年、世界の上位1%の超富裕層が所有する富は、富の平均値の15倍だったが、2016年には50倍に拡大した。重要なのは、いまの不平等にこれ以上、不健全な外部性を積み重ねるべきではないことだ。


     そのような大気汚染の問題に、個人、町、州、企業、国家、世界という、六つの階層の規則で取り組むことが考えられる。過去の例で見れば、六つの階層のうちの五つには効果がない。効果があるのはただひとつ、国家の規制だけである。個人の場合、インセンティブが弱く、情報も充分ではない。個人の対極に位置する世界で言えば、国家の大気汚染を制御する権限は国連にはない。そのため、大気汚染の問題に取り組むにあたって、最も効果の期待できる階層は国家という結論になる。実際、大気汚染対策のほとんどは国家による措置である。
     気候変動や海洋汚染、パンデミックなど、とりわけ厄介な地球規模の問題の場合、『連邦主義というはしご”のいちばん上の段で活動する必要がある。ところがグローバルな問題に対処する世界機関や国際的なメカニズムは、弱いか存在しない。そうであるならば、環境問題の解決に最も失敗しやすい階層が世界だったとしても、驚くにはあたらない。

    ■まとめ
     環境運動は、有害なスピルオーバーを封じ込める、1世紀以上も前に始まった最も重要で持続的な取り組みである。グリーンという暗喩は、その環境運動から発想を得ている。だが、グリーンムーブメントは、環境という枠をはるかに超えて広がった。それこそが本書でとりあげる物語である。グリーン思考は、私たちの時代においてとりわけ厄介な問題——地球温暖化、パンデミック、近視眼的な意思決定、人口過剩、森林伐採、魚の乱獲など――の分析と、おそらく解決に役立つだろう。さて次章からは、さまざまな分野でのグリーンの役割を考察し、相互接続がますます進展する世界におい見ていこう。て、グリーン思想家による考えが、私たちの健康や幸せをいかに充実させるかについて見ていこう。


    7 グリーン公平性 
     要するに、効果を個別に考えると、大気汚染削減プログラムの費用は逆進的に働き、所得分布の底辺に大きな負担がかかる。排出量を規制するより、排出課徴金や炭素税などを活用したほうが、国の歳入が増え、低所得層に不利に働く影響を相殺しやすい。そのいっぽう、環境の改善が健康や福祉にもたらす効果は累進的に働き、低所得世帯を大いに支援するようだ。最終的な影響は不明だが、便益が費用をはるかに上まわるため、環境政策の全体的な影響は累進的で、低所得層により大きな恩恵をもたらすと考えて間違いないだろう。

    ■結論
     本書に繰り返し現れるテーマはこうだ。グリーン問題と、経済生活、社会生活、政治生活に伴うさまざまな問題とを、明確に切り離すことはできない。グリーン社会は、さらに広い社会のなかにすっぽりと組み込まれているのだ。


    8 グリーン経済学と持続可能性の概念
    ■本章の最後に
     何のための、誰のための持続可能性かを問わずに、この議論を終わらせることはできない。そのために引用するのが、コロンビア大学の経済学者ジェフリー・サックスの演説だ。優れた経済的、環境的思考に基づいた持続可能な開発について、今日、サックスほど才気に溢れ、精力的な専門家かつ活動家はいない。サックスは次のように持論を整理している。

     実のところ、人間は分断の進んだ不公平な社会のなかで、自然との、そして人間どうしの複合的な衝突に向かって、いまもまっしぐらに突き進んでいます。それでも、私たちには成功する方法があります。それは貧困の撲滅と社会的包摂や環境安全性とを組み合わせることです。私たちの生存にとって最も重要な本質は、正しいことを為すという道徳的な意欲の共有です。貪欲、科学的な理解の欠如、道徳的な無関心や無神経。これらからお互いを守り、自然を保護するという強い衝動を共有することです。

     持続可能な開発に関するサックスの考え方や、自然との衝突に対する彼の警告は、本書の結論とも符合する。


    9 グリーン国民計算
     環境政策が、純粋な経済成長を押し上げている。この発見は、環境政策の議論にとって重要だ。私はこれを、グリーンムーブメントの大きな勝利とみなしたい。この驚くような発見の理由は興味深い。もし私たちが半世紀前に――アメリカが環境規制の夜明けを迎えた頃に―——戻るならば、大気汚染のような外部性は、環境汚染を削減する限界便益が限界費用を大きく上まわる活動だった。つまり、わずかな費用で大きな成果が望めた。実際、当時の環境政策はすぐ手の届くところにぶら下がる安価な果実であり、健康やほかの損害を最小限の費用で軽減できたのだ。
     標準的な経済計算だけに注目していたのでは、目の前にぶら下がる環境果実の収穫による経済厚生の向上を、ほとんど見落としてしまうだろう。なぜなら、環境規制が健康にもたらす便益は、標準的な経済計算には含まれていないからだ。だが、もし知性の地平線を広げて外部便益も含めるならば、環境政策は実際、成長率を大きく上昇させてきたのである。


    12 グリーンの敵である行動科学
     アノマリーは、次のふたつの重要なケースで『ブラウン”の色合いを帯びる。そのひとつであるパイアスは、エネルギーの無駄遣いと環境汚染を招く。経済に特有なそのバイアスを、経済学者は初期費用バイアスと呼んで説明する。これについては本章で後述しよう。そして、ふたつ目は非効率性に伴う無駄遣いだ。これは必ずしも最初の例のようなバイアスではないが、必要以上に資源を使ってしまうことで、過度の環境汚染につながる(おそらく原生林や清潔な水だけでなく、労働や資本も過剰に使用しているのだろう)。

    ■割引のアノマリー
     ふたつの冷蔵庫を比較する研究があり、その違いは購入価格とエネルギー消費だけである。その研究から明らかなのは、安いほうの冷蔵庫を購入する際の暗黙の割引率が信じられないほど高く、45~300%にもなることだ。[別の研究で]数種類の家電の暗黙の割引率を計算したところ、エアコンに対する暗黙の割引率は17%だった。ところが、それ以外の家電の割引率はさらに高かった。たとえばガス給湯器は102%、電気給湯器は243%、冷蔵庫が138%。これほど効率の悪い家電は「製造されない」と、経済理論は明確に予測する。ところが、実際は製造され、購入されているのだ。

     このほかにも、よく見られるアノマリーに双曲割引がある。これは、私たちが遠い将来よりも近い将来のものごとに高い割引率を当てはめるため、割引率が一定ではなく双曲線のように見えることから名づけられた現象だ。この分野の先駆者である経済学者のデヴィッド・レイブソンは、次のように説明する。「双曲制引関数が示すのは、割り引かれる出来事が時間的に遠いほど、割引率が低くなることだ。近い将来の出来事は、遠い将来の出来事よりも、暗黙の高い割引率で割り引かれる」。
     双曲割引は「いまか将来か」という二分法の例として見ることもできる。私たちは先のことはあまり考えず、目の前のお楽しみに惹かれる。しかも、近い将来と遠い将来とをあまり区別しない。ここでのポイントは、私たちが将来を割り引きすぎることだ——現在の費用を重視して、将来の便益を疎かにする。双曲割引につながる(あるいは割引率を高く設定しすぎる)意思決定は、系統的に将来の価値を軽んじる。だからこそ、グリーン投資が後まわしになってしまうのだ。

    ■アノマリーの理由
    ・情報の問題
    ・意思決定の問題
    ・制度の問題
    ・経済以外の選好

    ■アノマリーの解決策
    ・ライフサイクル費用分析と規制法規


    14 グリーン政治の実践
    ■グリーン政治のまとめ
     グリーン政治について見てきたふたつの章からたくさんの発見があったが、とりわけ重要なのは次の三つである。最初の発見として強調しなければならないのは、グリーンムーブメントが直面する難しい問題の多くが、政府の政策でなければ対処できないことだ。たとえば、政府が法的フレームワークを設定し、それに従って法的主体がみずからの有害な行動の責任を負う。あるいは環境汚染や感染症などの重大なスピルオーパーに対して、規制を設ける。この点で思い出すのは、よく管理された社会の第3の柱として、政府が公共財を提供する必要性である。
     次の発見は、環境政策がしばしば、科学的発見から大きく後れをとっていることだ。科学者は喫煙の危険性を知っている。硫黄排出やスモッグ、気候変動、パンデミックの危険性もよく理解している。だが、政府が効果的な措置を講じるのは、何年もあとになってからだ。遅れが生じる理由のひとつは、政府が―ーたとえ民主的な政府であっても――なかなか行動を起こそうとしないからである。政治行動を起こすためには、証拠を集め、利益を比較し、反対派を説得して法律の通過を促し、規制と強制措置を立案しなければならず、そのあとでようやくものごとが動き出す。そしてまた、遅れは既得権者が団結して力を振るうことでも生じる。あちこちに散らばり、ばらばらに活動し、すでに被害を被った利害関係者の動きを、既得権者は封じ込めようとする。さらにその動きに加わるのが、財力のある利害集団や科学を信じない一派に支配された政治家が打ち立てる障壁である。
    最後の発見は、国内では徒党を組む利害関係者の問題を解決し、国際レベルではフリーライダーの問題を克服するためには、協力と協調が欠かせないことだ。本章で論じた三つのケーススタディである関税、硫黄、気候変動において、協力体制の欠如は効果的な制度体制への発展を妨げていた。関税と硫黄については、最終的に協力体制を敷いて集団的な利益を追求したが、気候変動の場合は、フリーライダーの問題と協力体制の欠如が克服されないまま、効果的な政策はいまも妨げられたままである。


    16 グリーン経済の利益
    ■まとめ――利益を補正する
     価格と利益の計算を補正するポイントは、企業にペナルティを科すことではない。それよりも、正しいシグナルを送って、企業がみずからの行動を変えるように促すことだ。表16-2のように石炭火力発電所の場合であれば、高い炭素価格によって利益がマイナスになるというシグナルを知れば、経営者は発電所の閉鎖を考えるだろう。それはまた、天然ガスか風力を使った、低炭素かゼロ炭素の発電所に切り替えようというシグナルにもなる。発明家やイノベーターに対しては、より優れた低炭素発電技術を新たに開発しようという、インセンティブを与えることになる。これらの例が強く指摘するように、利益には経済を正しい方向へ導くという重要な特徴がある。
     利益を増やしたい企業経営者のインセンティブが間違った意思決定を生む時、別の問題が持ちあがる。経営陣の報酬額はたいてい、企業の短期業績に——それも特に企業の株価の短期的な上昇に——基づいている。そのため、そのインセンティブが意思決定の「短期主義」を生みやすいのだ。
     たとえば、長期の収益率は高いにもかかわらず、今年度の利益が低いという理由で、経営者が投資プロジェクトを延期してしまうかもしれない。詳しくは20章の「企業の無責任の第九圏」で説明するが、最悪の場合には、経営者は利益を上げ続けるために、消費者に詐欺行為を働き、健康被害を及ぼすような製品を売り 続けるかもしれない。だが、いつかはそのような事実も明らかになり、利益が減るか破綻に追い込まれるケースもあるだろう。
     利益とは、経済にその行き先を示す高速道路の標識のようなものだ。グリーン経営の目標は、道路標識が 正確で、経済を危険な領域に導かないようにすることだ。次章からは、そのような考えを、課税、イノベーション、個人の倫理、企業の責任、倫理的な投資の五つの分野に当てはめて詳しく見ていこう。

    ■まとめ――グリーン課税
     グリーン思考はどのようにして健康を増進し、国家を豊かにできるか。グリーン税は、その最も明白でクリーンな例のひとつだ。グリーン税の改革によって、国は環境改善と効率的な収入増加という、双子の目標の達成を追求できる。
     だが、多くの国はグリーン課税の有望な見込みにほとんど気づいておらず、この新しく力強い税金を見て見ぬ振りをしてきた。ガソリン税(価値はあるが、環境上の目標とは間接的にしか関係がない)を除いて、基本的にグリーン税はない。最も役に立つ環境税は炭素税だ。この税金は徐々に重要な環境目標に近づきつつあり、本章をまとめれば、グリーン税は最も効果が期待できる近年のイノベーションのひとつである。しかも三拍子揃った環境政策だ。貴重な公共サービスの財源となり、環境目標を効率よく実現し、歪みを生まない。これほど熱心に推せる政策はほとんどないだろう。


    18 グリーンイノベーションの二重の外部性
     本章では、次の三つの結論が導き出せるだろう。第1に、グリーンイノベーションには二重の外部性がある。そのうちのひとつは、グリーンの財やサービス(分解スピードが速い、あるいは温室効果ガスの排出量が少ない製品など)の生産に対する収益率が不充分であること。ふたつ目の外部性は、グリーンのプロセスや製品を新しく設計するという、革新的な活動に取り組むインセンティブが低減してしまうこと。その原因は、社会的収益率と私的収益率とのあいだに大きな乖離があるためだ。
     第2の結論は、今日、目の前に立ちはだかるグリーン問題が、たとえ科学的、工学的、制度的な問題だったとしても、その多くが重大な技術革新を必要とすることだ。炭素排出量実質ゼロの電力部門において、有望な技術の可能性を検討する際にも、やはり技術革新が求められる。大規模に展開できるおもな技術は、いまの段階では大規模に存在しないからだ。
     第3の結論として、グリーン目標の達成に近づけるかどうかは、営利企業のイノベーションに左右される。だからこそ、革新的な事業活動を利益の出るものにするため、企業には適切なインセンティブが必要であり、その最善の方法は重要な外部性の内部化である。環境汚染の価格づけもそのひとつだ。たとえば炭素価格は、低炭素技術への投資から目に見える確実な財務的見返りが期待できるよう高くなければならない。高い炭素価格なしには、発明者も企業も、低炭素技術への投資を渋るだろう。外部性の効果的な改善策を打ち出すことで、将来に向けてよりグリーンな新しい技術に弾みをつけるという、さらなる便益が期待できる。以上三つのポイントは、より広い文脈に組み入れることができる。ある国には優れた気候科学者がいて、気候変動について具体的な予測を行なっているかもしれない。別の国には材料科学の専門家がいて、二酸化炭素を地中に輸送するパイプラインの高い効率性に取り組んでいるかもしれない。あるいは金融の天才が、これらの投資に資金を供給する金融派生商品を開発中かもしれない。しかし炭素価格がゼロなら、有望だが費用のかさむ低炭素技術の開発計画は、利益を追求する企業の重役室に届く前に頓挫してしまうだろう。


    19 グリーン世界における個人の倫理
     外部性に規制のない時、個人はどんな倫理的義務を負うのだろうか。重要だが意外な答えを示そう。私たちの第1の倫理的義務は、市民としてスビルオーバーを補正する法の成立を促すことだ。たとえば、有毒廃棄物に関する法や規制の施行を確実にしたり、気候変動に歯止めをかける法の成立を目指したりする。この原則は、環境汚染に責任がある業界の企業の経営陣に特に当てはまる。たとえば自動車メーカーやエネルギー企業は、実効性の高い法の成立を目指して立法機関に働きかけるという政治的ブロセスにおいて、みずからの存在感を発揮すべきである。
     積極的な社会参加のルール以上に、外部性の倫理は曖昧だ。その理由は、行動の有効性が制度の構造や技術によって左右されるからだ。次に、そのジレンマと有望な解決策について見ていこう。

    ■無後悔対策
     経済学から生まれた興味深い考え方がある。そしてその考え方は、有害なスビルオーバーやさまざまなフットプリント(カーボンフットプリント、渋滞フットプリント、騒音フットプリントなど)に取り組む方法を考える際に、役に立つのではないだろうか。私はその方法を無後悔対策と呼ぶ。こういうことだ。外部性に規制がない時、フットプリントを少々削減したところで、自分自身にはほんのわずかな影響しか与えないが、ほかの人に与える害は大きく減少する。言い方を換えれば、ほんのちょっとした措置を講じるだけで、あなた 自身は苦々しい思いをすることなく、スビルオーバーを――おそらく大きくーー減らせる。なぜなら、あなたが被る影響はほんのわずかだからだ。

     あなたの外部性のフットプリントを削減する、ほんのちょっとした行為によって、全体的な幸福度を大きく向上させ、相手に対する外部性の影響も削減できる。

    ■グリーン倫理を前に進める
     本章の議論を、次の五つのにまとめよう。道徳哲学者によるこの分野の深遠で難しい議論は、とてもここでは論じきれない。そこで、忙しい生活を送る責任感の強い市民のために、日々の行動に伴う課題を単純化して整理しよう。
     第1に、グリーン精神の帰結主義者のフレームワークに従うならば、よく管理された社会の市場取引は倫理的に中立か正しい行為である。そのため、日々の市場取引の倫理は大いに単純化される。
     第2に、有害な外部効果を伴う活動について環境倫理上の大きなジレンマは、法や習慣によって、その外部効果が内部化されていないことだ。市場の失敗である。自分自身の活動について、私は社会的費用を大きく下まわっている価格しか支払っていない。
     第3に、個人と組織にとっていちばんの責任は、外部性を補正する集団行動に取り組むことである。個人によるばらばらな行動よりも、集団行動のほうがはるかに効果が高い。集団行動は、科学者や企業による信頼性の高い情報の供給や、より優れた汚染防止法の整備、社会保険やそのほかの社会的メカニズムを通して実現する。
     第4に、無後悔対策は特別で効果的なアプローチだ。外部性が規制されていない時、その外部性のフットプリントをほんの少し削減すると、自分自身にはほんの小さな影響しかもたらさないが、自分以外の全員に及ぼす有害な影響を大きく減らせる。とはいえ、小さな規模で終わってしまいがちであり、強力な集団行動の代わりにはならない。
     そして第5として、外部性を削減しようという個人の行動(炭素排出量を減らすなど)は、複雑なものになりがちだ。なぜなら、制度や技術、情報などの要素が効果的な行動を妨げてしまいかねないからだ。充分な知識のない時、個人がみずからのスピルオーバーを改善する効率的な方法を見つけ出すのは難しい。

    20 グリーン企業と社会的責任
     フリードマンの理論をさらに進めて、株式公開会社は利益を最大化するよう法に命じられている、と論じる者もいる。法的な制約とは何だろうか。アメリカでは、アマゾンやGMなどの株式公開会社の取締役は、企業利益を最優先して行動しなければならない、というのが一般的な考え方だ。だからといって、利益の最大化だけを考えていればいいという意味ではない。アメリカの最高裁判所も明確に述べている。

     営利企業の中心的な目標がお金を儲けることであるのは事実だが、現代の会社法は営利企業に、何もかも犠牲にしてまで利益を追求するようには求めておらず、多くの企業もそのようには行動していない。所有者の同意があれば、営利企業はさまざまな慈善運動を支援する。所有者の同意がある限り、営利企業は費用のかさむ汚染防止策や省エネ措置を講じて、法が要求する以上の活動を行なう。

     だが、価値最大化について、ここで強調しておくべき考えがある。それは短期主義を避ける、すなわち短期目標を重視しないことである。短期目標に焦点を合わせるという誘惑に駆られて、つい四半期の利益か1株当たり利益を重視してしまう。経営上のインセンティブが短期的な要因に基づく場合が多いため、経営者はどうしても近視眼的な決定をしてしまいがちだ。ジェンセンや経済学者が重視するのは、啓発された価値最大化によって、利害関係者の役割をより長期的な視点で創造的に考えるよう、経営者を促すことだ。だからと言って、企業の市場価値を最大化するという目標が変わるわけではない。


     だが、多くの分野で法は不完全なまま終わりそうであり、その不完全性による空白を埋める時に重要な役 割を担うのが、ふたつ目の戦略であるESGだ。
     法的不完全性による問題を分析したのは、法学者のクリストファー・ストーンによる優れた著書『法はどこで終わるのか―——企業行動の社会的コントロール Where the Law Ends: The Social Control of Corporate Behavior』だ。グリーン思考とほぼ同じ精神で、ストーンは法の限界を出発点に置いた。市場の見えざる手が、企業を社会的に望ましい範囲にとどめておけない時、法の限界にぶつかる。民主主義社会では、政治的行為者の大多数が、現行の法では企業の活動を制限しきれないと感じれば、より厳しい法を成立させることができる。だが、本書のグリーン政治のところでも指摘したように、民主主義とは不完全なものだ。政府の動きは鈍く、対応 は後手にまわり、世間の意見はあまり反映されない。このグローバリゼーションの時代、グローバル市場に 対する中央政府の権限には限界がある。ストーンは次のように論じる。法が完全なかたちで社会を導かず、 また導くことができない時には、社会の目標と不完全な法制度とのあいだのギャップを埋めるために、企業は再編成されなければならない。
     したがって、ストーンがESGに対する考え方の出発点に置いたのは、法制度の欠陥を改善できるよう、 企業を設計し直すという考えだった。たとえば地球温暖化の進行を遅らせるために、理想を言えば、政府は二酸化炭素排出に税金をかけるか上限を設けるべきであり、もし政府が二酸化炭素排出の抑制に失敗した時 には、排出制限の措置をとることが企業の社会的役割になる。


    …したがって、本書においてESGを望ましいかたちに定義し直せば、次のようになる。

     環境、社会、企業ガバナンス、すなわちESGには、企業による金銭的、技術的な外部性の軽減が含まれる。最も関連性が高いのは、従業員や地元コミュニティなどの利害関係者に及ぼす影響であり、とりわけ深刻な社会的影響を及ぼし、企業が特別な専門知識を持つ外部性である。


     論文は、具体的なガイドラインについてほとんど触れていない。そこで、私が提案したいのは次の三つである。まずは、ESGに対する第1ガイドラインとして、企業活動は、たとえ私的利益-費用テストには合格しなくても、社会的便益-費用テストには合格すべきだ。したがって、もし環境汚染の外部性があり、100ドルの社会的損害をもたらしているのであれば、企業は100ドルを使って汚染を削減するかもしれない。だが、100ドルの損害を削減するために、企業(そして社会)が200ドルの資源を費やすことは、理にかなわない。この第1ガイドラインによって、社会的責任のある活動リストから、多くの活動が明確に排除されるはずである。
     それでもまだ、莫大な数のプロジェクトが、社会的費用便益テストに合格することは間違いない。アフリカでの教育支援や、貧しいコミュニティに診療所を設置することも含まれるだろう。その幅広い候補のなかから、企業はどうやってESGプロジェクトを選ぶのだろうか。それについては、残りふたつのガイドラインが参考になるはずだ。
     第2ガイドラインとして、企業は情報的、経済的な比較優位を持つ分野に、みずからの資源を集中すべきである。たとえば、企業はたいてい自社製品や製造プロセスに伴う危険性について専門知識が豊富だ。そこで、自社の事業活動を研究して、有害な影響を特定し、阻止するための措置を講ずることができる。そのような手段をとった企業が、化学メーカーのデュポンだ。同社は、オゾン層破壊の原因であるフロン類の廃止に賛同し、代替物質の導入を積極的に推し進めた。デュポンは最終利益の減少に悩まされたはずだが、その行動はフロン類の段階的廃止を大きな成功に導いた。ほとんどの企業はデュポンとは反対の行動に出る。自動車メーカーも、かつてはエアバッグなど新技術の導入に消極的だったが、最終的には大きな成功を収めた。その反対に、情報を押し隠し、莫大な被害を与えたのがフェイスブックである。同社は顧客の個人データを売りさばいて利益を上げ、自社の企業活動について嘘をついた。ならず者が選挙に介入し、世間に毒を撒き散らすのを黙って見逃した。
     そして第3ガイドラインとして、企業はおもに利害関係者に便益をもたらすESG活動に焦点を合わせるべきだが、その範囲のブロジェクトのなかから社会的費用便益率の高い活動を選ぶべきだ。たとえば、従業員が利用する幼児保育プログラムや医療プログラムなどがその候補である。企業は労働者の経済的、社会的状況を改善するために、労働者との暗黙の契約を見直そうとするかもしれない。利益がほとんど出なくとも、一部の工場を閉鎖することに二の足を踏むかもしれない。利害関係者のアプローチでは、企業を営利組織ではなく、小さな社会とみなす。企業はそのミニ社会に積極的に参加すべきであり、とりわけ労働者、コミュニティ、長期の顧客を疎かにすべきではない。
     以上三つのガイドラインの根底にあるのは、企業はみずからの事業と地域社会についてはよく理解しているが、公共の利益が持つ価値を見極めるための知識はほとんど持ち合わせていない、という認識だ。みずからの市場については専門知識を備えている。自動車メーカーは、エアバッグの設計方法も排ガスの効率的な削減方法も知っている。ところが、公衆衛生や費用便益分析、代替医療や安全規制の比較価値について、経営陣は一般的に何の研修も受けていない。そこで、この第3ガイドラインが強く訴えるのは、ESGには企業が特別な専門知識や責任を担う分野を含むべきことである。


    ■まとめ
     企業責任を扱う研究をめぐる旅が見つけたものは、混乱を招くようなテーマと観点の寄せ集めだった。とはいえ、一歩後ろに下がって見渡せば、四つの重要な発見が浮上する。
     その第1として、ESGの議論は極めて盛んだが、合意や意見の一致は少ない。ESGを測定する基準もなければ、いろいろな尺度を全体的な基準に統合する一般的な方法もない。企業はよく、ESGの高い評価を得る(あるいは得たと称する)が、その報告書はたいてい皮層的なものにすぎず、企業のパフォーマンスについて個人で判断することは難しい。さらに言えば、ESGを評価する格付け会社の多くは、評価システムを公表していない。そのためESGのスコアが実際、何を表しているのかは判断できない。ESGの実際の測定は、濃い霧に包まれたままなのだ。
     第2のポイントは、本書で論じたほぼあらゆる分野に共通する助言として強調したい。すなわち、企業は短期主義に陥るべきではない。言い換えれば、長期の収益性と株主価値の改善を目指すべきであり、長期的で幅広い視点を持つよう組織化されるべきだ。短期の利益に焦点を合わせないよう、経営上のインセンティプを組み立てることもそのひとつだ。また、企業文化だけでなく、本拠とする地域社会についても幅広い視点を持つべきだろう。従業員の生活と製品の信頼性を向上させるために資源をつぎ込むことは、優れた長期投資かもしれない。
     第3のポイントは、無後悔対策の原則を忘れないことだ。外部性の補正に取り組む時、利益をほんの少し削減するだけで、企業は利害関係者と社会に少なからず貢献できるのだ。この原則は、行動の最適化を目指す多くの分野に当てはまる。最適条件からほんのわずかに逸脱するだけで、企業内部に小さな影響を及ぼしつつ、外部に少なからぬ影響を及ぼせる。さらに、企業パフォーマンスを検討する人にとって役に立つのは、ESGに充てられる資源を測定する優れた尺度を手に入れ、PR支出とは明確に切り離して考えることだ。良い評判を築こうとして企業が費やす社会的支出に、私たちは疑いの目を失ってはならない。ニューヨークのリンカーン・センターのそばを通りかかった時に、デイヴィッド・H・コーク劇場に気づいたとしよう。コーク兄弟(第4章を参照)は、環境規制を台なしにしているエネルギー企業の所有者である。芸術に対する支援活動は、そのコーク兄弟に対する批判を逸らす役に立つかもしれない。だが、芸術を支援したからといって、環境が改善されるわけではなく、環境基準が満たされるわけでもない。
     第4に、今日の技術的に複雑な経済において、企業は自社製品や製造プロセスに伴う潜在的なリスクについて正確な情報を提供するという、非常に重要な役割を担っている。企業はまさにこの点において深い知識を持っている。また顧客に対して正直であるという責任と、政府の規制当局に対して危険を隠したり、誤解を招いたりしないという責任も負う。最もタチが悪いのは、危険か欠陥のある製品によって人びとの命を奪う危険性を認識しながら、何も手を打たない企業であり、これらの企業は最も厳しい制裁を受けてしかるべきである。


    21 グリーンファイナンス
    ■社会的責任投資とは何か
     ファイナンスにとって、ESGは前章で分析した社会的責任企業の定義と密接な関係にある。だが、そこには大きな違いがある。グリーンファイナンスが特に重視するのは、その企業が何を製造するのかであり、企業の責任がおもに重視するのは、その企業がどうやって製造するのかだからだ。
     次のような例がわかりやすいだろう。今日、エクソンモービルは化石燃料を生産し、販売している。アナリストはよくこう訊ねる。エクソンモービルは、責任ある企業として公正な労働慣行に従っているか。製品やそれが環境に与える影響について情報開示しているか。カーボンフットプリントに対する野心的な目標を設定しているか、など。この数年、エクソンモービルが、社会的責任のあるベストカンパニーとして複数の分野でいろいろな賞に輝いたと聞けば、良い印象を持つかもしれない。ところがファイナンスにおいて、倫理的投資の立場に立つ多くの活動家にとって、エクソンモービルは攻撃対象だ。同社が石油と天然ガスを生産して販売し、気候変動の悪化を早めているからだ。投資対象から排除される企業には、ほかにも銃やタバコ、アルコール類、兵器の製造会社が含まれる。これらが「罪深き企業」と呼ばれる理由は、事業活動が罪深いからではない(それらの企業もエクソンモービルと同様に、ロールモデル企業であり、法に従っているかもしれない)。有害な影響を及ぼす製品を販売しているからだ。


    ■グリーン投資家の投資戦略
     グリーン投資の教訓は何だろうか。次の4点をあげよう。
     まず、グリーン投資に関心があろうとなかろうと、長期的な視野に立つ企業にいつも注目しよう。営者が私服を肥やすような近視眼的な企業は避けるべきだ。
     次に、グリーンファイナンスには無後悔対策の原則が適用できる。ポートフォリオがそもそも最適化されているならば、そのポートフォリオから銘柄を少しだけ排除したところで、収益にはほんのわずかな影響しか及ぼさない。そのため、ファンドが企業か小さな部門を少しだけ排除したとしても、長期的な収益にはほんのわずかな不利益しか現れないだろう。
     第3に、もしポートフォリオにグリーンの色合いをほんの少しつけ加える時には、達成目標は慎重に選ばう。非常にクリーンな投資を望むのなら、収益にそれなりの不利益を被りそうだ。つまり、ファンドが実際に何を保有しているのかに注意する必要がある。もし幅広い銘柄を排除しているか、納得し難いか、あなた自身の投資哲学と矛盾する時には、ほかの選択肢を考えたほうがいい。
     最後に、必要経費に細心の注意を払おう。油断していると、経費で利益がすっかりなくなってしまいかねない。最悪のファンドは、経費率が年2.1%のファンドXサステナブル・インパクトだ。なかには、それ以上の手数料を要求するファンドまである。経費率が0.2%で、販売手数料をとらないヴァンガードのはうが、はるかにいい収益が期待できるだろう。

    22 グリーンプラネット
     さらによく考えてみると、グローバル経済の外部性に取り組む国際的な合意では、大きな成果は収められなかった。成功例はふたつある。ひとつは、国際的な貿易紛争の処理(今日ではおもにWTOを介した成果だ)。もうひとつは、オゾン層を破壊するフロン類の使用を制限する議定書。環境問題に関する協定の経済的側面について先駆的な研究を行なったのは、コロンビア大学の経済学者スコット・バレットだ。彼をはじめとする専門家は、このふたつの協定が成功した理由を、便益が費用をはるかに上まわったことと、効果的な制度や機関が設置され、国家間の協力関係が促進されたからだと考える。
     グローバルな外部性の解決に取り組む時、カギを握るのはガバナンスだ。なぜなら、効率的に管理するためには、世界の主要国の協調行動が不可欠だからだ。ところが、現在の国際法の下には適切な法的メカニズムがなく、利害関係のない多数派国がほかの国に対して、グローバルな外部性の責任を共有するように要求できない。しかも、協調的に行動するよう国家を説得するために、武力のような超法規的な方法はとても勧められない。
     ここで強調しておくべき点がある。それは、グローバルな環境問題には、大気汚染や水質汚染といった国内の環境問題とは、まったく異なるガバナンスの問題が伴うことだ。国家の公共財の場合、大半の問題は、国内の政治制度を、ごくひと握りの私的利益ではなく、広く分散した国民の公的利益に対応しやすくすることで解決できる。ところが、グローバル公共財の場合には、それぞれの国家がみずから行動したところで、ほんのわずかな便益しか享受できない。

    ■統合評価モデルが導き出した主な四つの結論
    ・排出ペースを遅らせるための政策を、可能な限り早く導入すべきだ。
    ・意外にも重要なのは、気候政策を調和させることだ。そのためには、排出削減の限界費用をあらゆるところで等しくする必要がある。市場の文脈で言い換えれば、すべての国や部門で、単一の炭素費用を採用するという意味だ。
    ・政策の実効性のためには、できる限り高い参加が必要である。つまり、できる限り多くの国と部門が、可能な限り早く参加すべきである。フリーライド(ただ乗り)を許してはならない。
    ・実効性の高い政策とは、徐々に強化していく政策である。高い炭素価格の世界に適応できるよう市民には時間的な猶予を与え、企業には将来の投資の経済環境に関するシグナルを送り、炭素排出量について徐々に厳格化していく。


    23 地球を守るための気候協約
     つまり、グローバルな気候変動政策を妨げるフリーライドは、次のふたつの次元で生じる。ひとつは、国家がほかの国家の取り組みを当てにすることだ。もうひとつは、いまの世代が行動を先送りして、将来世代に費用を押しつけることだ。


     今日の国際コミュニティは、気候協約あるいは何らかの取り決めを採用する状況になく、気候変動の不気味な進行に歯止めがかからない(図23-1および図23-2を参照)。気候協約への参加を阻む障害は次の四つだ。まずは無知。次に、反環境主義の利害や政治献金による民主主義の歪み。そしてフリーライド――これは自国の国益を求める人たちのあいだでも見られる。最後は、将来の利益を割り引いて考える人たちの近視眼的な考え方である。


    ■今日とるべき四つの措置
     もし気候変動が究極のグリーン問題ならば、世界中の憂慮する市民は、いまこの瞬間に、どんなことができるだろうか。私は、次の四つに焦点を絞って強く訴えたい。
     第1に、地球温暖化が人間と自然界に極めて深刻な影響を与えることを、世界中の人たちは理解し、事実として受け入れる必要がある。科学者は科学や生態学から経済学、国際関係までのあらゆる側面について、徹底した研究を続けなければならない。問題を理解する者は、声を上げるべきだ。虚偽や偏った理屈を撒き散らす、気候変動否定論者の誤りを暴くべきだ。彼らはネガティブな結果を見つけたり、適切な措置を講じるのは数十年先でいい、などという理由を掻き集めたりする。だが、私たちは否定論者のでっちあげに目を光らせるべきである。
     第2に、国家は、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出価格を引き上げる政策を確立しなければならない。そのような措置は抵抗に遭う。だが、排出を抑制し、イノベーションを推し進め、低炭素技術を採用するために、そしてまた野放し状態の温暖化の脅威から地球を守るためには、そのような政策は絶対に必要である。
     第3に、気候変動はひとつの国や地域で取り組む問題ではない。必ずグローバルな行動が求められる。政策はその国独自のものかもしれない。地球温暖化の進行を遅らせるための強い措置に対して、国家主義者は反対を唱えるかもしれない。だが、たとえそうだとしても、気候変動の進行を遅らせるためにはグローバルな協調行動が欠かせない。そして、実効性の高い協調行動が最も期待できるかたちは気候協約である。この国家連合では、排出を削減する強い措置に本気で取り組むとともに、非参加国に罰則を科す。急進的な新しい提案だが、公共問題について、これほど強い国際行動が期待できる設計図はほかにない。
     第4として、低炭素経済に移行するために明らかなのは、エネルギー部門の急速な技術革新が中心となることだ。化石燃料を最新の低炭素技術に置き換えるためには、炭素排出に少なからぬ経済的ペナルティを科さなければならない。安価で急進的な低炭素技術を開発するためには、高い炭素価格というインセンティブとともに、科学と技術に対する少なからぬ公的支援が不可欠だ。新しい技術は低炭素経済への移行を促し、気候目標の達成にかかる費用を押し下げてくれる。それゆえ、政府も民間部門も、低炭素、ゼロ炭素、さら技術の開発に精力的に取り組まなければならない。
     気候変動の事実を受け入れる市民が増える。適切な価格を設定する。協調行動を推し進める。新たな技術を開発する――この四つが、グローバルなグリーン分野の、そしてまたほかの重要な分野にとっての重要なステップとなる。


    24 グリーン懐疑派
    ■本章のまとめ
     グリーン懐疑派の考えをどうまとめられるだろうか。まず、彼らの意見は多岐にわたる。儲けや私益のために擁護しているだけの者もいる。きっと石炭会社の株を所有しているか、汚染物質を撒き散らす産業で働いているからだろう。彼らの立場は理解できるが、公共の利益と私的な利益とを混同すべきではない。加えて、私たちは自由市場哲学の妥当性を――それが当てはまる場合には——認める必要がある。イノベーションと技術の進歩が全体的にグリーンだったことは、経済史が証明するところだ。なぜなら、新しい技術はエネルギーをあまり使わず、エネルギーの使用量が減ると、たいてい環境汚染の削減につながるからだ。
     産業革命後の大部分の期間において、環境汚染は少ししか、あるいはほとんど規制されてこなかった。だが1970年以降、政府は(温室効果ガスを除く)おもな汚染物質の大半に、規制をかけるようになった。アメリカで、環境汚染の抑制費用はGDP比2%をわずかに下まわる程度だ。詳しい分析からも明らかなように、便益が費用を上まわり、そのために真の所得と成長は、政府の管理によって減少するどころか増加した。
    だからこそ、特に熱心な環境主義者であっても、自由市場環境主義者の考えを真剣に受けとめるべきである。実効性の高い環境政策が必要とするのは、根拠の確かな科学、費用と便益の優れたバランス、そして政策を実施するための効果的な仕組みの設計だ。中央政府による計画経済の歴史は、強い集中管理が悪夢だったことを示している。そのいっぽう、気候変動政策の失敗が示すのは、中央管理とは正反対に、何も行動を起こさないことの危険性である。環境主義と市場指向。そのふたつが交差するところには、炭素税、公的資源のオークション、指揮統制型規制の役割の最小化など効率的な政策が存在する。


    25 グリーン精神をめぐる旅
     ブラネットグリーンをめぐる旅も終わりに近づいた。この旅では私たち人類が、私たち自身と、ほかの種と、自然の生態系と、どのようにして相互に作用し合うのかについて考察してきた。その相互作用は驚くような経済発展を生み出してきたが、それはまた、望ましくない衝突や影響をも生み出してきた。
     何世紀か前、欧州の入植者が初めて、私の故郷であるコネチカット州にたどり着いた時、いちばんの問題は自然との戦いだった。生活の大半は、森林や原野を切り拓いて農地を耕し、過酷な冬の寒さを暖かく過ごし、恐ろしい病気を生き延びることだった。家族の安全を守るために、隣人は欠くことのできない存在だった。
     今日、アメリカ大陸も世界も、人間、工場、道路、環境汚染で溢れかえり、隣人は私たちの身を守るものであると同時に害を及ぼす存在になった。ブラウンがグリーンを押し退けている。その現象は、環境汚染、廃棄物、渋滞、ゴミ、種の減少、魚の乱獲、そして最も不吉なことに気候変動に見てとることができる。
     それらはどれも混み合う世界で顕在化する深刻な問題であり、見て見ぬ振りをすれば制御不能に陥ってしまいかねない。極めて確かな推計によれば、技術の進歩と国際貿易がもたらす利益は、これまで環境汚染やいろいろな外部性の損害を上まわってきた。だが、その傾向が今後も持続する政策の鉄則や市場というものはない。
     本書では、分析と倫理的観点の基礎に、よく管理された社会の目標を置いてきた。それは、構成員の健康や幸福を向上させるために設計された社会である。よく管理された社会には、次の四つの柱がある。第1に、人びとが公平に、効率よく相互作用できる財産権と契約を定義する法。第2に、私的財を交換できる効果的な市場。第3に、重要な外部性を補正し、公共財を提供する法、規制、課税、支出。第4に、経済的な福利を適切かつ平等に分配するために補正された課税と支出。
     経済成長に伴う望ましくない副作用に対処するためには、政府と市場それぞれの適切な役割をよく理解しておく必要がある。政府にすべての社会問題は解決できないように、市場にもすべての社会問題は解決できない。市場そのものには、気候変動を効果的に抑制することはできず、政府そのものにも、パンや石油を効果的に割り当てることはできない。政府と市場の望ましい組み合わせを見つけることは、経済と環境政策の最も厄介な問題のひとつである。生活水準の改善と環境汚染の抑制とのあいだでバランスを保つ時、政府と市場はそれぞれ中心的な役割を担う。
     グリーンの議論について本書が中心テーマとしたのは、効率性の果たす役割だった。効率性は経済学者の必需品である。そしてそれは、人びとのニーズと欲求を満足させる社会的資源の効果的な利用を指す。人びとは、適切に機能する市場(たとえば命を救うワクチンの供給)の有効性をしばしば称賛する反面、市場が失敗し、環境汚染や感染症のような負の外部性が存在する状況も理解している。負の外部性を伴う活動は、意図しないスピルオーバーを生む。だが、便益を受ける者が害を被る者に埋め合わせることはない。
     負の外部性について想定されるのは、規制のない市場はおそらく資源の配分を誤り、ブラウンを多く生産しすぎ、グリーンについてはほんの少ししか生産しないということだ。外部性が比較的小さいために、その結果生じる状態を我慢するという選択をした分野もある。交通渋滞がそうだろう。渋滞のせいで、私たちは年に多くの時間を費している。経済学者が渋滞に課金するという独創的な案を考え出したにもかかわらず、多くの国は課金政策に乗り出すよりも、不満の声を漏らしながら渋滞を我慢するほうを選んできた。そのいっぼう、石炭の燃焼で生じる致死的な大気汚染に対しては、最悪の危険を削減する措置を講じてきた。
     グリーン思考の中心的な原則は、持続可能性の重視である。経済の持続可能性を実現する道は、どの将来世代も過去の世代と同じくらい豊かだ、という選択肢が持てることだ。だからと言って、すべての財、サービス、娯楽というあらゆる次元で、同じだけ豊かだという意味ではない。経済学の中心的アプローチは、消費の持続可能性を重視する。そのことによって、消費者は、希少性が増す財の代わりに価格が低下する財を使って、みずからのニーズを満たすことができる。その意味するところを、持続可能性の文脈に当てはめると、私たちがまず考えるべきは、食料、住居、健康管理などの生活水準であって、それらがどうやって生産されるのかではない。例をあげれば、大きな問題とすべきは、その製品が寿命をまっとうしたあとに、リサイクルされるかどうかよりも、害のない物質に速く分解するかどうかである。イエローストーンのようなかけがえのない、取り替えのきかない資産は別として、多くの場合、資源はそのもの自体ではなく、その機能によって価値を持つ。
     持続可能性の概念が適用された重要な例が、グリーン国民経済計算だ。標準的な国民経済計算(GDPなど)では、環境汚染が原因の健康被害など、外部性の影響をたいてい除外している。そのような外部性の経済的な影響を、国民経済計算に組み込むと、生産の水準に少なからぬ違いをもたらすだろう。既存の調査を使ったある推計によれば、除外分を補正すると、アメリカの場合で生産から10%ほど差し引かれるという。
     とはいえ、そして逆説的ではあるが、外部性を国民経済計算に組み込むと、アメリカの場合、少なくともこの半世紀において、真の経済生産の成長率は上昇することが多い。その理由は、ほとんどの汚染物質の排出量が、経済全体比で減少しつつあるからだ。つまり、環境規制が経済成長にもたらす影響について不満を漏らす者が、実際に不満を述べているのは、その測定方法についてであり、実際の影響についてではない。
     グリーン政策と関係が深いのは、環境汚染や渋滞との戦いだろう。だが、感染症もまた、経済活動やグローバリゼーションの有害な外部性の症状を呈している。感染症に必要なのは、環境汚染や渋滞とは違うツー心、たとえば政府主導の治療やワクチンだが、感染症が補正を必要とする有害なスピルオーバーであることには違いない。
     さらに言えば、パンデミックは、ファットテール・カタストロフィという致命的な現象のひとつである。テール・イベントとは、起きる頻度は低いが、ひとたび起きると重大な結果を引き起こす出来事を指す。まれにしか発生しないため、生じた時にはとりわけ厄介だ。どれほどの頻度で起き、どれほど被害が深刻なのかは、正確には予測できない。そのため、実際に起きた時に、それがテール・イベントだと気づくことは難しく、前もって準備することも同じくらい難しい。
     関連するポイントとして、外部性の補正にはさまざまな費用がかかる。少なくとも、相反する問題を抱える政府と企業の経営陣の貴重な時間を要する。経済的観点に立てば、ほとんどの介入は、指揮統制の寄せ集めのような規制プロセス(「これはやれ、あれはするな」)を通して行なわれる。規制には、コンプライアンスの遵守に必要な費用(環境汚染防止装置の設置など)も含まれるが、過剰な費用もある。なぜなら、規制では、完璧な効率はもちろん、ある程度の効率を狙って環境政策を設計することさえ難しいからだ。規制の費用が過剰になると、どのブラウンの問題に取り組み、どの問題は後まわしにするかを政府が決める必要がある。同じくらい重要なのは、政策においては、利用できる最も効率のいいツールを使うべきだという点だ。

     環境政策の設計において希望が持てるのは、外部性の管理にあたって市場メカニズム、それも特に環境汚染税を利用する新たな傾向である。その方法は、二酸化硫黄などの従来の大気汚染を削減する際に、極めて高い効果を発揮することを証明してきた。気候変動の進行を遅らせる唯一にして最も優れたツールが、高い炭素価格の設定であることは、多くの経済学者が認めている。たとえば炭素税は、二酸化炭素の排出を抑制するだけでなく、低炭素技術を開発するインセンティブとしても有効に働く。
     次に、欠陥のある意思決定がもたらす、好ましくない影響について考えてみよう(行動経済学のテーマだ)。私たちが頻繁に犯しがちな失敗は、何かを購入する際に、製品の初期費用だけに注目して、ライフサイクル費用を充分に考慮しないことだろう。それが最も明白に表れるのは、エネルギー使用に対する意思決定である(初期費用が安いかわりに、燃料を食う、省エネ効果の低い製品に投資してしまう)。この初期費用バイアスと関係があるのが、高い割引率の問題だ。この場合にも、目の前の費用を重視して、遠い将来の費用を考慮しない。不合理な行動(特に高すぎる割引率)は、たいてい環境に悪い影響を及ぼす。なぜならグリーンプロジェクトの場合、資本費用は近い将来に支払うが(先行投資を過大評価する)、環境に便益をもたらすのは遠い将来のことだからだ(将来の便益を過小評価する)。人間の行動に伴う問題には、外部性の場合とは異なるアブローチが必要だ。それは、詳しい情報や規制、あるいは新しい技術かもしれない。
     本書ではまた、政治、イノベーション、企業責任、投資などの重要な分野に、グリーン哲学を応用することも考察した。どの分野においても、意思決定者の便益と広い社会的目標とのあいだのトレードオフをめぐって、大きなジレンマが生じる。どの分野にとっても忘れてはならない重要なポイントは、意思決定者は短期主義を捨て、長期の結果——利益にせよ、収益率にせよ、社会福祉にせよ――を改善するという広い視点に立つべきことだ。加えて、どの制度にも専門家や専門知識を持つ組織が存在し、それぞれ重い責任を担う。企業、大学、投資家、政府は、それぞれの専門知識を活かす必要がある。企業の場合で言えば、自社の製品や製造プロセスの安全性について、明確でバイアスのない情報を確実に提供しなければならない。
     グリーン活動に着手する際の重要な考え方のひとつは、無後悔という原則を当てはめることだ。私たちの行動が有害なスビルオーバーを伴う時、その外部性のフットプリントをほんの少しだけ削減すると、自分自身の満足はわずかに減少するが、ほかの人に与える有害な影響を大きく削減できる。小さな行動で、私たちのスビルオーバーを、ひょっとしたらかなり大きく減らせるのだ。しかも、本人にはわずかな影響しか及ぼさないため、後悔することもない。この原則は、炭素、環境汚染、渋滞のフットプリントを削減する分野にも充分、適用できる。
     グリーン原則を問題なく適用できる分野は環境税だろう。グリーン税では、財政手段を用いて環境汚染のような負の外部性を内部化する。環境税は、近年最も期待の持てるイノベーションのひとつだ。公共政策の聖杯——みなが追い求めるが、なかなか手に入らない貴重な宝物——であり、次の三つの特徴を持つ。貴重な公共サービスの財源となる。環境目標を効率的に達成する。そして、歪みがない。適用の可能性が高いのは、炭素税とガソリン税だろう。これはアルコール類、タバコ、銃器、ギャンブルなどの悪行税と近い関係にある。悪行税アブローチの考え方である、
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    投稿日:2024.01.04

  • まっしべ

    まっしべ

    2021.5.11につけた手元の読書メモによれば、『50(フィフティ) いまの経済をつくったモノ』(9784532176440)を読んだ時にウィリアム・ノードハウス先生の名前を記録につけている。詳細は書いていない為に具体的にはわからず、拙宅本棚から件の本を出してくればいい話なのだが、いかんせん不整頓と不精なので今はとりあえず置いておくこととする。
    が、本書を買ったきっかけになったのは前述の本であることは間違いございません。

    さあ、本書はノーベル経済学賞受賞者による「環境思考と経済思考」(p5)を述べたものであります。
    重要ポイントとして、本書は「何のための、誰のための持続可能性か」(p97)を突き詰めた本でありまして、再三繰り返されるように「世代間の公平性を考える」(p75)即ち「将来世代が少なくとも今日世代と同じくらい豊かな生活水準を享受できる」(p91)ようにするために「個人の経済的地位や利益と、社会福祉とのトレードオフについても検討する」(p210)という内容である。
    今すぐ直ちに全てのテクノロジーや便益を放棄して原始に回帰せよ、というのでは全くなくて、現役世代が何でもかんでも全部を遣い果たすんじゃなしに有益な技術は活用しつつ同時に投資もすべきで、その目的が未来へ向いている事が何よりも肝要だ、という事かなと。もちろん、現役世代が何も手を打たなくていいという訳では無い。
    全ての有害物質の利用や活用を‘ゼロにする’ことは一面的に地球環境・衛生には優しいのかも知れないが絶大なる必要コストの割に益少なく、トータルで見れば損をしている事になる。例えば、敢えて今すぐ自動車を全面規制・封印することは総合すれば理に適っていない。何でもかんでもを回帰すれば良い訳では無い。
    「グリーン連邦主義」(p60)の考え方に従うとすれば、気候変動という大きな問題に対応出来るのは世界単位であり、二酸化硫黄の排出規制に対応出来るのは国家単位であり、「問題の解決には、異なるレベルごとに多様な制度や意思決定のプロセスが関わる」(p60)という原理が働く。であれば、個人単位でリーチ出来る範囲には限度があるのは事実。環境意識を考えるという事は即ち政治政策に関心を持つという事と近似であると思う。「非個人的スピルオーバー」(p168)を考える事。
    「税金とは、公共サービスに対して私たちが支払う代価」(p222)である。言い換えるならば「税金は文明社会の代価である」(同上)という事。前述にも繋がるが、税がどのように使用されているかをキチンと知る事は国民が為すべきプロセスである。翻せば、ちゃんと知りもしないのに反射的に税に反発を覚えるのも立場や可能性を放棄しているのと同義である、という事だろうか。スケールの小さな例えで恐縮だが無料キャンプ場や海水浴場の放置ゴミ問題についても、全面開放しているが為に無用な負担を自然・管理者が強いられるくらいならば有料制にして篩い分けることで最低レベルに粗悪な利用者を最初から弾く方が結果的に様々な便益が生まれるのではないか。

    新しい見識を得られたという点では非常に良い読書だったと思うが、どうにも訳文がスッと入ってこない。ノードハウス氏の言い回しが独特なのかも知れないが、所々でつまづいた感はあった。

    社会を持続させるのは誰のためか。
    目を背けてはならない。


    1刷
    2023.12.5
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    投稿日:2023.12.06

  • pinkfish

    pinkfish

    環境関係で久しぶりに面白い本に出会いました。
    行動経済学と相反するグリーン。
    環境税が救いになるようです。

    投稿日:2023.03.07

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