【感想】暴走する能力主義 ──教育と現代社会の病理

中村高康 / ちくま新書
(15件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • かさじま

    かさじま

    確かに、「これからの時代に必要な能力」みたいなものってめっちゃ抽象的でありふれてることが多いと納得してしまった。

    考えてみると、プログラミング教育みたいなものも、プログラマーである自分からしてみてもなんでやってるのかよく分からないので、本で説明されている、再帰性の現れなのかもしれないと思った。

    近代という時間軸で説明が丁寧になされており、自分でも普段目にする、「新しい」何かや、世の中の自己啓発圧の起源がよく分かった。面白かった。
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    投稿日:2023.02.26

  • skmths

    skmths

    構造は非常にわかりやすく、①能力を厳密に測定することは難しい、②身分が属性によって規定されない、オープンな社会では何らか能力により身分の配分をせねばならず、社会的要請として暫定的な能力の尺度を決めねばならない、③上記により、測定される能力には常に反省すべき点が必ず含まれる(メリトクラシーの再帰性)、④情報化社会の中で相対比較を壮大にできるようになったことで、自分の身分を決める能力の尺度の不正確性や相対の可視化により、能力不安に陥る、⑤これらが、より平等で能力を重視する社会では増幅していく。この構造はその通りだが、人権を根本原理とする、現代的な平等社会においては、正確だから決められない、では機能せず、社会的にキメの部分が必要なはずで、それが常に反省的に新しい能力を求める流れになったとして、新しくないからそれが問題、とは思えない。新しいことに価値があるわけではなく、社会や人がそれによって学習され、成果を出せるか、が重要であり、文脈依存性が高いとはいえ、基礎的なコンピテンシーの尺度は必要だと思う。続きを読む

    投稿日:2022.12.27

  • Go Extreme

    Go Extreme

    本書は、著者がこれまでの研究のなかで提唱してきた「メリトクラシーの再帰性」という概念をキーとして、後期近代社会 (=現代社会) における能力主義の有り様を説明することを試みたものです。

    「メリトクラシーの再帰性」とは、能力主義に本来的に備わっている自己反省的な性質のことです。私たちの社会では、基本的には能力による処遇の差異を認めてきましたが、実は能力を測ることは必ずしも容易ではありません (命題1)。しかし、なんらかの形で能力を測れたことにしないと社会が回っていかないことから、私たちはある種の手続きを経て得られる能力測定の結果をもって「能力が測定された」ということに社会的に決めています (命題2)。しかし、これは社会的な決めごとにすぎないため、「本当にその能力の測り方でいいのか?」という疑念を常に呼び込むことになってしまいます。このように考えると、能力主義 (メリトクラシー) には、常に反省的に問いなおされ、批判される性質がはじめから組み込まれていると考えることができます。この性質を、「メリトクラシーの再帰性」と呼ぶのです (命題3)。

    現代社会においては、高学歴化と情報化の進展によって、この再帰性が従来以上に激しく作動していくことになります (命題4)。その結果、従来は安定して信頼されていた学力や学歴のような能力指標も時代遅れのものとして問い直し対象となることになり、様々な「新しい能力」論が次々に繰り出されることになっていきます (命題5)。現代社会では、現実にそのような「新しい能力」論が、社会の実態とはかけ離れた形で称揚されることになるのです。

    ところが、こうした「新しい能力」論は、様々な制度改革の流れのなかでも持ち上げられ、私たちの社会に不必要な負荷をかけています。現代を生きる私たちは、こうした能力主義の暴走状態から可能な限り距離をとり、冷静な対応をすることが求められているのです。

    以上が、本書の要約です。なお、著者として私が執筆時に課題としたのは、私自身のアカデミックな研究枠組み (再帰的メリトクラシーの理論) を、単なる学術的な知見で終わらせるのではなく、現代社会批判として、また多くの読者の方が現代社会を同じような角度から批判する際の足場となるようにわかりやすく提示する、ということでした。刊行後の各方面の反応を見る限り、その試みはある程度成功したという感触があります (命題3を論じた第4章は専門的で読みにくい方もおられるかもしれませんが)。とりわけ、現代日本の教育改革に批判的な方々から、たいへん共感的なコメントを多数いただいています。

    現代の教育改革は、日本だけの動きではありませんので、広く海外にも今後はメッセージを発していきたいと思います。


    第1章現代は「新しい能力」が求められる時代か?
    新しい能力に対置されるもの
    能力の測定不可能性と能力判定基準の暫定性
    メリトクラシーの再帰性
    第2章 能力を測る―未完のプロジェクト
    能力をめぐるダブル・スタンダード
    採点思想
    能力が測れないことの意味
    第3章 能力は社会が定義する―能力の社会学・再考
    抽象的能力を求めることの帰結
    能力主義と能力による支配
    近代化とメリトクラシー
    能力の社会的構成説
    学歴主義の社会的構成
    素点合計主義
    第4章 能力は問われ続ける―メリトクラシーの再帰性
    メリトクラシーの再帰性
    ギデンズ社会学
    ハイブリッドモダン
    前近代社会と近代社会
    脱埋め込みのメカニズム
    制度的再帰性
    第5章 能力をめぐる社会の変容
    再帰性概念の3つの区分
    能力アイデンティティと能力不安
    再帰的な学歴社会
    第6章 結論:現代の能力論と向き合うために
    再帰性の動因
    キー・コンピテンシー再編
    非認知能力
    知識の暗記・再生=受験握力の批判
    反知性主義とメリトクラシーの再帰性
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    投稿日:2022.11.18

  • nrp

    nrp

    能力主義に対する批判を論じているが、よく見る議論で新しい視点は無かった。
    本書の主張は大きく、
    ・求められる能力とは時代により異なるものであり、メリトクラシー(能力主義)は常に批判にさらされ続ける=再帰性から逃れられない
    ・昨今声高に主張されるキーコンピテンシーや非認知能力等は旧来の詰め込み主義、学歴偏重の教育環境を批判する形で注目されているが、過去の批判が主で旧来の教育体系に取って代わるような中身のあるものではない
    という2点。1点目はメリトクラシーという言葉こそ個人的には新しかったものの、中身は語られ尽くされており新鮮味はなし。2点目は新しい教育観点への批判が全く具体的ではなく、これまでも聞いたことがある、これだけで問題解決ができるはずがない、程度の感想のみ。
    コミュニケーション力や議論力が学問でも社会生活でも必要なのは間違い無いが日本人の特性に合わないこともあり未だに浸透していないと個人的には考えているので、そもそもそこを見ようともしない議論は読む気にならなかった。

    元々この本を手に取った問題意識は、エマニュエルトッドが最近主張している、社会の分断を示す上で、リベラルと保守ではなく今の先進国の分断はこの能力主義なのではないか、と言う点について考えるため。新自由主義の競争原理主義の中で能力主義が分断を生み出しているのでは、という主張に対して、能力主義がどこまで平等に適用され、かつ信頼に足る指針なのかを考えたい。その観点からも本書はヒットしなかった。

    あとは性格的な問題で、この衒学的で批判的な書き方というか、世の中の考えが浅くて学問的に新規性のある自分の考え方が良いとするような書き方が鼻について嫌だった。こういう感覚で読む癖はやめたいと思っているのだが。。
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    投稿日:2021.03.28

  • 小田 浩彦

    小田 浩彦

    人間の能力は、基本的に測定不能であり、社会で必用とされる能力の変遷に伴い、教育内容を変えるべきということを「メリトクラシーの再帰性」という言葉で説明した。
    ◆Aiの発展で単なる暗記に偏った勉強だとAiに仕事奪われるよ→マークシートによるセンター試験(共通一次)の廃止、
    ◆記述式の共通テストへ、英語は読書きメイン→読書きだけでくヒアリング・リスニングも、
          と言った現象は、まさにメリトクラシーの再帰性の高まりだろう。
    しかし、早急(拙速?)な改革が行われつつあるという印象は否めない。
    記述式テストは採点の難しさ、採点者による評点のバラツキを発生させ、その調整には多大なコスト時間がかかるし、藤原正彦の言っているように英語が流暢に操れる人間は全体の2-3%もいれば十分だろう。("1に国語、2に国語、3.4がなくて5に数学"と藤原氏は言っている)
    現在の教育改革(メリトクラシーの再帰性の高まり)は、何を生み出すのか? 全く予測できないが、近い将来に、また再修正されることになるだろうという気がするねぇ。
    (あまり批判的なことを言っていると代案だしてみろと言われるので、ここら辺でやめておこう。)、
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    投稿日:2020.11.23

  • mmcit

    mmcit

     タイトルは著者が理論的にインスパイアされたギデンズ『暴走する世界』にちなんだもの。現在の「教育改革」を席捲する「コンピテンシー」論を理解する補助線として。

     著者の議論の要諦は、21世紀に入って以降の日本で次々と提案されている「新しい能力」論は、後期近代における「メリトクラシーの再帰性」のあらわれとしての「能力不安」言説の反映に他ならず、基本的な論点は過去の反復でしかない、というもの。その点は明快だし、説得力もあるのだが、次々と簇生する「新しい能力」論をギデンズ的な「嗜癖」(=一時的な不安の置き換えとしてのaddiction)と見なしていることには違和を感じる。

     というのも、日本における「新しい能力」論は、まちがいなく新自由主義的な人的資本論というイデオロギーと、そこに焦点化することで駆動する教育投資市場の拡大という問題がある。つまり、本書の枠組みで言うなら、それぞれの「新しい能力」論が、誰の・どんな欲望に応じて・どのように構成されてきたかが決定的に重要ではないか。「嗜癖」という理解は、問題を過度に一般化する(それは現代社会に通有の病理なのである)か、過度に個人化する(それはイデオロギーに目を曇らされている個人の問題である)おそれなしとしない。
    続きを読む

    投稿日:2020.02.22

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