【感想】陰謀論 民主主義を揺るがすメカニズム

秦正樹 / 中公新書
(21件のレビュー)

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  • ゆうたろう

    ゆうたろう

    データ分析を中心に日本の陰謀論の実態を解明していく。
    普通という言葉は自己肯定するための便利なマジックワードになる、という意見は本当に賛成。

    投稿日:2024.04.07

  • すいびょう

    すいびょう

    【感想】
    「コロナウイルスは政府によって作られた偽の病気」「ワクチンにはマイクロチップが入れられている」「某俳優の自殺は実は他殺だった」……。
    パンデミック以降、日本のSNSでもちらほらと陰謀論を見かけるようになった。陰謀論自体は根拠がでたらめで信憑性の無い、いわば「トンデモ論」である。そのため「自分は騙されるほど馬鹿じゃない」と感じている人も多いが、実はデータの上では、結構な人々が「既に騙されている」ことが判明している。インターネット上でしばしば観察される「北朝鮮グル説」――政府に都合が悪いことがあると決まって北朝鮮からミサイルが発射されるのは、両政府が実は裏で繋がっているからだ――について、筆者がリスト実験を行った結果、およそ4分の1の人々がその説を信じていることが明らかになった。日本人の4人に1人が、北朝鮮と日本政府が裏でつながっていることを信じているなんて、なんて背筋の寒くなる話だろうか。

    しかも厄介なことに、政治的関心や知識が増えれば、より冷静で客観的な判断が下せる、というわけではないのだ。筆者の調査で、政治的関心が高く、知識も豊富な人のほうが、「それらしい」陰謀論を受容しやすい傾向にあり、逆に、プライベートな出来事に没頭している人のほうが陰謀論を信じにくい傾向にあることが判明している。
    当然だが、陰謀論にも強度がある。「政府がワクチンにマイクロチップを埋め込んで国民を操作しようとしている」という話なら論理的に破綻しているのは明白だが、「○○県上空で起こった旅客機の墜落事故は、実は米軍の戦闘機が誤って撃墜したものであり、基地移転の障害とならないよう米軍と日本政府の間で隠ぺいが行われた」という論であれば、確度が多少上がったように思える。そうした「それらしい」言説は、真実と嘘をないまぜにしているため、情報の切り取り方と受け手の受容の仕方によっては、パズルの1ピースが見事にはまったように感じ、「ありえる話」として信じてしまうのだ。

    ではいったい、陰謀論から身を守るにはどうすればいいのか?酷なことを言ってしまうと、陰謀論を完全に防ぐのは不可能だ。陰謀論はどのテーマにも現れるし、誰もが信じてしまう可能性を孕んでいる。
    陰謀論に踊らされないためには、政治への知識を増やすよりも、情報に対する自身の態度を誠実にする必要がある。
    筆者が、各種SNSの利用頻度と陰謀論の受容関係について調査を行ったところ、「ツイッターを頻繁に利用している若年層は、陰謀論を信じにくい」という結果が出た。ツイッターと言えば過激な言説が目立つSNSの筆頭であり、陰謀論系のアカウントが軒を連ねているにも関わらずだ。これは、若年層のツイッターの利用方法に秘密があった。多くの若者はプライベートな出来事をつぶやく程度であり、政治の情報を追っている人は少ない。その「政治からの遠さ」が、陰謀論を防ぐ鍵となったのだ。
    もちろん、政治に無頓着であってはいけない。しかし、日々洪水のように情報があふれ、さまざまな価値観がひしめきあう現代においては、自らの「政治的信念」や「正しさ」に固執して、他者をやたらと攻撃するケースが散見される。そのような「人の考えを受け入れない態度」を取るようであれば、そこに陰謀論がつけこむ余地が生まれる。己の信念を貫くのはよいが、「何事もほどほどに」にする。そして「他人の意見を認める」という謙虚な態度を取ることこそが、陰謀論に取り込まれないための堅実な方法なのである。

    ――政治や社会の問題についてよく注意を払ったり、勉強したりする人ほど、さらに深く、その問題の歴史的な背景や、そうなっていることの「原因」についても知りたいと思うようになるのは人間の基本的な性質であろう。それがいい方向に転べば、専門性が高まり、適切な資料・データを吟味した上で鋭い提言を繰り出せるような、人々から尊敬を集めるオピニオンリーダーになれるかもしれない。
    しかし、現実はどうだろうか。とりわけ「政治」について関心を持ちすぎることによって、いたずらに相対する政治的意見への対立意識を深めたり、異なる意見を持つ他者への寛容性を失ったりする有様が、さまざまな場面で観察される。ネット右翼やオンライン排外主義者、あるいは特定の政党を支持する人々も、結局のところ、政治に過度に関心を持っていたり、自らのレンズが特定の政治的な見方に「染まりすぎている」がゆえに、陰謀論に吸い寄せられていると言えるのかもしれない。政治に詳しくなることの副作用に接するほど、「何事もほどほどに」というありふれた警句の深さが身に染みるのである。

    ――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 陰謀論の定義
    本書では、陰謀論を「『重要な出来事の裏では、一般人には見えない力がうごめいている』と考える思考様式」と定義する。
    陰謀論は単なる「フェイクニュース」とは違う性質を持つ。その決定的な違いは「検証可能性」だ。フェイクニュースは、メディアや専門家による「事後的な検証」によって、その情報の精確さはある程度示すことができる。それに対して、陰謀論は、専門家であれメディアであれ、それが陰謀なのかどうかを早期に検証して真偽を定かにすることが極めて難しい。その点が、フェイクニュースと陰謀論で大きく異なる点だと言える。そうした違いは、陰謀論の定義でも示したように、限られたごく一部の人々のあいだでしか共有されない「秘密の企み」によって事象を説明するという、陰謀論の性質に由来する。

    陰謀論者には、政治的動機を持つ場合だけでなく、経済的動機――アフィリエイトによる広告収入を得ることを目的としたサイトの運営――を持つ場合がある。

    筆者が日本人2001名を対象に陰謀論的信念に関するアンケート調査を行ったところ、およそ20〜40%の人が、陰謀論的言説を「正しい」もしくは「やや正しい」と回答した。この日本で陰謀論なんて信じているのは、ごくごく一部の特殊な人、とは簡単に言い切れないことがわかるだろう。
    もちろん、陰謀論的信念を持つ者の中には、そういった考えを一切表には出さずに日常生活を送っている人も少なくないだろう。ただし、コロナ禍が明らかにしたように、ひとたび社会に混乱や大きな不安が生まれたとき、陰謀論的信念という潜在的な「種」が芽を出すことがある。

    そもそも、陰謀論を信じる人々は、今、目の前で起きている出来事や状態を是認できないという強い考えや意見を持っている場合が少なくないことが既存の研究でも明らかになっている。つまり、現実が、彼らが想定する「あるべき現実」とあまりに乖離していることへの不満があり、陰謀論はその乖離を埋めるための便利な道具として利用されている側面がある。現実と「あるべき現実」とが乖離しているような人々にとって、陰謀論を信じることは不満解消法であるとも言えるだろう。そう考えれば、多くの人間が理想と現実とのギャップの悩みを抱えており、その不満を緩和しようとすることは特段珍しいものではない。

    「動機づけられた推論」という概念がある。これは、自身が持つ特定の考えなどの方向性に基づいて、望ましい結論に達するよう情報を整合的に解釈することである。政治的イシューにおいては、もともと政治に無関心な人よりも、自分の政治的な信念に動機づけられて解釈を曲げる人のほうが多い。政治に関心のある人のほうが陰謀論に染まりやすいのである。このことから、陰謀論が人々の意識や思考にいかなる影響を及ぼすかを考える上では、そもそも人々がどのような政治的・心理的傾向を潜在的に有しているのかについて検討しておくことが極めて重要である。


    2 陰謀論とソーシャルメディア
    因子分析の結果、陰謀論的信念の高さと関連するメディア利用方法として指摘できるのは、ヤフコメと民法の報道番組の利用頻度が高いことであり、逆に、NHKや新聞、ツイッターの利用頻度の高さは、陰謀論的信念の低さと関連していた。
    ツイッター上には陰謀論が数多く流通しており、「悪いメディア」であるという印象が一般に持たれているかもしれない。しかし、実際にはツイッターは利用方法が多岐にわたり、触れる話題は極めて日常的な出来事についてのものが中心である。社会的・政治的な出来事についての情報を目にする機会は必ずしも多くないのかもしれない。
    ただし、若年層ではツイッターの利用頻度が高いほど陰謀論的信念が低くなっているが、ミドル層やシニア層では大きな減少効果は見られない。一方で、まとめサイトの効果はそれとは真逆であり、シニア層においてまとめサイトを毎日見ている層は、より陰謀論的信念を持ちやすい傾向にある。

    少なくとも実証分析の上では、ツイッターが陰謀論的信念を高めるような効果を確認することはできない。それにもかかわらず、「ツイッターは社会に悪影響を及ぼす」といった言説に一定の説得力があるように感じられるのはなぜなのか。この点も踏まえ、メディア研究でしばしば指摘される「第三者効果(自分以外の多くの人は、メディアに誘導されたり、騙されたりしているだろうという考え)」が陰謀論の受容においても働いている可能性を検討したところ、多くの人が、「自分自身は(冷静だから)ウェブ上の陰謀論やデマ情報に騙されないが、自分以外の多くの人はきっとそうした情報に騙されているだろう」という認識を持っており、さらに、このような第三者効果の認識は、とくにツイッターの利用頻度が高いほど感じる傾向にあることも明らかとなった。


    3 保守の陰謀論
    日本人の政治意識を調査した結果、自身の政治的意見を「普通」だと自認する人々は、ネット右翼やオンライン排外主義者たち寄りの意見を有していることがわかった。保守寄りだ。「普通であると」自認する人の意見と、日本人全体の意見の「平均」が乖離するケースが見受けられる。
    「普通」という基準は、実に曖昧である。たとえば、世論調査などの結果から得られる平均的な値も、普通自認層から見れば、その結果が自分の意見とずれていれば「普通ではない」と考えるだろう。こうした思考様式がより深化していくと、私の考えが「普通」であり、多くの人々(世論)の考えは「普通ではない」「何かおかしい」、さらに進めば、「真実を知らない衆愚」といった考え方に変質していくおそれがある。
    このように、自身を「普通の日本人」とみなす感覚は、陰謀論を受容するひとつの心理的な素地になっていると考えられる。

    インターネット上でしばしば観察される3つの陰謀論(北朝鮮グル説・広告代理店グル説・外国政府グル説)の受容について、リスト実験を用いてより厳密に検証した結果、日本人全体ではおよそ4分の1の人々が北朝鮮グル説を受容しており、「普通自認層」に限定すれば、その割合が36%まで増加することがわかった。また、外国政府グル説についても、普通自認層に限定すると、およそ半数がそれを受容していることが明らかになった。

    自身の意見が「普通」かどうかを判断するためには、他者の意見と比較し、相対化することが重要だろう。しかしながら、日本の政治文化は、伝統的に「政治に関わりたくない」意識が強いと言われる。つまり、政治に関する話題を友人や同僚と話すことを嫌い、仮に政府に不満を覚えても、デモや署名などの抗議活動にはつながりにくく、せいぜいSNSで「政治家はバカばっかりだ」とつぶやくくらいの人も多いのが実状である。こうした日本の政治文化的な背景が、他者の政治的意見と比べる機会を少なくさせている。それゆえ、日本は、自分の意見がどれくらい一般的なものなのかを検証することが難しい国になってしまっていると言える。
    そのように考えると、私たちは時々「普通」のレールから外れ、少し俯瞰的な見方に立って自らの政治的意見の位置を振り返るべきなのだろう。そうしたほんの少しの内省こそが、結果的に、陰謀論から距離を置くことにもつながるはずである。


    4 リベラルの陰謀論
    左派における陰謀論の受容について考える機会は、右派の場合に比べて相対的に少ない。しかし、「動機づけられた推論」の観点から言えば、必ずしも無縁というわけではない。

    野党支持者たちが発信する陰謀論的な言説には、右派が発する陰謀論に比べて、それを一見して陰謀論であると判定しにくいという性質がある。野党支持者は、しばしば政府を批判する言説を展開するが、その言説が「正当な批判」なのか「陰謀論」なのかは見分けづらく、ときに混在していることがある。
    野党支持者による政府批判には、「正当な政府批判(A型)」と「陰謀論的な政府批判(B型)」が混在しており、「混合型の政府批判(AB型)」も含まれる。AB型の政府批判は、取材結果などにもとづいて左派系の新聞などが発表するA型の政府批判を受けて、その情報の消費者である熱心な野党支持者が、いわば「無理やりな解釈」(B型)を行い、それらが拡散し、入り交じる形で生まれる。こうした日本の野党支持者における独特な構造は、虚実が入り乱れることから、「野党支持者の中の陰謀論」を考えることを困難にしてしまう。他方で、政権与党と野党が固定化されている状況下では、政府支持者から「それは陰謀論だ」というレトリックで(A型の要素を捨象して)政府批判がすべて封じられてしまうおそれもあり、その点も社会的な捉え方を難しくする要素のひとつと言えるかもしれない。

    リベラル政党が選挙に長らく勝てていない日本においては、自身の望む政治的目標が達成されないことに対するフラストレーションが、陰謀論を引き寄せている可能性が高い。


    5 政治的関心と陰謀論
    政治的関心が高く、政治的な知識の高い人のほうが、「それらしい(=秘密結社などの荒唐無稽な俗説ではなく、実在の機関や政治動向などを組み合わせた情報)」陰謀論を受容しやすい傾向にある。逆に、公的な話題とは無縁の、プライベートな出来事に没頭している人のほうが陰謀論を信じにくい傾向が明らかになった。

    政治や社会の問題についてよく注意を払ったり、勉強したりする人ほど、さらに深く、その問題の歴史的な背景や、そうなっていることの「原因」についても知りたいと思うようになるのは人間の基本的な性質であろう。それがいい方向に転べば、専門性が高まり、適切な資料・データを吟味した上で鋭い提言を繰り出せるような、人々から尊敬を集めるオピニオンリーダーになれるかもしれない。
    しかし、現実はどうだろうか。とりわけ「政治」について関心を持ちすぎることによって、いたずらに相対する政治的意見への対立意識を深めたり、異なる意見を持つ他者への寛容性を失ったりする有様が、さまざまな場面で観察される。ネット右翼やオンライン排外主義者、あるいは特定の政党を支持する人々も、結局のところ、政治に過度に関心を持っていたり、自らのレンズが特定の政治的な見方に「染まりすぎている」がゆえに、陰謀論に吸い寄せられていると言えるのかもしれない。政治に詳しくなることの副作用に接するほど、「何事もほどほどに」というありふれた警句の深さが身に染みるのである。


    6 民主主義はどうすべきか
    日本人における陰謀論受容のメカニズムを考えると、一律的に陰謀論に引っかかりやすい人など実は存在せず、あらゆる人がいつ陰謀論に引っかかってもおかしくないと考えるほうが適切であるように思われる。
    そして、より重要なポイントは、「誰が信じるか」よりも、「自分の正しさを支えてくれるから信じる」という陰謀論受容のメカニズムのほうにある。

    では、どのようにすれば、何が正しい情報で、何が陰謀論かをうまく弁別できるのだろうか。そのためには、やはり(ある程度)公式的な情報に対する社会的な信頼感が必要となるだろう。中でもとくに重要なのは、マスメディアに対する信頼感だと考える。政府による公式的な記者会見や発表も、多くの人々は、新聞やテレビなどのマスメディアを通じて知ることになる。また、インターネット上のニュースサイトが伝える情報の多くも、結局は、大手新聞社やテレビ報道の情報に依存して伝えることがほとんどであることを考えると、やはり伝統的なメディアの役割は今でも極めて大きい。

    日々、洪水のように情報があふれ、供給過多が起きている現代社会は、ますます複雑でわかりにくくなっている。そうした中にあって、さまざまな価値観がひしめきあい、自らの「正しさ」を競っているような現状もある(ここで言う「正しさ」とは「正確性」の意味ではなく、各個人が持つ「正義の信念」のことである)。言うまでもなく、社会が多様な価値観を認めることは極めて重要である。しかし、人々が自らの「正しさ」に固執すれば、そこに陰謀論がつけこむ余地が生まれる。
    まさに、「自分にとっての正しさ」が動機づけとなって、知らずしらずのうちに陰謀論的思考に接近するおそれは、誰にとってもあるのだ。「何事もほどほどに」、それに加えて、「自分の中の正しさを過剰に求めすぎない」という姿勢こそが、今の社会に求められているように感じられてならない。
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    投稿日:2024.01.23

  • kris57

    kris57

    陰謀論の本というよりは、陰謀論に関する統計調査の解説本という風味で、陰謀論の実体を分析するのには役立っても、陰謀論全体の理論を考察するのには直接役立つことはないかなと思う。

    投稿日:2023.11.22

  • T.Hori

    T.Hori

    タイトルを見ると陰謀論そのものの解説にも思えるが、主に語られているのはどのような層に陰謀論が受容されているのかを統計的に調査したもの。

    取り上げる陰謀論や調査の切り口は面白かったし、その分析手法についても学びは多くあった。
    SNSの利用と陰謀論の受容の関係の意外性は興味深いものだったように思う。

    一方で、文中に登場する調査の母数がクラウドソーシングサイトでの1500〜2000件程度と、今のSNSや社会の状況を抽出するのに適当な量だったかという点にはあまり納得感はないかもしれない。

    陰謀論そのものを知りたい場合は、「あなたを陰謀論者にする言葉(雨宮純)」などを手に取るとよさそう。
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    投稿日:2023.10.31

  • horinagaumezo

    horinagaumezo

    「誰が、なぜ陰謀論を信じるのか」という問いについて、サーベイ実験というデータ分析の手法を通じて様々な観点から明らかにし、日本社会における陰謀論受容の実態とメカニズムを解説。
    陰謀論が跋扈する現状を憂慮する1人として、本書の内容はとても有益で、参考になった。
    日本人の2~3割もが陰謀論的思考を有していること、ツイッターの利用頻度の高さはむしろ陰謀論的思考の低さと関連していること、自分自身を「普通」だと考えている人々ほどいわゆるネット右翼がしばしば主張する陰謀論をより強く受容しやすい傾向にあること、左派・リベラル層であっても反政府・反自民党的な陰謀論は受容しがちな傾向にあること、政治的洗練性(政治的関心・政治的知識)の程度が高いほうがむしろ陰謀論を受容しやすい傾向にあることなど、本書で紹介されるサーベイ実験の分析結果は、直感的イメージとは異なるものも多く、非常に興味深かった。
    誰もが陰謀論にはまってしまう可能性があるというのが本書の教訓だと思う。ただ、著者は政治的関心や政治的知識もほどほどが一番と結論づけているが、そこには同意できない。政治的関心や政治的知識の程度を高めること自体は否定されるべきことではなく、関心を持ち知識を付けた上で、自分の政治的志向などに自覚的になり、対立する立場の考えにも思いを巡らし、複眼的・相対的に物事を考えるようにすることこそ、陰謀論に陥らないために必要なのではないかと思う。
    社会的望ましさバイアス(社会的期待迎合バイアス)を防ぐためのリスト実験やヴィネット実験という手法を知ることができたということなど、最先端の政治科学の研究の紹介という点でも本書は面白かった。
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    投稿日:2023.07.25

  • kohamatk

    kohamatk

    陰謀論が発生する要因について、丁寧に分析されている。

    ツイッターの利用は、むしろ陰謀論的信念の低さと関連している。多くの人が、自分自身はウェブ上の陰謀論やデマ情報には騙されないが、自分以外の多くの人はきっと騙されているだろうという「第三者効果」の認識が、ツイッターの利用頻度が高いほど感じる傾向にある。

    世論調査で測定される意識や態度の一部には、社会的に望ましい方向に答えてしまう「社会的望ましさバイアス」が働くことが知られている。このバイアスの低減を図るために、いくつかの意見に関するリストを提示して、その中から自分自身もそう思うという項目の個数を選んでもらうリスト実験を用いている。

    ナルシズムが高い人や社会的に阻害されていると感じる人ほど陰謀論を信じやすい傾向にある。

    辻・永吉は、 ネット右翼を中国韓国への否定的態度の有無、保守的政治思考の有無、インターネット上における日常的な政治的意見の発信の三つの要素を併せ持つ層として定義し、全体の1.5%を占めると報告している。ただし、保守的な政治思考を除く2つの要素を持つ層が3%存在する。自分が普通であると認識している層は、韓国やリベラル野党に対する意見が強く、陰謀論を強く受容しやすい傾向にある。

    リベラル系の野党支持者は、近年の選挙で敗北を喫し続けていることが原因となって、選挙や政党、政治という統治のしくみ、多数決主義的な各種の選挙制度に対して懐疑心を覚えやすい。現行の政治の仕組みに対して不信感を持ちやすく、陰謀論的な言説を受容する素地になっている。

    日米合同委員会に日米政府間の新たな合意を徹底する権限はなく、正式な閣議決定や通常のプロセスによる政府代表者同士の合意が別途必要になるため、その場で密約が結ばれることはない。外務省の公式ウェブページには、「日米合同委員会における協議を経た合意事項は、そのほとんどが施設・区域の提供、返還等に関する事項である」と書かれている。

    18歳投票権年齢引き下げは、与野党8党により発足したプロジェクトチームで党派を超えて合意を得たのち、衆参両院において全会一致で可決された経緯がある。
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    投稿日:2023.07.17

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