【感想】経済で読み解く世界史

宇山卓栄 / 扶桑社BOOKS文庫
(5件のレビュー)

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ブクログレビュー

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  • atsushi1224

    atsushi1224

    非常に良書。世界史の変遷を経済を切り口に説明。史実をただ事柄として羅列しても頭に入ってこないが、いつの時代も人間の性は変わらず、経済的動機によって歴史は動いていることがよくわかる。また、栄華を極めた帝国はその莫大な戦費を賄うために紙幣増刷→インフレ→国家信用低下を経て滅亡している過去のパターンは非常に興味深かった。続きを読む

    投稿日:2022.08.13

  • Treasoner

    Treasoner

    冒頭でも言われてる通り教科書での説明だと理解できない歴史的な背景が多く、本書で腑に落ちるエピソードは勉強になる。マホメットがどうしてアラビア半島を制圧できるまで組織を拡大できたのかは謎だったが、ササン朝の迫害を逃れた商人の集まりで資金が豊富だったと理解すればスムーズ。他にも古代ギリシャは銀山で裕福だったなども教科書では紹介されるべきなのにされていないことは山ほどある。 ただ著者は所詮塾講師、他の本の要約が中心で読みやすい本だが、政治的な私見は不要続きを読む

    投稿日:2022.05.10

  • yasz

    yasz

    高校2年生の時に世界史を学んだことは覚えていますが、理系だった私は内職をしていて別の科目の勉強をしていました。それでも耳には授業の内容が聞こえていて、日本以外の場所での出来事に興味を覚えていたのも事実です。

    しかし40年以上前に学んだ世界史では政治や戦争・事件がメインであり経済に関する視点は少なかった様に思います。今回出会った本は、そのような私の興味を満たしてくれる素晴らしい本でした。多くの出来事が複雑に絡んでいるように思えた世界史も経済の切り口で見てみると面白いことがわかりました。

    以下は気になったポイントです。

    ・歴史はカエサルやナポレオンら偉人によって動くのではなく、名もなき人々の怒り・不満・欲望・執念の集積によって動きます。経済という尺度によって、それらの動向を追い、人間社会の一般法則を導き出すこと、これが本書の目的である(p3)

    ・モンゴル帝国は物流拠点となる大陸のオアシス都市を抑え、それらを結び、面ではなく点の支配を及ぼします。最小限の人員で騎馬の機動力を活かし、シルクロードの安全を管理し、効率の良い収益構造を作り出すことに成功し、世界帝国に飛躍しました(p27)

    ・帝国主義の拡張(外的成長)が不可能になると(20世紀)経済は新たな拡張・膨張の対象を探し始め、その対象となったのが通貨である。20世紀にはいり、金本位制が停止され、各国の中央銀行が通貨発行の自由裁量権を握った時、経済は自らの血肉である通貨の増幅によって自ら「内的成長」をする手段を得た(p35)

    ・ペルシアのような大国は少しでも国力が減退すると、広大な領域で反乱が慢性的に発生する様になる。反乱を鎮圧するために莫大な軍費が投じられ、財政が逼迫し始める。負債の増大が徐々に国家の体力を奪い、衰亡へと向かわせるということが歴史上の大国で繰り返されたパターンである(p47)

    ・カラカラ帝の市民権拡大政策や公共工事は一定の成果を収めたが、大きな副作用を伴った。市民権を与えられた外地の有力者たちは、その政治的権限を背景に現地で独立し、自ら皇帝を名乗り、ローマの意向には従わなくなった。こうして帝国は空中分解して、カラカラ帝の死後、軍人皇帝時代と呼ばれる時代へと入る(p59)

    ・晋は政権の基盤が脆弱で内乱が多発し、316年には早くもモンゴル匈奴の侵入で滅びる。滅ぼされた晋は、江南(中国南部)に逃れ、晋の後継国の東晋を建国する、華北(中国北部)はモンゴル人を中心とする異民族が割拠する、386年には北魏を建国し、南北朝時代(5−6世紀)となる、581年に隋(北朝が南朝を吸収)、618年に唐が建国される(p71)

    ・6−7世紀、欧州の農業生産力が増強されると、欧州はビザンツ帝国の食料調達のロジスティクスに依存する必要がなくなる。ビザンツ帝国は高いコストをかけて広大な領土を維持するインセンティブを失い、領土を縮小していく(p75)

    ・フランク王国はゲルマン人部族を統一して教皇との連携を強化、800ねん、ついにゲルマン・フランクの力が認められて、フランク王カールは教皇から皇帝に任命された。カール大帝の死後、一族の争いで帝国は分割、9世紀後半に、西フランク王国(フランス)、東フランク王国(ドイツ)、イタリアの三国が誕生し、今日の欧州の原型となる(p76)

    ・1179年、カトリック教会によって開催された第三回ラテラン公会議では、利子を取る者は破門しキリスト教として埋葬しないと決議、しかし1215年の第4回会議では、支払い期日を守らない債務者によって債権者の損害が発生した場合、利子(ペナルティとしての延滞利息)が認められた。これにより利子取得(上限は33%)は一般的に行われた。(p83)1517年第五回公会議で、利子徴収を解禁した。これを主導したのが、ジョバンニ・デ・メディチであり教皇レオ10世にもなった。(p85)

    ・支配階級と非支配階級の貧富の差が開くと経済は停滞し始める、この理由として、1)富裕層の消費性向は一般層に比べて低い(投資や貯蓄はするが、消費はしない)、2)資本蓄積が進みすぎると、かえって投資効率は低下する。富の一単位の価値は低落する、これは金利低下となって現れる(p91)

    ・宋王朝は1023年、交子ほ(民間の両替所)の救済を行うと同時に、両替のビジネスを民間の交子ほから取り上げて朝廷の専売ビジネスとした。朝廷が交子を発行したことによって、交子は公的な兌換紙幣となり、全国に普及した。これが史上初の兌換紙幣である(p95)

    ・イスラムに入信しなくても税が納められれば、それ以上の戦いは許されない。税が拒否された時は戦って良い。他宗教への寛容を税という金と引き換えに認める実利的な規定を持つ宗教はイスラム教だけ(p116)

    ・ヴェネツィアとジェノバは地中海交易の雄であった、ヴェネツィアがエジプト・シリア沿岸、コンスタンチノープルと香辛料を扱っていたのに対して、ジェノバは、黒海のクリミア半島を支配して、中国に向かうシルクロードを押さえて主に絹織物を扱っていた、14世紀にジェノバはヴェネツィアとの戦争に敗れて交易路を奪われた(p122)15世紀の大航海時代は、ヴェネツィアに苦渋を飲まされたジェノバの逆襲として幕を開ける。地中海交易で蓄積された商業資本が新たな利益を求めて大西洋の大海原に飛び出していったことになる(p124)インフレが欧州で進行する中でジェノバには資金が集中して低金利となっていた(p125)

    ・1578年、ポルトガルはセウタなどの沿岸都市を攻略するがイスラム王朝サアド朝に大敗する、国家収入の半分に相当する額を投じた戦いに負けて、ポルトガルは破綻する。1580年に隣国のスペインがポルトガルを併合する。ジェノバの巧みなファイナンスで、スペインがポルトガルの負債を引き継いだ(p130)

    ・スペインはスペイン領ネーデルランドの中心都市アントワープと特区地域として開放していた、スペインはアントワープで起債して資金調達をしていた。高い利払いを要求されるジェノバよりも魅力的であったので(p132)

    ・カール5世を継いだフェリペ2世は父とは異なり広大な神聖ローマ帝国領を移動せずにスペインから離れずに統治していた。カトリック教徒でありカルバン派新教徒の多かったネーデルランドに対して、カトリックを強要したため、1568年に独立戦争を起こすことになり、1576年新教徒の拠点であったアントワープはスペイン軍によって略奪・破壊された。新教徒の商工業者は、オランダのアムステルダムに逃れた。フェリペはスペイン王国の資金源たるアントワープを自らの手で破壊した(p135)

    ・オランダとイギリスはカルバン派(プロテスタント)を保護して彼らの商工業技術を活かして発展した。オランダは1581年スペインから独立、イギリスは1588年にアルマダの海戦でスペインに勝利した。16世紀までは欧州とアジアの貿易の4分の3は中東経由であったが、17世紀以降、オランダ・イギリスが自らの船舶によりアジアと直接交易をして、中東は没落し始める(p138)

    ・インドとはアジア全体を示す漠然とした言葉であった、コロンブスが新大陸に到達した時、アジアのどこかに辿り着いたというイメージが欧州で共有されて新大陸は西インドと呼ばれていた。この西インドの対として、インド・東南アジア地域は東インドと呼ばれるようになった。(p140)

    ・イギリス、オランダ東インド会社の比較、配当:オランダは年率18%ローリスク、ローリターン、イギリスは一航海毎でハイリスクハイリターン、株主責任はオランダは有限責任、イギリスは無限責任(=信用高い)、オランダは民間連合会社(保護なし)に対して、イギリスは王室特許会社であった(p141)

    ・1652-1674年まで3回に渡りイギリス・オランダ戦争(英蘭戦争)が起きるが3回ともオランダが敗北してオランダの派遣はイギリスに奪われていく、オランダは経済的利益にのみ関心を注ぎその利権を守るための軍事に予算を回さなかった、イギリスは軍艦建造の予算を確保して海軍力を増強していった(p149)

    ・欧州とアジアをつなぐ3つの玄関都市は、コンスタンティノープル、アンティオキア、アレキサンドリアであり、交易上も軍事上も要衝の地であり、古代から争奪の的となっていた(p151)オスマントルコ帝国は1517年にインドムルマーク朝に大勝して、この3つの玄関都市を全て手に入れた(p154)1566年、オスマン帝国とポルトガルは協定を結び、インド貿易を分け合うことについて合意している(p155)

    ・オスマン帝国では軍の指揮権の多くを握っていた皇帝直属の部隊:イェニチェリは、英才教育を施されたキリスト教徒の白人の有能な者の中から選ばれた、イスラム教徒の子弟から選ばず敢えてキリスト教徒の子弟から選んだのはイスラム豪族の台頭を抑え、キリスト教勢力を懐柔してバランスさせた(p157)宗教、文化の違いを超えて多勢力が共存していた歴史的事実もあったことを見落としてはならない(p159)

    ・中国では康熙帝による人頭税廃止の宣言により民衆は人口調査に応じて戸籍を取得し始める、その結果18世紀後半の清王朝時代には3億人となる、清王朝で正確な人口統計を把握できるようになった(p167)

    ・綿花を栽培できない寒い欧州では、衣料は毛織物製品が主流であった、重くてゴワゴワと嵩張り、加工が困難であった。決定的に違うのは毛製品は水洗いできないこと、不潔なウール衣料を着ていたため病原菌に侵されやすく免疫力のない乳幼児の死亡率が高かった(p173)

    ・経済学者のションペーターは経済成長には、1)資本蓄積、2)技術革新、3)人口増大の三要件をあげているが、産業革命が始まった頃のイギリスにはこの3つが揃っていた。フランス、ドイツは人口増大はしていたが、資本蓄積が進んでいなかった(p178)

    ・産業革命をいち早く達成したイギリスは世界の覇権を握る、覇権国家の3つの条件、1)圧倒的な生産力、2)圧倒的な流通力、3)圧倒的な金融力、を持つようになる。近世以降で、そのような覇権国となったのは、オランダ・イギリス・アメリカのみである(p185)

    ・イギリスは貿易外収支(海運、サービス、海外金融、投資収益)で稼ぎ、貿易収支の赤字を補っていた、イギリスが他国よりも優位に立てた根本的原因は、他国が真似のできない収益構造を形成することができたから。イギリスの収奪システムは3段階ある、1)16世紀の私掠船の略奪(スペイン、ポルトガルの貿易船の略奪)、2)17−18世紀の奴隷三角貿易、3)19世紀のアヘン三角貿易(p189)

    ・アメリカは奴隷に家族を持たせ、子供を産ませて黒人の子孫を永続的に土地に住まわせて奴隷人口を増大させた。そのためアメリカの奴隷購入は減少した。18世紀後半まで1000-1500万人の奴隷たちがアフリカから連行されたのでアフリカ地域の人的資源が枯渇して奴隷の卸売価格が上昇。また南北アメリカの砂糖、綿花の生産量増大による価格定価で、奴隷貿易の利益が先細りした。人道的な批判も強まり、イギリスは1807ねんに奴隷貿易禁止法を制定、それでも19世紀半ばまで奴隷貿易は続いた。奴隷貿易は利益が出なくなり自然消滅した(p191)

    ・1793年にフランス革命は激しさを増して、左翼急進派が政権を握り、ルイ16世とマリーアントワネットが処刑された、ブルボン王朝とともに王室の莫大な負債をこの地上から消してしまった。債権者(貴族などの富裕層)も同じく断頭台へ送られた。王朝の負債を消す為には債務者も債権者も同時に消す以外に方法は無かった(p214)イギリスは新大陸の植民地に強引な重税を押し付けた(p214)

    ・イギリスやフランスは植民地向けの軽工業で得た利潤で、ドイツの重工業製品を大量に購入してインフラ整備に当てていた。重工業という最も利益率の高いセクターをドイツが掌握する構造が出来上がってしまった。イギリスやフランスは植民地獲得に成功したゆえに、従来型の軽工業のビジネスモデルに依存して脱却できなかったのでドイツに経済覇権を奪われてしまった(p258)

    ・1923年に首相となったシュトレーゼマンは、ハイパーインフレを沈静化させるために新紙幣レンテンマルクを発行、シャハトが中央銀行総裁に任命されてその指揮を取った、彼はレンテンマルクをドイツの土地資産と連動させて、その資産価値をこえる通貨の発行を認めなかった。1レンテンマルクと従来のマルクの交換レートは1対1兆とされた。これは通貨単位を下げるだけのデノミではなく、通貨発行量の制限、国際引受高も制限された。これによりインフレは収束された(p260)

    ・満洲国を樹立(1932)し満州から華北への進出を狙っていた頃、イギリスは日本に対して中国の幣制改革で協調する様に呼びかけていた、日本が協調するならば、イギリスや中国は「満洲国」を承認するという条件を日本に提示していた。しかし日本は、1937年に盧溝橋事件が勃発し日中戦争が始まると、日本が銀行(華北連合銀行、蒙疆銀行、華興商業銀行、中央儲備銀行)を設立し、これらの銀行の銀行券(圓)を新たに通貨として発行した。これは日本銀行券とは切り離された通貨であった(p273)

    2021年3月14日作成
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    投稿日:2021.03.14

  • aya00226

    aya00226

    過去の過程→帰結、の累積が歴史。
    下部構造は上部構造を規定する=経済的構造が歴史を決める。人々の経済的不満は政権を倒す。
    古代、中世、近世、近代、現代の5つに分かれる。
    現代は自己増殖する経済。

    は多数の人間に均分化されると余剰が生まれず投資ができない。かといって集中しすぎると経済は伸びない。富裕層の消費性向は低い。資本の蓄積過ぎは投資効率が落ちる。途中に最適値αがあるはず。かつての唐もそうだった。

    宋は紙幣をつかった=信用貨幣。経済は拡大したが、信用が損なわれると滅ぼされた。

    ポルトガルは戦争でデフォルトし、スペインに併合された。

    オランダとイギリスの東インド会社は、年間決済か事業決済かの違いがあった。

    高句麗は朝鮮ではなく満州人の王国。朝鮮の歴史は満州人と朝鮮人の合作。

    産業革命は化石燃料を利用したもの。近代の始まり。
    綿製品は洗えるから羊毛より便利。インドの綿製品に対抗するためイギリスの産業革命が始まった。
    交通革命で遠洋航行が可能になった。

    経済成長には、資本の蓄積、技術革新、人口増大が必要。イギリスにはこれがあった。
    他国は、技術のコピー、盗用によって追いついた。

    イギリスの覇権は奴隷貿易、アヘン貿易のよって形成されたもの。

    大分岐=中国と西欧の成長の差のこと。資本の蓄積の差、労働コストの差=中国は労働者が豊富なので機械化コストを賄えなかった。インドも同じ。イギリスが工業化して作った綿より中国の人海戦術のほうが安かった。中国は農業が盛んで、工業化の必要がなかった。
    中国からのお茶の輸入を少なくするため、セイロンにお茶栽培を持ち込んだ。
    イスラムは時間は神のもの、それを利用して利益を上げる利子は神への冒涜になる。

    現代はコンドラチェフの景気波動に依存している。ピークは1970年の高度成長、2020年の発展途上国の繁栄。
    コンドラチェフによれば、資本主義は技術革新で常に局面を気に抜けてきた。

    1929年の暴落を予想したのは、ケネディーとリバモアだけ。フィッシャーは外れた。
    当時は金本位制のため、大規模な政策はとれなかった。
    フーバーは金本位制を維持したが、その次のルーズベルトは放棄した。その結果世界経済が縮小したのではないか。

    ニューディール政策の評価は?
    金融政策か財政政策か。実際には財政出動の規模はそれほど大きくなかった。金本位制を切ったがそれほど金融政策も大きくなかった。景気回復は自律的なものではないか。その後の戦争で本格的に回復した。

    ワイマール共和国のインフレは、賠償金のせいではない。賠償金は金で支払う必要があった。
    マルク安で輸出を増大させた。
    ヒャルマールシャハトによるレンテンマルクの発行=土地不動産を担保とした(レンテンは地代の意味)。
    アメリカがドイツへ投資したが、世界恐慌で資金の引上げ、その結果ワイマール共和国はデフォルト。

    ナチスの公共事業=アウトバーン、再軍備など。労働者へ直接配分。物価を統制。シャハトがメフォという手形によって政府の借入を補助した。それが行き詰まり侵略戦争に打って出た。

    イギリスは中国の幣制改革に協力すれば満州国を承認する、という条件を出したが日本は中国への進出が途絶えることを恐れて断った。

    日本が中国で発行した銀行券は信用を得られなかった。台湾や韓国では規模が小さいため成立したが中国では無理だった。
    日本は、中国で偽紙幣を作って国民党に打撃を与えた。

    アメリカは大戦後、領土を支配せず間接的に支配した。
    アメリカは軍事費は1%程度だったが、太平洋戦争で増大させた。軍事産業が大きな産業に育ったため、軍事費を減少させられなくなった。アメリカが必要とするのは永遠に続く戦争。
    ベトナム戦争から、戦争は儲からなくなった。一般消費が大きくなったため戦争による軍事費だけではGDPを増大させられない。

    トランプ大統領の最優先は中国の覇権を抑えること。新冷戦のパラダイムは今後も続く。習主席、プーチン大統領は事実上の皇帝。
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    投稿日:2019.08.19

  • ganki88

    ganki88

     経済という視点に立って、古代から現代までの世界史を眺めた本書。

     ヴァイキングは海賊のイメージが強いが、実は運送業者というのが実態に近い、等の印象を変える記述も多々ある。
     そんな中、帯にも書かれていたジェノヴァの金利については初見だった。何故に、大航海時代の先陣を切ったポルトガルがスペインに併合されるまで落ちぶれたのか。それが長年疑問だった。その原因の一つに、ジェノヴァによる利益の吸い上げがあったと知り、腑に落ちた気がする。ポルトガルは「鵜飼の鵜」だったのだと。

     このように経済で見てみると、国家の盛衰が新たな視点で見えてくる。
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    投稿日:2019.05.02

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