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長澤和俊, ムロタニツネ象 / 学研 (1件のレビュー)
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satoshiqaui
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ゲルマン民族の大移動で西ヨーロッパは混乱を始めた。 しかしカール大帝は強力な武力と宗教の力で統一し、フランク王国をつくった。彼の死後、王国は三つに分裂した。 前回は、ローマ帝国が東西2つに分かれた後の、東側のビザンツ帝国について学びました。 今回は、ローマ帝国分裂後の西側の地域、つまり現在のドイツ・フランス・イタリア周辺の領域について学びます。 やがて世界の歴史を牽引(けんいん)する存在となっていくこの地域が、成立したばかりの時代を見ていきます。 1.西ローマ帝国の滅亡 2.フランク王国の西ヨーロッパ統一 3.皇帝と教皇による叙任権闘争 ドイツ・アーヘンの広場に立つ、フランク王国の王 カール大帝の時代を見ていきます。 カール大帝は、西ヨーロッパ世界成立の立役者です。 その背景には、教会との結びつきがありました。 そして、フランスのクリュニー修道院を訪れます。 ここで修業した修道士の一人が、後に皇帝と争うことになります。 権力と宗教が結びつき、時代を動かした西ヨーロッパ世界 当時、西ヨーロッパの人々の心を一つにまとめるものは、キリスト教でした。 フランク王国はそのローマ教皇に認められ、数ある王国の中で地位を高めます。 8世紀、ローマ教皇は新たな問題に直面していました。 ビザンツ帝国の皇帝が聖像崇拝禁止令を出し、聖像破壊運動が起こりました。 文字の読めない人が多かったゲルマン人の心を引き付けるためには、聖像は不可欠でした。 ローマ教皇は、ビザンツ帝国の庇護の下から独立することを選びます。 800年、ローマ教皇は、新たにローマ皇帝を誕生させました。 選ばれたのは、フランク王国の王、カールでした。 ローマ教皇に認められたことで、キリスト教を信じる西ヨーロッパの人々の信望を得ることになりました。 こうして、ゲルマン人を支配者としてローマ文化を継承し、キリスト教を基礎とする西ヨーロッパ世界が誕生しました。
投稿日:2016.01.04
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