【感想】経済改革としての明治維新

武田知弘 / イースト新書
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  • yasz

    yasz

    明治維新を機に日本は一気に近代国家へ変貌した、というイメージを持っていましたが、果たしてそんな手品のようなことがなぜ日本で実現できたのか、ずっと不思議に思っていました。

    この本の著者には今まで何冊か読んで多くの気づきを得たのを覚えています。それらの本を通して、明治維新後や戦後に素晴らしい成長を遂げたのには、それ以前に基盤が整備されていたからだと理解できました。

    戦前や幕末はあまり良いイメージで伝えられることはなかっと思いますが、なぜ明治維新が成功したのかが、この本では経済改革という観点から解説されていて、とても興味深く読むことができました。

    以下は気になったポイントです。

    ・日本が明治維新後に軍事強国になるためには莫大な資金が必要である、日本が成功した理由はその資金を調達できた、つまりは経済的な成功である(P3)経済改革として、世界中のどこの国にもなかった巨大な経済改革として、支配階級だった武士階級は全国の土地所有権を農民に無償で解放した(P4)華族、士族という肩書は残ったものの、明治国家の制度上では彼らに特権はほとんどなかった。手切れ金のような秩禄公債をもらったのみ(P31)

    ・明治維新とは、たんに支配者が変わっただけではなく、各地域がバラバラに統治していた封建制度から、中央政府が国全体を統括する、近代的統一国家になった(P17)

    ・鳥羽伏見の戦いにより徳川家を没収して駿府70万石にすることで、約726万石得た、敵対した諸藩から108万石、明治新政府は860万石の直轄領を得たが、財源はまったく足らなかった(P32)

    ・廃藩置県以前の明治の軍隊は、国が管轄するのは海軍のみ、陸軍は各藩が個別に編成していた、なので海軍費用ということで藩から上納金を拠出させていた(P37)

    ・廃藩置県の改革とは、1)行政権を藩から国に移した、2)徴税権を藩から国に移した、こと(P41)

    ・新政府は財政が厳しく、現金では支給できずに公債というかたちで支給した、利子率は220石以上の上級武士が5%、23石以上の中級武士が6%、下級武士が7%であり、その利子で食べて生きなさい、ということであった(P50)

    ・明治4年10月、郷士・百姓・町人由緒地地子免除廃止布告、が出させて年貢免除されていた地域の免除取り消しをした。つまり無税の農地を無くした。さらに12月には、東京府下の武家地と町地の区別を廃止する「地券発行地租収納布告」がだされ、両方から地租を課すことにした。これにより全国民に国家財政を負担させることになった(P57)

    ・明治政府の代表的な自由化政策は、1)職業選択、2)交通、3)居住移転、4)土地売買の自由である(P61)

    ・地租改正により収穫高に応じて税額が決まる江戸時代とは異なり、あらかじめ決まった額の税金を収めれば良いことになった(P68)明治維新直後に起こった農民一揆のほとんどは、旧幕府領であった、税の負担が大きくなったため(P69)

    ・明治政府は太閤検地以来の全国的な農地・宅地調査を明治9年に、山林・原野については明治14年にほぼ完了した。農地・宅地所有者は、603万人であった、この確定作業が、現在の固定資産台帳のもとになっている、これにより課税義務者も決定した(P73)これにより実は4684万石(改正前記録:3222)であることが分かった(P74)

    ・明治政府による「地租改正」は世界史的に例を見ないほどの大規模な農地解放であった、幕府は藩から取り上げた土地は、所有権としては農民に与えた。これほどの大規模な農地解放はいまだかつてなかった、戦後の農地解放は当時の小作地(全農地の46%)、農民の半分以下の小作農に与えただけであり、地租改正にくらべるとはるかに規模が小さい(P76)

    ・民部省改正掛は、活動期間2年ちょっとの間に、四民平等・廃藩置県・地租改正・鉄道建設・郵便制度・会社制度確立、など明治の需要な改革を主導した(P83)また旧幕臣によってなされていた(P100)

    ・富岡製糸場は官営工場の払い下げ令により、明治26年に三井家に払い下げられた、業績の良い工場は払い下げになっていないので、業績的にはあまりよくなかったと言える(P113)

    ・明治新政府は維新直後に戸籍をつくった、農工商をすべて平民としたので、士農工商は平等になったが、賎民という制度は残されていた、それを4年(1869)に賎民廃止令により廃止したので、四民平等が完結した(P117)

    ・日本は開国当初から強い輸出力を持っていたので、日本が急激に近代化し、軍事力をつけることができた、この要因は生糸である(P127)

    ・新政府が接収したのは、長崎製鉄所(のちの長崎造船所)、横須賀造船所、水戸藩・石川島造船所(東京都)などの11箇所の工場、佐渡金山、生野銀山高島炭坑(長崎)三池炭坑(福岡)などで、これらが明治政府の経済政策、財政基盤となった(P135)

    ・明治7年の台湾出兵の際、政府は兵員輸送のために13隻の汽船を購入したこれらは三菱商会に委託された、補助金をだして欧米に対抗できる海運会社に育成した、これが三菱財閥の起源である。(P142)

    ・兵庫商社というのは幕府肝いりで三井家などが参加して作られた貿易会社(慶応3年、1867)であり、日本の輸出入を一手に引き受けることを目的とした会社で、のちの総合奏者の原形である、大政奉還などにより計画は流れたが、発想は三井物産などに引き継がれた(P145)幕府に対抗して作られたのが、坂本龍馬の海援隊で、土佐藩に出仕させて長崎で商社を立ち上げ、長州薩摩の協力を仰いで商社をたちあげ、これは三菱商事に引き継がれた(P146)

    ・日本に初めて電信機が入ってきたのは嘉永7(1854)ペリー来航時であり、将軍への献上品のなかに電信機があった、これは公開実験されて当時の日本人を驚愕させた、それからわずか20年後には日本全国に電気通信網が引かれた、電通が開通すれば情報伝達が早まり産業発展に大きく影響した(P150)自国で電信事業を開始した日本は欧米なみに発展し、それを外国に委ねた清は、欧米列強に食い物にされた(P153)

    ・水力発電のおかげで電気料金が非常に安くなり、全国に電気が普及するようになった、工場ではボイラーを焚いて動力源を得るよりも電気を使ったほうが安くなり、多くの工場で電気を使うようになった。大正5年(1916)には、東京大阪で80%、全国で40%の家庭に電気が行き渡った(P156)


    ・国立銀行条例とは、国が定めた手順で銀行をつくれば、その銀行に通貨発行を認めるといいうもの、資本金の40%を正貨で準備し、残りは太政官札で政府に預ければ資本金の60%まで通貨を発行できるというもの、準備した正貨の1.5倍まで通貨を発行できる。これは民間銀行である(P194)

    ・改正後の国立銀条例では、資本金の80%を公正証書で政府預託し、20%の政府紙幣を準備金として用意すれば資本金の80%分の銀行券を発行できるもので兌換しない(P198)

    ・明治10年の西南戦争は、政府兵力で総勢5.8万人、戦死者は6200、負傷者9520人あまり、薩摩軍は4万人参加して半分が死傷した。これは戊辰戦争よりおはるかに大きな損害規模である。西南戦争の軍費は、当時歳入の80%(4200万円)であった(P201)

    ・明治維新により新政府は幕府の天領を没収しており、その天領を治めるために政府から知事を派遣していた(P208)

    ・国民が外国商品を買うときは日本の通貨でも買えるが、国家同士の輸出入の帳尻合わせは、最終的に「正貨」で行われる。(P214)

    ・通貨を安定させて正貨を蓄積するために、松方がやったのは、1)増税、これにより市中のお金を国庫に吸い上げた、醤油税・菓子税・売薬印紙税・酒造税・たばこ税など、2)官庁経費の削減、国費の一部を地方費に移し替えた(P217)

    ・明治15年6月に、日本銀行条例が交付されて、10月に日本銀行が営業を開始した(P222)

    ・明治維新は、それまで強い規制で武士や商人に集中していた経済力を国民全体に解放した、これにより民力を養い効率的に経済の高度成長をもたらした、つまり「経世済民:世を治め民を救うこと」を実現したが、アベノミクスにはその配慮はない(P234)

    2020年10月11日作成
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    投稿日:2020.10.09

  • ドラソル

    ドラソル

    明治維新について、経済の観点から書いた一冊。

    これまで明治維新について様々な角度から語られてきたが、これを読むと明治維新が経済的な成功であり、かつ第二次大戦後以上の高度成長であるということがわかった続きを読む

    投稿日:2020.05.09

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