【感想】すべての季節のシェイクスピア

松岡和子 / ちくま文庫
(5件のレビュー)

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ブクログレビュー

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  • 司書KODOMOブックリスト(注:「司書になるため勉強中」のアカウントです)

    司書KODOMOブックリスト(注:「司書になるため勉強中」のアカウントです)

    「2021年、シェイクスピア全集、個人全訳を完結した著者は、翻訳を開始する直前、年間100本以上のシェイクスピア劇を観続けていた。代表的14作品を、演じられた舞台に即して「男と女の力学」「闇の中の輝き」「この世は仮装パーティ」等のテーマに分類し、掘り下げていく。シェイクスピア劇が10倍楽しくなるエッセイ。文庫化にあたり、全集最終巻「終わりよければすべてよし」についての書下ろしと全作品翻訳開始後のインタビューを加えた。]


    目次
    第1幕 男と女の力学(『ロミオとジュリエット』―別れがこんなに甘く切ないなら;『夏の夜の夢』―何もかもが二重に見える ほか)
    第2幕 闇こそ輝く(『リチャード三世』―歩きながら俺の影法師を眺めていられるよう;『ヴェニスの商人』―ああ、俺のキリスト教徒の金 ほか)
    第3幕 この世は仮装パーティ(『間違いの喜劇』―この世界にとって俺はひとしずくの水;『お気に召すまま』―ひと目惚れでなければ恋にあらず ほか)
    第4幕 時間がみた夢(『リア王』―忍耐だ。我々は泣きながらここへやってきた;『冬物語』―並居る皆様を驚かせて差し上げて ほか)
    第5幕 視線の政治学(『ハムレット』―見られずに見て…;『終わりよければすべてよし』―失ったものを褒め称えれば、思い出は貴重になる)

    著者等紹介
    松岡和子[マツオカカズコ]
    1942年、旧満州新京(長春)生まれ。東京女子大学英米文学科卒業。東京大学大学院修士課程修了。翻訳家・演劇評論家。1993年より28年をかけてシェイクスピア戯曲全37本を翻訳、ちくま文庫『シェイクスピア全集』全33巻が完結した。この業績により、2021年、第58回日本翻訳文化賞、第69回菊池寛賞、第75回毎日出版文化賞“企画部門”、2021年度朝日賞、第14回小田島雄志・翻訳戯曲賞特別賞を受賞
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    投稿日:2023.07.12

  • 針槐

    針槐

    戯曲を読んで分からなかった箇所や巻末の解説には書いてなかった解釈など、なるほどと思うことが多い。シェイクスピア劇の演出を考えている人は読んでみるとよい。興味ない人には不要かと思われるので星2つ。

    投稿日:2022.09.16

  • takeshishimizu

    takeshishimizu

    タイムリーに文庫化されたので読んだ1冊。もともとは30年近く前に刊行されている。その後、著者はシェイクスピアの全作品を翻訳されている。そして僕は野田秀樹の「フェイクスピア」を観たのを機に、全集を購入。いまのところ刊行順に7冊を読み終えた。本書を読んだのをきっかけに、ちょっと飛ばして、「ヴェニスの商人」「冬物語」「終わりよければすべてよし」を読んでみようと思う。そして、今年連載中の「文学談議」の1章としたい。さて、いろいろと謎であったことが、いくらか分かった。舞台では双子をどうするか。1人でやったり、本当の双子が演じるよりも、別人が双子として登場する方が良いようだ。それを観客は知っていて、舞台上の人物が翻弄されるのを楽しむということらしい。独白も含めて観客はみんな知っている。知らないのは舞台の上の人々だけだ。それはそうなのだろうが、シェイクスピアの時代、観客が皆、本を読んでいるとは思えない。事前にどういう筋書きかを知っているためには、あらすじだけでも書いたものが配られたりしていたのだろうか。いまでもパンフレットとかはあるけれど、皆が買うわけでもないし、舞台前に読んでいるわけでもないし。何回か見てやっとわかるということか。なんか不思議だ。それから、すぐ恋に落ちるという話。確かにロミオはジュリエットと出会う前、他の女性のことで友人に相談を持ちかけていたはず。それなのに、いつの間に、と不思議でならなかった。まあでもこれはお芝居なんだと思って納得しておくよりないのだろう。何度か引用されているが蜷川幸雄のことばがいい。「書かれている限りは全部やるけれども、書かれてないことは何やってもいいんだと思っている。」うーん、舞台を観てみたい。続きを読む

    投稿日:2022.08.04

  • tetujin

    tetujin

    ・松岡和子「すべての季節のシェイクスピ ア」(ちくま文庫)を読んだ。まづ書いておかねばと思ふのは、「文庫版あとがき」のちくま文庫版=松岡版シェークスピア全集誕生に至る、言はば裏話である。これを一言で言へば何と運の良い人だとでもなる。とにかく次から次へと運に恵まれて文庫版の全集が誕生した。具体的にはかうである。この人はテネ シー・ウィリアムズから始まつてゐるらしい。初めはさうした現代劇に関はつたり訳したりしてゐたのだが、ある日、串田和美や東京グローブ座からシエークスピア翻訳の依頼が来る。続いて蜷川幸雄を紹介されたことから「ハムレット」訳 の依頼が来る。ここで筑摩書房に訳した3冊だけでも出してもらへないかと尋ねると、「いっそ全集にしましょうというちくま文庫からの有り難い申し出」 (346〜347頁)があり、続いて装幀の安野光雅にも関係ができ、更には蜷川からシェークスピア全公演の訳は松岡でと言はれる。「運命としか思へない。」(347頁)かくして全集となつたのである。もちろんここに至るまでには現代劇の訳業や、演劇評論等で培つてきた人間関係が大きく物を言つてゐるであらうことは想像に難くない。それ以上に多くの訳業が優れてゐたからこそ、依頼も次々とやつてきたのであらう。こんな運命によつて誕生した松岡訳シェークスピア、小田嶋訳はおもしろいが、それ以上に松岡訳はおもしろいとも言はれる。ほとんど読んでゐない人間には分からないことである。しかし、そんな人がどのやうにシェークスピアを考へているのかには興味があると思つて読んだのが本書であつた。
    ・本書には松岡のシェイクスピア観劇体験が綴られてゐると言つても過言ではなからう。とにかく誰某の演出ではといふのが続く。観てない人間にはよく分からないことばかりなのだが、それでも読ませる。例へば「夏の夜の夢」、「内容が 荒唐無稽でファンタジー性が強いため、メタシアター的な枠を設定しないと今日に舞台では成立しにくいという見方があり」(33頁)、「たとえば出口典雄演出による」公演では云々、「木野花演出の舞台も云々」と記した後、RSC版で は「そういう仕掛けなしでズバリと正面突破。」(同前)とくる。「ただし衣装は現代風で、すでに陽気で華やかな音楽のバイブレーションに感染している私達の意識は(中略)難なく眉唾の壁を飛び越えてしまう」(同前)。しかも「ヒポ リタは見るからに不機嫌」(34頁)である。かうして妖精界と人間界で舞台は進んでいく。その間、具体的な演出にも触れてゐるから、観たことがなくとも何か観てゐるやうな気になつてくる。基本的にかういふ書き方である。舞台は観な ければおもしろくない。これはまちがひない。しかし、観てゐない舞台を、このやうな演出を読むことによつて観たやうな気になるといふのもありであらう。これは本当に実に残念なことなのだが、観てゐないものは観てゐないのである。イ ンターネットでさがせば、部分的にでも舞台の様子を知ることができるかもしれ ない。しかし、それをしない私はかうして読んでその気にならうといふのである。本書のほぼ全体はこのやうになつてゐる。実に多くの舞台を観てゐる人だと 思ふ。劇評なども書いてきた人だから当然ではあらう。こんな人が訳したのであ る。実は松岡版シェークスピアを一つだけ観たことがある。「終わりよければすべてよし」、吉田剛太郎演出であつた。ここでは「この作品の本質的な深部を照射するいくつもの鮮やかな解釈が見られた」(290頁)さうである。もちろん 私には分からない。松岡訳を読んで、今一度舞台を思ひ浮かべてみようかと思ふ次第である。
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    投稿日:2022.07.16

  • NORIS

    NORIS

    (あんのさんご存命なら当然表紙を担当なさったのだろうけれど…でもあとを継ぐ南伸坊もしっくりくる感じでよい)

    投稿日:2022.04.11

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